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優しい魔王の疲れる日々(リメイク)  作者: n
優しい魔王の疲れる日々(リメイク)3
23/42

第21話:魔王と一回戦前日録

vs機械科開始前の前日のお話になります。日常パートです。


 バッタライダーの事を思い出しながら、鋳鶴は、おっさんとモノクロの世界の鍵盤を軽やかに撫でてから、その指で鍵盤を叩き、同調を始めていた。本日の同調に選出された曲は、ベートーヴェンの運命である。

「相変わらず、上手いですね」

「それなりに弾いているだけだがな」

「要らない自慢しないでくださいよ。こっちにプレッシャーでも掛けてるつもりなんですか?それならそうって言ってください」

「そうだが?」

「きっぱり言っちゃったよこの人……」

「あくまで同調だ。こちらの気持ちも忘れてもらっては困る。君だけに合わせていては、それを同調とは言えないからな」

「分かってますよ。本当に我儘な魔族ですね」

「君も負けず嫌いで我儘な人間というのは承知の上だ。それを思考に織り交ぜながら鍵盤を叩く、君に出来るかね?」

「出来ますよ。あんまり馬鹿にしないでください」

 鋳鶴はおっさんの旋律を車が後ろから、前の車に注意喚起をするかの如く、早弾きを始める。鋳鶴の為に行われている演奏会はいつもモノクロの世界で行われていた。

 鋳鶴自身、いつこの世界が普段の生活を送る世界の様に色彩を取り戻すのか、おっさんが居るからモノクロなのか、自身の心が枯れているせいか、そういった考えを巡らせながらおっさんと連弾を続ける。

「余計な思考を巡らせながら、弾ける領域までになったか」

「皮肉ですか?」

「違う。褒めているんだ。君の成長は俺が記憶を取り戻す事に繋がるからな。それに君自身がより強靭になる事にもつながる。一石二鳥じゃないか」

「確かにそうかもしれませんけど……」

「それにこういった鍛錬は君の刺青を広げるのを抑制する性質にもなっている。それを隠す為に、年中長袖を着たくないだろう?」

「そりゃそうですけど、刺青を無くす方法とかは無いんですか?」

「無い。仮にそれがあったとして俺たちに何か利益があるか?魔族の力なんてものは、元より人間の為に作られた物ではない。だから誰一人としてその刺青を消そうとは思わない。君の気持ちは人であるからこそ浮彫になる問題であって俺には何の変哲もないものなのだ。それこそ生徒会長の様な能力でもあれば別だがな。彼の能力のデメリットで君の身体がどうなるかは知らんが」

「でもおっさんが困りますよね?」

「勿論」

「おっさんが僕の身体から出て行けば刺青も無くなる説ありますよ」

「勿論。そうだとは思うが、君が力を失ってどうする。それが一番両者とも得をしない結末だ」

 鋳鶴の刺青の事を全く考えていないと言えば、嘘になる。とおっさんは考えていた。鋳鶴の胸中を読むのは造作もないおっさんであるが、その反面、鋳鶴に自身の胸中を気付かぬうちに覗かれていないか考える事もある。

 魔族であるにも関わらず、人間の感情に感化される事はあってはならないが、おっさんの心は若干、揺れ動いていた。

 鋳鶴の幸福を考えているわけではないが、若年の魔族でもノーフェイスと戦う事などほぼほぼ有り得る事情ではない。

 それが人間となれば尚更、鋳鶴の心の叫びを聞くことの出来るおっさんは彼の強くあろうとする根性に高校生離れした精神力に感服を見せる程である。

 鋳鶴越しに彼と同年代の人間を見ると、鋳鶴程の覚悟を見せる事の出来る人間や人間として完成されている者は居ない。誰かの為に、何かの為に、若干17歳の男子高校生には到底不可能な理想であり、発想だとおっさんは考えていた。

 他の高校生たちは楽観的で自分の未来に希望を持っている。毎日を楽しみ、その青春を謳歌し、誰もが当たり前に暖かい毎日を送っていた。

 鋳鶴の様な存在に近い人間が居ない。という訳ではない。おっさんからして見れば、鋳鶴程ではないにしろ、奉仕の精神を持つ高校生は陽明学園には存在している。鋳鶴程の行き過ぎた善意と衝動に駆られて人の為になろうとする人間は居ない。

それは誰にでも出来る事ではある。が、誰もそれをしようとはしない。何故なら、人間は魔族よりも遥かに自己愛が高い生物である。

 そんな人間という存在にも関わらず、鋳鶴が人を助ける時、そう思った時は、何の裏もない純粋な人を助けたい。という気持ちだけが彼を突き動かしている。

 それを理解しているおっさんだからこそ、魔族であるが故に彼を利用するが、そんな鋳鶴に肩入れをしてしまっている面があるのかもしれない。

「なぁ、君は本当に正義の味方って奴になりたいのか?」

「まぁ一応は、なりたいですよ。でも正義の味方って難しいじゃないですか!それに魔族のおっさんが正義の味方の事なんて分からないと思いますけどね。あ、別に煽ってるわけじゃないんでそこは悪しからずです」

 鋳鶴の言葉に耳を傾けた途端、おっさんの中に失われた一部の記憶が蘇る。






 部分的に蘇った記憶の中で、おっさんは誰かと向かい合い会話を交えていた。

自分が誰かと話している様子を傍から見ているおっさんは複雑な気持ちになりながらもその景色に目を凝らして注目する。しかし、完全に蘇っていない記憶のせいか、おっさんから見える自分は鮮明に目に見えるのだが、相手には全身に黒い靄がかかっている。

 しかし、おっさんの胸は懐かしいという記憶で溢れ返っていた。鋳鶴の前に自分を使役していた宿主だろうか、それとも魔族として肉体を持っていた時の記憶か。定かではないが、詳細の分からない相手と話している記憶をふと、思い返しただけでおっさんはただ、その記憶を完全に思い出そうと躍起になっている。

「なぁ、―――――」

 声も本来の物ではないだろう。暈され、その相手が誰かを理解させない様に人間らしくも魔族らしくない声で会話を続ける。

「どうしたあらたまって」

「君はどう思う?人の在り方について」

「俺はどうも好かん。人間というのはどれも傲慢で自己中心的。何事も貪る様にそれを摂取し、飽きる。即ち骨の髄までしゃぶれば、残りカスに等しくなったものは平然と道端に捨てる。それが人間だ」

「そうか、――――。君の目には人という存在はそう映るのか」

「それが何か?」

「いや?だが人間はそうあるべきなのかもしれない。そうあるだけでは人間としては成功しないだろうが、我々よりも遥かに短い時で結果を残す人間も居る。そう考えると人間というのも捨てたもんじゃない気がしてね」

「何を言ってるんだ。――――。君は俺と同じ魔族である限り、人間とは相容れない。人間に干渉しようとするのはお前の悪い癖だ。確かに、我々の起源には魔族ではない者。人間から来る者も居る。が、お前は違うだろう?」

「だから君は駄目なんだ。人間こそ観察の対象にすべき生物だと私は思うがね。スレイ様の許容範囲ならば、今すぐにでも調査を進めてみたいものだ」

「やめておけ、スレイ様は人間を深く怨んでいる。お前の寿命を縮めるだけさ」

「私が?スレイ様の――――である私が、厳罰に処される事など、有りはしない。――――、君の様な魔族の方がよっぽど危険だと思うがね」

 男は立ち上がっておっさんの周囲を歩き始めた。

「だからお前はその立場に居るんだろうな。――――」

「悪くない景色ではある。いつもピアノの演奏でスレイ様を楽しませる事が出来る。私もおかしな魔族なものでね。どうも誰かの為にピアノを弾くことを悪いとは思わない。君の様に私の旋律に耳を傾けて傾聴する魔族も居るのだから」

「ふっ、此処は殺風景すぎる。俺にも弾かせろ。どちらが上かというものを見せつけてやろうじゃないか」

 おっさんは男の隣に腰掛け、鍵盤に触れる。

「やはり、ピアノ以外も導入してみるべきかもしれないな」

「何故だ?」

「―――――。君はピアノというよりはエレキギターやドラムといった激しい楽器の方が性に合うと思ってね。それにピアノはスレイ様のリクエストで他の楽器を奏でても構わないと私は思うがね」

「そのエレキギターやドラムという物も気になるが、俺はこのピアノで概ね満足している。魔族が嗜むような代物ではないにしろ。これで十分だ」

 おっさんはこの時、思っていた。激しい楽器には激しい楽器を持つべき者が現れる。別におっさんの意識が高くなった訳ではないが、このピアノは両手と足を使う楽器だ。人間の様に言えば、頭の体操にもなるというもの。

「君が俺の――――で良かった」

「いきなりどうかしたのか?君らしくないぞ――――。ピアノを弾いてみてセンチメンタルにでもなったのか?」

「いや……。別に特段、理由があったわけでもない。ただ、ふとそう思っただけだ。魔族同士の相性というものもあるだろうしな」

「まるで人間の様な事を言うな君は」

「ふっ、誰に似たのだろうな。魔族とは人間が元の者も居る。私や他の者もそうだが。結局、魔族であるという事実は変わることはない」

「人間からしたら、それが脱落者としての扱いなのだろう。君を含めた輩を擁護するつもりは無いが、人間という存在に絶望して此処に訪れる者も居ると聞く、どうして君は此処に居るんだろうな。―――――」

「さぁ?あと君より私の方が何十年いや、何百年と先輩だと思うのだが?敬愛という気持ちをそろそろ現してくれも構わないのだが?」

「俺は純粋な魔族だ。君の様に堕落した者ではない。故にだ。人間という者が真にどういう者なのか気になっただけさ」

「それにしては、随分質問攻めをされていた様な気がしたのだがね」

 ――――は、おっさんの前に立って彼がたった一人でピアノを弾く様子を眺めている。その空間には二体の魔族だけ、――――とおっさんの二人は、そのまま暫く、ピアノを弾き続けていた。






「はっ!はっ!」

「大丈夫ですか?顔色悪すぎますよ?」

 おっさんは鋳鶴の隣で手を止め、脂汗を額に浮かべながら、膝を震わせていた。鋳鶴からして見れば、突然居眠りしたおっさんが何度も体を痙攣させながら、再び起床するものだから驚きというよりも奇妙。という考えで頭が一杯になっている。

 鋳鶴はそんなおっさんを気遣ってか、そうでないのか、彼が突如、転寝していたのにも関わらず、無言でピアノを弾き続けていた。

「夢を見ていた……」

「おっさんも夢を見るんですね。意外ですよ」

「いや、君たち人間が見る様なちゃちな夢じゃない……。何かが叶うとか、何かを手にするとかいう現象ではなく、俺の記憶が突然流れ込んで来たんだ」

「えぇ!?それじゃあ正体分かっちゃったんですか?」

「そこまでは……、ただ」

 そこでおっさんは言葉に詰まった。喉につっかえたまま、鋳鶴に何も言わずやり過ごす場合の方が得策と考えたからである。

 魔族とピアノを奏でるという事は普通の人間では到底有り得ない。そのタイミングでおっさんは何者かとピアノを弾く夢。ではなく、記憶を辿った。

 その結果、記憶に出て来た魔族は鋳鶴と言葉遣いや仕草は全く違う相手ではあったが、おっさんの中でもう一人、魔族で今と同じ状況でピアノを連弾した記憶がある。この事実に基づき、一つの仮説を立てた。

 記憶とは過去のものではあるが、おっさんの記憶が百パーセント自身のものという確証があれば、その仮説を立てる事はなかった。が、状況が状況である上に、記憶を改ざんされている可能性も無きにしも非ず。

 そう考えたおっさんは、自分にその可能性は無い。と言い聞かせるものの。その記憶に出て来た魔族が、そう遠くない未来の鋳鶴なのでは、という疑問を持った。

 まだ共に居るだけで安らかになる。までの関係性には至っていないものの、おっさんはその記憶の中に居る自身が、その相手と親しげに見えたのが原因というのもある。

「いや、そんなことは……。すまない。今日の同調はもう終わりだ。明日に備えてもう横になろうじゃないか……」

「本当に大丈夫ですか?」

「あぁ……。君が心配する様な事じゃない」

「ならあまり言わない様にします。それじゃあまた何かあったら出て来てください」

 鋳鶴はそう言って心象世界を後にする。ピアノは二人の居た空間から消えさり、おっさんは十字架の上に座りこんだ。

「いや……、他の者の可能性だってある。どうして鋳鶴が、居の一番に出て来る……。その可能性の方が薄いというのに、何故だ……。それにあれは崖の底だ。絶対に有り得ない。有り得てはいけない。いや、そうなる事は俺としては望ましい事なのかもしれんが……」

 おっさんは顎を両手で支え、そのまま物思いに耽り、その日は鋳鶴の前に姿を現す事はなかった。



―――――崖の底―――――



「ほう。あまりに肩入れするあまり、その結論にたどり着くとは、哀れな魔族だ」

「どうした?」

 崖の底は相変わらず、明度が低く、常人ではただの暗闇だろう。しかし、魔族の彼らにとってはそれが当然であり、崖の底とはそうあるべき場所なのだ。

 アセロがピアノに腰掛け、ノーフェイスが彼の背後で彼に対し、楽譜を見せピアノの指導をしている。

「なぁ、こんな物を見るよりも二人で弾いた方が早く覚えられそうなんだが」

「一人で奏でた方が、自分の音も良く聴こえる。というものだ。それに私の旋律に合わせている様じゃ駄目かと思ってね」

「何だよ。もしかして俺に追い抜かれるのが怖いのか?」

「君がそう思うなら、そう思ってくれて構わない。そう思って君の集中力が向上するのならそれで構わない。私を超えてくれるのなら、それは素晴らしい事だ」

「何でそんなに俺の成長に肯定的なんだよ」

「私は君の成長に肯定的だからな。教育係という存在というものもあるが、魔族の席が埋まる事は早急に済ませなければならない課題でもあるからな」

「人間と戦うためか」

「あぁ、その通りだ」

「鋳鶴も殺すのか?」

「勿論。彼は霧谷や雅よりも強大な壁になるだろう。人間の若さというのは、アドバンテージだ。定石がない。という事は強みに繋がる。いつも私は望月の血統の若さに、苦戦を強いられてきたから言える事だが。経験が邪魔になる事もある」

「三十郎みたいな奴もか?」

「あぁ、望月雅と霧谷は例外ではあるが、彼は守る者も増えすぎた」

 ノーフェイスは物憂げな仕草を見せながら、アセロの前でピアノに体を傾け、体重を乗せる。アセロは鍵盤を弾く手を止める。

「守護するべき人間が増加する。というのは、予期せぬ虚弱さに見せる。私ならそれを利用するのも一種の手だとは思うが」

「そんな卑怯な真似して勝って楽しくねぇだろ。俺は鋳鶴の弱みに付け込んで戦う事なんてごめんだね」

「そう言うと思ったよ。全く、魔族らしからぬ勇猛さというか、君の爪の垢を煎じて、べカティアに飲ませてやりたいくらいだ」

「べカティアはお前と違って攻撃に特化した様な能力じゃない。正攻法で勝てるお前がそんな卑怯な手を使うのは、気に入らないと思っただけだ」

 ノーフェイスは重い腰を上げるとアセロの隣に腰掛け、鍵盤の上に手を置いた。

「弾かないのか?」

「君に言われなくとも弾くさ。それに私の演奏に君は付いて来られるのかね?若気の至りで自分を己の心を自傷するのは好ましくない。それに、私が本気を出したら、君の指では私の速度に達する事は出来ない」

「やってやる。お前のそれをそのまま複製するかの様に再現してやる。複製魔法を極める為でもあるんだろ。この練習」

「君の勘の良さは時々、望月鋳鶴を凌駕するのでは?と思う事があるが、その通りだ。私の教えは複製魔法のヒントにもなる。私に合わせて演奏する事は推奨出来ないがね」

「それが近道ならいくらでもやってやる。俺は俺の心を躍らせる人間を完全に倒してやりたいだけなんだからな」

「目標は何事にも大切な物さ。それが邪なものだったとしてもその目標に向かって歩く事が大切だからな」

「あんまり難しい事言うなよ。俺は馬鹿なんだから」

「私の演奏技術を複製すると意気込んでいたのに、先程の威勢はどうした」

「うるせぇ!さっさと始めようぜ。指が固まっちまう」

 アセロに急かされるまま、ノーフェイスは軽く溜息をついて鍵盤に置いた手を目にも止まらぬ速さで動かす。彼は動きに合わせようと必死に鍵盤の上で両腕の指を躍らせる。

 ノーフェイスの表情はアセロから見る事は出来ないが、今のノーフェイスは少なくとも心地よくピアノを演奏しているのだろう。とアセロは考えた。

 もし、自分の発言に怒りを覚えているのなら、ここまで軽やかに美しい音色を現す曲は弾けないだろう。アセロがそれに無理矢理合わせて演奏する事を楽しんでいるかの様にノーフェイスの指は転調を繰り返し、速度を増していった。

 相変わらず、ノーフェイスの演奏はアセロの耳に不快感無く入り込み、彼の心はどことなくその演奏に癒されている。

「やっぱりノーフェイス、お前も俺の心を踊らせる」

「そうか?それは光栄だ。教育係としても一魔族としてもそれは誇りに思おう。そんな感想を述べるのはスレイ様か君ぐらいだからな」

「それって何か悪口っぽく聞こえるけど大丈夫か?」

「悪口?君がそう思えばそうなってしまうんだろうな」

「曖昧な事にはそういう濁した答え方しやがってそういう所を直して、ほしいもんだ。俺みたいな奴の上に立つならそれなりの凄味以外のものを見せてくれってな」

「私に凄味なんてものはないさ。あるとしたら明確な目標のみだ。それに向かう過程に君が必要だったというだけさ」

「なら必要じゃなくなったらどうするってんだ?」

「さぁ?そこから先は君次第。とでも言っておこう」

 ノーフェイスはアセロの速度を無視してピアノを弾き続ける。スレイが聴いて居るのか、聴いていないのか、分からないのにも関わらず弾き続ける。

 アセロの中で彼の生き甲斐を考えた。

 ピアノ以外でも彼はアセロを外へ連れ出し、目の前で人間を殺す行いを見せる。アセロはそれに何も感じる事はないが、複製魔法の美しさだけに捕らわれる。

 ノーフェイスの戦術よりも複製した武器の精巧さよりも彼が複製する瞬間に見せる魔力の輝きをアセロは好んでいた。

 相手をただ、殺害するだけの武器を美しく手掛けた作品よりもその過程である閃光にアセロは目を奪われる。

 ノーフェイスの殺戮は誰に頼まれたものでもない。上司であるスレイや他の魔族に手を貸す、という行いでもなく、ただ自分の中にあるリストに従い、相手を殺害し続ける。アセロの理解の範疇からその外までノーフェイスは様々な人間を殺害している。

 その度に、彼はノーフェイスに尋ねていた。

「なぁ、どうしてお前はそこまでして人を殺すんだ?お前が殺したいのは鋳鶴だけなんだろ?どうしてそこまでして無関係の人間を?」

 アセロが問うと、ノーフェイスはじっと甲冑越しに彼を見つめて暫く沈黙する。その瞬間こそ、最もアセロが忌み嫌う時間帯であり、質問した事を後悔するものになった。

「私にとっては重要なのだ。あまりに殺しすぎると様々なものが見えてしまってね。君にはいつか話すかもしれないが、まだ話す時じゃない。君が私の事実を知る頃には……。いや、何も言うまい。言ったとして双方得をする案件ではないからな」

 そう言ってノーフェイスは、無言のまま人を斬り付けていく、絢爛な装飾も大小も関係ない。彼にとって人間の殺害は魔族としての本懐以前に彼の存在を肯定する事にもつながる。アセロには、そこまで躍起になっている様には見えない。しかし、ノーフェイスという魔族は躍起になっている。

 人間の殺害など、彼にとっては容易だ。

 何よりも容易く、何よりも他愛ない。

 しかし、その中で自分が殺せない人間を見た。

 それらはいつも目を爛々と煌びやかに輝かせ、自分を見て恐れるどころか、むしろ好戦的に掴み掛って来る様な人間である。

 それが望月の血であり、二度とならず三度までもスレイの完全復活を止めたグリーンランド家含む望月家。

 カイゼルはスレイと相打ち。

 その孫の三十郎は、スレイ復活を目論んだ者たちを打倒。

 三十郎の娘の雅とその相棒であった霧谷は完全復活寸前のスレイを打倒した。

 スレイの傍らで彼はいつもその血統と敵対している。カイゼルの遺体を回収し、その肉体にスレイの魂を混入し、カイゼルの肉体にスレイの魂を吹き込んだ新たな魔王スレイを誕生させた。

 最初、ノーフェイスは魔王再臨に際し、カイゼルの身体での再臨とあっては、スレイの激昂を買うものと考えていた。が、スレイは彼を咎める事をせず、むしろ盛大な拍手で彼を迎え入れている。

 彼を復活させようと目論んだ神官の補助とスレイの世話を同時進行で務めながら、血族との激闘を繰り広げる。しかし、神官もノーフェイス自身も三十郎の前に敗れ、彼によって魔王完全復活は妨げられた。

 続いても復活したスレイ自身がその慢心からか、ギフトと呼ばれる能力を雅と霧谷に送り、その事が原因で完全復活は妨げられている。

 結果としてスレイの復活を阻止し続けている望月の血族は魔術師の家系としても有名な存在になっていった。始まりのグリーンランド家から彼らを見続けているノーフェイスにとって彼らは、妥当すべき怨敵であり、スレイの復活を急ぐのなら彼らを抹殺せねばならない。

 しかし、魔王によるギフトにより、一定の魔族よりも魔力を持つ、望月夫婦によってノーフェイスは条約を言い渡されている。

 スレイにも報告しない。秘匿とすべき望月鋳鶴を中心に作られた条約を彼は、戒めとして彼らと締結している。

 結果的に彼の同族にはその秘匿を露呈する事なく、ノーフェイスは他の魔族と違い遊撃部隊の立場である彼は人の殺害を自由に認められ、担当部署の様にエリア指定などもされていない。

 故に彼は自由であり、片手間でもなしにアセロの教育係を務められるというもの。

 先日の鋳鶴を思い出し、ノーフェイスは彼の瞳の輝きを見た。

 幾人もの人間を見て来た彼にとって彼の瞳は明らかに見た事のない輝きを放っていた鋳鶴の瞳と、アセロの瞳は似ている。魔族はどれもくすんだ様な色をしている場合が多いにも関わらず、アセロの瞳は鋳鶴の様に純粋な少年と変わらないような瞳をしていた。

「魔族なのにも関わらず、君は多種多様な顔を見せる」

「俺はお前みたいに仮面をつけてないからな。なんでそんな細工をする必要があるか俺にはわかんないけど、どうせ答えてくれないんだろ?」

「あぁご明察だ。それに答えられたとしてもまだ君には早い。それに我々の会話が何者に聞かれている可能性もあるからな。これ以上は無用さ」

 ノーフェイスはそう言い残して黙々とピアノを弾き続けた。ため息交じりに一息つくと、アセロも彼についていく意思を見せる様、鍵盤に手を置いた。



―――――荒神家―――――



 荒神家、と言っても麗花一人しか居住していない学生寮の一室、彼女が居住する学生寮は、男人で遠方から陽明学園に就学する女子生徒たちの為に作られていた。

外装は高級マンションと何ら変わらない住処である。

そんな男人禁制のその学生寮に一人だけ、麗花の部屋に入室出来る者が居た。

 その者は学生寮の寮母と協力し、寮の警備施設を万全にし、尚且つ、寮の隣に警察署を設けさせるなど、様々な交渉でその学生寮を陽明学園一の寮に作り替えたのである。ちなみに麗花の居住する学生寮は普通科の生徒しか利用できないという規約が存在している。

 他科専用の学生寮もあり、普通科の学生寮はどれも極めて平凡且つ、利用する生徒たちに不自由が無い様に設定されている。

 勿論、寮母とともに麗花の居住する学生寮を改築、周辺施設を整えたのは他ならぬ普通科のエロフェッショナルこと、土村影太だ。

 その影太も学生寮では普段の行動を自粛し、寮母との話し合い。麗花に自室へ招待されたのみに寄る程度の居場所になっている。

「……俺はお前の筋トレを見る為に呼ばれたのか……?」

「うるせぇなぁ。これ終わったら夕飯の買い出しに行くんだから手伝ってくれよ。今日の夕飯は何がいい?」

「……荒神……。……俺は食事する暇があったら被写体をだな……」

「お前のスケベ写真の事なんざ誰も構いやしねぇよ。アタシの料理の評価をしてくれよ」

「……そんな事……。……適当に男でも作ってそいつに食わせてやればいいだろう……。……それに、料理の事なら鋳鶴の方が……」

 影太は胡坐をかいて周囲に広がるカメラの機材を弄っている。麗花の自室はあまりにも殺風景でテレビや暖房器具以外は衣服と小さな机、筋トレに使うであろう器具が並んでいるだけの部屋だった。

「鋳鶴は駄目だ」

「……何故……?」

「あいつは舌が肥えすぎてる。アタシの料理なんざマズいって言われるのがオチだと思うぞ。それに、お前に食べてほしいっつうか……」

「……どうしても……。……食べてやるとする……。……鋳鶴はお前の料理を褒めてくれるとは思うがな……」

「本当か!?」

 麗花は鉄アレイを即座に置いて、影太の目の前に座った。彼女の目は、影太の発言により、部屋の電灯よりも輝き、彼が目を逸らす程度には輝いている。

「……仕方なくだ……。……体育大会も目前というのに、拗ねられては困るしな……。……それに鋳鶴にも礼を言えよ……?……あいつもお前の事を思って色々教えてくれているのだからな……」

「分かってるよ。アタシもお前もさ。あいつに恩義感じたりしてんだし、それを忘れるわけないだろ」

 麗花は影太に右腕の力こぶを見せながら、鼻息荒く、自慢する。

 影太は機材をしまうと、麗花の筋トレ道具も後片付けし、麗花の催促と共に、玄関に備え付けられた(鋳鶴作)エコバック掛けからエコバックを丸めてズボンのポケットに入れ、麗花に鍵を催促し、彼が家の鍵を閉める。

 影太の事を理解している別室に同居している普通科の女生徒も影太と麗花の二人に会釈をし、二人も息ぴったりに相手に向けて会釈をした。

「しっかし、お前だけ入れるってのはなんだかなぁ……」

 麗花は溜息混じりに居住スペースから、エントランスに通じる自動ドア付近に備え付けられた外出及び入室を記録する端末に触れ、影太と共に外へ出た。

 閑静な住宅街ではあるが、隣接している交番で職務を全うする警官に向けて会釈をする。影太も会釈し、警官も帽子をとって会釈をする。

「んで?夕飯はどうする?」

「……そうだな……。……刺身とか……」

「お前なぁ!刺身じゃアタシの成長を実感できないだろうが!」

「……いや、刺身も食べたい……。……という旨で良かったのだが……。……それに、俺はお前の練習に付き合うという事もあるのだから……、……お前の作りたいものを作ってくれればいいさ……」

 作りたいものを作ってくれ。

 麗花にとっては一番困る発言だった。嫁いだ女性や同棲している男性などに言われて女性が困惑してしまう。とともに多少苛立ちは覚えるであろう言葉である。

 なんでもいい。

 という魔法の言葉に近い影太の言葉は、麗花の脳味噌をこれでもかとかき回す。影太は高校生にしては和食を好みすぎる傾向にある男子高校生である。鋳鶴や桧人と違い、影太は脂っこい食べ物を好まず、滅多に肉を食す事がない。

 故に痩せこけているのか、それとも忍として自分を律するためか、麗花は彼の事を考えて鳥のささ身を彼に一度食事で出したのだが、箸を一度も付けなかった。

 しかし、影太の身体は痩せこけている様に見えながら、それなりに筋肉はついている様で忍としては大変バランスの良い体形になっている。

 麗花としては忍など関係なしに、影太に鋳鶴や桧人程ではないにしろ、それなりの肉体を保っていてくれないと、彼の事が心配になってしまう。

 麗花も麗花で素直に彼の身体を気遣うが故に、肉料理を振る舞いたい。とでも言えばいいのにも関わらず、彼女の性格が災いしてか、つい影太が口にしなかった料理を自分で食すという事がしばしばである。

「でもお前、肉料理作っても食べないじゃん」

「……それは許してほしい……」

「えぇ……。アタシが食べるからいいけどよ。残したら勿体ないだろ?それに……たまには食べた方がいいっていうか……」

「……食べてやりたいのは山々だが……。……肉は太りやすいと思っているから……、すまない……」

 影太は麗花の前で土に手を乗せて土下座の体勢をとるも麗花にスーパーの前では目立つ、と無理矢理立たされ、そのまま二人はスーパーに入店する。

 まずは二人で青果コーナーに向かい、影太は麗花の指示で彼女から遠い位置にある青果を選別して麗花は鋳鶴に習った通り、ゆっくりと練り歩きながら様々な成果と睨めっこをする。

 影太は何か何が理解出来ない為、取り敢えず、麗花に野菜を見せては、拒否されれば同類の野菜をいくつも持っていき、彼女に選定してもらう。

 その速さすら高速で行う影太は店内に風を起こす事なく、特技の影這で野菜を売り場に返却している。

「はぁ……。肉料理は得意なんだがなぁ」

 麗花は溜息混じりに頭を抱えながらそう呟いた。

 常日頃、影太と一緒ではない麗花は気が向けばいつもこうして一人にスーパーに訪れると好物である肉を大量に購入し、自宅の冷蔵庫で冷凍保存している。

 学生の為、基本的に値引きでもされていなければ取らない様にしているのも麗花のポリシーだ。しかし、影太の為と言えど、魚料理を滅多に作らない麗花は日頃、肉を食べすぎている弊害か心なしか魚料理を苦手としている。

 影太の好みはきっと、刺身ではない。

 恐らく、煮付けだろう。天ぷらも思い浮かんだ麗花であったが、影太はあまりカロリーを摂取してしまう料理は好まない為、てんぷらを即座に除外し、まだカロリーの抑えられる煮付けを視野に考える。

「「煮付けはまだ早いよ。麗花は段階を飛ばしたいと思ってるかもしれないけど、料理とかに関しては僕も譲れないなぁ……」」

 申し訳なさそうに、鋳鶴にそう言われた事を思い出した麗花は煮付けも除外し、刺身にシフトしていく。

麗花は青果コーナーでの選定を終え、次の鮮魚コーナーに移動する。しかし、夕飯時とは言えない時間帯であり、冷蔵ケースに置かれている商品はどれも値が張る物になっている。このスーパーは21時に閉店する店であり、麗花が一人で来る日はいつも20時前後で値引き品も多い時間帯。

現在17時では、値引きされていたとしても刺身は本来高い商品ばかりであり、一人暮らしの麗花にとって刺身は厳しい所もある。

「……荒神……」

 影太は財布から五千円を取り出し、麗花に手渡す。

「お前!」

「……食事を振舞ってもらうのだからこれぐらいはな……」

 麗花はそれを受け取り、無作為にスカートのポケットに仕舞い込んだ。麗花は影太の思いやりに感謝しつつも苛立ちを若干覚えている。

 疑っている訳ではないが、もし、この金が、他人を盗撮したもので繕っていた場合、麗花はほぼ非合法の犯罪一歩手前と考えている彼の行いに加担した。と同意義になったとも取れてしまう。

 麗花はこの金は何で作った金だ。と影太に聞きたかったが、喉奥まで出かけたその言葉を飲み込んで胃に流し込む。

 激しい剣幕の後に、何かを飲み込んだ麗花の様子を見て。

「……商売の金ではない……。……そう思われると思い……。……ちゃんと俺の口座から降ろした金だ……。……流石にそこまで嫌悪に溢れ返った目で見られるとは思わなかった……」

「うっ!うるせぇ!そう言われると罪悪感増すだろうが!それに悪い事で金稼いでるなんて実感が多少あるならもうやるんじゃねぇよ……」

 麗花の一言で火が付いたのか影太は買い物かごを手にする彼女の手を取り、自身が引いていたカートに掛け、麗花の両手を取った。

 突然の影太の行動に、麗花は真っ赤になりながら、背筋を伸ばし、浮足立ってしまっている。

「……俺は、全ての報われない人間たちに写真を届けている……。……俺にしか出来ない仕事なんだ……。……あまり声を大にしては言えないが……、……お前には言えない様な要人も相手にして商売をしているのもある……。……だからおいそれと辞めると宣言したとしても辞める訳にはいかないんだ……。……分かってくれ……。……荒神……」

「わかった!わかったから!」

 土村影太は、女性に不意に触れた場合に鼻血を噴出する。麗花が幾度となく見て来たその光景は、一度も麗花という存在だけでは露わにした事がない。歩や詠歌のスカートが捲れる場合や彼女たちに触れられた場合でも影太は鼻血を噴出していた。

 だが、初対面の時から麗花では鼻血を噴出するという光景を見られていない。それこそ麗花が彼が唯一、鼻血を出さずに触れる事の出来る女性なのか、それとも女性と見られていないのか。麗花の中で鼻血を出されるのも度し難い事であるが、こうして家に呼ぶ様な仲になったのにも関わらず、自分には赤面は愚か、鼻血の噴出も見せない。

 確かに、歩と詠歌や副会長の涼子よりも麗花の胸は控えめである。あまり意識する事はなく、適材適所という言葉を脳裏に浮かべながら意識に入りこまない様にしていたが、麗花に対してはむしろ手を握って来る。という影太の信じられない行動が、麗花の心を搔き乱している。

 日ごろの態度から見て、影太にその気はない。という確信は持っている。性的な目で彼から見られても困りものだが、そうでなくても女性として意識されていない様に感じるから麗花の中では嫌な部類に入ってしまう。

 そう思う麗花ではあるが、彼女は今、影太に手を取られ至近距離で見つめられて多少の高揚感を味わっている。

 時折、歩と鋳鶴。詠歌と桧人のカップルを羨ましく感じる時も麗花にはある。特に歩と鋳鶴の丁度良い距離感を保ちながら公然のカップルと化した二人を見ていると麗花は二人の様な恋愛関係に憧れていた。

 羨望の眼差し、とまでは言わないが、世間で言うバカップルと呼称されるカップルの様に他人の前では密接な様子を見せず、外と内の世界を見計らって恋愛をしている。

詠歌と桧人はその逆であるが、詠歌の迫真の演技や挙動を見ていると、麗花はこうはなりたくないと思う事がある。

「あとは飲み物とか買って帰るぞ!帰って料理と体育大会の作戦会議しなきゃな!」

 麗花は照れくさそうに影太の手を振り落とし、衣服を整える。

 影太も籠をカートの下の段に入れ、麗花は速足に飲料コーナーに向かう。缶とペットボトル、そして紙パックの物と酒。と分けられた商品棚は非常に見やすく、麗花は2リットルのペットボトルが整頓されているコーナーの前に立つ。

「……それもそうだな……。……飲み物は水でいいのか……?」

「水でいいだろ?お前も居るんだし、ジュースはあんまり好きじゃないって言ってたし」

 麗花はジュースの入ったペットボトルを影太に見せながらそう言った。

「……確かにあまり好きではないが……。……たまにはそういうのも良いと思ってな……。……荒神が嫌なら大丈夫だ……」

「何だよ。じゃあ何が飲みたいんだ?それとも飲んでみたいって奴か?」

「……無難にオレンジジュースとかで頼んでも良いだろうか……」

「別に、お前がくれた五千円だし、ならオレンジジュースにするか」

 麗花はカート下段の籠にオレンジジュースとブドウジュースを入れて、影太に財布を預け、レジに並ばせて翌日の朝ご飯に使うパンのコーナーに向かった。

「……ま、待て……」

 影太の表情がいつにもまして不健康に青ざめる。

 そう。何を隠そう。

ここはスーパーである。スーパーである上に時刻は17時間程である。パートの方から学生バイトなどに交代する時間帯である上に、影太の眼前に広がるレジの担当者には若い女性しか居ない。加えてどれもハイクオリティで店長が選りすぐったメンバーにも見える。

「いらっしゃいませー」

 声質も悪くない。影太はそう思った。

 陽明学園の生徒だろうか、はたまた他校の学生だろうか、何にせよ影太は今、手元にカメラを所持していない事を後悔している。

 独り身の男たちに捧げる写真を、商売に使えるであろう写真を、スーパーの店員という身近でありながら、制服が存在する高尚な生き物を撮影出来ない現状に苛立ちを覚える。

 と、同時に若干、暖かくなってきた陽気に合わせて胸元のボタンが開けられ彼女たちの白い柔肌(影太視点)が露わになっていた。

 被写体を収めらないという怒りと、僅かに覗く柔肌を見て影太の鼻奥が徐々に熱くなっていく、気付いた時には時すでに遅し、影太の鼻から一筋の赤線が音を立てずに流れ出る。

 理性を多少は保っている為、噴出する事はなかったものの。陽明学園の敷地内だったのなら影太の鼻血は爆発していただろう。

 これが自由な校風の弊害か。と影太は声に出さず、思い出しながら、カートのハンドルを腕の血管が浮き出る程、強く握りしめた。

「……俺は忍……。……この程度で……!」

「あっ、お客さーんこっちどうぞー」

 鼻血を堪えている影太に明瞭な声が響き渡り、視線が自然と声がした方向に向けられる。

「……なっ……!」

 影太の事を呼んだのは、ギャル風メイクの女性だった。

それも影太基準ではあるが、非常に容姿に優れており、影太の鼻というダムはもう決壊寸前と言った様子である。

 スーパーの従業員というものはスカートでは成り立たない筈、という影太の常識を打ち破るかの如く、ジーンズどころかズボンではなく、彼女はそのギャル風メイクの顔に合致したミニスカートを穿いていた。

「おにーさん大丈夫?」

「……おかまいなく……」

「なぁにー?コミュ障?」

 彼女は容赦なく、カートの先端を引っ張り、無理矢理レジの横に付けさせる。麗花と似たようなタイプの強引な女性だが、彼女の脚に釘付けになっている影太は気が気ではない。

 影太が彼女の脚に見とれている間に彼女は黙々と商品をレジに通している。

(……素晴らしい脚だ……。……脚だけではない……。……ギャル風のメイクをする割には彼女の脚は美しくケアされ、整えられている……。……ギャップというものを感じさせ、更に性的な雰囲気を醸し出しているのが彼女の脚……。……全国のスーパーマーケットはこの様に女性従業員にはスカートを制服として支給すべきだ……。……しかし、ズボンも捨てがたい……!……スカートでは感じられないヒップラインの強調とその美しさを味わうのならズボンでなくてはならない……!……スカートはやはり素晴らしい……。……だがやはり、ズボンも素晴らしい……。……彼女の脚ならば、どちらでも最高の素材だろう……)

 影太が妄想を巡らせていると、財布以外の物がズボンのポケットの中に入っている事に気付く、影太は迷わず、ポケットに入っていた物を取り出した。

 彼のポケットに入っていた物は陽明学園の生徒手帳である。すかさずその生徒手帳を手に取り、取り付けられている機能を確認した。

 携帯電話としての通話機能と簡単なメールBOXなど、スマートフォンに近い陽明学園の生徒手帳には勿論、小型カメラ程度の機能なら備え付けられている。

 影太は躊躇う事なく、そのカメラ機能を瞬時に開くと同時に、シャッター音が鳴らない様に、端末の音量を下げた。

 そして画面の下中央部をタップして目の前の彼女を被写体として撮影する。までは良かったのだが、影太は背後で殺気に近い気配を感じた。

 そう。それはまごう事なき、麗花が放つ漆黒の意思とでも言えばいいのだろうか、影太の背後は彼の背筋が凍る様な景色に様変わりしている。

「ちょっとおにーさん。あーしの事撮った?」

「……!?」

「ねぇ。撮ったよね」

「撮ってたな。ばっちり撮ってた」

 麗花に背後から端末を奪われ、店員の彼女に投げ渡される。

 その様子を見て、影太は絶望感を感じたと共に、店員の彼女の指先に見とれている。見た目はギャルなのにも関わらず、ネイルもせず、綺麗に整えられた指先。先ほどの脚と同様、彼女のメイク以外と彼女自身のギャップに影太は、盗撮という事だけでなく、彼女に被写体としてカメラに収めたいと考えた。

「えー!あーし可愛いじゃん!おにーさん天才!?」

「は?」

「いや!こんなアプリも使わなくてあーしを綺麗に撮れるなんて天才じゃないの!?マジ天才だと思うんですけど」

 店員の態度を見て影太は麗花の漆黒の意思を無視し、彼女と会話をしようと前に出る。

「……もしよければだが……、……君は正式な許可を得て撮影したい……。……というか、させてほしい……」

「えー!?それってモデルとか?」

「……勿論……。……君に損はさせないし、俺の撮影でお偉いさんの目にかかれば……、……芸能界デビューも出来るかもしれない……。……ちなみに俺は、こういう者だ……」

 影太は財布かれ名刺を取り出して彼女に差し出した。

 名刺には陽明学園No.1の写真家。様々な映像機器に関する資格。そしてこれまでの仕事先や大きな取引先などが明記されている。

「おにーさん陽明学園の人なんだ!すごいじゃん!」

「……ありがとう……」

「何照れてんのっ」

 店員の彼女は勢い余って影太に触れる。

 流石の麗花もそれだけは不味い。と考え、声よりも先に体が動き出していた。しかし、彼女の指が影太に触れる寸前で彼の鼻のダムは決壊し、鮮血が勢いよく彼の鼻から噴き出す。麗花は影太の鼻血が彼女にかかる事を恐れて彼の首元に突如、ラリアットを叩き込み、影太を地面に叩きつけた。

「ちょっ!おねーさん!それはまずいし!」

「ちょっと紙借りるぞ」

「おにーさん死んじゃうし!」

 レジから飛び出して店員の彼女は影太の傍に寄り添って彼の額に右手を添える。すると影太は更に噴水の如く、大量の鼻血を噴出した。

「大丈夫!?」

「取り敢えず、触れてもらうのをやめてもらえればなんとか」

「ならそうするし!」

 彼女は影太に触れるのを止め、麗花に彼の事を一任し、再びレジを打ち始めた。麗花は彼を抱き抱えながら入り口のベンチで寝かせる。

 直ぐにレジに戻り、麗花は何事もなかったかのように影太の鼻血の付着した服装のままで会計を済ませた。

「あーしのせいでごめんなさい」

「いや、あれは仕方ねぇよ。アタシから言うのは嫌だけど、あいつはあいつの基準で言う可愛いとか美しいとか、兎に角、あいつ基準の琴線に触れればああなっちまうんだ。だからあんたが気にする事じゃない」

「そうなんだ。でもおねーさんは大丈夫なわけ?」

「アタシには慣れてんだろ。それにお洒落とかあんましねーし、女として意識されてないのかもな」

「そうかなー。やっぱりあーしみたいな女よりもおねーさんみたいに慣れた関係の方があのおにーさんも気張らずに生きてけるんじゃない?なんか手際の良さヤバいし、付き合ったりしてないの?」

「はぁ!?アタシがあんなのと付き合うわけないだろ!いい加減にしろ!」

 麗花は真っ赤になりながら彼女の言葉を否定し、そそくさと店から出て行った。

「あーしには見えてるよおねーさん」

彼女は麗花の走り去る後ろ姿を見ながら、影太よりも麗花の方が、今にも鼻血を出しそうな表情をしている。と思い。二人が彼女に、袋に詰めて手渡した血まみれのちり紙の塊を利用する客からは見えないレジの裏に備えられているゴミ箱に捨て、次の客のレジを通し始めた。

大変長らく?お待たせしました!ようやく10話一気に書けたんで本日から10日連続で投稿したいと思います!よろしくお願いします!

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