54話 女子高生、些細なきっかけの重要性を知る
「やーっと来た。おサボりちゃん」
昇降口に着くと、下駄箱を背にしていた媛岸瑛美が手を上げる。
「あれ、媛岸さん。なにわたしを待っていたの?」
「なにその恋人みたいな感じは。まあ待っていたってのは本当だけど、ほれ」
「うわっ――と、危ない」
ぽいっと放られたリュックをなんとかキャッチする。
だれのものかなど考えるまでもなかった。
「わたしのだ。……え、どうして媛岸さんが?」
「どうしてもこうしても御巫、補習来なかったっしょ? でも荷物だけはあるからどうしたのかと思って。で、下駄箱見てみたけどまだいるみたいだから、どうせ帰宅する時はこっち来るんだし、ここで待ってたほうがいいかなって」
「……あ、わたし手ぶらで帰ろうとしてた」
那遊と話してすっきりしたまま、帰ろうとしていた自分に陽菜は笑うしかなかった。
完全に仕事をやり終えた感があって、すっかり荷物のことなど忘れていた。
「ってこれだけじゃない! やばっ! 今日補習だったんじゃん!」
「今更? つーかなに? バックれたかと思ったんだけど」
「バックれるわけないじゃん。ええ、どうしよう。もう終わっちゃったんだよね?」
「もち。なんだ、サボったんかと思ってた。御巫って意外とおっちょこちょいなんね」
「笑いごとじゃないよぉ」
どこがツボなのか、瑛美はくくっと小さく笑いながら腹を抱える。
(どうしよう。補習をサボるってどれくらいやばいの? さすがに追試受けられないってことはないと思うけど、印象は悪くなったよね? うわあ、補習の時は真面目に大人しい生徒やってたのに、もう終わりだあああ。こいつ補習サボったからまた赤点だな、とかになんないかなあ? だ、大丈夫だよね? そこは平等でしょ、というか平等じゃなきゃ教師失格。そんなことしたら本気パンチしてやる…………いや、わたしが悪いんだけどさあ!)
今後の身の振り方を考え始める陽菜の肩に瑛美の手が添えられる。
「安心しな。陽菜は今日、どうしても外せない家の用事があるって言っておいたから」
「……え? ほ、ほんとに?」
「うん。あれ、正直に言えばよかった? 補習を忘れて帰りましたって」
「いやいやいや! めちゃくちゃ嬉しい! ありがとう!」
感極まって陽菜は瑛美の手を取り、涙目になりながら礼を述べる。
「や、媛岸さん大好きっ! なんで助けてくれたの?」
「最初の頃、いろいろ助けてくれたのは御巫でしょ。そのお返し」
「そ、そんなことで……。なんという優しさ! 神かなにかですか!?」
「大げさだな。ぶっちゃけ御巫が補習を放っぽってサボるわけないから、なんか事情があったんだろうなって思っただけ。そうなんでしょ?」
問われて陽菜は感動のあまり泣き出しそうになってしまう。
短い期間だというのに、ここまで陽菜のことをわかってくれているなんて……っ。
「ま、なにがあったのか聞かないけど、解決したみたいだし、サボった甲斐あったみたいでなによりだね」
信じているのだろう、わけも聞かず、どうでもいいとばかりに欠伸をする。
勉強を教えてくれたお返し、などと言うがそれは建前だろう。
友達と呼ぶには浅い関係だが、それでも助けてくれた。
ただただ普通に優しい子、なのであろう。
人は見た目で判断するな、と何回彼女を見て思ったことか。
「てかさ、今日休んだの、まじ失敗だよ? あのセンコー曰く、次の追試はここが重要なんだと」
だからこそ、わからない。
どうして。
どうして瑛美は。
那遊のことを、わかってあげられないのだろうか。
「教えてやろうか? いやーでもなあ、今回のでチャラだし、悩むなあ。あ、そうだ。御巫、あたし喉乾いちゃったからジュースおごってよ。それで手を打ってあげよう」
楽しげに言いながら、肩と肩を当てて、「ほれほれ」とお金をせびってくる。
「媛岸さん」
「なんだよー。もしかして金ないのー? シケてんねー」
「や、そうじゃなくて」
「しょうがない。立て替えてやるか。……ってそれじゃあ自分で買っているのと同じじゃん」
「あのさ、媛岸さん」
語気を強め、真剣な面差しで瑛美を見つめる。
「え、なに? お金とかそういうの無理な感じ? ま、まあそうか。運動部のノリだもんな、これって。ごめん、冗談だから。もともとジュースがどうこう以前に教えるつもりだったし」
「ごめん、違くって」
焦った様子の瑛美を見て、そうではないのだと安心させ、陽菜は言う。
「那遊のことなんだけど」
「……那遊?」
那遊の名前が出たことにより、少しの不愉快な様子を露にした。
「許してあげてくれないかな?」
「許すってなにを?」
「放課後に無断で居残って練習していたことをうっかり喋っちゃったこと」
言葉にするとようやくすべてを理解したようで瑛美の表情は一転して曇りを見せた。
「誘ったのは那遊だし、正直に話しちゃったのも那遊だけど、那遊だって悪気があったわけじゃない。それは媛岸さんだってわかっているでしょ? 那遊、いまでもすごいそのことを気にしているみたいで……。自分のせいで媛岸さんがバレー部を辞めたって言って苦しんでいて」
「那遊に頼まれたの?」
「頼まれていない。ただわたしが勝手にやっているだけ」
「そう」
依然、疑うような視線は消えないが、そこに関しては重要ではないようで肩をすくめた。
「だれに聞いたのか知らないけど、そういうお節介まじいらないから」
「ごめん。でもさ、わたしはまた一緒にバレーボールをやってもらいたくって――」
「だからさ、あたし言ったよね。……那遊とはしたくないって」
「それは……」
「なんの正義感なのかわかんないけどさ、そういうのいらないんだよね」
言うと瑛美は露骨にため息をつく。
「那遊とは一生バレーボールはやらない。一緒にいるのだって本当は嫌なんだよ。けど、うっさいから……謝られたり、またやろうって誘われたり、うっさいからいてやるだけ。ま、そのおかげでいろいろやってくれているから助かっているってのもあるんだけど」
煩わしそうに顔をしかめる。
「面倒なこととかだるい仕事とか言えばやってくれるし、まじ重宝みたいな? あれだね。あいつも自分のしたことわかっているから進んでやっているんだろうね。ま、あたしは許す気ないけど」
「なんで……那遊がいまどんな気持ちで媛岸さんと接しているかわからないわけないでしょ」
「じゃあ御巫はあたしにさっさと那遊のこと許せって言いたいの?」
「……そんな簡単な問題じゃないのはわかっているけど」
陽菜が複雑な心境を言葉に表せずにいると、瑛美が頭痛を堪えるようにこめかみに手を置いた。
「べつにあたしもわかっているよ。那遊がくそ真面目に話しちゃうような性格だってことも、那遊があたしにきつい練習を強いられたって言いふらしてないことも……けどこの際どうだっていいんだよ、そんなこと」
瑛美は言う。
「どういうふうに伝わったかは知らないけど、すごい行きづらくなったんだよ。怪我をさせた……しかも女の子の顔にね。それが他の部員にどう映ると思う? 御巫だったらどう? あたしが那遊のことを考えずに全力でスパイクを打った――バレーがうまいんならセーブしろよって思わない? 那遊のレベルと違うんだから手加減しろよって思わない?」
なにも答えられなかった。
きっと――瑛美の言うように、那遊と瑛美、悪く映ってしまうのは後者であろう。
しかも怪我をさせた本人が自己申告するのではなく、怪我してしまったほうが報告したとなれば、それは隠しとおそうとした――そう思われてしまっても仕方ない。
「そういうふうになったらもうなんだかやる気なくしてね。好きだったバレーもどうでもよくなって……こんな気持ちにさせたのは、他でもない那遊だ」
自分から大切なものを奪った奈羅野那遊を媛岸瑛美は許すことができなかった。
きっかけ。
そのことは先ほどの那遊との会話でも出たことだった。
「そゆことで。あたしにもうその手の話はしないでね。あと那遊にもいらんこと言うなよ。あいつ馬鹿だからこの期に及んで誘ってきやがるから。……なんだったら那遊と一緒にいてくれない? 御巫とあとふたりの女子いたじゃん? その三人でさ」
無理にとは言わないけど、と付け加える。
飲み物はいいのか、瑛美は下駄箱のほうへ行き、外履きに履き替える。
「んじゃあまたね」
「待って」
陽菜は最後に聞く。
あの時の、あの言葉は。
友達のことを思って発せられたあれは。
許せない相手に対して言うようなことじゃなかったから。
「わたしに那遊の相手をしてやってって言ったよね? あれはどういう意味だったの?」
なんてことなく発せられた言葉。
深い意味なんてなく、ただうるさいから相手をしてやって欲しいとそう捉えられる。
けれど、なんとなく。
そんなふうには思えなかった。
自分じゃあ那遊の相手をしてやれないから――陽菜が代わりにしてあげて、と言っているようにしか思えなかった。
「そんなこと言ったっけか……。言ったとしても大した意味はないし、そのまんまの意味っしょ」
答えにならない答えを出し、瑛美は昇降口をあとにした。
やはりわからない。
確かにひどいことをしていると思う。
でもそれだって、那遊の罪悪感を取り除くため――そう思えて仕方なかった。
ああやって「あれやって」「これやって」と言えば、那遊の気が少しでも済むかもしれな、と。




