35話 女子高生、赤点を取る
御巫陽菜は要領よく生きてきた。
作業効率であったり、これだけはやっておけばいいとか、うまく楽して生きてきたのだ。
真面目と表現するには、あまりにも小狡い。
不真面目な生徒というよりかは、印象の薄い生徒。
だれの迷惑にもならないが、褒められるような行動はしない。
異世界に行くまでの陽菜はそんなふうに生きてきた。
それは勉強も例外ではない。
しかし――
「……に、二六点?」
嘘でしょ、と陽菜は返却された自身の中間試験の答案用紙を何度も見返す。
数学二六点。
赤点は四〇点以下。
これまで赤点など取ったことがなかった。というかこんな点数も初めて。
これが最後だったのに。
いままで返されたものは、危なげなくそれなりの点数を取っていた。
だというのに。
まさかの赤点に、陽菜は頭を抱えてしまう。
(いやいや違う違う。先生が間違えちゃっているんだよっ!)
…………バツの数が尋常じゃなかった。
正解している数が少なすぎた。
「ふう……」
一度深呼吸をする。
確かに今回は、中間試験の前にいろいろとあった。
後輩である花澤香織の件だ。
純粋な可愛い後輩の初恋を弄んだ赤司総士という男にはこのところずっとむかついていて、勉強に身が入らなかったのもあった。
でもそれも一段落ついた。
またあの笑顔を見ることができた。
吹っ切れて元気な姿をこの目で見た。
そして、さあ勉強だ、と意気込んで頑張った。
……頑張ったはず。
もちろん、他の科目よりも数学はちょっぴし苦手だ。
めまいがするような数字の羅列や複雑怪奇な公式、なにを求めればいいのか定かではない問題。
いつもどおりそれに悪戦苦闘しながらも、これくらいならいけるっしょとわからない問題は捨てて、できる問題だけを完璧にし、なんか出そうなものだけヤマを張った。
その結果がこれだ。
「じゃあ、赤点だった者は追試を受けてもらうぞ」
追試。
その漢字二文字に陽菜は中間試験の答案用紙を落とすところだった。
陽菜が通う八日町高校では、追試験が設けられている。
大体二週間後くらいに行われ、その期間、放課後に担当教員から指導される。
それをクリアしないと成績に大きく影響してしまうのだ。
もちろん一度だってやったことはない。
(あーもうっ。これも全部異世界行ってたせいだ!)
あの国王のニヤつく顔を思い出し、責任転嫁も甚だしいことを思う陽菜だった。
「御巫さん」
「え?」
「大丈夫?」
「わたし、なに……なんか変?」
隣の楠木凛太郎からなにやら心配そうな表情で問いかけられる。
中間試験の返却とあって寝ていなかったようだ。
「うん。なんか……ペンキで絶望の色を塗りたくられた顔になってたから」
「そんなにやばい!?」
存外、陽菜は顔に出やすいタイプらしい。
凛太郎に見抜かれまくっている。
「テスト、悪かったとか?」
「……まあ、そんなとこです」
わかりきっていることを聞かれ、陽菜は苦い顔で答えた。
こんなに悪い点数を取ることがこれほどまでに恥ずかしいとは思わなかった陽菜。
「あ、赤点取っちゃって」
「え……御巫さんが」
どんな印象を持っていたのか、凛太郎は驚いたように言った。
いや、確かに授業や課題などきっちりこなしているが、そこまで頭がいいという印象を抱かれることもあるまい。……前に英語の授業でやらかしたことあったし。
「ま、まあそういう時もあるよ」
「……うん」
どう慰めていいかわからない様子の凛太郎。
それは陽菜も同様で、どんなふうに振る舞えばいいかわからなかった。
「ちなみに楠木くんは?」
「大丈夫だった」
「そうなんだ。楠木くんって頭よさそうだもんね」
「いや、まったくそんなことはないと思うよ」
言って、凛太郎はその答案用紙を恥ずかしがることなく見せる。
「四一点……」
めっちゃギリギリだった。
なんかすごく堂々としているからてっきりいい点数なのかと思いきや、そんなことはなかった。
(普通、こんなギリの点数取ったら『危なっ!』みたいなリアクション取るでしょ)
しかし隣の彼はと言えば。
返された自身の点数を見て、ふむと頷いただけだった。
頭のいい人の貫禄ある姿かと思ったのに。
全然違った。
「こんな点数ばっかだから」
「そうだったんだ。でもずっと授業中寝ててよく取れるね」
「授業なんか聞いてもわからないからね。なら最低限の点数が取れるように自分で勉強したほうがいいかなって」
「ほ、ほう」
なんか含蓄のある言葉だった。
むしろ赤点を免れるという目標達成のために効率を重視した勉強の仕方に尊敬してしまった。成績なんて最低限あればいいみたいな考えがすごい。
だって答案用紙見ても、難しい問題は無回答で、第一問とか簡単なのだけ確実に正解している。なにこれ、完全に頭いい人でしょ、これ。
「わたしにもそのやり方教えてよ」
「やめたほうがいいよ」
「え、なんで?」
「一歩間違えれば赤点だからね」
「で、ですねー」
熟練者のそれだった。
おそらく彼の才能なのだろう……陽菜には無理だ。
「勉強なら……」
「ん?」
ちらりと廊下側のほうを向いた凛太郎は「いや」とかぶりを振る。
「なんでもない」
「そう?」
気にはなりつつも、それ以上なにも言われなかったので陽菜は自身の答案用紙を再び見つめて、はあとため息をつくのだった。
――――
「ぷぷっ。陽菜ちゃん、赤点だったんだ。……うける」
「よし、夕莉。歯を食いしばれ」
異世界帰りのチートパンチを炸裂させようとする陽菜。
授業と授業の合間の休み時間。
数学の中間試験が返却され、どうだったと聞いてきた友人である滝本夕莉と神代麻衣。
正直に赤点であることを明かすと、夕莉は普通に馬鹿にしてきた。
「そういう夕莉はどうだったのよ」
「四八点!」
「負けたああああ!」
普段なら夕莉よりも陽菜のほうが成績はいい。
これまで返却された中間試験だって、ずっと勝っていた。
それなのにまさかこんなお馬鹿な子に負けるとは、と陽菜は再び消沈してしまう。
「あんたはなにやってんのよ……」
「や、だってさあ」
呆れた様子なのは麻衣だ。
彼女はクラスでも一位、二位を争うくらいの頭のよさを持つ。
学年でもトップ一〇には必ず入っている。優秀な生徒なのである。
だれかさんたちとは違って。
「けどまあ仕方ないか。今回はいろいろあったからね」
「だ、だよね」
「ってそれとこれとはべつ」
「痛っ」
額にデコピンを食らわせられる。
「なにを赤点取ってんのよ。……夕莉じゃないんだから」
「ちょっ! 麻衣ちゃんひどい!」
一度赤点を経験している夕莉は、ぶーっと頬を膨らませていた。
「そんなにやばかったんなら言ってよ。協力したのに」
「ごめん。わたしもこんなにできなかったとは思わなくって」
「いや、大体数学だと陽菜はこんなんよ」
「ええ!? 嘘でしょ!?」
「何度私が陽菜の不出来さを見てきたと思ってんのよ」
「毎度毎度お世話になっております。麻衣様」
言われてみると定期試験前には麻衣に助けてもらっていた。
今回は頼らずに行けるかなと思っていたが、ただの自惚れだったらしい。なぜにそんな自惚れた行為をしたのかは陽菜自身わかっていないが。
「追試だけど、わかんなかったら言ってね。教えるから」
「ありがと麻衣ぃ」
「私も教えたげる」
「や、夕莉はいいわ」
「ふたりしてひどいっ!」
ぎゃーぎゃーうるさい夕莉を連れて「じゃあ、頑張りなさいよ」と言って麻衣たちは自席に戻っていった。
ばいばーいと手を振り終えた陽菜は、廊下側の席が沸いているのに気づく。
その中心にいたのは牛島陸也だ。
彼はまるでどこかの国王を彷彿とさせるように偉そうに席にふんぞり返っている。
そして陽菜が見ているのをしっかりと確認し――
――自身の答案用紙(九八点)を見せびらかしてきた。
そう、あんな彼だが頭はめちゃめちゃいい。
麻衣にも引けを取らないくらいに。
(殴りたい……)
なんとかその思いを堪え、表情を崩さずに席につき、何事もなかったかのように次の授業の準備に取り掛かった。
なんか余計に牛島陸也のいる一角がうるさくなったような気がするが気のせいだろう。




