第4話:魔王と球技大会
今回は球技大会の話です。彼らはどのように球技大会に挑むのでしょうか!
鋳鶴が魔王科のライアに襲われて数週間後体調があれから芳しくなかった鋳鶴は球技大会に参加する為、陽明学園に向かっていた。
桧人の言っていた作戦が何か。自分と歩以外はどんなことをしたのか。練習とはなんだったのか今日、判明する。
そのことについて胸を躍らせながらも鋳鶴本人は、少しだけ不安に思っている。作戦にも練習にも参加していなかった鋳鶴は、ある意味ずっと気がかりでしかたなかった。
そんな気持ちを抱えながらも鋳鶴は今日も歩と一緒にいつもの通学路を歩いている。
昨日まで松葉杖を使っていた鋳鶴の荷物を歩が抱えながら、一緒に通っていたのだが。今日から松葉杖を使わずとも歩行に支障が出ないという診断が出たの上、今日の球技大会参加の許可も出ているのでそれを楽しみにしている。
「もう球技大会か」
歩が目を顰めながら、腕を組んでそう呟いた。今日の彼女は制服の下に学園指定の体操服を着用している。しかし、常々常備している木刀はいつもと変わらず彼女の腰元に下げられていた。
「そうだね!今日は気合入れて試合しないとね!」
「もう体は、大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫だよ!」
この日まで鋳鶴はずっとクラス内での練習も参加できず、保健室に通って体を治療していた。通院しながら学校に通い、授業でも特別な椅子を要に使わせてもらってまで授業を受けていたのである。
これだけ聞くと、要が負傷した生徒の容体を気遣って貸出し、生徒に授業を受けさせながら、身体の治療を促進させようとする教師の鑑と言える行いなのだが、その椅子は要が鋳鶴の体調管理をする。という名目で貸し出し、座った対象の人間の体長を知るだけでなく、製作者の経験などを元に一般化された数値で人間の身体的能力や人体に存在している魔力などを貯蔵しておくことのできる魔力貯蔵量と言ったものを計測することも出来る。
白鳥要が手塩にかけて開発した椅子なのである。
鋳鶴は、彼自身が気付かぬ間に、要の研究材料の一つとされていた。しかし、彼女に悪気はなく、その技術を本人も悪用するつもりではないので、律儀にそのうまを鋳鶴に計測が終わってから報告している。
「その顔は私に嘘をついてないな。正直、安心している」
「嘘ついてまで、痛い思いをしたいとは思わないからね」
鋳鶴は歩の発言に笑顔で答えた。
歩もすっかり安心して優しい表情をしている。まだ完治していないかもしれない。ということも考慮して、歩は鋳鶴に合わせてゆっくりと足を進める。
人に気遣われる事をよしとしない鋳鶴は、それを嫌がって少しだけ早足で歩いた。
「む」
これは歩も反応して、虚を衝かれた。
「歩、遅くなったね!体が鈍ってるんじゃないの!」
「ぬかせ!」
歩はローファーで地面を強く蹴って勢いよく走り始めた。
それに合わせて鋳鶴も走り始める。
「完治したばかりの体じゃあ動きづらいんじゃないのか!?」
「そんなことはないよ!なんならもっと早く走ってもいいぐらいさ!」
「おい、球技大会の体力はとっておいてくれよ。お二人さん、朝から元気だな」
走り続ける二人を見かねてどこからか、通学カバンを持った桧人が現れた。桧人の声を聞いて二人とも走るのを止める。
「なんで桧人は走ってきたんだ?お前はいつも遅刻ギリギリに出てくる癖に、そもそもお前は詠歌と一緒に登校すればいいだろう。私の至福の時間を邪魔するな」
「え!?ちょっ!?えっ!?」
頬を膨らませて桧人に怒る歩。
彼女の発言に少しだけ照れる鋳鶴、そんな二人を正面に見て口角を上げながら、辺りを気にする桧人、それは彼の本日の異様な速さの登校時間に隠されていた。
「お前ら二人の邪魔をする気はないんだがな。察してくれ」
桧人は右手に生徒手帳を握っていた。
陽明学園の生徒手帳は携帯電話として使用する事もできる。メールや動画を見るなどの機能は備え付けてられてはいないが、その代わりに学園の先生、施設、生徒への電話ができるという仕様だ。
料金は授業料の内に含まれていて陽明学園の生徒は携帯電話と、この生徒手帳の二つ、端末を持っている生徒が多い。しかし、この生徒手帳型携帯電話の復旧により、迷惑電話などの発生が計画当初は問題視されていたが、通話をするためには、お互いの学生証の番号を登録しなければならないという規則があり、今のところ迷惑電話によるトラブルは起きてはいない。ただし、この坂本桧人を除いて。
「詠歌からの電話が止まらんから切ってるんだよ。いつ追ってくるかわからんだろう?だから今日は走ってきたんだよ。こんなに朝早くに、それに今日は影太が一緒に登校できそうじゃなかったからな。許してくれ」
鋳鶴と歩は、一緒に登校するぐらいしてやればいいのにと思った。
桧人に引き換え、影太と麗花の二人はというと、今朝、早くから無理やり麗花が影太をたたき起こして朝からランニングをしていたらしい。麗花がSNSに投稿した画像から2人のその情報を知ったのだが、どうみても影太が麗花に無理やり走らされている様子であった。麗花の腰に紐が縛られており、影太がその後ろで引きずられている姿の写真だったのだ。見た誰もが影太の現場での境遇を考えてしまうだろう。
一部では、そんな二人の様子をSNSで見た学校の人達により、炎上している情報もあるらしいが、きっと彼女のファンの男たちの妬み嫉みであろう。
それとエロフェッショナル支持者の暴動でもあるのかもしれない。
「なんか、影太も大変だよね。なんだかんだ言って」
「なんだかんだではなく、実際にあいつが一番大変だろう……」
日々、盗撮もとい正義の撮影のため陽明学園の隅から隅まで走り回り、自分の忍術をその為に使い。女子生徒の非難を買う。
常人にできる行いではないことは三人とも承知している。
それと同時に三人はその能力をもっとそういった変態営業でなく、別の有意義な事柄に使えないかと影太に今すぐにでも問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。
「んまぁそういうわけだ。でも詠歌のことだ。こんだけここで油売って駆けつけないってことは、もう学校で練習してたりしてな」
「今日の部活は二年生だけ出なくていいはずだぞ?私も剣道部を休んでいるのだからな。詠歌は朝から気合を入れて走り込みではなく、投球練習をしていたな。遠目で見てもあれはすさまじい球速だったぞ。私や鋳鶴の身体能力でも打てるか全く持って見当つかない。野球部のブルペンを借りて練習していたしな。あののめり込み様は異常だ」
桧人はその情報に感謝しながら、携帯を弄り始める。どうやら今後の予定に何か変更でもあったのだろうか、彼の隣で鋳鶴は前のめりになって携帯を確認する。
桧人はSNSを確認しながら今後の予定を決めているのだが、鋳鶴はふと、その通知の件数を目にし、恐怖さえ感じた。
個人チャット通話アプリの通知が一定数超えるとそれ以上の数字が加算されないのだが、桧人の通知はその最大の値で表示されている。
それも全て、詠歌からの通知だ。
「詠歌、そんなに必死になって練習しているのに、僕らは練習しなくていいの?」
「あぁ、しなくていい。お前ら二人には、する必要は皆無と言ってもいいだろう」
「なぜだ?」
歩が腕を組んで左右に揺れながら端的に尋ねる。
「そういえばお前らには、あれより詳しく作戦の内容を言ってなかったな」
「なにっ!?」
「嘘でしょ!?」
歩と鋳鶴が驚嘆の声を上げた。
「ほんとだ。それ以外ないだろ?」
驚愕する二人に対して桧人は飄々とした態度でそう返す、まるでそれしか考えが浮かばなかったかの様に。
2人が愕然としている間でも桧人はそれを気にかけることなく歩き続け、ついに学校が目の前に見える距離まで近づいた。そこまで学校が見えると桧人は尚、喜んで歩を進めるようになっていく。何が楽しみなのか、計画の成功か、それとも球技大会という本分を楽しむためなのか、二人にはわからなかった。
学校につくと真っ先に三人はグラウンドに向かい。そこで適当に試合が近くで見える芝生が密集している観客席代わりの場所にゆっくりと腰を下ろした。1組以外の普通科の生徒たちはそこの芝生の近くに集まっていて彼らの様子をゆっくりと見まわす。
特に何も問題が起きている形跡は無く、第1試合の2年4組対2年5組の試合が行われていた。1組は第2回戦の1組対3組という対戦内容になっている。
「桧人、本当にやったの……?」
鋳鶴が恐る恐る桧人にそう尋ねると桧人は含みのある笑みを見せて、再び試合に目を運んだ。
4組対5組は予想以上の試合運びを見せていて、5回を終える所で3対3の同点という試合運びになっていた。
人間は、慣れない事をすると疲労感を感じるそうだが、選手たちは皆、和気あいあいとしており、楽しそうに野球をしている。そこには、インドア派、アウトドア派の隔たりはなく、クラス単位で確固たる団結力を見せていた。
鋳鶴は、そんな風景を見て自分たちの試合を心待ちにしながら、どんな様相のチームが存在しているかを確認していた。
しかし、その風景は突如、音もなく崩れ去る。
「うごぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「はっ!腹が!腹があっ!」
4組、5組の選手たちが突然、グラウンド上で腹を抱えながらのたうち回り、額に大量の汗を浮かべる者、悲鳴を上げる者が現れた。
それはグラウンドの中だけでなく、桧人たちの周りでもその現象は起きている。2組と3組の生徒の試合に出場する選手たちが腹を抱えながら、ドミノ倒しの様に倒れていった。
「やっぱりそういう事だったんだ」
「ん?あぁ、これは勝負事だからな」
異形の光景を目の当たりにしても余裕の表情を浮かべ、寝転がってその地獄絵図を眺める桧人の正面に、詠歌が現れた。
見たところ激昂している様子はないが、彼女の目の奥は爛々と燃えている炎のようなものが鋳鶴と歩には見えた。
額には打倒桧人と書かれた鉢巻を巻いている。鋳鶴は、ここで他の生徒たちの中で6組の生徒たちだけが倒れていないことに気付く、彼らの隣りにはそれぞれ、クラスで用意していたであろう水筒が置かれていた。
「桧人が何かすると思って、クラスのみんなにはお茶を持参してもらったのよ。どうやって工作したかは分からないけど、舐めた事してくれるじゃない」
「そいつはご苦労、俺たちももちろん、全員飲み物は持参なんでな。お前らがそこまで馬鹿じゃないことも知ってたし、何より詠歌が居るからな。俺の作戦は軒並み読まれるとも思っていた。けど実行した」
試合はすべて中断され、グラウンドから見える校舎に備え付けられた時計は、10時を回っている。
1組と6組以外の生徒たちは皆、腹痛などの体調不良を訴え、彼らのみとなってしまった。
グラウンドでは、その試合が事実上の決勝戦という扱いになっている。
「まぁ、兎に角だ。こうなることは予想済みだった。麗花、影太、よくやった。今度は選手としてチームに貢献してくれ」
「……御意……」
「任せろ!練習の成果!今こそ見せるぜ!」
影太は忍び装束、麗花は野球をやるにも関わらず、ボクシングのグローブを装着している。桧人は1組の全員を自分の周囲に集める。
鋳鶴と歩は、桧人のどんな手を使ってでも勝利しようとする姿勢に尊敬はしないが、賞賛はしているつもりである。
こうなることは予想にはなかったものの。飲料をヒントにする辺り、桧人が毒なりなんなりを盛って他のクラスを蹴落とそうなど、幼馴染の二人にとってはある意味、想像通りに桧人が行動するので、むしろ安堵していた。
「詠歌含め、6組の連中は全員スポーツに秀でている連中だ。あいつらが束になって俺たちにスポーツであいつらに絡まれたら勝てる見込みはないだろう。でも今回は9対9の野球だし、何よりも練習を積んで来た連中で出るんだ。全員、絶対勝つぞ。景品は何かわからんが、優勝することに意味があるからな!」
桧人の号令と共に組まれていた円陣が解かれる。
そして互いのクラスはホームベースの前に走って向かう。
両クラス9人が一斉に並ぶと、一番前に立っているキャプテン同士の握手が交わされた。もちろん、1組は桧人で6組は詠歌である。そして一礼すると審判がじゃんけんの掛け声をする。
桧人はグーで詠歌はチョキ、勝利したのは桧人で、詠歌に向かって悠然とした態度を見せつけ、1組は後攻を選ぶ。
それとともにグラウンドに備え付けられたバックスクリーンで表示される選手の名前が記載された部分に、互いのクラスの選手の名前が表示される。
1組のスターティングメンバ―は、
1番 セカンド 土村影太
2番 キャッチャー 坂本桧人
3番 サード 三河歩
4番 ショート 荒神麗花
5番 ピッチヤー 望月鋳鶴
6番 ライト 福原修
7番 センター 青木直人
8番 ファースト 仲谷昇平
9番 レフト 白鳥要
「あの、私も参加していいのかしら?」
要が恐る恐る桧人に尋ねた。
いつも要は、生徒たちに成人している人間とは思えないほどの煌びやかな視線を見せている。その視線が野球による緊張からかハイライトは消え、今にも自殺しかねん人の様にベンチに座り、下を向きながら何かを呟いている。
桧人は、おどろおどろしている要を見て、嬉しそうに笑い、「大丈夫だぞ、先生」と言って要の肩を叩いた。
「がっ!頑張る!」
桧人に肩を叩かれた要の目には光が灯り、いつもの様に彼女の瞳は活力とやる気に満ち溢れ始めた。
ライトの福原修は、1組で唯一の現役野球部の人間。部活で本来守っている守備位置もライトで二年生にして陽明学園野球部のスターティングメンバ―を務めている陽明学園野球部の将来を担う有望株。
センターの青木直人は、運動神経抜群とまでは言い難いが、1組で一番足の速い俊足の持ち主。帰宅部であるが同じ1組に彼女がいる1組では稀有な存在。
ファーストの仲谷昇平は、1組の癒し系キャラクターの人間である。運動神経はそこまでよろしいと言えるほどではないが、一生懸命に物事をこなすという点では1組で彼の右に出る者はいない。
桧人と要の会話が終わると、守備側の1組面々は、各々の守備位置まで向かい、そこでキャッチボールを始めた。
マウンドには鋳鶴が立ち、キャッチャーである桧人に投球練習として様々な球種と速さのボールを放る。それを詠歌は凝視して鋳鶴が何の球を投げるのか、どんな変化球を投げるのかをクラスメイトに記録をとらせるなり、タイミングを合わせて素振りをさせるなどしていた。
「大体、130km出てると思えばいいかしらね。変化球もそこそこ投げられているし、普通の野球部なら苦戦する程のピッチャーだと思う。でも鋳鶴は私たちの敵ではないわね」
詠歌はまるで女王の様にベンチに腰掛け、鋳鶴の投球練習の模様を眺める。
しばらくして鋳鶴が桧人に合図を送るとキャッチボールを終え、審判の掛け声があがる。
それとともに、6組の一番打者が打席に入り、運命の決勝戦が始まった。
1回の表、6組の攻撃は、勿論この日の為に一番野球の練習を積んできたであろう詠歌本人。
彼女は女性用のバットではなく、男性用のバットを持ち、グローブを嵌め、打席に入っている。
「鋳鶴はほぼ素人だが、素人にしては上出来な奴だ。お前に打てるかな?」
「私を舐めないで、それと約束してほしいことがあるのだけれど」
「約束だぁ?俺は約束を守るとは限らないぞ?」
「守ってもらうから大丈夫。というよりも絶対守らせてやるんだから」
バッターボックスに入った詠歌の目の色は桧人がいつも目にする彼女の目の色とは違う。
たかが、学校行事に何を気張っているのだろう。桧人は思いながら、鋳鶴に球種と彼に投げさせる場所の指定をする。
右打席に入った詠歌は、自分のバットをまるでお祓いでもこれからしようかと思わせる神主の様な持ち方をした。
彼女の打法は神主と呼ばれる打法で、全身をリラックスさせた状態で構え、スイングの瞬間に全身の筋肉を動かすことで、より大きな力を発揮するという理論に基づく打法である。
しかし、この打法は長打を打てる確率はあがるがバットコントロールが疎かになってしまうという欠点がある。
彼女の構えを見て、桧人は作戦を変える。鋳鶴に新しいサインを出し、何を投げてほしかを鋳鶴に教える。鋳鶴は無言でうなずくと桧人は2、3回左手のミットの中央を右手で殴打し、自分の手がミットに馴染んでいるかどうかを確認した。
鋳鶴はいつも見ている詠歌との違いと、彼女の打法に驚きながらも桧人の指とミットを見て同級動作に入った。
桧人が構えたのは詠歌の体から一番遠いストライクゾーンの外角低めである。初球からこの位置にストライクを投げ込めば、彼女を攻めやすくなるという算段でまずは外角を指定した。
鋳鶴が投げた球は、桧人が構えた予想通りのコースに注文通りに向かって行く、確実に最初のストライクをもらった。と、桧人も鋳鶴も内心思ったが、現実はそうはいかない。
外角低めのストレートを詠歌は、一瞬の迷いもなく、腰を入れてフルスイングで当てにいく、卑劣。とまでは言わないが、桧人の性格を一番理解しているのは自分。という自負と桧人に負けたくない。という一心で振られたその完璧なスイングは、まるで鋳鶴の投じた球が、吸い寄せられる様に完璧な形でとらえる。
会場中に大きく響く金属音が、そのボールの行方を球場に居るすべての人間に教えているような音だった。
打った瞬間に詠歌はバットを投げ、右手を上げてガッツポーズをした。
センター後方にあるバックスクリーンの蛍光版に迷うことなく打球は伸びていき、大きな重量感のある衝突音を響かせながら、彼女の打球がホームランになった事を告げる。
詠歌は悠々とダイヤモンドを一周した。
1組全員に見せつけるようにゆっくりと闊歩する詠歌は、幸福感溢れる恍惚の笑みを浮かべている。彼女がベンチに戻ると1組の全員が出迎え、それぞれの先週と喜びを分かち合った。
「おい!クソP!お前のせいで点が入っただろうが!初球からスタンドに放り込まれる馬鹿がいるか!」
「僕は桧人の指示通りに投げたはずだよ!でも詠歌は完全にあのコースに来ると思って振ったはずだ。でなきゃあんな当たりはできないよ」
しばらく言い合った後で鋳鶴と桧人は 審判に制止され、元の位置に戻る。
互いに相手に言いたい事も多く、釈然としないまま、1組ナインは次のバッターを迎えた。
中肉中背の男子生徒が左のバッターボックスに入った。
きっと野球部なのだろう。綺麗なバッティングフォームを次の打者が待機する場所、ネクストバッターズサークルで二人に見せていた。
詠歌は余裕で抑えられるという算段が既に崩れているが、桧人は気持ちを切り替えて、目の前の相手を見る。
桧人は事前に6組選手陣の事を記憶しており、どのコースが弱いか、どの球種に弱いかなどを記憶している。
頭の中に彼のデータを引き出して、最も安全に抑えられるであろう場所に桧人はミットを構えた。
内角高めギリギリの場所にカーブ。
勿論、桧人の中では完璧な安全策だったが、その球も相手の唸るような金属音を上げたバットに打ち返される。
ヒットならまだしもその打球はまたもバックスクリーン直撃の二者連続のホームラン。
初回、しかも僅か2球で二失点もするとは、桧人にもチームに大誤算であった。
そのバッターも詠歌と同様、過剰な喜び方をしながら、ベンチに帰っていく、桧人は6組ベンチを睨み付けたが、詠歌を筆頭に彼らは桧人たち1組の面々に怪しい笑みを浮かべている。
「私には勝てないわよ。桧人であろうともね!そう!絶対に!」
詠歌の挑発は桧人の耳に入っていた。確かに、ホームランを初回から2本打ち込まれている。1組側にミスがあったとしたら、それは桧人が自分の性格で鋳鶴をリードしていたことだろう。
しかし、そのリードも決して悪くはないものだった。鋳鶴は指示した通りに投げ込んだ。全てが完璧の形であったはずが、相手はスポーツ万能集団。凡人ならば、打たれてもしかたない。次の打席に切り替えようと思う事が大切だが、坂本桧人は違う。
「鋳鶴、もう手加減をする必要はねぇ。もう俺もミスはしない。勝つぞ」
挑発された怒りよりも今の桧人にはただ、目の前の打者を攻略する事しか頭に浮かんでいない。
屈辱や後悔ではない。ただの探求心、天才坂本桧人は此処で確実な弱点を突いてそれを克服されたとなると、新しい弱点を突く必要がある。
追い込まれたわけではなく、むしろ挑戦させる機会を与えてくれた詠歌に感謝するほどに今の桧人には心の余裕がある。
2点を代償に手に入れたそれを桧人は今、最善を尽くして活かすと決めた。
「わかってるけど……なんか不安だなぁ」
マウンドから元の位置に戻っていく桧人の後ろ姿を見ながら、鋳鶴も目の色を変えた。
「ん……?」
それは比喩表現ではなく、本当に彼の目の色は変わっていたのだ。目は黒から真紅の色に変わり、少しだけ背が伸びているように感じられた。
髪の色も日本人らしい黒髪ではなく、妖しく輝く銀色味を帯びている。
桧人は、小細工なしに、ストライクゾーンのど真ん中へストレートのサインを出すと鋳鶴はそこ目掛けて力いっぱいに投げた。真っ直ぐミットに向かっていったそれは、桧人のミットにバスン!と大きく乾いた音を響かせ収まり、打者から空振りを奪っていた。
あまりの球速に桧人は驚いてバックスクリーンを見た。
バックスクリーンを見たのは桧人だけではない。1組、6組それぞれの生徒全員がバックスクリーンの球速表示を見る。
そこには、152kmと大きく表示されていた。
球技大会、いかがでしょうか!次回も球技大会です。