5.劇団四季ゲルニカ -farce actor-
股間いじりたい
「それを提案するのは、私の秘書のアスカ・サカモトです!」
名前を呼ばれた私は、隣の女性が何を言っているのか理解できなかった。
いや言っていることは耳に入ってきたし、言語も理解できた。
ミーニング、つまり意味。それが不明。
なぜ、このタイミングで私が指名され、しかも私が提案をしなければならないのか。
それは誰にも分からない。
「・・・それで。アスカ・サカモト」
議長が何事もなかったように私に声をかける。
私は返事をし、思わず立ち上がる。舞台に立ってしまった私に最早逃げるすべはない。
「提案、と彼女は言っているが、本当に出来るのかね?」
「・・・」
私が黙って隣を見ると、女優もどきはすでに舞台袖に隠れるように座っていた。
飽くまで、1人でやれと言うのだろう。
「私は・・・」
ここで貰ったチャンスをふいにしてしまっていいのだろうか。
――いや、良くない。
私は生まれ変わるのだ。意志なき者に転生などない。
「私は提案をします!」
「それで、リセリア女史は気候が変化しないことをつまらないと言っていましたが、
それを改善する方法が本当あるのですかねぇ・・・。しかも貴方のような新人さんが・・・」
私の目の前の座っている肥った男が、厭味ったらしく口調で質問する。
「その前に、質問があります」
私は内心バクバクしながら発言をする。足の感覚は無く、胃は鈍痛がする。
辛い、辛いが、その辛さが早く終わらせたいという気持ちに変え、
私の口の動きを滑らかに、早口にしていく。
「ピウアルトの気候というのはどの様になっているのでしょうか。
私の印象としては、常に晴れ、温度は暖かい、弱い風がたまに吹くぐらいの過ごしやすい
気候だと思うのですが」
「そうです。ピウアルトの気候は常に365日その通りになっております」
肥った男が答える。どうもピウアルトの気候の専門はこの男のようである。
「雨などは降らないのでしょうか?」
「雨ですか。技術的には天気を変化させることが可能です。
ですから雨を降らせることは出来ます。
・・・しかし、それが何の役に立つのでしょうか。
雨が降れば、人々は家に引きこもるだけでしょう。行動に制約がかかり、
住人のストレスも溜まることでしょう」
「そのような時間を敢えて世界全体で作ってもよろしいのでは?
人は常に外に出る必要はないでしょう。現に私の知り合いは、
晴れていようが引きこもっている時間が多いですよ」
何よー、と隣で声がするが無視だ。
「それに雨だから、雪だから外に出るということもあるでしょう。
私が子供の頃は、全身雨や雪に晒されながらも外で遊んでいました。
また、そのような天候によって、人の様々な感情を引き起こす要因となり、人の美的感覚を磨き上げることもあるのではないでしょうか」
私は少なくとも前世でそんな遊びをしたことも無ければ、天気に風情を感じたこともない。
本当は、多感な頃にそれを経験するべきだったのだろうが、そんな余裕は全く無かった。
だからこそ失った何かを取り戻したい、という気持ちが言葉を紡いでいく。
「気候が安定していることは、住みやすさを与えて良いことだと思います。
しかし、気候に変化を与えると私達の生活にメリハリが出てくる。
現在のピウアルトの気候を有難いという気持ちが湧いてくる。
天気を変化させることで、私達の予測は外れ、次の行動をその場で考える必要があります。
気候の変化が増えれば増えるほどエントロピーは増大し、私達は心を動かされる」
ゴホンと議長が咳払いをする。
「つまり、我々の心は予測不可能だからこそ豊かになっていくと」
「・・・そうです」
私は大きく頷く。
「それがリセリア女史にとって『つまる』ってやつですか」
「むあー?そうですね」
面白そうに話を聞いているリセリアは、話を振られても適当に答えていた。
「まあ、常に晴れだと、晴れが嫌いな人は嫌でしょうね」
本当に適当だった。きっかけを作ったのは貴方でしょうに――と思っていたら続けざまに
口を開くリセリア。
「ですが、天気を改変させるぐらいなら、別に対して大きな変化が起こるとは思えない。
その日の天気がこれだった。人は心を動かされますか? 私にはそう思えない」
先程の適当な答えとは裏腹に、厳しいコメントを突きつけてきた。
これはテストだ――。
彼女の言葉が脳裏をよぎる。そうだ、彼女は私を試しているのだ。
ならば答えなくてはならない。私はここで生きるのだから。
私は深呼吸をした。
思い出すのだ。私がいた世界を。
転生前、あれだけ走馬灯を見せられてきたではないか。
私が生きたその19年の人生を今こそ活かすときであり、そして手放す時である。
一年ごとに必ず私は、何かに気づいていたはずである。
それは、私以外もきっと同じことを考える。
自分の気持ちを、外界に重ねて、私達は希望を抱いたり、絶望を慰めたり、
それらの気持ちを深めたりしていた。
毎年、同じことの繰り返しでありながら、それでいて同じ日というは二度と存在しない。
だからこそ私達は、たかが気候に美を感じるのである。
「四季・・・」
私は言った。
「四季。アスカのいた世界で地域特有の天候のことね」
そうです――、と私は頷いて、説明を続ける。
「私がいた日本という国では、四季というのがあります。
春は暖かく穏やかな気候が続き、新たな生活の希望を生み出してくれるような季節です。
夏は暑い日が続きますが、だからこそ我々は活動的になり、青空に想いを寄せ、
星空に感動を覚えるのです。
秋は、夏のお祭り気分を鎮めていくように、ゆったりとした時間を。
冬は1年の終わりに、私達の今までの行いを振り返る時間を与えるように、
静かで冷たい環境を私達に与えてくれるのです。
4つの季節の移り変わりが、我々の心を更に未知なる世界へ広げていくのです」
私は気づけば、長台詞を恥ずかしげもなく喋っていた。
しかし、舞台女優は幕が終わるまで演じ続けなければならない。
「一気に変えてしまうのは、色んな部分で影響を与えてしまうのは事実でしょう。
ですが、環境を変えることで、私達の生活に変化が訪れれば、リセリアが言っている『つまらない』という状況から、少しは改善されるのではないでしょうか」
台詞を言い終え、私はただ皆の反応を待った。
皆一同に、私の言葉を聞き取り、何かを思案している様子であった。
そして長い沈黙のあとに、議長がゴホンと咳払いをして
「アスカ・サカモト。君の言っていることは、私には理解できない」
と一言。
私は――嗚呼、終わったと思った。
しかし・・・。
「だが、それは我々が四季というのも体験していないからかもしれない。
なので、考えてみる価値はあるだろう」
そして、誰かが始めた小さな拍手から、全員が私に対して称賛の拍手で迎えてくれた。
ゴホン、と咳払い。
「確かにすぐには導入することは出来ない。
ピウアルトの気候は長いこと今の状態を保ち続けているため、急に変えてしまえば影響も大きくなる。なので、多方面から深く検討し、価値があると認められれば、導入しよう。
その結果については、また後日リセリアの方へ連絡を致す。それでよろしいか、アスカ」
初めて、議長が私を名前だけで呼んだので、私は戸惑いながらも
「・・・はい!」
と小学生のような元気あふれる返事をしたのであった。
「それでは皆様、他に議題はありませんかな。・・・無ければこれで本日の定例会議は終了致します。わざわざ集まりいただき、ご苦労であった。以上」
そして、会議が終わると、私とリセリア以外はさっさと部屋から出ていった。
まるで何も無かったかのように、静寂とした空気がそこに戻ってきて、
私はその場で座ったまま放心していた。
そんな私の隣で、同じように座っていたリセリアが急にクスクスと笑いだしたかと思うと
大きな声で笑い始めた。
「あーっはっはっはっはっはっ!ひぃーひぃー、あー腹痛い! 腹痛いよ~、アスカァ~、痛い痛い痛い、あー!」
「ちょっ! いくら何でも酷くない!? 」
「だってだって・・・。ちょっと待って、今息整えるからぁ・・・」
そして、何度か大きく息を吸ったり吐いたりして、落ち着きを取り戻しながら、
漸く喋ろうとするリセリア。
しかし、口角は上がったままで、ニヤニヤとしており、目尻には涙すら見える。
「急に、立ち上がって一人舞台をするかの如く、喋りだすだもん。
最初は真面目に聞いていたけど、いきなり『四季・・・』ってアスカが言い出してから、
その場の空気がおかしくなって、笑いこらえるのに精一杯だったんだから?
途中『我々の心を更に未知なる世界へ広げていくのです』とか言っていたわよね?
それ、聞く側からすれば、何言ってんだって思うでしょ?」
そう考えると、段々と自分の発言が恥ずかしいものに思えた。
頭を抱えたい気持ちの私に対し、彼女は更に
「それに、四季の導入って、実はもうすでに考えられているのよね・・・」
とさらっと私に伝える。
「えっ!?」
驚く私。
でも、あの会議にいた皆は私の意見を初めて聞いたかのような素振りをしていた気がする。
そのことを伝えると、リセリアは顔色変えずに話を続ける。
「四季の存在は、そりゃ私が異世界の事象を報告しているのだから、
あの場にいる人達は皆知っているに決まっているでしょう。
貴方が、熱弁していた内容だって、皆とっくの昔に考えていたにきまっている。
だけど、あの場には誰一人として、『四季を体験した者』が居なかった。
だから前世で四季を体験した貴方の言葉が必要だったの・・・」
「それじゃあ、このような流れになるのは」
「そう、皆予め予測していた。四季の導入に対して、最後のひと押しが必要だった。
それには四季を体験している者、つまり貴方のような者の意見が必要だった。
でも、予め知っていると、作られた言葉で意見を語るかもしれない。
だから、会議の終わりに、急遽話をふる必要があって、そのきっかけ作りを任されたのが私だった。
素直な気持ちを伝える、更に絶望的な人生を歩んだ貴方でも、四季というのが、人の生活に
どれだけ豊かさを与えていることが分かるでしょ?
だから、アスカの発言の内容に問わず『四季は必要』という言葉が出てくれば、日々を楽しみたいと思っているピウアルトの人達の心を動かすには十分なのです・・・キリッ」
なんということだ。最初からグルで仕組まれていたことだったのか。
私は頭が痛くなる。
リセリアは、そんな私の身体を包むように両腕で抱きしめて
「だから言ったでしょう・・・。これはテストだって」
と私の頭を優しく、撫でてくれたのであった。
「よくやったわ、アスカ、合格よ」
講堂に出ると、すでに日が海に沈もうとしていた。
冷静に考えると、作られた太陽であり、それは地球にいた頃に見ていた夕日と
全く違いが見当たらなかった。
「不思議よね・・・。私達は、飽くまで機械と魔法によって作られた不自然な環境で、
自然を求めている。その行為自体が不自然なのにも関わらず・・・」
リセリアが独り言のように、小さくポツリと呟く。
「人工的な物にも関わらず、自然物と全く同じなのであれば、
私達は自然と不自然をいったい何で判断しているのだろうね」
そんな彼女の、無意味とも取れる問いに、私は何も答えずに、ただ沈みゆく太陽を、
記憶に刻むかのように、ひたすら見続けていたのであった・・・。
股間いじった