28話 深刻ではない現実的な用件
それから一時間ほどが経過して、リンツはやって来た。
「いきなり訪ねてきてしまってすまないね!」
顔つきは明るく、目つきも晴れやか。それに加え、白髪混じりの灰色の髪は、前も後ろもすべて、ぴっちりと固めてある。
リンツは今日もいつも通り。元気いっぱいだ。
「ローザさんから聞いていました」
「おぉ!? そうだったのかね!」
「はい。リンツさんからお話なんて何だろうって、思っていました」
呑気で陽気なリンツのことだから、いきなり深刻な話を振ってくるということはないだろう。そう思いはするものの、一人でいるとどうしても気になってしまうものだ。
「あぁ、べつにそれほど深刻な話ではないのだがね」
言いながら、彼は何の躊躇いもなく室内へ入ってきた。
私はまだ何も言っていないにもかかわらず当たり前のような顔をして入ってくる辺り、リンツらしい。
リンツは許可も取らずソファに腰掛けると、口を開く。
「で、用件なのだが……」
「はい」
「キャシィさん、そろそろ同室にしないかね?」
えっ。
ちょ、どういう話?
「僕としては、そろそろ、一緒の部屋で生活したいのだが」
「む、無理ですよ!」
私は思わず即答してしまった。
べつに、彼のことが嫌いというわけではない。もちろん、一緒にいたくないというわけでもない。だから「絶対に嫌!」ということもないはずなのである。にもかかわらず即座に断ってしまったのは、一つの部屋で二人で暮らすなんていう光景が、まったく想像できなかったからだ。
「な。即答かね」
「今のままでいいじゃないですか。今のままだと、何か不便がありますか?」
「い、いや。そんなことはないが、ね……」
ソファにどっかり腰掛けているリンツは、座った状態のまま眉だけを動かす。何か言いたげな顔だ。
このままでは、こちらの意見を一方的に押し付けたような状態になってしまう。それは問題だろうと思ったので、私は一応、質問してみることにした。
「同室の方が良い理由が、何かあるのですか?」
彼の心を完全に理解できるかは分からない。
が、何も聞こうとしないよりかは、彼に寄り添えることだろう。
「何かあるのなら、話していただけますか」
私ははっきりと言う。しかし、リンツは黙ってしまった。何か考えているような顔をしてはいるが、言葉は何一つとして発さない。この空白の時間に彼が何を思っているのか、気になって仕方ない。不快だと思われていたら、なんて、少しばかり考えてしまう。怒っているのではないということが顔つきから察せるのが、唯一の救いか。
一分、二分、三分。
音は何一つないまま、ただ時だけが流れてゆく。
「あ、あの……」
沈黙に耐えかねて、そう切り出そうとした瞬間だった。
「理由、だね!」
突然リンツが声を発した。
「理由か。そうだな、理由は必要だね」
「ないようでしたら、ないでも大丈夫ですよ」
「いや! 考えよう!」
考えようって……今から?
少々遅すぎやしないだろうか。
「僕がキャシィさんと一緒の部屋で暮らしたい理由……そうだな。一つは……」
「はい」
「僕とキャシィさんは夫婦だから!」
「なるほど」
確かに。
言われるまで気づかなかったが、夫婦であるということは同室で生活するための理由に十分なり得る。そういう意味では、「夫婦だから」という一つ目の理由だけでも、十分なのかもしれない。
しかし、もし他にも理由があるのなら、ぜひ聞いてみたいところだ。
「他にはありますか?」
「二つ目は……あ! 分かった!」
リンツの目がパッと開く。何か閃いたようである。
「キャシィさんの魅力的なところを見ることができるから!」
「……見られませんよ」
「え」
「魅力的なところなんて、見られません」
私は、自室ではとてもだらしない。どう頑張ろうと、そこは変えられない部分だ。だから、早めに伝えておかなくては。
「自室ではだらけますから、不快なところはあったとしても、魅力的なところなんて見られませんので」
「えええ……」
「あまり期待しないで下さいね」
前もってはっきり言っておくことが親切だ。
私はそう思う。
「……いや」
「えっ?」
「だらけているキャシィさんも見てみたい!」
拳を握り締め、双眸を輝かせながら、大きな声で述べるリンツ。
その姿を見て、私は思わず言葉を失ってしまった。
だらしない女性が好きな男性なんているわけがないのに。
男性の中でさらに王子ともなれば、品があり美しい女性を求めるはずなのに……「だらけているところを見てみたい」などと言い出すなんて、おかしな話ではないか。




