28話 女子高生、後輩の想いを聞く
「陽菜先輩ちょっと速すぎません?」
「うん、ごめん。わたし、足には自信あって」
走り始めてから五秒と持たずに捕まえた陽菜。
さすがは異世界帰りのチート級の身体能力を持つ女だ。
常人の香織など相手ではない。
なんか一気に雰囲気をぶち壊した感は否めない。
あの状態のまま話すというのも気まずいのでふたりで歩いて近くの公園まで来ていた。
「はい、これあげる」
「ありがとうございます。あ、お金」
「だいじょーぶ。アルバイトはしてないけど、お金は一応あるから」
「でも」
「後輩にたかるような先輩にしないでくださーい」
意地悪く言って、陽菜は香織にお茶を差し出す。
彼女は遠慮がちに手を伸ばして受け取り、もう一度「ありがとうございます」と礼を言う。
「どーいたしまして」
陽菜も自分のお茶のプルタブを開けて一口飲む。
そのまま公園のベンチに腰掛け、隣に座る香織も「いただきます」と言って飲み始める。
「…………」
公園は閑散としていた。
遊具も砂場もどれもこれも寂しく映る。
もうすでに子供たちの姿はなく、日も沈みかけていた。
近くで夕刻を告げる鐘が鳴り、それが合図となったように香織が重い口を開く。
「わかっていたんです」
ぽつりと落とされた言葉がなにを指しているのか言うでもない。
「陽菜先輩に聞かされる前から、ずっと……総士くんには他にも大事な人がいることが」
「知って、たんだ」
「はい。最初は違うかなと思っていたんです。でもデートする日とか、デートする時間とか調整されたり、ドタキャンとかされたりして。……受験で忙しいのかと思って特に気にしてはいなかったんですが、そういうことが頻繁にされて。それで前に遊んでいる時に電話がかかってきて、その電話に出て……その会話の内容や聞こえてきた声から、そうなんだと」
「そんなことが……」
思い出すのも苦しいのか、香織は唇をきゅっと引き結んだ。
デート中に他の彼女と電話をするという赤司総士という人間のクズさが目に浮かぶ。あんなことを平気で言うやつだ、優先順位の高い相手からの連絡ならば取ってもおかしくはない。
「けど、やっぱり信じられなくて。総士くんからも直接聞いたわけじゃないし、見たわけでもなかったから。……でも、今日見て、本当だと知って…………受け入れられなくって逃げ出していました」
逃避に至ったのは、やはり信じていた人からの裏切りであった。
薄々は感づきながらも、決定的なものは見て来なかったから。
けれど、今日初めてそれを目の当たりにして。
香織は。
「陽菜先輩。この前はごめんなさい」
「えっ」
急にこちらを向いたかと思えば、頭を深く下げられる。
「ただ陽菜先輩は教えてくださっただけなのに、あんなひどいこと言って……。嫌だったんです。陽菜先輩はいつも正しいから……それが嘘じゃないってわかっていたから、余計に嫌だったんです。……総士くんに他にも彼女がいることが本当だってことを、信じたくなかったんです」
「いいよ。わたしも考えなしに伝えちゃってたわけだし」
「違います。陽菜先輩は悪くありません。だって私のためを思って、言いにくいことを伝えてくれました。別れることが一番だって、私のことを考えてくれていました。それなのに私は彼のこと知らないだとか嫌いだとか散々ひどいことを言って……」
「いいって。香織ちゃんだって苦しかったんでしょ」
震える手を握ってあげる。
「ごめんね。わかってあげられなくって」
「優しすぎますよ、陽菜先輩は」
香織はもう大丈夫だというふうに陽菜の手を優しく返す。
「でもごめんなさい。私、やっぱり総士くんとは別れません」
すっきりとした顔で香織はきっぱりと言い放った。
「どう、して……?」
どうしてそうなってしまうのか。
どうしてあんな場面を目撃してまで。
どうしてそんな顔でそんなことが言えるのか。
陽菜はわからなかった。
本当の恋なんてしたことのない陽菜にはまるでわからなかった。
「好きなんです」
理由は至ってシンプルだった。
好き。それが恋であり、それ以外の理由はないのだろう。
「他の人がいようと、私が何番目だろうと、好きなものは好きなんです」
揺るぎないその強い思いが陽菜に伝わってくる。
「馬鹿だと思います。間違っているのかもしれません。けど落ちちゃったんです」
恋に、と続けた香織の表情は恋する乙女そのもの。
恋に憧れを抱いていた彼女はこの恋に真っすぐ突き進む。
苦い思いも、苦しい経験も、この恋を成就するために乗り越える。
それが花澤香織という女の子が選んだ道。
「いつか総士くんの一番になりたい。私しか見えないくらい、好きになってもらいたい。私はそのために頑張るだけです」
「香織ちゃん……」
覚悟を決めた少女の表情はとてもたくましく見えた。
別れるのが彼女のためだと。
別れるのが賢明な判断だと。
別れるのが正解だと。
別れるのが普通だと。
けれど違った。
御巫陽菜は彼女に傷ついて欲しくなかった。
花澤香織は傷つくことなど覚悟の上だった。
「ごめんなさい。でも駄目なんです。忘れられないんです。あの時の気持ちは」
陽菜にはわからない。
だからこそ、否定することもできない。
「香織ちゃんは、辛くないの?」
「辛いですよ」
即答される。
「総士くんの頭の中に私以外の人がいるのが。私以外の人に気持ちがあるのが。けどそれを上回るくらいに好きなんです」
たははと自嘲的に笑う。
「本当にありがとうございます。私のためにいろいろ考えてくださって、迷惑だってかけちゃいました。ごめんなさい。けどもう大丈夫です。もう平気ですから」
真っすぐに陽菜のことを見つめる。
その瞳はなにを言っても無駄なくらいの強さを帯びていた。
「わかった。香織ちゃんがそう言うんなら、わたしからはもうなにも言わない」
でも、と陽菜は続ける。
「耐えられなくなったら言うんだよ。わたしはいつでも飛んでいくから」
「はい。陽菜先輩は陸上部並みに足速いですもんね。お願いします」
そんな軽口を言えるくらいに元気になっていた。
きっと大丈夫。
彼女ならばこの恋だって実らせるだろう。
あまり望んではいないが、彼女の真っすぐで強い思いに負けて彼も更生してくれるだろう。
そんなふうに楽観的に陽菜は考えていた。




