第10話:魔王と母と学園長
今週は魔族側の話もします。ということで10話です
「あぁ、そういう事だ。あそこ一帯を明日の朝までに綺麗さっぱり舗装し直してくれ、勿論、報酬は弾む。金以外だと?ふむ。お前が前々から欲しがっていた私の息子に関する何かでいいか?あぁ、そういうのか、それなら伝手がある。そいつに直訴してみるとしよう」
雅は携帯電話で会話している。電話の相手は彼女が親しくしている友人か、何かだろう。先ほどのノーフェイスとアセロ、雅と鋳鶴の戦いは、望月家周辺の街路をほぼ壊滅寸前と言える程に破壊しつくされていた。周囲が空き家や街路樹ばかりだったからよかったものの、雅が自ら暴れ、街の一部分を破壊の惨状で放っておけば、国からそれ相応の処分が降る。それを避けるために雅はある者への連絡を携帯電話で済ませたのだ。
後で戻るとは伝えたものの、久々の家族が自分を見た途端に目を丸くし、両親不在の望月家の大黒柱である杏は何が起こったか理解できなくなり、錯乱させてしまうとは、母親失格だ。
と彼女は思い、ある人物に会うついでに陽明学園の屋上で夜風を浴びている。鋳鶴の治療と気付け、雅は鋳鶴の作る久々の料理を期待していたのにも関わらず、まさか魔族二体に襲われているとは思ってもみなかったので、その旨を伝えることを忘れてしまっていた。
世界最強もしくは、世界最恐と称される彼女は、魔族との闘いで多忙な日々を送っている。家族の元に帰宅できるのは年に数回。今回帰宅したのは一年ぶりくらいであろう。魔族との闘いと、世界一の名医という看板を背負って生きている彼女にとって家族を相手にしている暇など皆無である。
しかし、ふと、彼女は鋳鶴の手料理が食べたい。という我儘を押し通し、望月家付近をたまたま通りかかろうとした所に襲われている我が息子、鋳鶴を確認したのである。
急な事だったとはいえ、魔族に変貌しかけている我が息子を蹴るとは何事か、と雅は考えていた。
むしろ、ノーフェイスやアセロに負わされた傷よりも雅の一撃による負傷の方が、鋳鶴には多いだろう。
雅は世界一の名医と称されるが、彼女が治療を可能としているのは主に生物の体内に存在する悪玉菌、癌と言った病気を破壊する事である。それこそ、彼女の繊細なコントロールを必要とせず、自由自在に操れる破壊の力はその界隈では重宝される。
人間を救うために扱う事も出来れば、魔族を討伐する力としても扱えるという算段だ。
そして雅は、別の依頼をある人物にするため、武器も何も所持せず、この場所を訪れた。最も彼女に武器という無粋な物は必要ではないが。
「あら、私以外のお方とお電話でしたか?」
夜風を浴びる雅の背後から車椅子に乗った少女と、その車椅子を引く、執事の様な恰好をした女性が現れた。
車椅子に乗っている少女は、まだ年端もいかない少女の見た目をしているのにも関わらず、何処か神々しさがあるような、それでいてフランス人形の様な美しさを兼ね備えた人物である。
執事の方も無言を貫き、少女に付き従うのが誇りであるかの様に厳格な雰囲気を醸し出している。
「よぉ、久しぶりだな」
執事が執事服のズボンからナイフを取り出し、血相を変えて、雅に向かってそれを構える
「何だよ。アンリエッタ、私はただ、挨拶に来ただけだ。あと一つだけ、願いごとをな」
少女がナイフを構えるアンリエッタに手で合図をし、ナイフを降ろさせる。
「執事ごっことおままごとはもうやめにしたらどうだ?お前が私と同い年なんて死んでも思いたくないし、わざわざ凛々しい顔立ちした女を男装して傍に置いておくのも趣味が悪い。センス最低だ。いつまでもフランス人形みたいな服着やがって、若くありたいのは分からんが、醜いこった」
アンリエッタは再びナイフを取り出して雅に突き付ける。
「やめなさい。アンリエッタ、貴方では彼女に触れる事すら叶わないし、何より一瞬で後ろに回られるぐらいなのだから、変に彼女を挑発して怒らせないことね」
雅はアンリエッタの反応速度を凌駕する速さで彼女の背後をとっていた。
「所で世界一のお医者様が私の所になんの用?」
「私の子どもたちを頼む」
「どういう風の吹き回し?学園長として私は生徒を平等に見なければいけないという責務があります。学園としての形態に多少の文句はあるでしょうが、雅、貴方の御子息だけを擁護することは出来ません」
「いや、成績とか、人間で見ろ。擁護してくれってことじゃない。鋳鶴の事だ」
「彼がどうかしたのかしら」
「お前の魔力察知能力だったか?それがあって誤魔化される訳にはいかない。見てただろ?さっきの戦い」
少女は、アンリエッタに腕を振って支持を送ると、彼女の車椅子を回転させて雅に背を向けた。
「あれ、貴方の息子の望月君なのね」
「あぁ」
アンリエッタは、雅の言葉遣いに眉を顰め続けている。今にも雅に食って掛かってやろうという獣の様な視線だ。
「彼が仮に魔族だったとして、私にできることはないわ。出来るなら彼が完全な形になる前に殺してあげる事ぐらい」
「それは、私としても困る」
「大切な長男ですものね。女系家族として男手は大切でしょう」
「それもあるが、あいつを私の様にしてはいけない。いや、このまま行けば、私や霧谷以上に苦労する羽目になる。それだけは、どうしても避けたい」
「避ける?貴方は避けようともせず、ただ戦ってただけじゃない。霧谷さんもそうよ。貴方たちは自分たちの運命をあるがまま受け入れて彼と戦っただけ」
アンリエッタは少女の車椅子を回転させ、雅と再び対面させる。
「ありがとう。アンリエッタ」
「これ以上ないお言葉でございます。ジャンヌ様」
少女の名前は、ジャンヌ・アヌメッサ。
陽明学園の理事長にして日本が世界に誇る魔術師100選にも選ばれた見た目は少女、実年齢は雅と同学年の女性である。
学園内を車椅子で移動し、その傍にアンリエッタをいつも同行させている。彼女が生徒たちの前に姿を現すのは入学式と卒業式だけで滅多に学園内で生徒たちが彼女を見かけることは無い。
様々な彼女に対する憶測が飛び交い、中では彼女を神様そのものとして認識する者も存在する程だ。
そしてお付きのアンリエッタ。
フルネームはアンリエッタ・デュバル。世界に点在するメイド執事育成機関で最高の勲章を受章した齢24歳の女性である。
彼女は女性だが、特別な許可を得て執事としての資格を手にしている。これはジャンヌによる指示とそれを黙認した機関が、彼女を世界初の女性執事として育成し、彼女の元へ引き渡したという経歴の持ち主だ。
プライドが高く、ジャンヌの事を嘲る者がいようものならアンリエッタは頭より体が先に動いてしまう人間のためその相手に暴力を振るう。
手品の様にナイフを振り回し、または投擲し、対象を攻撃するのが彼女の戦闘スタイルだ。
一方、ジャンヌの方は、魔族が主に扱う簡単には黒魔法と呼ばれる魔術と対極の存在にあり、その魔術に対し、最もの抵抗力を持つ白魔法を扱うのがジャンヌである。
彼女の扱う白魔法は世界でもトップクラスで白魔法を扱わせて彼女を超える人間は今後100年出ないだろう。と言われる程の実力者である。
彼女の魔術の特徴は、彼女の魔術を扱う練度の高さにより、無詠唱または、彼女が意識するだけで発動する超高速の攻撃だ。
噂では光の速さで魔術を使うことが出来、その魔術は全てが一撃必殺とも言われている。
彼女が何故、雅と同い年で彼女よりも若々しく、まるで少女の様な美貌と肌質なのかというと、アンリエッタしか見た事のない入れ墨の様な刻印が彼女の背中一面に広がっており、その影響で彼女は肉体的に年齢を重ねることはないらしい。しかし、彼女の中でも意識しているそうで、必要最低限は運動をせず、外出時には外気温、天候に関係なく、アンリエッタに車椅子を引かせ、学園内を散歩している。
「それは貴方の我儘じゃなくって?自分の子どもを大切に思う気持ちは、子の居ない私でも分かる。けれど、貴方たちは運命に呪われた家族でもあるのだから、私が彼を庇うにしても正義感の強い彼は、自ずとその問題に首を突っ込もうとする。学園ではまだ大きなことは起こっていないけれど、彼の壊れた姉がそろそろ大きなことをしでかすと思うのは私だけかしら?」
「結は……」
「そう。彼女よ。別に、問題児という訳ではないけれど、鋳鶴君が絡むと良くないわね。まるで気が狂ったかの様に彼の名前を叫びながら魔術を放ったり、美しさも丁寧さもない粗暴で劣悪な剣術を披露するんだもの」
ジャンヌは、それでも優秀なのだけれど、と言い。車椅子に肘を立て、溜息をつく。
「あれにも何かの因果があるんだろう?」
「さぁ?それを解決するのが、貴方の役目じゃないの?まぁ、貴方の多忙さは私も理解していないわけではないから、私が請け負うんでしょうけど」
「あの二人に直接干渉しないようにな」
「それは簡単だけれど。それこそ鋳鶴君が彼女の目を覚まさせなきゃいけんないんじゃなくて?」
「しかし、私は、家族同士の戦闘を望んでいない」
ジャンヌは頬杖をつきながら雅に微笑みかける。まるで何か悪だくみを考えているかの様な含み笑いでアンリエッタに手を差し出す、するとアンリエッタは一度頷き、その場から退いた。
「彼がそれで魔族にでも足を突っ込まなきゃいいのだけれど、仮に彼がそうなったら貴方はどうするのかしら」
「私は……」
自分の息子が魔族に成る。という可能性を雅は考えたくない。彼女は今まで数々の魔族をその破壊の魔術で消失させてきた。
仮にそうなったとして雅は、息子の鋳鶴に手を掛けることは出来ないだろう。
彼に何があろうと、彼女は鋳鶴の母であり、彼の味方である。だから彼を倒す事は出来ない。息子が魔族になったとしても彼女は破壊せずに、別の方法を模索するだろう。
「あいつを殺せないかもしれない」
「悪魔で貴方は母親だものね。私には到底、理解できない思想だし、何より私はこのままであり続けなければいけないから」
「すべては、神の御心ままに、ってか?」
「えぇ、この体も呪いも神様から承ったものだから、私はこれを背負って生きていかないといけないから、貴方とは違う覚悟を持っている。生まれた時からずっと、貴方の息子も一緒。彼は貴方のエゴが無ければこの世にもういない存在なのだから」
雅は口を噤んでへの字で不満を現した。眉間に皺も寄っており、彼女に図星を突かれた事が見て取れる。
「神様なんてもんは存在しねぇ。私は、ずっとそう思ってる。物心ついた頃からじゃねぇけど」
「素直じゃないのね」
「素直?」
「えぇ」
「馬鹿言うんじゃねぇよ。神様って奴が仮に居たとして、それに祈るなんて事は死んでもしねぇって私は、あの時、誓ったんだ」
雅は白衣のポケットを弄り、プラスチックの型に嵌められえた銀板の札を取り出した。
「まだ持っているのね」
「私は見た事もないものじゃなくて、これまでの犠牲に対する贖罪でもある」
「残された者としての使命とでも言うのかしら」
「ネガティブに取るんじゃねぇよ。これだから聖職者はいけねぇ」
雅は聴診器を手にしてジャンヌに近づく、彼女は向かってくる雅に対して顔色一つ変えずに対応する。
「異常はなしだ」
雅の補聴器は最新式の機種で、従来の補聴器と違い対象の人間に触れる事なく、脈拍などの情報が空中に表示されそこから相手の病状などを探る。
「そう」
「じゃあな」
雅はジャンヌに背を向けてその場を去ろうとした。
「家族と食事かしら」
「あぁ、お前と話してる間に鋳鶴の奴も回復してるはずだしな」
「良いわね。家族って」
「そんな大層なもんじゃない」
「大層なものよ。まぁ私にはアンリエッタが居るからいいけれど」
ジャンヌに振り返る事なく、雅は校舎の屋上から飛び降りる。彼女が去り、一人になったジャンヌはそのまま校舎の屋上で夜風にあたっていた。
――――望月家――――
雅の帰りを待つ間に鋳鶴は、自宅の玄関の補修作業に追われていた。家族へ夕飯を振舞った後に、鋳鶴を救助した雅が彼を自室に搬送するついでに扉を破壊して彼を布団まで送り届けた。
「はぁ……、救ってくれたのはありがたいけど、家を破壊されちゃうのはなぁ」
鋳鶴は釘を口で咥え、金槌を振り玄関の補修をし続ける。日頃、鋳鶴が家屋を破壊することは限りなく無い。が、彼が家屋を破壊せずとも他の姉妹たちが破壊してしまう為、男手である鋳鶴は修復作業に務めることになってしまう。
「壊すのはいいけど、自分たちで直して欲しいよねー……」
鋳鶴は呆れ気味にずっと金槌を振り続けていると玄関から丸い木製のお盆を手にした杏奈が現れた。
お盆の上には白米のおにぎりと、一杯の麦茶が入ったコップが備えられている。
「お疲れ様」
「本当だよ。気絶してみたら、こんな事やらされるなんて」
杏奈は雅から鋳鶴に何があったのかを聞いて居た。両親を除いた場合でも年長ではないが、雅が帰宅した際に言伝を頼まれ、彼女が鋳鶴に伝えた結果が彼が玄関の補修作業をするという事だったのである。
「母さん曰く、私の破壊は鋳鶴の破壊も同意義だから直せって言ってたからな。私も道具を用意する程度しか出来なくてすまん」
「杏奈姉が謝る事ないさ。一番、この家族で物を壊す事の少ない人を責めるのは、僕も気が引けるし」
「まぁ……、一番破壊する奴はいつも酔っ払ってるからな……」
杏奈が鋳鶴に気付かせる様に玄関の中を指さす、その先には一升瓶を手に抱え、衣服を脱ぎ散らしほぼ全裸の状態で女性らしからぬ鼾を掻き、昏睡している穂詰が居た。
鋳鶴は金槌の手を止め、靴を脱ぎ、早歩きでリビング脇に備えられている毛布を掴んで穂詰の上からそれを優しく敷いた。
「毛布はそこにあるのか、覚えておく」
「え、でも穂詰姉が何処に片づけるか分からないから、あの人の心理を読んで探さないとなかなか見つからないと思うよ」
「えぇ……」
鋳鶴の一言に杏奈は脇に抱えていた六法全書を地面に落としてしまう。
「ほひゃ(ほら)おひ(おち)は(た)よ(よ)」
「すまん」
杏奈が鋳鶴の背中を見つめながら、彼は黙々と金槌を振るい玄関の保守作業を続ける。咥えた釘を全て打ち終わるとおにぎりを齧り、一口だけ麦茶を飲む。
杏奈がまだいるか?と合図を送ると、鋳鶴は何も言わず手を差し出す、手を差し出す鋳鶴の掌に杏奈は優しくおにぎりを乗せ、鋳鶴は再びそれを齧る。
望月家で一番息の合ったコンビは勿論、ゆりと神奈の二人だが、次点では鋳鶴と杏奈の二人だろう。暴れん坊が多いという点では望月家の人間は殆どが思い当たるが、この二人はその仲でも凶暴性が限りなく少ない人間だ。
長女の恐子は、言わずもがな。名前に加え、己の拳一つで全国制覇を成し遂げた伝説の不良少女。
三女の穂詰は、天性の酒癖の悪さと格闘技経験者及び、セクシャルハラスメントの多さがそれを物語る。
六女の結も魔王科の生徒会長になるレベルの人間だ。彼女が控えめな性格に近いのであれば、生徒会長になることもないだろう。
双子の七女、ゆりと八女、神奈は言わずもがな。かなりの暴れん坊である。神奈は普段、大人しく、普通科中等部きっての頭脳を持っているのだが、兄鋳鶴のためなら手段を選ばず、自分の思い描いた計画を実行するのだ。
例えば、鋳鶴が歩以外と仲良く会話をしているとしよう。神奈にとって鋳鶴の伴侶は歩しかいない。という思想があるため、鋳鶴と仲良くする女性に対し、嫌がらせではないが、兄の鋳鶴が他言されたくないような事情をその女性に隠密に近づき、それを詳らかにするなどをしている。
一方のゆりは神奈と違って分かりやすく過激派でゆりに関しては既に魔法科への進学が決定しているというのに、神奈の様に学園で大人しく、魔法科に進学するまで問題を起こさない。という気概がなく、兄の悪口を中等部で居る者が居れば、その生徒が鋳鶴の事を尊敬するまで暴力で訴え、教師でもお構いなく攻撃する事のある悪童だ。
彼女にとっては、それが悪戯程度の事で片づけているが、前者の事情に関しては、鋳鶴がわざわざ中等部の職員室まで赴いてその件を謝罪する。
ちなみに、鋳鶴の事になるとゆりだけでなく、神奈も熱くなるので注意が必要だ。このコンビを止められるのは学園内でも鋳鶴ぐらいだろう。中等部の生徒たちだけでなく、教員までもが鋳鶴に助けを求め、それを鋳鶴が制止しに行くのだから。
対する鋳鶴と杏奈のコンビはというと、二人とも望月家きっての静かな家族思いの人間だ。
他の望月家の人間に比べ、この二人は激昂することも少なく、家族にも物にも暴力を振るう事が少ない。
しかし、そこは望月家の血なのか、杏奈は彼氏が居ないという事、鋳鶴は家族や仲間が何者かによって被害を受けた場合に激昂してしまう場合がある。
杏奈は陽明学園普通科卒、彼女は体育以外の成績で全て全校生徒を凌駕するという偉業を成し遂げた人物でもある。
普通科の生徒が学習するはずのない魔法学と呼称される科目の勉強も怠らず、普通科で学習する事のない全ての教科を彼女は主席で卒業した伝説の持ち主。
思いやりからくるこのコンビは間違いなく、望月家一の人畜無害なコンビと言える。
「気付いたんだけどさ」
「なんだ?」
「杏奈姉って勉強系統ならなんでもできるんだよね?」
「まぁ……、自分で言うのもなんだが心得てはいると思うぞ」
「それでも彼氏が居ないとなるとね!」
鋳鶴が彼氏と言い終わる直前に、杏奈は手にしていた六法全書で彼の脳天を殴打した。鋳鶴は両手で頭を押さえ、うめき声をあげている。
「本気で殴る事ないでしょ!」
「私の本気がこの程度でも……?」
杏奈が六法の表紙に皺を作る程の握力で握り締める様子を見て、鋳鶴は再び玄関と向き合った。
鋳鶴の見る幻か、彼女が手にしていた六法から紫色の炎の様なものが垣間見えている。
「おい、玄関の補修はまだか」
鋳鶴が杏奈から目を反らして作業を再開しようと金槌を持ち直すと、背後から雅の声が響いた。
「今、直してるから……」
「杏奈、飯」
「え、分かった。母さん、握り飯とかでいいかな」
「あぁ、お前に料理の腕は期待していないし、その方が短時間で出せて沢山ほおばることが出来る」
雅は杏奈に笑顔を見せて扉のない玄関からハイヒールを脱いで白衣を玄関入ってすぐに設置されているラックに立て掛け、黙々とリビングに歩を進める。
母の来訪に、何時着替えたのか、酔いは完全に醒め母に向かって完璧なお辞儀を見せる穂詰の姿もあった。
「いつもこうならいいんだけどなぁ……」
鋳鶴は再び金槌を持ち、釘を戸の接続部に当て渾身の力でそれを振り下ろした。
―――――崖の底―――――
世界には、七つの亀裂がある。
それぞれの大陸と日本に一つ、そこを通行路や人間で言う裏道の様に使い、魔族たちは地上の世界に危害を加える為に出現する。
七つの亀裂は、全て地上から見下ろすとその底が見えない様になっている。完全に遮光され、その底を知る者は人類でも数少ない。
何故ならその底から生還した者が、そもそも一人しかいないという事。加えて、その者が崖の底について記述せず、本人の記憶の中で仕舞い込んでいるからである。
普段なら人類はその者がホラ吹きだと言うか、その者の問答を信じるな。と言うだろう。しかし、人類はその者が崖の底に飛び降りるのを目の当たりにし、または、テレビ中継などで目にし、その者はそれに飽き足らず、数人の人間を崖の底から連れ戻したのである。
それから暫くして、人間たちはその崖を24時間体制で監視し、異常が見られないか厳戒態勢で警備している。
崖から出てくるのは下級魔族と言われる感情を無くした化け物であり、警備もこの程度の魔族であれば、即射殺、即捕縛など行動に越せるのだが、上級魔族と呼ばれる限られた魔族たちは人類と魔族の間に築かれている調停のため、手出し無用の約束をされている。
それがこの世界の均衡を保つため、人間側の犠牲者を出さないため、最善の手なのだ。
その崖の底に、2体の魔族が転移魔法と呼ばれる魔術を使用し、帰還した
ノーフェイスがアセロを楕円形の机の周りに8つの椅子が供えられた場所で彼を腰掛けさせる。
現場には火の光、日の光が差し込まない。崖の底に存在すると言われる光体をノーフェイスは掴み、それに息を吹きかける。
すると人間界でいう電球の様にその光体は発光し、部屋一体を照らし出す。
「あれが、本当に人間なのかよ」
「あぁ、彼女は魔族でもない。ただの人間だ」
「ふざけんなよ。あんたでさえ押されてただろ」
ノーフェイスは沈黙した。
事実、百戦錬磨の上級魔族であるノーフェイスですら、彼女には苦戦を強いられる。それどころか完全にノーフェイスの技量では望月雅に一歩足りないだろう。
望月雅は、本気を出せばノーフェイスすら掻き消せる。それは本人が一番理解できている事だ。調停と彼女とのこれまでの関係が無ければ、ただただ、ノーフェイスは彼女になぶり殺しにされているだろう。
「彼女は特別だ。望月雅は、スレイ様からギフトを授かった人間だからな」
「ギフト?」
「あぁ、君も我々と同じ立場に到達した場合にスレイ様から授けられるのがギフトだ。それを授けられた時に、君は到達する」
ノーフェイスはアセロに辺りを見回すように促した。漆黒の丸机には、まるで皇帝や一国の主が腰掛ける様な豪華絢爛だが、この世の何よりも黒い物質で作られているだろう椅子とそれに向かい合う様に八つの漆黒の腰掛けが配置されている。
「それが、八人もいるのか、あんたも含めて……」
アセロは周囲を見回してその席をそれぞれ傍観する。八つの席には誰にも腰掛けていないのにも関わらず、まるでその場に鎮座しているかの様な威圧感をアセロは感じ取った。
八席の全てではないが、確実に視線を感じている。冷酷な視線、こちらを舐めまわす様な視線、加えてアセロ自身を獲物として見る目、それを感じ取ったアセロは背筋が凍ってしまった。
「何なんだよ……。こいつらは……」
「私を含めた八席の連中は皆、君を試したいと思っている者が多くてね。歓迎するつもりは無いようだが」
「だってお前は俺の適職に口出ししといてアセロの世話を買って出たんだろう?そりゃあ全員が注目するってもんだ」
二人の背後から、ノーフェイスと同じように声色を変えたような声を発する魔族が現れた。ノーフェイスの様にこの世の生物ではない禍々しい頭蓋を甲冑の様な装甲に嵌め、全身赤紫の鎧をまとっている。
腰には拳銃のような武器を携え、腕を組んで二人の背後に、その魔族は現れた。
「べカティアか、もう少し音を出して接近してもらいたいものだ。危うく、切り裂いてしまう所だったが」
べカティアの背後にノーフェイスは複製魔法で生み出す剣をそこに投げつけていた。漆黒の壁に一筋の溝を刻みつけている。
「本来は、俺が新人上級魔族の教育係だというのに、アセロの事になるとムキになるお前が居るから変わってやったんだ。背後から近づく事ぐらい許せよ」
「君に恩義は感じているがね。君にはアセロの教育係は向かない。と私は思ったのでね」
「おいおいおいおい。その生徒を危険な目に合わせたのは何処のどいつなんだぁ?望月雅から、アセロを誘導して此処まで戻ってきたのは称賛に値するが、あの女にアセロの存在を知られてしまったんだぞ」
「彼女に我々の事が隠し通せるとでも?お前の甲冑の下も彼女の力があれば、今すぐにでも白日の下に晒されるだろうに」
「それでも俺は、困らんがね。ただ、こいつ本来の居場所がなくなるだけさ」
べカティアは自分の左胸に指をさした。べカティアの鎧は胸部が薄緑色に発光しており、それはまるで呼吸に呼応して反応しているかの様に一定のリズムを刻んでいる。
「趣味の悪い能力だ」
「俺は遊撃とは違って固執して根を張らないといけないんでね。お前の様に戦闘能力も高く無ければ、強力な魔法もそれほど覚えていない。だが、教育係と俺の得意な部門でお前に負ける気はないんでね」
べカティアは再び胸に指をさすと、周囲の巻き込みながら胸部の発光体が眩い光を放ち、辺りを包み込んでゆく。
「変装魔法……」
アセロは突然の発光に腰を抜かしたが、眩い光の発行が終わると彼の眼前にはべカティアの姿はなく、べカティアの立っていた位置にはノーフェイスが薄笑いを浮かべアセロの隣に居るノーフェイスの前に現れた。
「趣味の悪い模倣だ」
「俺たちは魔族だ。寧ろ、趣味が悪い魔術を多用するべきだ。見方によっては俺の変装なんぞよりもお前の複製魔法の方が、人類にとっては趣味が悪いだろう」
べカティアの変装は完全なもので、その対象の顔を既知しているだけで彼はその対象に変装することが出来る。
魔族は勿論、人間や細かい所で言えば昆虫まで、彼の体積に関係なく、彼は何かに変装し、人間の暗殺、誘拐などを生業としている。
無論、教育係でもあるのだが、上級魔族がもとより少ないため、あまり機能することは無い。
べカティアはよく、ノーフェイスの使う複製魔術を他人の創造した物しか複製する事の出来ない品性に欠けた芸のない魔術と呼ぶ。
ノーフェイスもノーフェイスで彼の完全な変装魔法、最早、変身と言った方が早いその魔術の事を卑劣且つ、お遊びの様な魔術の延長。と罵る。
「二人ともやめろよ」
「すまんなアセロ。お前の教師がどうも気に食わなくてな」
「私もだ。アセロ、行くぞ」
「おっ!おい!」
ノーフェイスはアセロの服の袖を引き、彼を無理矢理部屋から退出させる。アセロはべカティアに小さく礼をすると。
「チャオ」
とべカティアは言い残し、二人を快く見送った。
「上級魔族って皆、仲良くないのか?」
「仲良くする必要など皆無だからな。各言う私もその一人。我々は全員、スレイ様に従うという点では、同じ理想を掲げて人間と戦っている」
「俺もその一員になるって事か」
「そうだ。何だ?べカティアの元に教えを享受してもらいたくなったか?」
「いや、俺はノーフェイスの教えを受けるさ。それにべカティアじゃあ、俺に戦闘の魔法は教えてくれないだろうしな」
「複製魔法を私から享受したいと?それは嬉しいが、修羅の道だ。君に教えるとなると、私も多少なりとも骨が折れそうだ」
「頼むぜ。先生」
「いつも通り、ノーフェイスで構わない。アセロ君に先生と呼ばれるのは少々むず痒い」
「ならノーフェイス、取り敢えず、あの雅って女に勝つ方法と複製魔法を教えてくれ」
歩みを続けるノーフェイスがその足を止めてアセロに振り返った。アセロは感覚的ではあるが、彼の甲冑の位置から自分の事を視認していると察する。
「前者はまだ私でさえ到達していない領域だ。教えることは出来ない。しかし、後者ならば、君が十分に扱う様になれる。故に私は君の教育係に自らを推挙した」
「そういう経緯だったんだな。それならかなり、俺は有望なのか」
「さぁ?それは君がこれから示してくれ」
アセロはノーフェイスに握り拳を突き出す、ノーフェイスはその拳を優しくいなすとアセロの不満顔を他所に、自室に向かった。
贔屓、というのはいけないとは思ってるんですけど、私はべカティアが大好きです。