聖なる騎士
不穏な空気と闇が、外から流れこんできた。だが瞬時に扉は閉じられ、室内の気圧がふたたび安定してよどんだものに戻った。
「い、いらっしゃい」
主人が戸惑いつつ媚びた声を出す。
銀色に輪郭が輝いていた。出入り口脇のランプに照らされ、外部に巣喰う暗闇を払うように。グラス越し曲面に映りこんだ背後の影像を見ると、騎士がひとり立っていた。
「何か新しい情報はないでしょうか」
頭部全面をおおう兜の内側から、爽やかな男の声がした。
「いや、残念ながらいまのところ何も」
脱ぐとほどよく引き締まった壮年の、精悍な男の顔が現れた。ところどころ汚れてはいるが、見てすぐそれとわかる高価で頑丈そうな銀の鎧だった。特殊な材質なのか、それとも男の肉体がよっぽど鍛え上げられているのか、重そうな素振りを毛ほども見せずに軽やかな足どりで、眠りこんだままの酔っ払いと私のあいだの、ちょうど真ん中のカウンター席に歩いてきて坐る。
着座したとき、腰に差した大振りの剣の鞘が乾いた金属の音を鳴らした。かたわらの椅子に鎧兜を置く。
「聖騎士、様……」
テーブル席の賭けに興じる下卑た男たちから、驚嘆した呟きがもれた。
聖騎士──生まれながらにして精霊の力を授かり、さる高貴な血筋を引く選ばれし人間。ふだんは国や町村から依頼された重要な仕事だけを、少数精鋭の部隊を率いてこなすという。甲冑に刻まれた神聖な象徴の紋章は、教皇に認められた者にしか許されないと聞く。
「ちぇっ。ツイてねえ」
「親爺、今夜はもうお開きにするよ」
「どうも、変なやつが来てからツキに見放された感じだぜ」
急に三人は卓上のカードをかき集めると、私のほうを一瞥睨み、そそくさと店を出ていった。
騎士はさして私に気をとめることなく眼もくれず、主人に遅めの晩飯を頼んだ。連日モンスターとの戦闘で疲弊しているというので、スタミナ回復に血の滴るような分厚いレアステーキが供された。
うるさい連中がいなくなり、すっかりしずかになった店内に、泥酔した老人が立てる鼾と、甲冑を装着したまま肉に食らいつく男の咀嚼音だけが響く。
「因果応報……。暗殺者はいったい“どちらか”」
グラスを両手で包みこむようにして掴みながら、私はおもむろに独りごちた。
「さあて、どうだろうな。アイアンクローのような鋭い鉤爪状の武器でひとり殺られてるところを見ると、そいつはそうとう手練れの武闘家のようにも思えるし、べつのひとりは高温の火できれいに燃やされたと聞くから、炎を操るのもお手のものだという魔導士の仕業とも考えられるしな」
沈黙にいたたまれなくなったか、酒場の主は話を蒸し返した。
「ヒト、じゃあないんじゃねえかって噂もある。怪力、鉤爪、火焔放射ってえと、たとえば暗殺者の正体はドラゴンの類いかもしれん」
なるほど。だが、もし竜の化け物が暗殺者の正体ならば、夜中とはいえ町中ではあまりにも目立つし、ゆえに誰にでも警戒されてしまうだろう。なかには竜人族という、自在に人型に姿を変えられるドラゴンの種族もいるというから、あながち可能性のまったくないことでもなかろうが。
「惨殺されたもんには女もいたってよ」
主が騎士の顔色をうかがいつつ、私の反応も見て言う。
関係ない。命を賭金にしたやりとりに、性別も年齢もない。ましてや国や種族などあらゆる属性に関係なくこの世界は、自らが生きるためなら他を殺すことさえ厭わないものばかりなのだから。