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優しい魔王の疲れる日々(リメイク)  作者: n
優しい魔王の疲れる日々(リメイク)2
21/42

第19話:魔王とはらぺこ長女

今回は望月家の危機と日常回です。鋳鶴不在で起きた危機が発生。その内容とは!そして望月家長女の恐子と長男の鋳鶴の会話も必見です。

「はぁ……はぁ……」

 望月家リビングにて、一人の女性が人としての一生を全うしようとしていた。

 リビングで大の字でうつ伏せになりながら鋳鶴の帰宅を心待ちにする余り、不安で飯が喉を通らない。という事は決してなかったのだが、鋳鶴の作る飯を咀嚼したいと、口が求め、彼女の胃袋は、男子高校生では考えられない調理技術で作り出すその味を求めていた。

 彼女は望月家の長女であり、両親が居ない間。年長者にして家の管理者に匹敵する権力を持つ女性。望月恐子だ。

「おい!恐子がもう限界だ。神奈、カップラーメンでもなんでも良い。取り敢えずあの馬鹿の腹を満たせるような食べ物はないか!?」

「杏子……。私は一応姉だぞ……。せめて姉を付けろ姉を……」

「やかましい!食い意地の張った馬鹿二人を管理してる私たちの身にもなってくれ!」

 大の字でリビングに倒れているのは恐子だけではなかった。彼女の反対側で陸上部の練習着のままひっくり返された亀の様に暴れているゆりの姿もある。

「お腹すいたー!恐子姉だけずるいー!私だって成長期なんだぞー!このやろー!」

「私だって永遠に成長期だぞこのやろー」

 ゆりは恐子の発言に耳を疑った。

 彼女の視線は実姉の胸部に向けられている。そして自分の胸部と比較して見るとあまりの違いに絶望してしまう。しかし、ゆりは恐子との年齢差を考えるという機転を自称殆ど筋肉になりつつある脳味噌から絞り出し、貧乳というコンプレックスから目を瞑る作戦をとった。

「二人とも落ち着いて!お兄ちゃんは今日、帰ってくるはずだから、それまで我慢できないかなぁ……?」

 と、二人を諭しつつも神奈は二人用の袋麺を沸騰した鍋に入れ、カップ麺の封を開けそこにお湯を注いでしまっている。

「なぁゆり」

「なぁに?恐子お姉ちゃん」

「ラーメンってよ。生で食ってもうめぇんかな」

「どうだろうね。生じゃなくてカチカチの奴だからどうだか分かんない。でもどのみち美味しそうだね」

「だろ?三分とか待ってたら、栄養失調で死んじまう」

「それはあるね。恐子お姉ちゃんとゆりの胃袋はもう限界だー!神奈ー!」

「二人ともごめんね。もうすぐ出来るからね」

 神奈の謝罪から数十秒、四人前のラーメンが完成した。ゆりが箸に手を伸ばし、目を輝かせながら一杯のラーメンを手に取った時には既に遅し、ゆりが手に取った丼にはゆりが食べようと手を合わせた時には空になっている。

「はえ!?ちょっと恐子お姉ちゃん!ゆりの分も食べた!?」

「だって食べるの遅いから、仕方ないだろ?」

「大人気ないよ!?」

「おいおい……。私たちは飢えで死にそうだったんだぜ……?ゆりが食べるの遅いもんだから喰っちまったよ」

「神奈ぁー!」

 ゆりが半ベソでラーメンを作り終えた神奈の腰に抱き着いた。

 これには神奈も困った様子で、実の姉が相手であるのにも関わらず頭を抱えている。

――――ゆりちゃん、ごめんね。どうやってお兄ちゃんは恐子お姉ちゃんのお腹を満たしていたのか気になって……、それにもう腱鞘炎になりそうなぐらい腕がおかしいの……――――

「神奈ぁー……飯ぃー……!」

「ひっ……!」

 ゆりだけでなく、恐子ですらゆりの腰に抱き着いて離さなくなっていた。杏奈が助けに入るものの弁護士の筋力では元全国最強の不良と現役運動部の女子高生の力には到底及ばない。

 神奈も二人の豹変した様子と食に対する執念に顔が青くなってしまう程引いている。

「やめないか!二人とも!訴えるぞ!」

「どうやって訴えんだぁ?私とゆりはただ、飯が食いてぇだけなんだぞ」

「そーだそーだ!」

 あまりの横暴加減に流石の杏奈も堪忍袋の限界か、二人を止める邪魔になる。と椅子の上に置いた六法を手に取った。

「おい。暴力は良くないぞ」

「そうだよ!杏奈お姉ちゃんは弁護士さんでしょ!暴力反対」

「恐子……、ゆり……、お前らという奴は!」

 杏奈の怒りが爆発寸前のタイミングでインターホンの音がリビングに鳴り響いた。神奈は何かを察してか、腰にぶら下がっている恐子とゆりを引きずりながら一目散に玄関まで向かう。

「いたっ、痛い!」

「実の姉二人を引きずる様になるとは、神奈が強くなってくれてお姉ちゃんは嬉しいぞ」

 神奈は二人分の体重を忘れ、インターホンを鳴らした相手に向かって飛び付いた。まだ誰かも分かっていないが、インターホンを鳴らした相手を信じて神奈と腰に抱き着いている二人は宙を舞う。

「ただい……!?ちょっ!どういう!?ぶべらっ!」

「お兄ちぁーゃん……」

「お帰り兄ちゃん、久しぶり」

「早く飯作れ、今すぐ」

 インターホンを鳴らしたのは何を隠そう鋳鶴だった。

神奈は鋳鶴が帰って来たという事を信じて二人を引きずりながら玄関に出て良かったと思っている。

 配達や新聞配達の人間なら確実に三人を受け止められなくて潰れてしまうだろう。という懸念もあった。が、昨日中等部で入院中の鋳鶴が誰かと戦闘している。という噂が立ったことから明日には退院していて授業や補習などを受けて帰って来ると考え、神奈はこれまでの生活苦を吹き飛ばすかの如く、鋳鶴に向かって飛び込んだ。

「三人は流石に重いよ!」

「そんなことはいい!兄ちゃん、ご飯」

「あぁ、早くしろ鋳鶴」

「もうだめ!お兄ちゃんが居ないとこの家駄目!」

「神奈以外、僕しかまともに料理出来ないもんね……。それにレシピの場所は教えてたけど、流石に量をこなすのはこの大所帯では無理だろうしね」

 鋳鶴は神奈を抱き締めて頭を優しく撫でながらそう言った。神奈は半ベソのまま鋳鶴に抱きしめられてご満悦と言った様子である。

「おい」

「だまらっしゃい!恐子姉とゆりには罰として二週間、神奈の言う通りにする罰を与えます!神奈だけでなく、杏奈姉や穂詰姉にも迷惑かけてるだろうし!分かった!?」

「に、兄ちゃん……。ゆりには部活が……」

「だまらっしゃい!部活と妹!どっちが大事なんだ!全く、今度から神奈以外の全員に僕のレシピを叩き込もうか!?」

「「ご、ごめんなさい」」

 恐子とゆりは同時に鋳鶴と神奈に頭を下げた。その様子を見て杏奈は、玄関の中で抱えていた六法で自身の顔を隠している。

「杏奈姉もちゃんと手伝ったの!?」

「はい!手伝いました!皿洗いや!風呂掃除など!神奈さんと鋳鶴さんが居ない間はそうしておりました!」

「杏奈姉はリビングに戻ってよろしい!」

「はっ!ありがたき幸せ!」

 杏奈はホッと息をつくと、リビングに戻り、そのまま六法を広げた。

「穂詰は、穂詰は家事やってないぞ」

「穂詰姉は僕の治療で忙しかったからいいんじゃいっ!二人とも!ご飯抜きの方は良かったかな!?」

「それは二人が可哀想だからやめてあげて……」

「まぁ……、神奈がそう言うなら」

 恐子とゆりは鋳鶴が居ない間、自らの行動を省みた。がこの二人の頭に反省の二文字はなく、どちらかと言えば、鋳鶴(兄ちゃん)は神奈の肩を持ちすぎ。依怙贔屓とはこの事か?と考えている。

 だが、二人には鋳鶴が本気で激昂した時に必ずする作戦がある。それは

「「ごめんなさい」」

 先ほど、謝っておいて落ち着いた頃に再び頭を下げる事である。そうすれば、玄関を破壊しようが、ご飯を残そうが、寝坊しようが許されてきた。

 少なくともこの二人の頭の中ではそうである。

「駄目です。謝る事は大事だけど、それで罪が軽くなると思わないでいただきたいですね!長女と七女がこれじゃあご近所さんに顔向けできないじゃない!」

 てめーは母親か?と恐子は思い。同時にゆりは、今日の鋳鶴兄ちゃん厳しすぎない?と思っていた。

 しかし、このまま鋳鶴が二人を許さなければ平穏な食事が出来ることはないだろう。ひいては食事すらさせてもらない可能性もある。

 二人は目を見合わせて互いに、サインを交換した。

「本当にすまなかった。鋳鶴、お前の苦労もわかったし、神奈を頼りすぎた私も悪かった。許してほしい」

「ごめんね。神奈、鋳鶴兄ちゃん。私は部活が忙しすぎて二人を手伝う暇もないから、それに家ではゆっくりお休みしたいし」

(ナイスだゆり。これには鋳鶴も私たちがちゃんと反省していると思うだろう。これはもらったな)

(流石、恐子姉ちゃん。私と考える事が一緒だ!尊敬しちゃうし、ナイスな協力プレイって感じ!)

「なら二人には今から、風呂掃除と、トイレ掃除をしてもらいます」

「「え?」」

「え?じゃありません。神奈のいう事とそれを一週間するのが二人に与える罰です!日頃から悪行三昧の二人にはまだ優しすぎると思います!」

「まぁ、飯が食えないよりはましだ……。それに能力を久々に使ってみる事も出来るしな。なら早速、私とゆりで風呂掃除とトイレ掃除をしよう」

「はい!多大な罰の減縮!感謝感激雨あられです!」

「今日の夕飯は中華にするつもりだから、二人が終わったら食べようね」

 鋳鶴が説教を続ける間、神奈はずっと鋳鶴の懐の中で撫で続けられていた。多幸感と疲労からか、神奈は鋳鶴の手の中で眠っている。

 鋳鶴は自分の代わりを務めた神奈に感謝しながら彼女を起こさない様に優しく包み込む様に抱えて彼女の自室まで送った。




「もう大丈夫なのか?」

「うん。もう大丈夫だよ」

 鋳鶴は中華鍋を杏奈の前で返し、身体の回復を披露する。嬉しさ反面、不安反面の杏奈にとっては鋳鶴がそのままで帰って来たのが一番、嬉しい出来事であった。

「同じ科の上級生にやられたんだろう?私が弁護してやろうか?」

「いいよいいよ。それにその人とはもう仲直りして一緒に体育大会に出るからね」

「何だと。昨日の敵は今日の友。という奴だ」

「おおむね合ってるけど違うかなぁ。昨日の友は今日も友ってことを再確認出来た感じだよ。その子の悩みとかは解決出来てあげてないけどね」

「お前がそうならそれで良い。死の淵から帰還した事のあるお前なら喧嘩ぐらいどうって事ないはずだろうしな」

「そうだね。それに体育大会で優勝しちゃうかもしれないし!それどころじゃないよ」

「普通科が魔法科や結の所に勝てる可能性があるのか……」

「限りなく0に近いけどね。でも0じゃない。可能性だってあるから、僕や普通科のメンバーは足掻き続けるよ」

「今日も梓はアメリカ、真宵は仕事。結は学園に泊まるそうだ」

 黙々と話す杏奈の態度に感謝しながらも鋳鶴はその三人の名前を耳にした途端、中華鍋を振る手を止めてしまう。

 欲を言えば、全員揃って食事をするのが理想だろう。

 杏奈は鋳鶴にそう漏らしてしまった事を失敗と思ったが、鋳鶴はしばらくして再び、中華鍋を振り始めた。

 言わずもがな杏奈もそう望んでいる。日頃、リビングで暴飲暴食の限りを尽くす恐子や神奈、そしてゆりと穂詰も両親含めて全員どころか姉妹がそろった事はここ数年で一度もない。

「梓姉もずっと忙しいもんね」

「さぁ?私にはあいつのやってる事は理解できない」

「杏奈姉で分からなきゃ僕も分からないさ。真宵姉は最年少で軍の将軍でしょ?そりゃ忙しいよ。結姉は別として、やっぱり全員揃うって言うのは難しいね」

「真宵と結に関しては鋳鶴が懇願でもすれば直ぐにでも帰って来ると思うけどなぁ。まぁ自主的に帰ってきて欲しい事を優先すればその手は取れないがな」

「それって僕が何されるかわかんなくない!?嫌じゃないけど嫌だよ!?」

「真宵と結は鋳鶴にゾッコンラブだからなぁ……。小さい頃からお前を巡って勝負とかしていた二人が懐かしいよ」

「ずっと真宵姉が勝ってたのは僕も覚えてるよ。その度に僕が結姉を慰めてたっけ」

「あぁ、お前が甘やかすもんだから結も調子に乗って真宵と争う事を止めなかった。一番超えるべき高い壁だとも言っていたしな」

 幼い頃、あまりにも弟を溺愛していた二人の姉はその弟を巡って幾度どなく争いを望月家で繰り広げていた。

 上の方の姉はいつも弟を独り占めしては、その様子を下の妹に見せつけている。という状況だった。

 弟が家事をすれば、それを献身的に手助けし、その報酬に弟からのキスを頬に、手助けの見返りとして求めていた。

それだけでなく、上の姉は、弟が物心つく前から、毎日欠かさず共に風呂に浸かり、背中を流す関係でもあった。

上の姉の母性は留まる事を知らず、弟の初めての制服を買う採寸までも彼女が行っている。

幼い頃から溺愛している弟の世話をする上の姉に、下の姉は劣等感と嫉妬を抱き続けていた。

下の姉も弟を溺愛する気持ちは彼女と変わりなかった。が、決定的に足りなかったのは年齢と経験の差である。

上の姉と下の姉の年齢差は4歳。その4年というオリンピックの開催期間程しかない差であっても二人の差は明確であった。

 何をしても下の姉は上の姉に負け続けた。上の姉に、弟離れしろ。と言いながらも自分が弟という存在を独占する為に下の姉は上の姉に牙を剥き続ける。

 その関係性は今も変わっていない。弟が傍に居ないという代わりに、上の姉は日本の誇る最年少女性将軍となり、下の姉は陽明学園最高学科の魔王科で生徒会長を務めている。

 二人は容姿も目つきも正確も弟の知る昔の二人とは違う。が、二人が今も尚、変わらない所があるとすれば、それは今も変わらぬ弟への愛情だろう。

 将軍になっても上の姉の職場には弟の写真楯が飾られている。下の姉も生徒会室の会長席に弟の写真楯を飾っている。

 二人の職場、その他の生徒たちも弟への溺愛ぶりは伝わっており、それが周知の事実だ。と同時に二人はそれぞれの立場から下の者達への声援を貰い。今日もそれぞれの職務を全うしている。

 真宵は剣道を習った。と同時に結も剣道を習った。真宵が剣道で結果を残す度に彼女は鋳鶴から褒美と称して何かを彼から授かっている。

 手編みのマフラーから、髪飾りから所持している鞄まで鋳鶴が製作した自信作だ。それを目の当たりにしていた結は彼女に負けじと剣道を初め、彼女と同様に鋳鶴から手作りの何かを貰っている。

 二人はそれを愛用する事もあれば、余りの精巧さと弟への愛から未使用の代物まである。異性同性関わらず好意を抱かれる二人は人から贈り物を受け取る事が多い。中にはブランド物から数百万はくだらない代物まで彼女たちに送られるが、その贈り物たちは全て彼女たちが溺愛する弟が製作した物の足元にすら及ばない。

 贈り物内容は二人にとってそこまで重要なものではないのだ。二人にとってそれは弟から貰うか、それ以外の人間から貰うかの違い。

 真宵は勲章よりも鋳鶴からの贈り物を大切にし、今も机の引き出しに収納してある。

「二人の活躍は嬉しいけどね。それ以上にあそこまで火花を散らされると、僕としてはちょっとねー……」

「お前のせいでああなったまであるからな。でもお前の為に家族が成長することは悪くないと思いたい。真宵の給金は父さんと母さんには及ばないが、この家で三番目の稼ぎには違いないからなぁ」

「でも手紙の一通や二通は寄越してほしいよね。電話とかこっちからした方がいいとは思うけどさ」

「いや、それは駄目だろ。真宵はいつも凛々しい奴だったけど、鋳鶴が絡むと駄目になる奴だったからな、鋳鶴が絡んだ時のあいつは酒が絡んだ穂詰よりたちが悪い」

 杏奈の解釈に確かに、と言わずに相槌をうってしまう鋳鶴。杏奈もそうだろう?と小声で居ながら鋳鶴と相槌を打っていた。

「だぁ~れが!真宵ぐらいたちが悪いですってぇ~!?」

 リビングの扉越しに玄関から、他所に聞かれたら近所がざわつくぐらいの大声を穂詰が出していた。

 家の中まで響く大声に談笑していた鋳鶴と杏奈は扉を蹴破る勢いで開け、玄関に向かう。

「うぃ~……!穂詰ちゃんのお帰りだぞぉ~!」

 完全に酔いが回った状態の穂詰がいつも通り衣服を着崩しながら玄関の段差に凭れ掛っている。鋳鶴は彼女に玄関に備え付けていた毛布を手渡し、覆い被せる様に上からかけた。

「あれぇ~?鋳鶴だぁ~。どうしてこんな所にぃ~?」

「穂詰姉がもう大丈夫って僕を送り出したんでしょうが……」

「穂詰、立てるか?」

「あ~、杏奈姉だぁ~。かっこいい眼鏡の人かと思ったぁ~。でへへ。今日も遅番生徒さんに押し付けちゃったぁ~」

「うわっ!やっぱ酒臭!」

 鋳鶴が杏奈と協力して穂詰を起こそうとすると、酔っ払った穂詰の息が鋳鶴の鼻を襲う。穂詰は鋳鶴に胸を押し当てながら、押し倒すかの様に鋳鶴に凭れ掛っていく。

「ちょっと!危ないよ穂詰姉!」

「えへへ~。今は鋳鶴の方が大きいからお姉ちゃんも受け止められる男になったもんね~。このこの~」

 杏奈が穂詰を鋳鶴から力ずくで剥がし、お姫様抱っこで彼女を抱き抱えた。

「全く、穂詰は私が風呂まで運んでおく、鋳鶴は夕飯の続きを頼む。はぁ、本当に酒臭いな」

「えへへ~。ごめんね~」

 穂詰は笑いながら杏奈に風呂場まで運ばれて行き、鋳鶴は一命を取り留めた。そしてキッチンに戻ると、そこには調理中だった中華鍋を貪る恐子とゆりの姿があった。

「あ」

「え」

「二人とも……」

「すまん。つい」

「ごめんなさい……」

「まぁいいよ。既に冷蔵庫に入れて置いた分があるし、二人がつまみ食いする予想だって出来てたし、怒ってないし」

(「ゆり、あれは怒ってるな」)

(「兄ちゃん激おこではないけど怒ってると思うよ……」)

 恐子とゆりは鋳鶴に気付かれない様に小声で彼の目の前で耳うちする。

「いつもなら怒ってるけど、二人は最初に謝ってくれたし、そこに免じて僕は許します。ちゃんとお風呂とトイレも掃除してくれてたみたいだし、許す許す」

(「あれ許してないよな……?」)

(「うん……。私もそう思うよ……!」)

「二人とも!内緒話しない!今度は料理を並べてもらうからね」

「お兄ちゃん、私も手伝うよ」

「駄目。神奈は休んでて、腕の調子も良くなさそうだし、穂詰姉に見てもらってからね」

「うん。ありがとう」

 神奈の苦労を労う様に恐子が神奈の頭を強く撫でながら腕を見る。鋳鶴は二人の様子を見てゆりをキッチンに連れて行き、二人きりにした。

「私にはどうなってるか分からんが、穂詰が見るまでに痛みを和らげるぐらいは出来る。母さんの見様見真似の様なものだが」

「恐子お姉ちゃん……」

「何だ。私じゃ不服か?」

「ううん……。やっぱり皆でご飯食べたいよね……」

「そんな事か。当たり前だ。そんでもって全員の飯を私が平らげてやるさ。お前が気に負う必要もない。梓や真宵は兎も角、結が帰ってこないのは困ったものだがな」

「お兄ちゃんをどうするつもりなんだろう。私、怖いよ……」

「大事丈夫だ。私と弟であり、神奈の兄なんだぞ?そんな鋳鶴が結に負けると思うか?確かに、結もかなり強い。でもあいつは望月鋳鶴だ。他の誰でもない。最も結の弱点であるのが鋳鶴だからな。神奈が怖がる事なんて何一つ無い。仮に結が鋳鶴を殺そうとすれば、私があいつの手から守るさ」

 恐子は自分の手を見つめ、神奈と目を合わせた。

「あんまり思い詰める様な事じゃない。そんな事より神奈の手首の方が大事だからな」

「お兄ちゃんが居ない時があるから?」

「いや?確かに、鋳鶴が居ない時は神奈にこれからも飯を作ってもらうかもしれんが、今回みたいにどうしても無理だと思った時には私に言ってほしい。うちの店員を呼び出してでもここで作ってもらうからな」

「いつか、私もお兄ちゃんみたいに恐子お姉ちゃんの胃袋を満足できる様になれるのかなぁ」

「成れるさ。というか成って欲しい。というのが私の切なる願いだ」

「どうして恐子お姉ちゃんは恐子なんだろうね」

「どうしたいきなり」

「だって私たちの名前はお父さんとお母さんが適当につけたわけじゃないんでしょう?だったらどうしてお姉ちゃんは他の京子さんとか恭子さんじゃなくて他に居ない恐子って名前なんだろうって思って」

「あぁ、母さんから聞いた事があるんだがな。私たちの名前はそれぞれ二人の願いが込められてるみたいな事を言ってた気がするんだよなぁ。私で言うと、誰もがその子の何かを恐れる様になってほしい。みたいな。神奈はー……。何か神様と崇められるぐらい可愛い女の子になってほしいみたいな感じだったと思うぞ」

 神奈は恐子に抱き着いた。しばらく、そのまま動かず、恐子の温もりを感じている。抱き着かれた恐子もそのまま動かず、神奈の心境を察し、彼女の頭を不器用な手つきで撫でる。

 その撫で心地がよかったせいか、神奈は彼女の胸の内で眠ってしまった。

 神奈が眠りに入ったタイミングで鋳鶴が二人の元に現れる。

「飯は出来たか?」

「うん、ばっちりさ」

「神奈が寝てしまった。どうすればいい?」

「恐子姉はそういう事やったりしなさそうだしなぁ」

「私はいつも寝る側であり、世話をされる側だからな」

 神奈を片手で抱き抱え、もう片方の腕は腰に当ててこれ見よがしに胸を張る。鋳鶴は軽い溜息をついて恐子に人の抱き抱え方を教えながら、神奈を部屋まで送り届けた。




「ふぅ、ごちそうさま。私が神奈の分の料理を運ぼう」

 杏奈は食事を終えるとトレイに乗せた神奈の料理を運びに行った。

 ゆりは先ほどの罰によって鋳鶴に一から皿洗いを習い罰に応じている。リビングには全員が食べ終わるまで待っていた鋳鶴と、今も尚食べ続ける恐子の姿があった。

 鋳鶴が何かに手を付けようとしようものなら、恐子の箸が目にも止まらぬ速さで鋳鶴が狙いを定めた食材を掠め取っていく。

「やるなぁ」

「ふっ、鋳鶴の箸捌きも中々だがお前に食べ物を取られていては私の名が廃ると言うもの」

「ただ食い意地が張ってるだけじゃ……」

「上等だ。食い意地張ってるってのは褒め言葉だしな」

「褒めてないよ……」

「うるさいぞ。これも鍛錬だ鍛錬」

「「大変だな」」

 鋳鶴の頭に突如、おっさんが入り込んだ。

「「見てないで助けてくださいよ!」」

「「いや、家族水入らずの時間を台無しにしてはいけないと思ったんだがな」」

「「このままだと自分でまた作らないといけませんからね。どうにかならないものかと」」

「「俺の力を借りてまでする事かね……」」

 おっさんは鋳鶴の視線越しに周囲の風景を覗いた。ぎっしりと几帳面に整えられた本棚に一般宅には似つかわしくない大量のトロフィー、望月家は広大なため、リビングのみならず、リビングの直前に差し掛かる廊下にも大量のトロフィーや楯が飾られている。そして風呂やトイレ、キッチンなど、おっさんは鋳鶴が清掃する場合にそういう景色をまじまじと見つめた。

 しかし、おっさん自身、鋳鶴が姉妹の部屋に洗濯物やごみ掃除などに向かう場合は一切の視界を閉じ、鋳鶴に話しかけると言った行為もしない。

 鋳鶴の家族を観察していると、初見では家族に偏見や鋳鶴に対する気遣い、というよりも哀れみという感情を持っていたおっさんだったが、彼と姉妹たちの関係性を見るにあたって興味が沸いてきた次第でもある。

「「望月恐子は、君が食べようとした食材を先に奪うんだろう?弟の事を気遣っている様な素振りを見せて置いて、自分に灸を据えた君に仕返しという節もあると思うが、俺の見解はどうかね?」」

「「大方合ってると思いますよ。いつも通りですし、おっさんもようやく僕の姉たちに慣れてきましたか?」」

「「全く持って慣れたくはないがな。恐子の食への欲望は正直に言うと狂っている。人間の食事による摂取量の基準値を遥かに超えている」」

「「まぁ恐子姉は魔力の塊のような魔力量とかしてるしね。母さんと同じ魔術を使うから消費カロリーもそれに匹敵するはずですからね」」

「「だからか、彼女の身体から魔力が迸っているからな。それもそうか」」

「「それで助言はないんですか?」」

「「特にはない。が、君はあまりにも真っ直ぐに総菜を狙うからよくない。彼女は君の性格を考慮して箸を伸ばしている様にも見える。たまには趣向を変えてみてはどうかな」」

「「総菜取るのにも気を配らなくちゃいけない世の中だなんて」」

「「そんな世の中あってたまるか、望月家だけで十分間に合っている」」

 おっさんの助言通りに鋳鶴は目線と箸先だけ同じ食材を狙う。そして心は次の獲物を狙う為に別の食材に狙いを付けた。

 鋳鶴の視線と箸先を瞬時に見分け、恐子はその先に向けて箸を伸ばす、狙いは餃子。望月家全員の大好物である。しかし、鋳鶴の心はその隣にあるエビチリ目掛けて念を押し続けていた。

 恐子が先に餃子を掴んだ瞬間に鋳鶴は視線と箸先を切り替えてエビチリに向けて箸を伸ばす。

「何!?」

「もらったぁっ!」

 鋳鶴はエビチリを掴んで見事にそれを引き上げた。恐子と鋳鶴の狭間でエビチリはまるで生きた海老の様に跳ねている様にも見える。

 エビチリのチリソースを机に飛ばしながら、鋳鶴は一気にエビチリを口に含み、咀嚼した。自分で作ったのにも関わらず、チリソースの辛味の後に来る甘味、今日のエビチリは上手く出来た。という感情を持ちながら、恐子から食べ物を奪取した喜びを噛み締めてエビチリを味わう。

「私が、食材を奪われるとはな……」

「油断したな。恐子姉!僕は確かに、餃子を食したかった。だが、僕は貴方の目の前で食べるという事を重きに置いた!箸捌きと食い意地では貴方に勝てない僕は、どうしても貴方に間違えて餃子を取ってもらう必要があった。だから僕は目線と箸先を餃子に向けた!恐子姉に分かる様に!心はエビチリを選択していた。これは納得のいく勝利ではないが、僕の勝ちです」

「好きにしろよ……。食べ物でムキになりやがって」

「恐子姉、それは流石にブーメラン飛んでるよ……」

 恐子の視線は依然気になるものの鋳鶴は彼女の視線おかまいなしに食事を進める。恐子は珍しくテレビを見る事なく、鋳鶴の食事風景を見つめていた。

「ねぇ恐子姉」

「なんだ」

「そんなに見られてると、こっちも食べにくいんだけど……」

「私に構うな。お前は好きに喰えばいい」

 そう言いつつも恐子は鋳鶴の食事風景を眺めながら垂涎している。鋳鶴も悪気はないが、恐子は勝負に関してはプライドを大切にするため、このまま鋳鶴が食事を終えるまでは自分は一切、箸を握らず、丼を持たずと心に決めていた。

 長女としてのプライドもあるが、少なからず彼女も鋳鶴の食事風景を眺める事にとって食材を独占するよりも分かち合う事の大切さを理解しようとしてくれている。のかもしれない。と鋳鶴は思っていた。

「お前には、苦労をかけるな」

 恐子は垂涎した涎をふき取り、神妙な面持ちで鋳鶴の目を見た。

「何?藪から棒に、どうかしたの?」

「母さんが帰ってこない事もあるが、罰として家事をしてみて分かったことがある。お前はこんなに大変な事を一人で切り盛りしていたんだな。と」

「熱でもあるの?」

「ない。だが、お前への恩義は多少なりともある。私は長女でこの家の管理者という立場にあるはずだ。しかし、私は自分で鋳鶴のやっている様な事しなかった」

「でもこれからもするつもりは?」

「ない」

「えぇ!?結局やらないの!?」

「あぁ、めんどくさいからな。それに私は一応、社会人なんだぞ?あまり時間が無いんだ。それにお前のポジションを奪う訳にはいかないさ。望月家で最もアイデンティティが無い。と思っていたが、お前は私たちのために家事を極めようとした。私はこの家の守り、杏奈は知恵。穂積は治療。真宵は武力。みたいなものかな。梓は頭脳。結は名前の通り家族が離れない様に結び、ゆりは元気、神奈は癒し、そして鋳鶴が優しさ。それぞれに役割があり、それを担う存在だ」

「大層真剣に話してる様に見えるけど、本人のせいで言葉が入ってこない……。それに僕は優しいとかいう括りじゃなくて家事手伝いの括りだと思うんです」

「まぁ何だ。お前も私にとっては欠かせん家族だ。だから、変に怪我を負ったり、帰って来たりしないと不安になる。お前の夢とかやりたい事はしらんが、その身あっての夢であり、理想なんだ」

「何だよ……。恐子姉がかしこまってるのを見ると、どうすればいいかわかんなくなってくるよ……」

「姉として振る舞ってはダメか?」

「駄目じゃないけど……」

「一応、社員とかの教育もしているんだぞ。そりゃあ生徒会長とか軍人と比べられたら困るが」

 普段の横柄で横暴な態度は今日の恐子には見られなかった。彼女なりに鋳鶴の容体も気にかけているのだが、今の鋳鶴は自分の容体を気にするよりも恐子の生半可ではない慈悲に満ちた対応を受けて戸惑いを隠せないでいる。

「ゆりも恐子姉も僕の事を心配しれくれてるから、わざと怒らせたりしてたりする……?聞くのは無粋だと思ったけど……」

「それもあるが、私たちはそこまで普段と変わらない。気遣おうとしたら寧ろ空回りするだろうし、それに鋳鶴も気遣われるのが嫌いなんだろ?それで私にそう質問してるならとんだ自意識過剰って奴だ」

 恐子は意地悪く、鋳鶴に向かって微笑みかけた。

 彼女も彼女なりに、たった一人の弟として彼を気にかけている。不器用な自分に出来るのは弟を普段と変わらず対応するだけ、ゆりも恐子だけにしか見えない鋳鶴の背で親指を立てていた。

 鋳鶴は気だるげに小さく溜息を吐いてゆりの隣に歩み寄って皿洗いに参加する。恐子は二人の様子を見ながら食後のデザートである饅頭を口がハムスターの様に膨れる程いっぱいに頬張った。

「兄ちゃんが居なくて一番悲しんでたのは神奈なんだからな!」

「ごめんごめん」

「父さんや母さんが居ないのはいつも通りだし、真宵姉と結姉も居ないのはいつも通りだけど、兄ちゃんが居ないのはいつも通りじゃないかんね」

「何だ!ゆりも心配してくれてたんだ」

「なっ!そういう事じゃないよ!私は心配してない!兄ちゃんが怪我したって神奈が悲しんでたからだよ!私は部活でいっぱいいっぱいだから!」

 ゆりが焦って早口になる時、決まって何かに配慮する場合の態度という事を鋳鶴は理解している。結が帰省しない。という宣言を耳にした時も鋳鶴に秘匿にしようとしたゆりは早口になってしまい鋳鶴にその事を秘匿とする事に失敗してしまう。

 故に豹変した態度を見せるゆりは鋳鶴に隠し事が成功した事が無い。兄に報告を躊躇うような内容の大多数は先に神奈だけには相談しておき、黙っておく、というのがゆりなのだが、その大多数の隠し事を神奈によってこっそり白日の元に晒されてしまうのである。

「でも……、私だって心配してるのは分かってほしい!私、馬鹿だからこんな言い方しかできないけど、お姉ちゃんは沢山居ても!兄ちゃんは一人だけだから!」

「ゆり……」

「それに、コンビニのご飯とか学校のご飯も決してマズいとかじゃないんだけど、兄ちゃんのじゃないと力入んないしさ。いつも思うんだけど、兄ちゃんって女の子だったら凄く良いお嫁さんになっただろうね」

「なして……?」

「だって家事が出来て、機械いじり以外は大体熟せるでしょ?頭も普通ぐらいだし、ピアノも弾けるし、兄ちゃんが女の子ならそれこそ私たちに似て美人だろうし!」

 ゆりは鋳鶴の顔から足先までを舐め回す様に見回し、カメラのフォーカスを合わせる様に両手で枠を作り、鋳鶴の顔をその中央に置いた。

「うん。絶対美人さんだよ。私が保障するかんね!」

「そう言われてもなぁ……」

 自分に女装する機会など訪れないだろう。と思っている鋳鶴は怪訝そうに答えた。

 ゆりと会話を交えているうちに皿を片付けた鋳鶴は恐子の前の席に腰掛け、リモコンを手に取り、テレビを点けた。

 この時間はいつもバラエティー番組やクイズ番組が放映されている。鋳鶴のお気に入りはアニメーションの為この時間帯は他の姉妹たちの独壇場になっている。

「グルメ番組にはするなよ」

「はいはい」

 恐子はグルメ番組を視聴するだけでも空腹状態に陥る。そんな彼女を放置し続けると、たちまち冷蔵庫の食料や鋳鶴が隠していた食材までもが彼女によって食い尽くされてしまう。

 恐子が意識していない場合などではグルメ番組のチャンネルであったとしても彼女は空腹状態に成る事はない。が、一度そのスイッチが入ってしまっては家族総出で彼女の行動を抑制する羽目になる。

「お兄ちゃん、ごめんなさい」

 ゆったりとした姿勢で腰掛けながらテレビを視聴していた鋳鶴に聞き取れるか分からない様な小声でリビングの外から神奈が額だけを覗かせてそう呟いた。

「いいよいいよ。疲れてたもんね。御迷惑をおかけしました」

「ありがとうー!」

 神奈は鋳鶴の謝罪を聞くと、勢いよく飛び出し、鋳鶴の隣の席に腰掛けた。

「全く、神奈のテンションもどうにかなっているのか」

「えぇー。杏奈お姉ちゃんだって喜んでたじゃん。お兄ちゃんが帰って来るって聞いて飛び跳ねながら喜んでたよ?」

「うっ!うるさい!皆だって心配してただろう?」

「いや?」

「なんで?」

 頬を赤らめて激昂寸前の態度を見せる杏奈に対して、恐子とゆりはあまりにも無慈悲な返答を返す。杏奈は神奈に抱き着いて助けを求めた。

 普段の杏奈なら絶対に見せる事のない安堵の態度と半ベソの表情は思わず鋳鶴の頬を緩ませる。

 ここ最近、鋳鶴は男子高校生としての日常ではなく、戦士としての非日常を歩む事が多かった。それ故にこの望月家での日常が少なからず今の鋳鶴には平穏な日々に感じられている。

 誠、縒佳、ノーフェイス。その三人との戦いで鋳鶴の心身は少なからず蝕まれていた。戦闘という非日常に慣れてしまうという訳ではなく、自分がより魔族という存在の深い沼に嵌ってしまいそうな気が少なくともある。

 おっさんが原因ではなく、自分から、彼の力を使い熟そうという使命感と、その力が無ければ誠たちの足元にすら及ばないと知った自分の弱さに鋳鶴は呆れ果てていた。

 と同時に、まだ全身にはまだ表れていない魔族の証である刻印の事も同時に鋳鶴は考えている。

 あれが全身に浸透し、人目につく可能性があるとするなら、鋳鶴自身も魔族と判別され、様々な人間に後ろ指を刺され生きる事になるだろう。

 そうなった暁には自分の眼前に広がる光景はなくなる。と考えながら、鋳鶴は茶を一口だけ口に含んだ。

「ちょっとちょっとちょっと!皆!ニュースつけて!ニュース!」

 風呂場から妙な奇声を上げながら真っ裸にタオルを巻いた状態の穂詰がリビングに顔を出した。あまりの勢いにタオルがはだけ、彼女の白玉の様な肌が所々顔を出している。

「いぇーい!ピースピース!娘たち!息子たち!見てますか!?パパですよ!ともかくですね。もうすぐ家に帰れそうですから、雅にもよろしく言っておいてください!」

 穂詰の一言で鋳鶴はリモコンを取り、ニュース番組にチャンネルを変更する。

テレビ局の外での撮影だったのだろうか、その中継中にモデルの様な細い体形に、後頭部で髪を束ね、黒縁眼鏡を掛けた男性がスタッフからカメラを取り上げ撮影していた。

 画面の右上には明日の天気予報というテロップが現れている。左下には大まかな全国の天気予報の図、近くでは女性アナウンサーだろうか、女性の悲鳴もともにマイクが音を拾ってしまっていた。

「ちょっと困ります!霧谷さん!」

「ごめんね。ちょっと携帯の契約切れちゃってるみたいで大臣も僕に協力してくれるって言ってる筈なんだけどなぁ」

「それでも困ります!放送中なんですよ!」

「という事で全国の番組名なんだっけ?報道ナイト?はいはい。報道ナイトファンの皆さん。本当にごめんなさいね。悪気はなかったんだ」

 霧谷は謝罪を述べてカメラマンにカメラを返し、アナウンサーにも誠意をもって対応した。この番組は報道番組でありながら、テレビ画面下部にトイッターと呼ばれるSNSから視聴者からのリアルな声もお届けしている。

 全国の夕食時の放映に報道番組というジャンルにも関わらず、平均視聴率が9パーセントを越えていると言われる脅威の報道番組だ。

 それに加え本日は霧谷の出現により、視聴者からの声が鳴りやまない。

「全国の望月霧谷ファンの皆には申し訳ないけど、僕の住所特定とかしない様にしようね。流石に家族が困るだろうしね」

 そう。全国放送の大人気報道番組の気象予報コーナーを邪魔した眼鏡の男は、望月霧谷。望月家、真の家長にして人類が誇る最強の男である。

 世界を転々としている彼は不定期で望月家を訪れるため、誰も気づかず帰省する事も多い。あまり帰省しない上に、雅と比べ趣味が思春期の娘たちには嫌われる様なメイド喫茶通いや深夜アニメの視聴を辞めないが為に娘たちからは若干の嫌悪を受けている。

「生きてたのか……」

 自分の父がまだ存命という事に驚愕する恐子。

「うへー……、また皆に父さんの事言われるー!」

 神奈はその存在を軽くではあるが、忌み嫌い。

「そんなのいいじゃん!歓迎しようよ!あ、神奈風呂入ろ」

 ゆりは父の事を気にせず、神奈の精神面を安定させようと入浴に誘い。

「頭痛くなってきた。鋳鶴、片付けとかは任せていいか……?」

「いいよ。杏奈姉もありがとね」

「すまん……」

 杏奈が頭を抱える様な問題児でもあり。

「まさか、こんな何もない時期に帰って来るとか寄越すだなんてねぇー」

 穂詰はタオルをはだけさせ、右胸を露わにしたまま風呂上りの一杯とこの報道心から楽しんでいた。これには流石の鋳鶴も心を鬼にして服を着る様に示唆する。

「父さんがこんな時期に帰って来るなんて何かあったのかな」

 鋳鶴はそう呟いて父の帰省を喜ぶと共に気がかりが胸に閊えたままその日を終えた。



―――――朝――――――



 いつもと変わらぬキッチンに漸く戻れた事に歓喜した鋳鶴だが、本人も気付かぬ溜息も漏らしていた。

 保健室での生活は快適ではあったが、快適であると同時に己の心身を治療はするが、そこの沁みついた技術を枯渇させる。自分の弱さが招いた結果だが、少なからずあの生活に戻りたいと思う鋳鶴も居た。

「おう。おはよう」

「おはよ……?恐子姉!?」

「何だ。たまげた顔をして」

「いや!まだ5時ですけど!?」

「私だってたまには早起きすることぐらいあっちゃ駄目なのか?」

「駄目じゃないけど……」

「まぁつまみ食いもしに来たんだがな」

 恐子は胸を張って鼻息を荒くしながらそう言った。しかし、尊大な態度にも関わらず、恐子の目は母親の雅同様、常に曇っている。

「まぁいいけどさ。ほどほどにしてよね」

「任せろ。つまみ食いは前言撤回だ。味見だ。味見」

 と言いながら、鋳鶴が作ったおにぎりを一つ、恐子は口いっぱいに頬張った。朝から見慣れた一連の流れをされると、鋳鶴自身も緩む口角を抑えられない。

 やっぱり我が家は良いな。と心の底から思う鋳鶴であった。

明日も更新します!ついに次回で20話、はてさてどうなる事やら

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