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優しい魔王の疲れる日々(リメイク)  作者: n
優しい魔王の疲れる日々(リメイク)3
31/42

第29話:魔王と機械科3

怒りが、鋳鶴の衝動を掻き立てる。愛する者を傷つけられることを最も嫌う鋳鶴にとってそれは苦痛以外の何物でもなかった。鋳鶴は刈愛と戦う決意をし、彼女に鋭い視線を向ける……


「これ以上、手を出すな」

 鋳鶴の目は、あまりの憤怒のせいもあってか充血し、今にも血が噴出してしまうのではないかと思うぐらいに血走っていた。

 刈愛の容赦ない攻撃をその身に受けた歩は致命傷を避けているものの、強制送還は時間の問題と言わんばかりに星を鳴り響かせながら、流血の止まらない箇所を手で抑えても血が止まらない深手を負わされている。

「刈愛さん。わざと、こうなる様に撃ちましたか?」

「そうだと言ったら?」

「そうですか。なら僕はあまり加減が出来ませんね」

「あまり?その発言は、私が女だから情けをかけるのか?」

「はい。僕は大切な人たちをわざとらしく傷つけられて、大人しく居られるほど優しくないんですよ」

 歩を繭状にした波紋で包み、そっと彼女の星を握る鋳鶴を見て歩は彼の手を取った。

「後は頼んだぞ……。会長とお前しか居ないから……」

「大丈夫、僕で終わらせるからさ。歩は兎に角、保健室に行こう」

 歩が話終わり、目を閉じると鋳鶴は握っていた歩の星を握り潰し、彼女を中央保健室に強制送還した。

「絶好のチャンスでしたけど、良かったんですか?」

「あぁ、三河歩同様、お前も楽に倒せると思ってな」

「「まったく、粋な事をしてくれるじゃあないか。まるで王子様みたいだったぞ。歩も見直したのではないかな?」」

「「見直すとか今は気にしてる暇ないですよ。取り敢えず、歩は送還しましたし、あとは目の前の敵を倒すだけです」」

「「どうせ君の事だ。あの女も傷つけないとか抜かすんだろう?」」

「「当たり前じゃないですか。刈愛さんがどんなに凶暴でも僕は極力彼女を傷つける事無く彼女を打ち負かしたいです」」

「「それは無理だ。あれほどの兵器を有していて、尚且つ、彼女を傷つけないだ?鋳鶴、悪い事は言わない。彼女も巻き込んでしまうのは仕方ない。という気持ちで戦うんだ。戦いには犠牲が付きものだし、何より敵の彼女にそこまで配慮するつもりはない」」

「「僕は鬼ですか?」」

「「やろうと思えばやれるだろう?我々はそういう生き物だ」」

「「僕はまだ、人間です」」

「「てっきり、三河歩に何かあれば精神でもおかしくなるかと思ったが、案外精神面も安定しているじゃあないか。これでは俺の出番も無いというもの」」

「「おっさんには動いてもらいますよ。死ぬほど、僕がおっさんでおっさんが僕での精神で乗り切りましょう。これが終わったら機械科との戦いは終わりなんですから」」

 枯れた精神だ。若人の癖に無駄に精神が発達しているからこそ、今の状況下でも鋳鶴は精神を揺さぶられる事無く戦おうとするのだろう。

 彼が本当に怒りを見せたのは一瞬だけ、おっさんでもギリギリ感知出来るか出来ないかの境目だった。優しい男が見せた怒りという感情の片鱗は、おっさんに鋳鶴の人間性を知らしめるのにはちょうど良いものになる。

 鋳鶴から毎日の様に聞いた台詞を自分の中で復唱するおっさんは不思議と口角がつり上がり、笑みを見せていた。

「普段優しい人程、怒ると怖いことってあるじゃないですか、それですよ」

 自慢気におっさんへそう語っていた鋳鶴を見ていると、まるで自分を怒らせるなよ?と、可愛げのあるけん制をしているのだと、おっさんは思っていた。が、今の鋳鶴の静かなる一瞬の怒りはおっさんにも心地良いもので、鋳鶴が激昂するならそれも良しと考えるおっさんでもあまりに鋳鶴が怒りに支配されると居心地が悪くなる。と考えたのか、この場では静観を考えた。

「望月鋳鶴、お前が普通科で最も強い男だ。と誠が言っていたが、それは本当か?」

「いや、僕は最強ではないですよ。僕は誰かが居ないと戦えない若輩者で女性に手をあげられない軟弱者ですから、だからいつも傍らに誰かが居て、僕を鼓舞してくれないと戦えないんです。一人で戦う事が出来る刈愛さんを尊敬しますよ」

 発言を終えると同時に鋳鶴は刈愛の視界から消え去った。マザーのゴーグルを装着し、周囲を見渡しても鋳鶴を察知する事が出来ない。限界までゴーグルについているしぼりを使い視野を広げた所で鋳鶴の反応が漸く現れた。

 だが、その察知はとても鋳鶴の速度に追いつける速さでは無く、気づいた時には間合いに入られる。

 鋳鶴は一切躊の躇いなく、血管が浮き出るほど力強く握った右拳を刈愛の肉体そのものではなく、彼女の纏っている装甲を殴り付ける。

 刈愛の肉体は多少の衝撃は受けたものの本人が負傷するという事は無い。

「「相変わらず甘いな。何時そんな奇妙な技を覚えたんだ?」」

「「出来ると思ったら出来たってだけですよ。ただ殴るとかではなく、魔力を放出して理想的な部位だけ攻撃するっていう。痛みはあっても僅かな電気ショックぐらいですからね。本来ならそういう事もしたくないんですけどね」」

「「まったく、ありがた迷惑にも程がある。君の優しさはやはり病気だ。だが、それなりの罰というか、電撃の様なものを加えるのはSっ気があって君の性格を疑わさせるな」」

「「仕方ないじゃないですか。目標は彼女を傷つけずに勝つ事なんですから、機械科の人や城やんに目くじら立てられないようにしないと、僕の今後にも関わりますし、何よりですよ。金城さんが無事であることによって普通科の見方が変わったり、恩義を感じる事もあるかもしれません。さらにはそうして城やんに借りを作る事によって魔王科との戦いにも参戦してもらうって感じで」」

「「もうそこまで考えているのか」」

「「はい。僕はおっさんと違って快楽主義者ではなく、先を見据えてますからね」」

「「勝手に言っていろ。ほら来るぞ」」

 鋳鶴の生易しい攻撃を受けた刈愛は激昂しながら歩の時と同様、全身を回転させ弾丸を辺り一面に振りまく。鋳鶴は冷静に両手を広げて弾丸に向け大きな波紋を空中に描いた。

 肉体を強化する鬼、浮遊魔法のアップグレード版の様な魔術と召喚魔術。その二つしか見ていない刈愛は確信した。やはり、謎ではあるが、完成された魔術を使う望月鋳鶴こそが普通科最強の男だということを。

 去年と一昨年の体育大会で魔法科の魔術を見た事のある刈愛にとって、鋳鶴が作り出した宙に浮遊する波紋は一度も見た事のない魔術だった。

 魔法科の主要なメンバーでも彼の様に波紋を作りだし、弾丸を受け止めた者は居ない。ましてや会長、副会長クラスでも波紋の様な物ではなく、魔力で作り出した壁で防御していた。 肉体強化と浮遊と召喚の三つでも普通科にしては上出来だと言うのに、まさかそれ以上が出てくるとは思いもしなかった刈愛の心は少なからず踊っている。

 弾丸は波紋に触れると、勢いを無くし、地に落ちた。更に弾丸は波紋に吸い込まれるように被弾していき、水の落ちる時の様な音を立てながら、鋳鶴の手前で失速し波紋に飲み込まれる。

「何なんだそれは!」

「造形魔法って言えば良いんですかね。複製魔法の下位互換の魔術ですよ。これぐらいですけどね。僕が使える魔術なんて」

 会場は響めいている。普通科だけでなく、魔法科の生徒たちまでもモニターに映る鋳鶴を指さしながら歓声を上げていた。

 あの魔術は何だ。

 望月鋳鶴の本領発揮だ。

 機械科に意地を見せろ。

 様々な言葉が会場で吐露され、異様な雰囲気になっている。しかし、望月鋳鶴という男はこの異様な雰囲気を受け、気分が高揚している。

「波紋の造形程度しか出来ませんが、それも磨けば一流になります。もっと強固にしてしまうと、波紋の柔軟性や拡張性が狭まってしまうのであまり良くないと思っていますから、銃弾を受け止めるならこれぐらいで良いんです」

 鋳鶴の説明途中でも刈愛は射撃の手を緩める事は無い。歩の時よりも倍以上の手数で鋳鶴に向けて引き金を引き、弾丸を放っている。鋳鶴はそれに対して平行になる様に波紋を更に練り上げて巨大な壁を作り出す。

「無駄ですよ。今の僕に銃は効きませんから」

「いや、ちゃんと爆発物も仕込んである。そこまでは対処できまい」

 刈愛の発言通り、銃弾の雨の中には手榴弾も含まれていた。弾丸の雨を浴びた手榴弾はより勢いを増して鋳鶴の眼前で爆発する。

 だが、手榴弾の中に仕込まれている筈の金属片などが波紋に絡め取られ爆発の衝撃もまるでガムの様に伸縮した波紋によって目と鼻の先で止まっていた。

「今、これで届かないなら、肉弾戦で。とか思いましたか?」

 波紋が収まる前に、刈愛の右足は前に動いていた。直感的に何も考えず、鋳鶴の方へ、射撃で駄目ならば、と考えた刈愛だったが、その動きが読まれているのでは行動へ移す事を考えるべきと本能的に悟った彼女は出した右足を後ずさりさせ、鋳鶴を睨み付ける。

「「鋳鶴、あまり魔力を浪費するな。君の肉体にも関わる問題だ。それに、怒りで得た物など、正当に手中に納めたとは言えない。君は誰にだって分け隔て無く手を差し伸べるから君なんだ」」

「「でも彼女のした事はあまり許せたもんじゃないですよ」」

「「それはそうだ。ただ、この体育大会は各科がその威信を賭けて戦っているんだ。そういう事も少なからずはあるんじゃあないかね?」」

 鋳鶴は感じていた。

 怒り。という感情を乗せて波紋を製作した方が普段の波紋に比べて形や出す速度が大幅に変わってきている。と。

 だが、おっさんも感じていた。

 怒り。という一方的な感情で魔力を込めた波紋は何処か、普段の鋳鶴と比較して丁寧さが足りない。と。

 便利で尚且つ、お手軽に出せる人間の怒りという感情にはリスクが少ない。あるとすれば、この前の鋳鶴の様に暴走状態に陥るか、ふと気を取り戻した時に怒りの感情を露わにして暴れていた時の魔力の浪費がフィードバックし、自身の肉体にダメージを与えるだけである。 それだけならまだ良いが、それだけでも鋳鶴ほどの魔力を内包する人間には、致命傷にもつながるだろう。持病や古傷などがあれば尚更。それが再発する事もあれば、傷口が無理に開いてしまう可能性も秘めているだろう。

「「鋳鶴。君は思ったより激昂していないか?」」

「「してませんよ」」

 冷静さを見せながらも激昂している鋳鶴は、おっさんにだけその感情が理解出来る様になっていた。観客や普通科の人間たちでも今の鋳鶴を見て完全に怒っているとまでは思わないだろう。

 彼の静かな怒りは刈愛の事を思っての感情と歩への執拗なる攻撃への報復と二つの感情が入り交じっている。

 相手の事を思う必要など微塵もない。と考えるおっさんにとって今の鋳鶴は叱咤するべきだが、あまり鋳鶴を激昂させると、思わぬ事故につながると考えたおっさんはそれ以上何も言わず、黙々と鋳鶴の戦いを心象世界のモニター越しに見つめている。

「それに最後の一人になるまでこうして出てこないのは作戦ですか?沙耶さんは味方を捨て置けるほど非情な人ではないはずです」

「あぁ、三姉妹は仕方なかったが、マザーはこうして私の強化外装にする為に破壊した。城屋誠との戦いで概ね大破していた事もあるが、こうして再利用すれば私自身の強化に繋がる。私は正しい選択をしたんだ。体育大会の戦いは会長さえ敗北しなければ、負ける事はない。我々は、普通科相手に機械科が敗北してはならない」

「敗北してはいけない?それは誰が決めたんです?」

「他ならぬ私だ」

「そうですか。その気持ちは理解出来ます。どの科も普通科に負けるのは屈辱でしょうし、何より、何も特殊な訓練を積んでも居ない様な連中に負ける訳にはいかないって考える人も居るでしょう。でも相手の事を見えていない様では、貴方は成長しませんよ。刈愛さん」

「何?」

「理由は明白です。人を喜ばせたり、人を助ける事の出来る兵器を作れるのは貴方ではなく、他ならぬ沙耶さんだからです。三人の内の側面である貴方はあくまでこうして彼女の慣れない事ばかりを担当している。でも沙耶さんに比べて貴方は我が儘だ。我がままに生きるが故に、そう生きてきた故に、傲慢に態度も尊大になってしまった。加えて、貴方が沙耶さんの代わりに出ている時、緊張されたりする事もあったんじゃないですか?機械科の会長として貴方は一介の戦士なのだから」

 鋳鶴の波紋は依然変わりなく、彼女の放つ弾丸を受け止め続けている。波紋に包まれた弾丸は音を立てて地面に落ち鋳鶴の足下は弾薬が散らばっていた。

 彼が彼女を煽る度に、弾丸や爆発物の投擲する量が増えていく、作製する波紋の数を増やし、対抗する鋳鶴に彼女の攻撃が通る訳もなく、弾丸は波紋に触れると勢いを失い。爆発物も決して爆発しない様になる。

「お前に私と沙耶の何がわかるというんだ!」

「分からないですよ。少なくとも僕ではですけどね。でも貴方たちにはいつも傍に居てくれようとした優しい鬼が居たんじゃないですか?今は中央保健室に居ると思いますけど、その彼から手を離したのは誰です?沙耶さんではないと僕は思いますけどね。彼は貴方の気持ちに対して全力でぶつかったと思いますし、手加減なんてもっての外って形で戦っていたと思います。沙耶さんにも貴方にも応えたくて、戦っていたんだと、僕は思います。彼は不器用ですから、そうする事でしか、貴方の本音を聞き出すことが出来なかったんでしょう」



―――――中央保健室―――――



 未だ会場に残る鋳鶴と一平の二人以外のメンバーは普通科専用の大部屋で治療を終え、急用をとっていた。

 純白のベッドと、あまりにも巨大なモニターと陽明町を一望できる大きな窓と、高級ホテルの様な設備の揃い様を保健室に訪れたメンバーたちは堪能している。

 どう見ても特別製の保健室で誠は今までの事を思い出しながら、モニターを見つめ明らかに苛立ちを見せていた。

「あのクソボケ!何言ってやがる!」

全身をミイラの様に包帯で包まれた誠がベッドの上で暴れながら会場の様子をモニター越しに見つめていた。

激昂している様に見えるが、彼なりの鋳鶴への不安と気遣いを感じる様な優しい激昂だった。

他の普通科メンバーもベッドの上で横たわりながら、病室の椅子に腰かけながらその行く末を見守っている。

「珍しく、彼が怒っているんですね」

星柄を散りばめた藍色のパジャマを羽織り、右太ももに包帯を巻きつけた涼子が冷静にいつもの板を抱えながら淡々とそう話した。

「……理解は出来る……。……でも怒るというよりは説教に近い……。……わざわざそんな事せずに、倒す事も出来るだろうに……」

「それじゃあ駄目なんだろ?アタシにだってわかるよ」

ほぼほぼ無傷なのは麗花と桧人と詠歌の三人だけ、誠、影太、涼子、歩の四人は専用のベッドを用意されそれぞれ思うがままの姿勢でモニターを見つめる。

歩だけはまだ搬送されて直ぐの為、呼吸器をつけてベッドに横たわっており、彼女の看病を麗花と詠歌の二人でしていた。

「鋳鶴には鋳鶴なりの考えがあるんだよね!桧人」

「あぁ、まぁ真意は分かんねぇけど、鋳鶴なりの考えがある事ぐらいは素人目でも分かるだろうな。普通科の皆も分かっていると思う」

「あいつは……、彼女の事を更生しようとしている……」

 全身に走る激痛を堪えながら、歩は身体を起こしてモニターを見た。そこには波紋を前方に張り巡らせ、銃撃から自身の身を護る鋳鶴の様子が映っている。その波紋に向けて刈愛は二丁拳銃だけでなく、腰、脚、背中に備え付けていた全ての武装から射撃を行っていた。が、鋳鶴の波紋はそれらを全て包み込み、彼の足元に無数の薬莢が転がっている。

「元からあいつの中には今の刈愛を含めて三人の人格があった。一番が沙耶、次点で刈愛そして滅多に出て来る事の無い第三の人格である愛。その三人があいつの中では介在している」

 誠は神妙な面持ちで語り始めた。周囲のメンバーもモニターより誠を見つめ耳を傾けている。

「昔っから親が居ないみたいでな。鋳鶴の母親の同級生って事ぐらいしか知らねぇけど、相当なメカニックだったらしい。マザーっていう機械が居るが、あれを作ったのもその母親でな。負い目というか、責任感というか、そういうものを感じているんだと思う。誰かに言われたわけでも無いのにあいつは顔もうろ覚えになりつつある母親を超える為に必死こいてやってきた。そんでおかしくなった。後で理由は問いただすが、此処までやる必要はねぇよ。三河すまなかった」

 包帯で覆われた全身で誠は誠心誠意を込めた土下座を歩だけでなく、普通科のメンバー全員の前で行った。

「私なら大丈夫です。それに城屋さんも大怪我しているんですから気にしないでください。刈愛さんもやれることをやりつくしたんですから」

「あ、副会長。アタシから頼みがあんだけどさ。いいかな?」

「何です?」

「鋳鶴たちの戦いが終わったら形はどうあれ、普通科の皆で機械科に行ってみないか?まだあの時のお礼も済んでないし、ついでに景品の話もさ」

 ソファの上で胡坐をかきながら犬歯を剥き出しにし、微笑みながら麗花がそう言った。涼子は彼女の様子に微笑んで返事を返す。

「……荒神にしては気が利いているな……」

「なんだとてめぇ!」

 ベッドに横たわる影太に飛び付いてすかさず麗花は首に脇を引っかけプロレス技を掛ける。掴まれるなりマットを必死にタップする影太だが、麗花はそれを聞いても止めず、周りのメンバーもその様子を微笑まし気に見守っていた。

「城屋君、まだあなたが謝るべき方は戦っています。それが終わってからでもいいんじゃないですか?でもあの二人なら、笑ってしまうと思いますので謝罪になるかどうかですが、それに私たちは覚悟の上で闘っていますし、何より彼なら謝りあいになると思うのでやっぱり控えた方が良いかと」

 不思議と口元が緩み、微笑む涼子の姿を見て誠は再び姿勢を戻してベッドに横たわった。涼子の言う通り、鋳鶴と一平なら自分の謝罪なんて聞けば腹を抱えながら大爆笑するだろう。という事を頭入れながら 誠はモニターに背を向け、豪快に寝そべる姿を見た普通科の面々は微笑みを隠し切れなかった。

「ちょっと!保健室では静かに!」

 外から騒がしい声と、保健室にも関わらず廊下から何者かが駆ける足音が響いた。普通科のメンバーは負傷組を除き、扉の両脇に隠れながら敵襲に備える。

「普通科の生徒に用事があるんです!お願いします!通して!」

「この声は、初さんですかね?何かあったんでしょうか、荒神さん、お願いしてもいいですかね?」

 声の主を記憶を頼りに確認した涼子は麗花に指示を出し、彼女を扉の端に配置させる。怒号までもはいかないが、喧騒すさまじい外の様子を気にかけてそっと、扉を押して開き、外の様子を扉の端から窺った。

「あー!ヤンキーさん!どいてどいてー!」

「はぁ!?」

 看護師たちの肉壁を押しのけて芳賀三姉妹全員が勢い余って前転しながら普通科のメンバーが療養する保健室まで吹き飛んできた。

 麗花は初を無視して共に突っ込んで来た末娘の江を抱き抱え、壁に体を打ち付けながらも彼女を守り、麗花も無傷で済んでいる。

 外の看護師たちが中まで侵入してない事を気に掛けた涼子は、外を見つめた。看護師たちに松葉杖を突いた茶々が事情説明をしている。

「どうしたんです?御三方とも」

 ベッドから転がり込んだ初と江に涼子が話しかける。

二人は返事もせぬまま初は起き上がって服に付着した埃などを払い、江は麗花に一礼して起き上がった。

涼子の呼びかけに応え、状況と事情の説明をしている茶々はそのまま、二人は涼子に向けて頭を下げる。

「ど、どうしたんですか?」

「雛罌粟涼子さん!いえ、雛罌粟涼子副会長。折り入ってのお願いと、忠告があるのです!」

「その為に、この芳賀三姉妹。此処に馳せ参じました」

「そこまで言われちまうと気になるな」

 江の服を叩きながら、麗花はそう言い。二人は普通科の面々に見守られながら、息を整えて話を始める。

「城屋さんはご存知かもしれませんが、我が芳賀三姉妹、いえ機械科の誇る生徒会長の金城沙耶は多重人格者です。それは皆さんもお分かりですよね?」

 それぞれ大きく、小さく、普通科の面々は縦に首を振る。

「刈愛ってのだけだろ?問題ある様には見えるけど、芳賀三姉妹がわざわざ此処に来る必要性がアタシには分かんねぇ」

「荒神、沙耶には刈愛以外にももう一人、(あい)っていう人格があるんだよ」

 荒神の疑問に誠が淡々とそう答える。

「はい。城屋さんの言う通りです。会長には三つの人格があり、皆さんの前にも現れていない愛という人格があります」

「……一粒で三度美味しい……。……そういう事ではなさそうだな……」

「そうなんです。確かに我々でも刈愛さんは怖い時とかありますし、普段の金城会長の状態で居てくださるのが一番なんですが、最後の人格である愛さんが一番、問題がある方になってくるんです」

「一番の問題だと?」

 歩が体を起こしながら初にそう問いかけた。最後に出て来るという事は、沙耶と刈愛を抑えて一番の秀才であるか、また人間として優れていると思っている歩には疑問しか抱かなかった。

 自分を倒した刈愛の次に出て来るのであれば、それは必然的に実力者になる。しかし、誰よりも問題である。という点に対して歩は疑問を抱き、そう口走った。

「金城会長から優しさや協調性を取り除いて鬼教官の様にしたのが刈愛さんで彼女は肉体的にも精神的にも金城会長を超えています。それ故に金城会長と違い協調性が欠け、開発力という点でも金城会長よりは劣って来る。という事になるんです。それで最後の一人である愛さんは……」

 全員がその場で息を呑んだ。が、誠だけは余裕を見せ、病院食を頬張りながら、話を聞いて居る。

「体格もさることながら……、精神年齢も著しく低下してしまい……。所謂、赤ちゃんになってしまうのです!」

「「「「赤ちゃん!?」」」」

 誠以外は初耳の事実が、彼を除く一員の思いを同調させる。

「正直、俺も一番手を焼くのが愛の相手だ。刈愛は一緒に居て空気が重苦しくなる程度だが、愛は違う。あいつはやる事成す事滅茶苦茶だ。その代わり、俺の前には滅多に出て来ない人格だがな」

 沙耶の扱いに慣れている筈の誠が苦言を呈す刈愛も越えた存在となると、面々の頭の中では、鋳鶴と一平への不安に直結した。

「初さん。何かするか分からない。と、言いましたね?」

「はい」

「有り得ないとは思いますが、愛さんは体育大会のルールを把握していないなんてことは?」

「その可能性はありますね。金城会長や刈愛さんは同年齢ですけど、愛さんはどう考えても赤ちゃんに近い状態になりますからね」

「三人で記憶などを共有しているのに、赤ん坊同然の愛さんにはその記憶を理解する事さえ難しい。と言った感じですかね」

「そうですね。だから我々、芳賀三姉妹は此処まで来たんです。金城会長の第三人格、愛さんが出て来る前に」

「いや!待て待て!おかしいじゃねぇか!刈愛を倒せば、愛って奴は出なくて良くなるだろ?」

「あの馬鹿二人に伝る前に愛になったらどうすんだ?なる可能性がないなんて言えねぇんだぞ」

「その通りです。愛さんは、刈愛さんでもどうにもならなくなった時に出て来る人格なんです。これまでも金城会長の身に何かあれば時折出て来て、彼女が機械科のすべての設備を誤作動させてきたりしましたから……」

「俺も数回しかお目にかかった事はないが兎に角、滅茶苦茶だ。沙耶を怒らせて刈愛が出て来て、その刈愛を言い負かしたら出てきやがった赤ん坊だからな。この世で一番てこずった相手かもしれん」

「……!?……」

 嫌な予感を察知した影太が体育大会のルールブックを保健室の床中央で広げた。彼が開いたページは禁足事項、指を刺したのは超弩級帆船と戦艦の文字である。

 影太の推理と共に保健室に居る全ての人間がモニターに注目した。彼らの目に入って来たのは弾丸を撃ち尽くしたのか、鋳鶴と近接格闘で戦闘を交える刈愛の後ろ姿だ。



―――――中央闘技場―――――



「「薬莢なんぞに足を取られるなよ鋳鶴。ここからが正念場というものだ」」

「「分かってますよ。波紋を作るのも疲れて来た所ですし、有難い事ですね!」」

「弾は打ち尽くした。しかし、私にはまだ勝機は残されている!」

 鋳鶴を上回る体躯を利用し、長い脚から蹴りを放つ刈愛。普段、自宅で姉たちから理不尽な攻撃を受ける鋳鶴にとって彼女の動きは全く持って予想がつき、受け止めるのも容易いものだった。

 弾丸がまだ残っていれば、対処はまだ難しかったかもしれない。しかし、今の鋳鶴は何よりも冷静で物事の奥まで見透かせる様な状態に入っている。

 多数の波紋を利用した事によって魔力の消耗は著しいが、おっさんの助言と適切な行動でその消耗をかなり抑える事に成功していた。鋳鶴は近接格闘に入った刈愛に対しても直接彼女を傷つける。という事はせず、ただ、攻撃を受け流し、彼女が四肢に纏っているマザーの機体を破壊するだけの行動に収めている。

「諦めてください。ミサイルも手榴弾、弾丸も打ち尽くしたはず、貴方の負けです」

「まだだ!まだ私は!負けてなどいない!」

 鋳鶴の発言にムキになる刈愛は何処か、年齢に似使わぬ幼さがあった。しかし、鋳鶴はそんな彼女の行動や言動を気に掛けず、受け流し、いなし、作業の様に回避していく。

「そこまでムキになってまで勝ちたいんですか?」

「あぁ!私はこの中に居る一人の少女の為に戦っているだけだ!ムキにもなるさ!本当の自分の為に戦う。愚かだと罵るが良い!」

「誰も愚かだなんて言ってませんよ。でも城やんが欲しいなら素直に、彼に伝えれば良い。沙耶さんではなく、刈愛さん。貴方がね」

「黙れ!痴れ者が!」

 無理やり、鋳鶴に攻撃を仕掛ける刈愛。右ストレートを彼に打ち込もうとするもそれを予測していたと言わんばかりに鋳鶴は彼女の右ストレートを躱して背後に回り込むと同時に右腕のマザーの外装を破壊する。

「ぐっ!」

「此処まで僕を近寄らせてしまうと、貴方では僕に勝てません。あんまり言いたくないですけど、鍛えてますから」

「「ちょっと待った」」

「「どうかしました?」」

「「何か、嫌な予感がするぞ。鋳鶴」」

「「どうしてですか?」」

「「何となく、何となくだがね」」

「「僕なら大丈夫ですよ」」

「「君じゃない。彼女の事さ」」

 右腕の外装を破壊された刈愛は、左腕で鋳鶴にラリアットを仕掛ける。鋳鶴は素早く膝を降り、彼女のラリアットより頭を下げ、今度は左足に狙いを定めて拳を振り抜こうとする。が、刈愛はそのラリアットを囮に拳を振り抜こうとする鋳鶴の頬目掛けて右腕を固めて振り回していた。

「喰らえ!望月鋳鶴!」

「とても泥臭い戦いをされるんですね。安心しました。極悪非道な戦法を取る方だったら、女性と言えど、僕も全力で相手しなければいけませんでしたからね。よくよく考えると、刈愛さんも自分の大切な何かの為に戦ってるんですから、必死になるのも当たり前ですからね」

「同情するな!普通科如きが!」

「沙耶さんと反発すると、良い事が起きない事ぐらいそろそろ理解したらどうですか?機械科の皆さんも尊敬しているのは貴方じゃなくて沙耶さんなのですから、認めたくない気持ちもわかりますけど、それが事実です」

「「鋳鶴、そこまで言わなくても……」」

「「いやいや、此処まで言わないと彼女は分かりませんよ。沙耶さんならまだしも」」

 右拳を左の掌で受け止め、鋳鶴は右拳で刈愛の左足に纏っていた外装を剥がす。地面に落下した外装は空しく、金属音を奏でながら、小部屋の隅まで回転しながら飛んでいく。鋳鶴に外装を殴られた衝撃で刈愛はその場で膝を突いて、立ち尽くした。

「私は……」

 沙耶の為に戦い続けた。

 沙耶の人を思う気持ちを不意にしたくなくて、金城刈愛は闘い続けた。しかし、今、自分の眼前には圧倒的に巨大な存在が立ちはだかっている。

 今までの自分を否定する癖に、今までの自分を肯定する意味不明な男が、慈愛に満ちているのか、それとも人をコケにしているか分からない様な態度の奴が目の前にいる。

 負けられない。負けたくない。という気持ちがあってもこの男には勝てない事を心だけではなく、身体も理解する様になっていた。誠と三河歩を倒して図が乗った訳じゃない。私はずっと見下していた。普通科という存在自体を、沙耶を鼓舞し続けると同時に、彼らを馬鹿にし続けた。それが私の敗因であり、驕り、そこが私と沙耶の違い。相手をリスペクトするか、しないか。自分の為か、他人の為かの違い。

 でも不思議と、何故か、この男に負けるという点では、嫌な気がしない。彼女の夢を叶えられない事は確かに悔しいが、此処まで大きな存在に立ち向かえた私を褒めてやりたい。そう刈愛は思っていた。

 地面に落ちている薬莢の塊を右手で掬い、それを鋳鶴に向かって投げつける。薬莢はバラバラになりながらも数発、鋳鶴の身体に触れた。

 彼女の様子を見て、鋳鶴は胸を張る。

「でもここまで諦めが悪いことも良い事ですよ。波紋に向かって銃を撃ち続けたのも貴方の勝ちたいという気持ちを察する事が出来ましたからね」

 彼の言葉には悪意がない。嘘がない。傲慢さがない。三河歩の救助に現れたあの時に、もう勝負は決していたのかもしれない。味方である守るべきものを不当に傷つけた相手に対して、彼は、全力で叩き潰すという信念で向かって来た。

芳賀三姉妹が敗れた時を理解した自分と一緒だ。

刈愛は鋳鶴の気持ちを理解しながら、立膝をやめ、薬莢の海へ背中から倒れた。

「ふっ、ふふふ、はははは!完敗だ。完敗だ。望月鋳鶴。お前は確かに強かった。誠が褒めるだけはある。私の完全敗北さ……。君はとても強いな」

「刈愛さんの方こそ、機械科会長の意地を視させていただき、光栄でした。それに僕だって城やんの後に歩の相手だなんて死んでも御免ですしね」

「それは、違いない。双方強かったしな……。それに沙耶、すまなかった……。私はどうやら敗れてしまったようだ」

「沙耶さんにもそうですが、マザーさんにも謝るべきですよ。一番の理解者で協力者なのにあんなぞんざいな扱いをするなんて酷すぎます」

 鋳鶴が彼女の星を破壊しようと、振り返ろうとした時、生徒手帳が振動した。着信を見てみると、相手は涼子である。律儀にフルネームで登録している鋳鶴の生徒手帳の着信には雛罌粟涼子という名が刻まれ、画面をつけると、涼子だけでなく、途中で脱落した普通科の面々が所狭しと肩を寄せ合って彼女の生徒手帳の前に映っているのが分かる。

「どうかしましたか?」

「望月君!会長!今すぐその場から退避してください!」

「「どうしてだい?」」

 一平も涼子の着信を受けて生徒手帳を開いたのか、鋳鶴の画面の右下には満面の笑みを浮かべた一平が現れた。

「お二人はご存知でしょうが、機械科会長である沙耶さんは別人格の刈愛さんが居ます」

「はい」

「「そうだね?」」

「沙耶さんは刈愛さんという側面があり、沙耶さんは二重人格者だと、お思いでしょうが……。もう一人、三人目の人格があります」

「「もう一人だって?」」

「でももう、彼女は降参した筈です。今から星を……」

 生徒手帳の電話に出る事によって彼女に対して背を向けていた鋳鶴の眼前に衝撃的な光景が広がっていた。

 先ほどまで薬莢の上に寝転がっていた刈愛が背筋を丸め、両腕で膝を抱える様にして持ち、まるで寝る直前の様にその場で縮こまっている。

思わずその景色を他のメンバーに見せようと、鋳鶴は生徒手帳の画面をその景色に向け、今、眼前で起こった緊急事態を全員に知らせる。

「あぁ!ヤバい!」

「鋳鶴、聞こえるか」

「何?」

「沙耶や刈愛は正直、俺でもなんとかなる時が多いが、そいつだけは投げ出すレベルにめんどくさい相手だ。それと、理屈や常識が通じない。刈愛なんぞ比にならないぐらいにな。機械科の芳賀三姉妹と俺たちも現場に行くから、早く星を破壊しろ!」

 誠が全てを言い終える前に、鋳鶴の身体は彼女の方向へ向いていた。しかし、鋳鶴の目と鼻の先に刈愛の姿は無かった。詳しく言うと、彼女の姿ではなく、別の女性を見かけた。と言った方が正しいだろう。

「機械科は絶対に負けないお!」

 鋳鶴の眼前には、刈愛ではなく、沙耶よりも更に小さな少女が薬莢の上で座り込んでいた。伸縮自在の服が彼女の肉体の変化に合わせて縮み、残っていたマザーの外装は彼女の周囲に不規則な形で転がっている。

「え……、えっと……君は……?」

 あまりに異様な出来事と光景を同時に体験し、直視した鋳鶴は先ほどの冷静さがまるで演技だったかの様に狼狽している。

「刈愛がピンチだったから出て来たんだお!愛が出て来たからには普通科のおバカさんたちには負けてもらうお!」

 鋳鶴は直感ではなく、これまでの彼女を見て即座に思った。

 他の二人が相手ならまだしもまさか、もう一人の人格がこうもめんどくさそうな相手だと、早く星を粉砕すればよかった、という後悔の念に駆られている。

「喰らうが良いお!普通科のおバカさん!わたしたちが何故、これを使わなかったのか!最初からこうしておけば負けなかったんだお!」

 観戦会場に居る機械科の生徒たちが慌ただしく動き出す。ある者は頭を抱えて絶叫し、無言で客席に座したままの者も居れば、何者かに連絡を取ろうと生徒手帳を広げる生徒も居る。他科の生徒たちはそんな機械科の現状を見て、笑顔になる者やまくし立てる者も居る。

「「鋳鶴、絶対にとんでもない事が起こる」」

「「何でそんなこと言うんですか」」

「「なんとなくではなく、そもそも彼女から大量の魔力を感じる。早く星を破壊するんだ。何が起こるか分からん!」」

「喰らうお!超巨大帆船!アーケルハイン!」

 超巨大帆船。

 ルールブックに乗っ取れば彼女の行為は違反行為となり、機械科の敗北は決定したも同然となる。

 彼女は帆船の名前を叫んだと同時に、右腕を天に掲げた。右腕から数メートル離れた空中に「K」と中央に描かれた魔法陣が出現する。

「「やはりな。鋳鶴、もう手遅れかもしれん」」

「「学園長や教員の皆さんが居るんで、大丈夫だと思いますけど……」」

「「駄目だな。あまりに巨大な帆船を取り出す魔法陣が屋根によって遮られている。教員が外から何をしても無駄だと思うがね」」

「「でも天井が崩れればなんとか……」」

「「超一級の帆船だぞ?戦艦ではないだけマシ、と思いたいが、陽明学園の教員たちでルールを設けてまで規制する程の物体を抑える事が出来るのかね」」

「「出来なくはないと思いますけど、万が一の事を考えれば、抑えられない確率も考えるべきですよね」」

「「つまりは、そういう事だ。君が止めるのが手っ取り早い」」

「「そんな事言われてもですね……。多分、僕では無理です」」

「「珍しく弱気だな。生徒会長にも臆せず戦った普通科の生徒とは到底思えない」」

「「いや、おっさん。あれは無理ですよ……」」

 鋳鶴と愛の頭上には今にも二人を押し潰さんとする帆船が現れている。骨組みがまだ完成していないのか、薄紫色の光が帆船の形を形成しながら、着々と組み合わさっている途中だった。

 しかし、鋳鶴の視線に広がっている骨組みが完成している先端部でさえ、鋳鶴からすればあまりにも巨大で圧迫感のある物になっている。

 流石のおっさんもこの大きさの帆船を見るのは珍しく、焦りは見えないものの彼も珍しく物怖じしている様に見えた。

「「まったく、君は一人ではないだろう?」」

「「はい?まぁ、一人じゃないですけど!」」

 おっさんに呆れながらそう返事をする鋳鶴は右拳を帆船の先端に叩き込んでいる。次いで左拳を叩き込み、帆船の破壊を試みていた。

「「全く、君という奴は、城屋誠か?何も考えずに破壊するなんて芸がないし、何よりこのサイスは不可能だ。帆船より先に君の両腕が破壊されてしまう」」

「何か、手があるんでしょう?」

「「ある」」

「何を一人で話してるんだお。帆船はいくら殴っても無駄だお」

「確かに、そうかもしれないですね」

 鋳鶴は無言でおっさんに話続ける様に合図した。

「確かに機械科はもう駄目かもしれないお。でもただでは絶対に終わらないお!」

「「沙耶と刈愛では今の彼女は止められないか」」

「愛さん。一つだけ聞かせてほしいんですけど、貴方は誰の為にこうして出て来たんですか。本当に機械科の為なんですか?」

「機械科の為だお!と言いたいけれど、沙耶の為に私も出て来たんだお!刈愛の奴が情けないからこうして久々に出て来てやったんだお!」

 勿論、鋳鶴は愛が出て来る程の理由を理解している。他の誰でもない、金城沙耶のエゴを叶える為に彼女は自らを打ち倒し、優勝という先を見据えて戦っている。

 城屋誠を手中に収めたい。という気持ちなら鋳鶴には理解できなくもない。自分を手中に収めようと、体育大会をも利用する女性を鋳鶴は少なからず、知っているのだから、その相手よりは酷くないにしろ彼女のやり方にも否はある鋳鶴は思っている。

 機械科と彼女の為に戦った者たちを騙しているも同然の彼女に、この様な状況を招いた城屋誠への苛立ちと、歩への過剰な攻撃への怒りと、鋳鶴は全霊を込めて帆船を殴り続けた。

「「どうやら、まだ魔力の塊らしい」」

「無駄だお!絶対にこの帆船は壊れないお!」

「「仕方ない。少し、刺青が広がるかもしれないが、我慢してくれ」」

 おっさんはそう言って帆船を殴り続ける鋳鶴の肩にそっと、背後から手を添えた。



―――――陽明学園魔法科校舎 屋上―――――



「アセロ、あれはまだ君では破壊出来ないだろうな」

「だからなんだよ。一々鬱陶しい奴だ」

「君と望月鋳鶴は一心同体も同然。君に出来ない事は、彼にも出来ない」

「だから何だ。あの程度の物を破壊出来なきゃ。鋳鶴は俺を倒せないだろうし、俺と釣り合わない。それに、何だよその複製魔法は、鋳鶴の援護でもするのか?」

 ノーフェイスは、前方に多量の武器を複製し、展開していた。アセロが気付かない程の速さで複製を終えている。

 そのすべては体育大会の会場に向けられ、ノーフェイスの指示一つで会場に飛来するだろう。そしてその二人の前に二つの人影が現れた。

「彼の援護をするのかしら?それは大会運営者として見過ごせませんし、何より彼らにチャレンジさせてあげては?」

「おや?こんな高所に訪れて大丈夫なのかね?」

「黙れ」

「メイド……いや、執事だったね。君たちは我々の邪魔をしに来たと?こうして帆船を破壊しようとしているだけの我々を?」

「魂胆は見えています。だからこそ、阻止せねばなりません」

「魂胆とは?」

「さぁ、なんでしょう?」

 ジャンヌはノーフェイスが複製した武器を眉一つ動かさず、全てを消し炭にした。それが合図になってか、アンリエッタもアセロに向かってナイフを投擲し、更にハンドガンを弾切れまで放つ。

 アンリエッタが起こした一瞬の出来事とあまりに素早い動作は、アセロにはゆっくりと全てがスローモーションになったかの様に徐々に迫っている。

「お前は、まだ強いな」

「魔族にも人を見る目というものは存在するのか」

「あぁ、だが、お前の動きは見えてる。鋳鶴と違って出所がはっきりと、な。及第点とはいかねぇのが惜しい」

 アセロの右拳がアンリエッタの手にする銃を捉え、彼女の右手を振り上げさせ、更に彼女の脇腹に向けて蹴りを入れようと足を振りかぶる。

「魔族、相手は一人ではありませんよ」

「ゴフッ!」

 アンリエッタの脇腹目掛けて放たれようとしたアセロの右脚は、金色の巨腕によって殴られ有らぬ方向に湾曲した。

 ノーフェイスが相手をしているジャンヌの背後には黄金色に輝く巨大な十字を額に携えた仏頂面の大男が出現している。ノーフェイスの放つ複製魔法の武具をその身に受け止め、握り潰し、ジャンヌとアンリエッタを彼の攻撃から守護していた。

「彼らの邪魔、いえ、陽明学園体育大会の邪魔は何者にもさせませんよ」

「なんだ。ありゃあ……」

 アセロは持ち前の身体能力と、魔族の回復力で体を無理矢理治癒し、屋上の端へ追い込まれるも片腕一本で踏みとどまっている。

「そこからは自分で這い上がれ、私一人で彼女を相手にするのは多少なりとも骨が折れる。陽明の学園長相手に君だけの帯同は荷が重かったかね」

「何が!」

 ノーフェイスの複製魔法と、本人が手に携える二本の剣はアセロの目に映った。そしてアセロは考え、思う。あいつに出来て、俺に出来ない事があって良いのか?と、彼はアセロの遊び相手に選択された鋳鶴を殺害しようとする魔族である。

 教育係でもあるが、彼の背に追い付き、その隣に立たねば、到底鋳鶴との遊びをより楽しむことが出来ない。

 彼の両腕と、目の前に広がる上半身しか存在しない黄金色の巨人と、無数の武具。複製魔法とは、もうノーフェイスにしか扱う事の出来ない魔法であり、魔術の一つ。アセロは彼の両腕を見ながら、自然と起き上がって両腕を前方に構えた。

 アンリエッタが起き上がったアセロに向け、再び装填した拳銃とナイフを散りばめる。無数の武具がナイフと触れ合い、空で弾け、地に落ち、刺さっていく。

 その光景はまるで、剣の丘。

 黄金色の巨人は太陽の様に輝き、武具はその太陽を墜とさんと、忙しなく射出されていく、更に前方からは無数の弾丸とナイフ。

 前方に構えた両腕からアセロは剣ではなく、円形の盾を脳裏に浮かべ、イメージを抽出し、それを固める。

 難しい事ではない。ピアノの演奏に比べれば魔力の調節など造作もない事。気付けば、アセロは前方に薄紫の盾を二枚創造し、アンリエッタが放った弾丸とナイフをそれで受け止めていた。

「上出来だ。アセロ、複製とまでは言わないが、そこまで出来れば素晴らしいものだ」

 ノーフェイスは薄ら笑いを浮かべながら黄金色の巨人の拳に向けて刃を交える。上半身しか存在しない黄金色の肉体にはいつしか、針の筵の様に武具が突き刺さっていた。

「複製。本来なら、もっと素敵な魔法なんでしょうね」

「いや?複製というものは私の様な薄汚い者が使用するものさ。君が思う程、この魔術は綺麗なものじゃない。それにもうアンリエッタは良いのかね?」

「えぇ、信頼しているもの。彼も貴方だけを狙った方が集中できるでしょうし、ねぇ?アードジョバンニ」

「ジャンヌ様。いつも通り、ジョバンニで構いませんよ。私めは、貴方様を守護するべき精霊。あの無粋な魔族には指一本触れさせはしません」

「大丈夫よ。触れるぐらいなら」

「いえ、そうはいきません。アンリエッタでは不足だと思われたのですから、此処は私めにお任せください」

「ジョバンニ、申し訳ない。流石にノーフェイス相手では分が悪い。で済ませようとはしたんですが、このアセロという魔族も骨が折れますので」

「あぁ、二人まとめて私めがお相手進ぜようとしたのだが、どうもアセロという魔族の方は何かコツを掴んだらしい。それに、先程から彼の武具が私めの身体をくすぐるものですから」

「まだ居たのかね。ジョバンニ」

 ノーフェイスが自身の身の丈二倍程度はあろう大剣で彼に斬りかかりながらそう言った。ジョバンニは笑顔を浮かべ、より筋肉を魔力でコーティングし、且つ膨らませてその剣を受ける。

「ジャンヌ様がお一人で対処できなくなった場合の私だからね。久しぶりじゃあないか、ノーフェイス」

「やはり、君も彼女もあの時に殺害しておくべきだったか」

「何を言うか。君の施しがなかろうと、私めとジャンヌ様は窮地を脱する程度の幸運は持ち合わせている。幸運の精霊と神に愛された少女を舐めるな」

「久しぶりにちゃんとした格好で出て来れて嬉しいのよね」

「えぇ、そうですとも。このジョバンニ。全力で貴方様とアンリエッタをお守りします」

「頼もしいわね。それに此処まで全力で貴方と戦えば、望月さんへ危害が及ぶ事はないでしょうし、ジョバンニの久々に動かすのだし、遠慮はいらないわよね?」

 ノーフェイスの口角が緩んだ。彼の目標は巨大帆船を破壊する。目的は少なからずあったが、本来はその先で帆船を殴り続けている望月鋳鶴の殺害だった。その計画が彼女に察された事により、ノーフェイスは笑みをこぼしている。

 甲冑越しではあるが、ジャンヌも彼の嬉々とした様子を理解していた。ジョバンニへの複製魔法による武具の射出が先ほどにも増して倍以上に増えている事に気付いているからである。

 ジョバンニは依然としてジャンヌを防衛しつつ、その巨人としての体躯を利用してノーフェイスに拳を振るう。

 彼の拳を受けるのはノーフェイスとて骨が折れる。身体的負担も高く、自身を包む甲冑も流石に軋み、当たり所が悪ければ、腕を持っていかれるぐらいの負傷は覚悟している。

 故に、ノーフェイスは今の戦いを楽しんでいた。それはアセロも同様でアンリエッタとの戦いを楽しみ、何より新たに手に入れた盾を創造する魔術という玩具を用いて存分の力を発揮している。

 そんな激戦が中央保健室屋上で繰り広げられているとは露知らず、いまだに帆船の先端部を殴り続けていた。


鋳鶴と沙耶という頂上決戦と、ノーフェイスとジャンヌという二人の頂上決戦もしていました!情報過多かもしれませんがそこは許してください!

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