9話 女子高生、異世界のなんたるかを熱弁する
平和に、平穏に過ごす。
それが陽菜の願いであったはずなのに。
どうして。
――どうしてわたしはこんな行動に出ちゃうんだろう。
だれもが自らの目と耳を疑ったであろう。
当人である陽菜自身も自分の行動力に驚くくらいだ。
しかし、怒りが沸点にまで到達してしまったのだ。
だって。
「異世界に行ったこともないくせに異世界を語ってんじゃないわよ」
振り返った陸也の正面に立つ陽菜には青筋が立っている。
「えっと、御巫、陽菜……だったか? いきなり、どうした」
争いごとを好まぬ陽菜が声を荒げたことやリア充お金持ちイケメンの彼は自分に楯突く者などいままでいなかったのだろう、信じられぬとばかりに頭を抱えていた。
「ねえ、あなた異世界がぬるいって言った?」
「……は?」
「ちょろっと世界救ってって言った?」
「だ、だからどうしたんだよ。俺も読んだことないからわからないけど、こういう小説は大体そういう話ばかりなのだろう? なにも間違ってない」
「……間違いも間違い。大間違いよ!」
ずびし、と卓の持つ文庫本を指差す。
「あなた想像してみて。いままでずっと普通に過ごしてきたのに、パフェを食べてたらいきなり異世界に飛ばされていろいろ異世界の事情聞かされて、世界を救ってくれって言われて簡単に受け入れられる? 無理に決まっているでしょ。こっちは平和な日本で暮らしていたのに、殺伐とした世界のこと聞かされて、自分はチート持ちだとかなんだとか……意味わかんない。だからなに!? だからってなんでわたしがあんたらの世界救わなきゃいけないのよ! 死ぬかもしれないし、帰れる保証だってない。そんな世界で知っている人はいない。こんなの地獄でしかない」
捲し立てるように語る。
「ゴブリンって知っている? RPGとかそれこそ異世界によく出てくるモンスターよ。あれってめちゃくちゃ気持ち悪いんだからね。で、血が緑色。うわ、いま思い出しただけでも吐きそう。……あんなのとはもう二度と戦いたくないし、会いたくもない。いくらチート持ってようが殺す時は感触あるからね。ぶしゅって……うええ」
ゴブリンとの戦闘など数えきれないほどやったが慣れなかった。というよりモンスターと呼ばれるやつらとの戦いなど慣れるわけがなかった。
だって全員気持ち悪いんだもん。
あんなのが迫ってきたら女子の陽菜は絶叫ものだ。
虫、嫌いだったし。
「戦いなんてしたことないから、習わされたけど、もう超辛かったんだから。単調に行くんじゃなくてフェイントを入れるとか物を生かしたり、場所を生かしたり。しかもチートあるからとはいえ、痛いものは痛いしね! 殴られたら普通に痛いし、斬られたら血が大量に出るし、焼けるような熱い攻撃とか凍るような冷たい攻撃とか、超やばいんだからね」
「一体、どうしたって言うんだよ」
「魔王はめっちゃ強いから簡単に世界を救わせてくれないし、国同士のいざこざはややこしくて面倒くさくて大変だし、男はみんなおじさんで怖いし変態だし、寝ていたら襲われるような休まる時間もない世界。…………こっちの世界のほうが全然楽だわ!」
悲痛の叫びだった。
感情的なままに発してあまり要領を得ないが、その必死さは異常なまで。
「な、なんか御巫が異世界行ったことあるみたいな言い方だな」
「最近まで――んんっ! べ、べつにただわたしもちょっと聞きかじっただけというか、楽なところもあるけど楽じゃないところもあるみたいで」
急に冷静さを取り戻す言葉を受け、後半、しどろもどろとなる。
(思わず異世界に行ってましたとか言いそうになっちゃった)
痛い人になるところだった。
「ああ、そう。で、それだけ?」
「え……」
「よくわかんないけど、異世界が意外と楽じゃないってことは伝わった。でもこいつらが迷惑なのには変わりない」
勢いの止まった陽菜を見て、陸也もどこか調子を取り戻した様子だ。
(はあ、なるほど。そういうことね)
陸也はただあのふたりを排除したいだけ。
異世界を馬鹿にしたような発言もただ彼らを罵る道具に過ぎない。
自分の思い描く場所に彼らを入れたくない、それだけ。
(なんかいたなあ、そういう横暴なやつ)
陽菜はよく王国軍と一緒に戦うことが多かった。
その時にやたらと自分の隊を一番にしようとしていたリーダーがいた。
獲物を横取りしたり、弱った魔物を狙ったり。
仲間である他の隊の人間に動けなくなるように毒を盛ったり。
人を騙し、欺き、嘘をついて。
(――そんなくそみたいなのが)
彼は部隊のメンバーのためにやっていたと言っていた。
けれどそれは結局は自分のためだった。
自分をよく見せたい、自分はすごいのだと、自分の部隊は強いのだと。
『お前たちのためだ』
などとあたかも部隊メンバーの意向であるかのように。
自分の意見を押し通し、正当化し、いろんな悪事をした。
「なあ、きみたち。生きてて恥ずかしくないのか?」
そう問う、陸也もまた――異世界にいた彼と同じなのだろう。
クラスのためというそれらしい理由を使っているがその実、自分のために他ならない。
クラスの品位は自分の品位。
気持ち悪い人間と一緒にいたら――自分も気持ち悪いと思われる。
「そういう発言をしているあなたこそ――恥ずかしくないの?」
小首を傾げ、その瞳は残念なものを見るそれだ。
「は、なにを言っているんだ」
「いやあ、そうやって自分の理想どおりにいかないとその原因を排除しようとしてるから」
わがままな人だなあって、と陸也のことを子供であるかのように称する。
「わがまま? 俺が? 笑えない冗談だな。ゴミがあったら捨てる、それのなにが悪い」
こうして反論してくるということは、指摘したことが当たっていると言っているようなものだと陽菜は苦笑する。
「俺はだれも拾ってあげないから拾おうとしているだけ。ゴミはあるだけで汚く見える、だから早急に取り除いて、教室を綺麗にしようとしているだけに過ぎない」
「ゴミ? わたしにはだれのことを言っているのかわからないけど、あなたの言葉を借りるのなら、ゴミは牛島陸也くん、あなたね」
「――――っ」
陸也は不機嫌そうに顔を歪める。
「だって――汚く見えるんだもん」
教室の一部からは失笑が漏れ、緊迫していた空気が一瞬弛緩する。
「俺がゴミ……だと?」
「や、べつにゴミだとは思ってないよ? ただあなたの言葉を借りるならそうなるってだけ」
「ふざけるな」
唾棄するように言い、こちらを睨んでくる。
「俺のどこがゴミだ。勉強も運動もできて、顔だっていい。友達も多く、父は弁護士で母は化粧品会社の社長の超エリート一家育ち……将来を有望視されている俺だぞ? くだらない漫画や小説にうつつを抜かしている人間とでは期待値が違うんだ」
「確かにそうね」
あっさりと言われ、陸也は拍子抜けした表情となる。
「牛島くんはすごいよね。テストはいつもトップだし、全国模試でも1位だとか。テニスだって中学の時は全国大会に行くくらいだったんでしょ? 顔だって俳優並みの超美形。天は二物を与えずって言うけど二物も三物も与えちゃっているよね、これ」
「そ、そうだろ」
「まあだからって牛島くんのすべてが正しいわけじゃない」
一転してばっさりと切り捨てる。
「わたしはこのクラスに迷惑かけているのは牛島くんだと思う」
「なっ――」
「自分が苦手なタイプの人だからってさ、クラスから排除しようとして」
「苦手とかそういうことじゃない。彼らは世間的に見てもおかしなやつらで――」
「世間的にって……わたしは、そういう言葉を用いて牛島くんは自分のためにやっているようにしか見えない」
説き伏せるように言う。
「いままでなに不自由なく、甘えさせられて生きてきたのかもしれないけど、わたしは自分中心な生き方をする人……嫌いだな」
断罪し、陽菜と陸也のやり取りを一番間近で見ていたふたりを見やる。
「あなたたちも異世界とか憧れているんなら、あんまり夢見るのやめたほうがいいよ。案外辛いと思うから……、でも夢中になれるのがあるっていいことだと思うから。あまりよく思われないかもしれないけど、わたしはやめなくていいと思う」
忠告と激励を送り、陽菜は教室の中心から抜けようとする。
「――くそ、こんなもののなにがいいんだ!」
自棄になったように叫び、陸也は卓から再び文庫本を奪い、思いっきり投げた。
不細工な放物線を描いて開かれた窓に向かっていく。
「ほんっとに――」
陽菜は飛んだ。
床を蹴り、机を使って勢いを強くして。
――外へ出る一歩手前でキャッチし、窓の縁を利用してくるっと一回転して着地。
あんぐり口を開いたクラスメイトたちがその跳躍力と俊敏な動きに驚愕していると、陽菜は呆然と立ち尽くす陸也に、
「人の大事なものをあんなふうにしちゃ……めっ!」
と言って、頭に手刀を食らわせた。
子供を窘めるような感覚でやった陽菜だったが、異世界帰りのチート持ちの威力は絶大だった。隕石が頭に降ってきたかのように陸也は床と接吻した。
(うげ……)
やっちゃった陽菜は陸也の意識を確認するように揺らす。
「ごめん、大丈夫?」
「…………う」
「よかった、意識はある。立てる?」
「……わ」
「? わ?」
「わざとやられたんだ……馬鹿あああああ」
「はい……?」
半泣きになりながら教室から出ていった陸也。
「おい、だれか牛島を連れてこい。授業始められんだろ」
入れ違いで数学の教師が現れ、慌てて陸也の友達が彼を探しにいった。