第36話:魔王と実戦試験
いよいよ試験も佳境
鋳鶴もとい千鶴は己の力と向き合い、それを制御しようと奮闘する
その間に魔法科には訪問者が来ていて……
「「あと実技は制御力だけか……。君には一番難しいやもしれんな」」
千鶴は1人、魔法科の休憩スペースに腰かけてコーヒーを嗜んでいた。窓際に腰かけ普段とは違う校舎から覗く外の景色を見ると、先ほどの緊張がまるで幻だったかの様に思えてくる。
「「ですよねぇ……。一番難易度高い気がしてちょっと嫌気がさします。もう少し僕自身が使える魔術の練習を積んでおくべきでしたね」」
「「君のアレは特殊過ぎる。それにバレるだろうからな。波紋を形成するのが得意になっても同時にそれは今、千鶴の君が実は望月鋳鶴でした。と丁寧に自己紹介する様なものさ。そうなれば君は恐らく、体育大会終了まで魔法科に幽閉でもされるんじゃあないか?」」
「「幽閉!?」」
「「下手を打てば君は魔法科に協会に送還されるやもしれんな。波紋の魔術は誰にでも使役できるものじゃあない。造形魔法にしてはあまりに華奢というか儚いというか……。ただ、そうなるわけがないか。君の家族、普通科の面々の事もあるからな」」
「「あまりにも大袈裟な気はしますけど……」」
「「大袈裟じゃあない。まだそうなる事が決まったわけじゃあない。未来でありそうだ。というだけだ。魔族の証とまでは言わないが、君の背中の入れ墨を関係者が見たら卒倒する程度だろうな」」
「「人を卒倒させる入れ墨とか物騒過ぎて入れ墨という枠超えてますけどね。でもこれのせいで僕はこれから銭湯とか入れませんよね」」
おっさんは何か問題でも?と言わんばかりに呆気に取られた表情を見せた。
「「銭湯に入れないぐらい問題はないだろう?」」
「「海やプールはどうするんですか」」
「「それはほら、あれだ。上着を羽織ればいいだろう?銭湯で上着を羽織るのはおかしいかもしれないが。海やプールは屋外だろう?それでいいじゃないか」」
「「でもみんなと遊んでビチョビチョになったらどうするんですか!厚着してたら不自然ですし!それにみんなの事なんで脱がされると思いますよ」」
「「まぁ入れ墨の消し方は何とか俺が模索しようじゃないか。君という家に住ませてもらっているからな」」
期待はしませんよ。と千鶴はおっさんに無言で答えると次なる試験会場へ足を進める。その途中、千鶴の目の前に見覚えのある姿に足を止めた。
「ごきげんよう」
千鶴である今、彼女の前に初めて出会った時と何も変わらず、夜よりも暗いであろう黒髪艶やかに整えられ横線が引かれているかの様に整えられている前髪。
同年代とは思えない物腰柔らかな中に存在する威圧感。加えて場の空気を換える圧倒的存在感。
「貴方は虹野瀬さん」
「あら、珍しい。此処まで来て清々しい顔をされている生徒さんが居るなんて、試験も佳境で基本的には今にも倒れそうな生徒さんばかりだと思っていたわ」
「そうなんですか?」
「えぇ。私も魔法科に在籍する生徒の1人として編入希望生徒の様子を見守る事はあるのだけれど、貴方は中々の逸材と聞いてもいるし、私自身少しばかり拝見させてもらったわ。望月千鶴さん」
ありがとうございます。と小声で呟く千鶴を見て縒佳は彼女との距離を詰め、制服の皺を優しく伸ばす。縒佳も高身長とはいえ、千鶴はさらに彼女の頭2つ分程背丈が高いためかまるで親子の様な視線使いになる。
「望月さんは望月君の事は知っていて?親戚の鋳鶴君の事なのだけれど」
「と言いますと」
「どんな子というよりかはどういう魔術の類を使うとかは知っていて?」
「いえ、全く。私はあまり彼をよしとしていないので」
「何故?」
「親戚ではありますけど、性格の不一致というか何と言うか……」
「「あまり濁し過ぎても掘り下げられる様な気がするのだが」」
縒佳は薄ら笑いを浮かべ千鶴を妖しげな眼で見つめる。
「気分を害したら申し訳ないのだけれど、貴方も鋳鶴君にそっくりだと思うわね。とっても魔力の感じというかその謙虚そうな性格もだけれど」
「そうですかね……」
「そう。私の話や意見に対して喜怒哀楽をしっかり出すところとかとても彼そっくり、でもそこが私としては嬉しい反応でもあるのだけれどね。魔法科の生徒は皆、私の顔を伺ってヘラヘラ笑う者ばかり、全員が全員そうではないけれど、そういう反応をちゃあんとしてくれる生徒が私の好みではあるから」
縒佳は優しく微笑むと軽く会釈をしてその場を後にした。おっさんと千鶴は目が点になり、まるで金縛りにでもあったかの様に動けなくなっている。
「「何だったんだあれは……」」
「「あぁいうところが彼女の周囲には信頼のおける人間が集まる証拠とかでもあるんでしょうね。彼女に寄り添える人間とそうでない人間の違いなんでしょうね」」
「「なーにを分かったふりして君は、そう断定するものじゃあない。まずそう思ってどうする。何度も言うが彼女は敵だ。同情や干渉は要らない。いざ戦う時になれば君の心に迷いが生じるだけだ。君は今、普通科の為に此処に潜入しに来ているんだ。魅了されるはずもないだろうから、今の君は何時ものお人好しが出ているんだろうがな」」
「「そこまで言わなくても……」」
「「君はとびきり美人に弱すぎるからな。あくまで釘を刺したまでだ。君は普通科最大戦力。それが機能不全に陥っては目も当てられない。体育大会だからと言って高を括るな。戦場と思えとまでは言わないが、浮ついた気持ちは捨てた方が良いだろう」」
兎に角、彼女の事を考えすぎるな。そう言い残しておっさんは千鶴の深層に沈んでいった。
次の試験内容は制御力。深層に沈んだおっさんは戻らず、千鶴は試験官に自身の身の上が記載されている書類を手渡す。
「それでは編入希望生の望月千鶴さん。此処までお疲れ様でした。こちらの制御力計測で今回の試験最後の内容となります。現時点での得点は既に別室で纏められているので此処で計測される制御力を加味し、最終的な合格発表とさせていただきます」
「はい」
「それでは千鶴さん。両手両足にこちらを装着して下さい」
試験官は千鶴に鼠色の腕輪と足枷の様な物を差し出した。
「制御力の計測に使用させてもらう器具になります。少し重たいでしょうがこれも試験の決まりですので」
彼女の言う通り、千鶴に渡された腕輪と足枷は片手で持つには重く、両手で抱えてもそれなりに重量感のある代物だった。
本当にこれを使うのか?そう思う千鶴は周囲を見回す。確かに自分以外の受験者も試験官の差し出した物をそれぞれ装着している。
両足はまとめて拘束されているが別々に装着する腕輪は多少なりとも重量感があるだけでそれでも両手の自由は保証されている様だ。
「「それを装着するのか。あまり良い気はしなさそうだ」」
「「あぁ、おっさん。これどう思います?」」
「「見た所怪しくはないな。危険性も薄いだろう。疑念は大切だが、流石に試験と言ったところか」」
おっさんは仕掛けの確認を終えると千鶴の右腕を操作する。
「「俺のこれは制御力の賜物と言える。この場に、君の状態に不相応な魔力を利用して君を無理にでも動かそうとすると、そもそも制御が出来ない。またはその部位が千切れたりとかも考えられる。君が暴走したあの時がそれだな。その典型例になる。結果、君の肉体を破壊することに繋がるわけで今では信じられないが、君の事をこうして制御出来る様にするのには手を焼いたよ」」
「「そりゃ素性も何もわからない魔族に体乗っ取られたらびっくりしますし、歯向かいますよ。今もおっさんは得体の知れない魔族ではありますけど、それなりに信頼感はありますからね。関係の構築が出来ているって感じですかね」」
千鶴はおっさんと自然な会話をしながら、制御力の課題のプリント用紙を手にした。
・手枷と足枷を魔力のみで開錠せよ
・試験者の魔力以外での開錠を禁ず
・双方の物理的破壊による試験の突破は認めない
・開錠方法は魔力を一定量指先に込め、両手両足の拘束具に設けられた鍵穴に指を挿入すると開錠となる
・但し、不相応の魔力を指に込め挿入を行おうとする場合には強制的に鍵穴から指が弾かれる
と箇条書きで記されていた。
「「俺なら一発だが、千鶴。君では何時間いや、何年かかるか分からんかもしれんぞ。最大出力は得意だろうが」」
おっさんの話を遮る様に千鶴は彼に首を振って拒否感を示す。
「「その続きは俺がやろうか?でしょう?僕自身の力でやって見せますよ。制御力を此処でものにしておっさんを驚かせてやりますよ!」」
―――――魔法科生徒会室―――――
生徒会室の9割は縒佳の部屋になっている。彼女の「体質」に合わせてジャンヌが建築士に特注で作らせた空間である。彼女はその「体質」故に生徒会室以外で活動する場合は魔力の消耗を必至としており、学園生活を送るにも一苦労と言った所だ。
故に陽明学園に通いながらその殆どを外出すらする事も極端に控えてこの生徒会室で過ごしているのである。
その建築の仕様上、魔法科の生徒会室は学園全体と陽明町全体を庇護する結界の範囲外になっており、ほぼ完全に縒佳のプライベート空間兼無法地帯だ。
彼女が齢17という若年で独自で作成した結界を張り巡らせその場で過ごしている。勿論、彼女の許可する人間は入室を許可されるが、彼女の認知していない人間や魔族が侵入した場合は即座に彼女の頭にその存在の侵入が通告される仕様である。
陽明学園で最も高いと言われる魔法科の生徒会室から陽明町を眺める事が彼女の日課となっており、その景色を眺めながら黙々と1人食事を行う。どんな高層レストランにも引けを取らない彼女の知っている景色。いずれ街に行った時に何処に行こうか彼女は物思いに耽っている。
縒佳以外に寿のみ訪れることを許される彼女の部屋は彼女だけの空間であり、この景色を一望出来るのも彼女だけだ。
しかし、寿以外の訪問者も時折現れる。今日はその日であり、彼女は窓を開けその存在を待ちわびている。
「何時来るかと思って待っていたけれど、まさかまだ日があるうちに此処に来るなんてね。無いのは顔だけじゃなくて羞恥心というか、警戒心と言った所かしら」
「相変わらず君は言い方が手厳しい。本当に高校生かね?」
彼女が日頃待ちわびるのは窓の外からの来訪者である。
その男は顔が無い。確かに首から上があるのだが。顔ではなく、表情が確認できない。彼女もそうだが、普通の人間ならばその存在をこう呼ぶ。
ノーフェイスと。
「此処に来ても私とお話するだけじゃない」
「私は君の友達になった覚えはないが、あの街をいつも物憂げな表情で眺めているからね。まるであそこに行きたいと言わんばかりに殆ど毎日、君は窓を開けて見つめている」
「好きで眺めてるわけじゃないわ。それに貴方のせいでもあるのだから、そこは何とか私の呪いを解いてほしいわね」
「体質だ。呪いなんて言ったらジャンヌが怪しむだろう?」
「そうね。それに自分の学園のそれも魔法科の生徒会長が魔族を招いてお話してるなんて知ったらどうなるかしらね」
「怒り狂うどころではないかもしれないな。此処は彼女結界の範囲外だから私としても安全圏であるし、何より君は私を見ても初対面からその態度だったからね」
縒佳は彼の表情無き顔を見つめながら微笑んだ。
「まさか窓の外から何か来るなんて思わないじゃない。人じゃない事は分かっていたのだけれどわざわざこんなところに来る物好きが居るなんて」
「私としても気になっていたからな。こんなところに住んでいる人間が居るとは思わない。それがまさか呪いを受けた人間とはね」
「記憶は無いけれど、お父様から聞いたのよ。貴方の事と呪い。いえ、体質の事。その張本人が此処に直接来るとは思えないじゃない。生まれた時からこの学園に通う事は決まっていたみたいだけれど上手く出来すぎね」
縒佳はこの世に生を受けてから陽明学園に入学する事を決定付けられていた。魔法使いの名家である虹野瀬家に生まれた彼女に選択の余地などなく、中等部に通う頃には親元を離れこの学園で生活をしている。
そして中等部の頃よりこの生徒会室兼自室でほぼ軟禁生活を強いられていた。彼女としてはあまり出歩けないという事を除いては何不自由ない生活だったので苦は無かったがそれも体質故に受け入れるしかない。
彼女の事を神格化する生徒が少なからず魔法科に在籍しているのはそこにもある。中等部の頃から学園長自らが用意した超高層生徒会室に座し、中々魔法科の校舎にも現れない彼女はこの学園で最高の教育を受けられる魔法科の生徒の中でも特に異質であり、崇拝の存在にも成り得る理由だからだ。
彼女を目指す生徒も居れば、彼女の事を知ると彼女の為に動く生徒も居る。それは自然と彼女だけではく、魔法界全体ひいては虹野瀬家にも注目される可能性もあるからだ。
それ故彼女の事を半ば幻と思う生徒も居れば神格化する生徒も居ることに繋がるのである。
「嫌になるわね。貴方も私も」
「何故そう思う?」
「貴方は魔族だけれど、私は偶然名家に生まれただけ、生まれてそこで過ごしてこうしてこの座に居るだけ」
「人には人の役割がある。今の君の役割は虹野瀬縒佳であることだ」
「なら貴方の役割はノーフェイスってわけ?顔の無い役割なんて意味わからないわよ。顔の無い演者なんて、意味わからない」
「顔のない役者だって居るさ。時代劇の黒子の様なね。私はああいうのでいいのさ」
「黒子にしては有名になりすぎているわね。それじゃあ黒子の意味がないじゃない。黒子は地味じゃないと意味が無いの。誰もが震え上がる世界的都市伝説の様な存在が自称黒子なんて笑わせてくれるわね」
「君の顔は全く笑っていないがね。もう少し愛想よくしたらいいのだが」
「黒子と私の笑顔は関係ないでしょう?自分は表情を見せもしない癖に人の表情に難癖つけるだなんて」
「難癖はつけていないさ。率直な意見だ。綺麗な女性ほど笑った方が良いと言うじゃないか」
「綺麗なのは認めるけれど、笑うのはあまり好きではないわね。顔の小皺が増えるじゃない。女子高生でもそういうのは気にすべき時代なのよ。無神経男」
ノーフェイスは仮面の下で苦笑いでも浮かべているのだろうか、縒佳の返事が滞り始めた。というよりも1つ言えば10倍にして返してくる様な彼女の態度を見かねると流石のノーフェイスも沈黙せざるをえない。口は災いのもと、そう考えながら縒佳とその仮面越しに目を合わせる。
「世間一般でいうコミュ障という病気に比べたらまだマシなのかもしれないわね。それとも最強の魔族なら私を瞬時に始末できるからでしょうけど」
「あまり物騒な事は言うものじゃない。それにだ。私はコミュ障ではないし、こういう姿を見せるのは君だけさ」
「世界の人間たちに聞かせてやりたいわね」
「私が世間からの信頼を得るためにかね?」
「違うわよ。一国の学園内の女生徒をかのノーフェイスは臭い言葉を連ねながら、夜な夜なナンパをしているってね。貴方の狂信者たちはどうするかしらね」
「私の狂信者が居るのならば、君の言の葉は信用しないだろう。しかし、私はあくまで黒子さ。私を見れる者も居るが、その大多数は君の様に口外をそもそもしないような人間か私と遭遇して死んでいるかだ」
「死んでいるも何も貴方は目撃者を殺すのが普通じゃない。それにこの学園に居るお気に入りが私以外にも居るみたいだし、その人に専念したら?」
「専念か」
ノーフェイスは縒佳から目を背け太陽を見た。夕方に差し掛かろうとするそれはもう朝昼とは顔を変えつつある。
「顔を見せられない理由は敢えてずっと聞いてない。それは私なりの気遣いではあるし、こうして不満を聞いてくれる悪役ってあまり嫌いになれないのよ。何て言うのかしら……、ゴキブリも長年一緒に同個体と就寝をともにしたら汚く見えなくなるというか何と言うか」
「珍しく例え下手じゃないか。無理に褒めようとしなくていい、私に使う気遣いを魔法科の生徒たちに振り分けてやればいいものを」
「私を理解しようとしない人間たちに使う気遣いなんて無駄よ。私の事を知ろうとしない。私の後ろ盾にしか興味のない人間ばかり」
「生徒会を上の方で支える生徒たちもかね?神宮司寿や日火ノ篝、氷室零下が居るだろう?彼女らは違うのかね?」
「さぁね。でも普通科ぐらいよ。生徒会長の席を脅かそうとする人間が居ない学科なんてあの平和ボケの会長が居るからそうなのかもしれないけれど」
「君はそこまで普通科を毛嫌いしていない様だが」
ノーフェイスは少し意地悪気に縒佳にそう尋ねる。彼女は表情を変える事なく、外の景色を眺めながら小さい溜息をついた。
「正直、他科も嫌いではない。というよりも魔王科以外は眼中にすらないわね。私の倒すべき相手はあそこしか無いのだから、それにこんな私でも他科には興味あるのよ?学園のパンフレット程度だけれど見るから」
「君の次の相手は普通科だろう?」
「ええ、でも彼らが私に勝てるはずないって心の奥底で思っているのかしらね。先日逃がしたのは魔法科で前代未聞の事件だったけれど」
「それでも尚、警戒はしないのかね?」
「私が出る幕があってはならない戦力差であるとは思っているのだけれど、その逃走を許してから寿たちの普通科に対する態度は少し変わってきてはいるわね。故に今回の作戦というか簡単に言えばスパイおびき寄せ作戦を慣行したというか」
「人はそれを警戒と言うのだろう。それともまた別の目的が君の頭にあると思っているのは私だけかな?」
「さぁ?それはどうかしらね。正解でも決して教えないけれど」
心の奥底もどうせ理解されているのだろう。そう思いながら縒佳はノーフェイスを適度にあしらう。そんな魔術を彼が使用している。と言った噂は耳にしたことは無いが、彼女にとっては数少ない会話をしていると心を乱される事のある存在のためか、少しでも心を寄せ過ぎると裏切られてしまうのでは、と考えている。
あおの裏切りは彼女にとって自分自身に危害を加えられる事ではない。忌まわしい「呪い」が解呪されず、そのヒントも得られず、彼に会えなくなってしまう。という事である。
解呪はしたい。しかし、その方法はノーフェイスにとって解呪という行いが適応出来ないものと言いつつ、彼はきっと何かしらの解呪方法は知っているのだろう。彼の話し方、表情は見えないがその声色だけで縒佳は彼の言葉に乗る僅かな嘘をいつも見抜こうとしていた。
人と魔族は相容れない者同士であるが、双方感情を持つ生物ではある。そう考えると彼女はノーフェイスの言葉を介し、彼の心理ぐらいなら理解出来ないのだろうか。と考えている。人類の誰もが恐れる存在の心を知る事に彼女は躍ることを忘れてしまった心を再び躍らせようとしているのだ。
「君は賢い。普通にしていれば負ける事などないだろう」
「貴方が素直に私を褒めて良い事が起きた試しがない。そう言ってくれるとむしろ要警戒と言われているみたいで助かるわ。本当に口下手な人。顔を隠しているから口下手になるのよ」
「この面の下を見られてしまうと、私は君を殺害しなくてはならない。そんな心苦しい事はしたくないのでね」
「そういう事を言ってまた私の好奇心を煽る何てとんでもない口下手魔族だこと、他の魔族たちの様にもう少し二枚舌とかを使う事を推奨するわ」
「君の前では正直で居たい事もあるからね。それに嘘をつくのは得意じゃない」
「そういう嘘もあるわね。嘘をつけないというのがそもそも嘘。嘘の塊の様な存在の癖して本当に平静を乱すんだから」
ノーフェイスはおもむろに縒佳に手を差し伸べる。それは2人の別れの合図であり、その掌に彼女が手を乗せると、まるで目の前に居たノーフェイスが幻の様に消える。
何の前触れも詠唱も無く、ただ忽然と消えるのだ。
名残惜しそうに手を恐る恐る差し伸べようとする意志を見せる縒佳だが、気分がまだ乗らないのかその掌に自身の右掌を乗せようとしない。
「また来てくれるわよね」
「いつも来てるじゃないか」
「私の都合を考えずにね」
「私も気分屋でね。あまりに長居して君の知り合いにでも見られたら大変だ」
「1人しか来ないわよ。わざわざ強調して言わなくても学園長に見られている可能性もあるわけだから少しは用心したら?」
「私と彼女は比較的友好関係が築けているからね」
「どうだか。一方的な友好関係でない事を祈るわね。それと私と貴方の仲を知られると貴方を慕う彼女から恨み殺されそうで怖いの。早く帰るなら言って頂戴」
「神宮司寿か。彼女も良い魔女になるだろう」
「貴方の事を崇拝する事はあるけど彼女は立派な黒魔法使いなのだからね。よっぽど私なんかより彼女と仲良くしてあげるべきよ」
「君は白魔法の天才だからね」
「褒めてるのか貶してるのか。得意じゃないのよ白って」
「自分のイメージに合わないと言うのかね?」
「勿論、私はあの子と違って黒が好きなの。おかしな二人よね。白が好きな黒魔法使いと黒が好きな白魔法使いって」
「ギャップで言えば100点だろう」
「ギャップで魔法を語らないで頂戴」
縒佳はそうあしらうと、ノーフェイスに窓の外を見るように指をさして促す。
「一応、私の願いだけれど」
「あぁ、良いのかね?私には話さない筈では?」
「誰にも話していないもの。願いというよりは私が体育大会で優勝したら何がしたいかね。指刺したら分かるでしょ」
ノーフェイスは聞かずとも理解出来た。彼女の目を見るだけで多少なりとも不器用な自分も不器用な彼女も2人で理解出来る様な答えを単純に指し示している。
学園より先にある陽明町を指さす彼女の指は震える事なく、真っ直ぐとその街並みを指さしている。魔法科の孤独な塔に住む1人の女生徒の事をまたノーフェイスは1つ理解した。
―――――検査項目 制御力―――――
「ぬんあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
2人の会話は誰1人として知れず、千鶴は未だ女生徒とは思えぬ声を制御力の試験会場で上げていた。
おっさんは彼女の意志を尊重はしているが、本来の目的は諜報活動である。魔法科に潜入し体育大会を有利に運ぶための布石の一つ、それはこうも難しいとは千鶴基い鋳鶴は少しだけ後悔していた。
「「力任せでは無理だと言っているだろう。そういう素材なのだからな。やはり難しいか、制御力は本来生まれから培うものであって君の様に最近、おいそれと出来るものじゃあない。試験の内容もそうだがよっぽど人材難でもないのではないかな。俺ならもう少し一般の人間でも課題を超える事が出来る様なものを用意すると思うがね」」
「「出力最大とかはすぐ出来るんですけどね」」
「「そんな事をするから君の肉体は疲弊するんだ。また保健室送りになっても知らないからな。俺が使える魔族の治癒力もあってこその肉体なんだ」」
「「その治癒力も入れ墨が広く、濃くなれば更に向上するのでは!?」」
「「鋳鶴、冗談でも言うべきではない。そこの適合が深くなればいつ君がこちらに沈む様になるかも分からないんだぞ」」
「「はい!もう言いません!そんなに目くじら立てないで下さいよ……」」
入れ墨が広がるという感触は今の鋳鶴に理解出来る事では無かった。おっさんとの連携を深め、揺ぎ無いものにするにはその入れ墨を広げる必要がある。
その背中にある入れ墨は魔族であることの証。分類上は人間ではあるが、要が徹底的に調査した場合に結果はどうでるか分からない。
それは要にも鋳鶴にも勿論、学園長にも分からない。ただ、今はおっさんという教官もとい保護者が傍で見守っている。全力を出すにはいつでも肉体が悲鳴を上げなければなんら問題はない。
「理科室の蛇口ではなく、家の……。水道代節約の為に極力絞った量を魔力と考えて制御さえすれば……!」
頭では理解出来ている。それを実行に移すのは果て無く難解だ。鋳鶴の想像力も決して間違っているものではない。しかし、彼という膨大な魔力を有する肉体にはその加減が非常にし辛いのだ。人間の肉体に宿る膨大な魔力。鋳鶴自身は気にしていないが、その放出量を制御出来なくてはそもそも体育大会で学園そのものを破壊しかねない。そして入れ墨が学校関係者の目に触れよう事もあれば、おっさんは鋳鶴に無茶をさせるわけにはいかなかった。
「んぎぎぎぎぎ!開かない!」
「「鋳鶴!今の君は千鶴なんだ!はしたない声をもらすな!」」
「「滅茶苦茶忘れてました……」」
「どうやら望月さん、制御力は苦手な様ですね」
試験官の生徒が唐突に千鶴に向けて話しかけた。
名も知らぬ魔法科の生徒及び試験官。しかし、その一言千鶴の闘志への着火剤になることを彼の生徒は知る由もない。
そもそも両手両足に拘束具なのだから中々に体勢を維持するのも難しいものまずは足から開錠せねば話にならない。そっと指先を見つめ千鶴は座禅をする様な気持ちで集中力を上げようと試みる。
指から出る魔力の扇状の揺らめき、青白く光るそれは、まさしく弱火の炎。いつも自宅の炊事場で見る炎の揺らめき、そこに力を込めればたちまち火柱が立ち、力を抜けばまるで蠟燭の様に優しく仄かに光って見えた。
「「見られているという事が重要だったのかもしれないな」」
「「別にムキになったとかじゃないですからね。人には得手不得手があってこその人間なんで!」」
「「俺が君の体の中に居るのにか?」」
「「そんなの関係ありませんよ。僕は人間ですから!人間で沢山ですぅ」」
「「減らず口を叩いてこそ君だ。」」
「「それはお互い様ですね」」
冷静になってこそ見える景色とそうでない景色。今はまるで視力が飛躍的に向上し、さらには視野も圧倒的に広がって見えた。その瞬間、千鶴は何かの視線と気配に気づいた。魔法科の校舎方面からの魔力の気配と視線その視線を感じる事が出来たのは恐らくおっさんのおかげだろう。集中力の向上だけでなく、勘の鋭さも向上するのだろうか。それを頭に浮かべ千鶴は試験後に必ずおっさんとその視線と気配の会話をすると心に決め、右手親指に全霊の魔力を込めた。
「「理科室の蛇口じゃなくて……実家の水道の様に絞り出す……!」」
「「見た目は炎の様だがな」」
「「んなー!お馬鹿な事言って気を散らせないで下さい!」」
「「俺の戯言を聞き流すぐらいでないと、君のそれは制御するための力がないという事になるな。今度は半笑いであの生徒に言われるぞ。制御力が苦手な様ですね。とな」」
「「それはあの生徒じゃなくておっさんの気持ちも入ってますよね!?あの人に言われるよりおっさんに言われる方が何倍も腹が立ちます!」」
「「だから俺の戯言で集中力を……」」
ガチャ。
おっさんが少し目を離している隙に千鶴は拘束された両指を足枷の鍵穴に差し込んでいた。開錠音とともに重厚感溢れる鈍い音を響かせながら教室に少なからず上がる埃を見て試験官もその現場を目の当たりにして仰天している。
「さ、あとは腕ですね」
「「清々しいほどのどや顔とはこの事か」」
先ほどの険しい、力技で手枷足枷を外そうとしていた表情は何処へやら、おっさんは半ば呆れながら頭をかいてやれやれ。と呟いた。
残すは手枷のみ千鶴は開錠のコツを掴んだと言わんばかりにおっさんと試験官に誇らしく自慢げにドヤ顔を続けている。
「あれが本当に縒佳様が気にかける様な生徒なのでしょうか。気になりますけどどうも……そんな様には見えない……」
先ほどの一瞬で千鶴が気付いた視線の存在は向かいの教室からその様子を未だに観察していた。
10日連続更新もこれで折り返しです
41話から先は全然進んでませんが頑張ります
次回は2月28日0時更新です
よろしくお願いします




