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日だまりinコーヒー

この作品は、他サイトでも投稿しております。

カバンは今日も重かった。私の詰め込んだ書類でずっしりと。





ビルから出た途端、妙に暖かい空気が私を包んだ。薄く化粧した肌に、その日差しはちくちくと刺さった。私は眼鏡越しに黒い鞄を見やる。




 また駄目だった。






 太陽が地面に光と影の陰陽をぼんやりと映し出している。とりあえず日陰を探そう。今日は焦って帽子を忘れてしまった。





 黒いパンプスがカコカコと足元で音を立てる。頭がぼんやりとしてきた。ああ、探すのは日陰じゃなくてクーラーの効いたコンビニの方が良いかもしれない。こんなことならカーディガンなんて着てくるんじゃなかった。もう夏だ、と太陽が主張してきているような気がしてならない。







 …バカみたいだ。







私の選択は間違っていた。いや、自分でも薄々それは感づいていた。が、肯定する勇気が私には無かったのだ。


 私の出した答えは、今鞄の中で私の足を重くしている。



この答えを選んだ私を責めていた。





 (…夢ばかり見るな、とでも言いたいの?)





私はじっと鞄を見たが、答えるはずがない。どうやら暑さで頭がやられたようだ。早く日陰を探そう。





はた、と、私の足が止まった。道の端に、ひっそりと建っている建物に、目がくぎ付けになった。







私を誘い込むように、カフェモカの匂いが横切った。まるでおいでおいでをするように、看板がキィコ…


と揺れる。






『喫茶 ミキト』





看板には白い字でそうあった。





 通い詰めた建物のすぐ傍なのに、全く気付かなかった。

こじんまりした雰囲気のそのカフェは、隠れるようにそこにある。





吸い寄せられるように、ドアを開けた。カラコロ…とドアの上の鈴が鳴る。それなりに涼しい空気が鼻へ抜け、同時にコーヒーの香りがふわっと吹き抜けた。





(あ、コーヒー)





私はコーヒーが好きだ。眠気を覚ますためにと飲んでいたものだが、いつの間にか落ち着くために飲むようになった。それも自宅のコーヒーメーカーで作るものでなくては駄目で、他の喫茶店で飲んだものはどれも私を満足させるには至らなかった。





(…ここのコーヒーは、どうなんだろう)



妙な期待が膨らみ始めた。私は香りが染みついたカウンター席に腰を下ろす。そしてメニューに目を通し、コーヒーを頼もうとして店員がいないことに気付いた。





「…すみません」



小さい声で言うが、誰も出てこない。

「…すみません!」


先程より声を大きくすると、やっと扉の向こうから声がした。




「はいはーい!」




あたふたとドアを開け、マグカップを持って現れたのは、いくつか年下と思われる顔立ちの整った青年だった。






くしゃくしゃのライトブラウンの髪がほわっと揺れ、優しげな印象を醸し出す。その髪が日だまりの中でさらさらと流れた。




「…お、お客さんですか?」

見てわからないんだろうか。私が無愛想に「コーヒー」と言うと、その青年はタレ目を細めて笑った。


「少々お待ちください」





コーヒーを目の前で淹れる青年。年の割には慣れた手つきだ。

「…ここのバイトは長いの」


何気なくそんな言葉が口をついた。青年はきょとんとした顔をして、言葉の意味に気付いて笑った。




「バイトじゃないですよ。店長です。ミキトって言うのは僕の名前です。」





今度は私がきょとんとする番だった。店長…店長?

この青年が?

「…ミキト…さん?」


「はい。ここに喫茶店を開いて二年です。」


ミキトは人懐っこい笑みを浮かべた。そして淹れ終わったコーヒーを私の前に置く。

「どうぞ」


私はまだ信じられないままコーヒーのカップを取る。淹れたてのコーヒーの香りが私の周りを囲むように広がった。



ふう、と息を吐くと、コーヒーから立ち上った白い湯気が揺れて消え、黒い水面から新たに湯気が上がった。



口元に暖かい陶器のカップのふちを当て、少しだけ傾ける。口に少量ふくんだコーヒーは苦すぎず、深いコクを舌に残す。私はカップを口から離した。



「…おいしい」

「本当ですか!」


ミキトが嬉しそうにカウンターから身を乗り出した。




正直、私も信じられない。今まで飲んだコーヒーの中でも、これは比べ物にならないくらい美味しい。私はコーヒーを瞬く間に飲み干した。白い陶器の底に残る黒い液体を見つめている私を見てミキトは嬉しそうに目を輝かせた。



「嬉しい…今まで美味しいって言ってくれるお客さんいなかったから…」

「不評だったの?」

「お客さんが来なかったんですぅ」


ミキトが照れてくしゃくしゃの頭を掻く。なるほど、こんな人目に付かないところに店を構えれば当然だろう。



「前は別の所でやってたんですけど、お客さんが来ないから移転したんです。お客さんが初めてです。僕のコーヒー褒めてくれたの。」

ミキトは少し自嘲するように笑った。その笑顔を見て、私は何だか心が温まるような気がした。

「…褒めない方がおかしいよ。飲まないと一生後悔する。」


私が言うと、ミキトは心底嬉しそうな顔をした。




「嬉しいなぁ…お客さん、名字朽木っていうんですか?」


突然名前を言い当てられ、私は動揺した。が、それが私のカーディガンのポケットから覗く名刺で分かったのだと気付いた。




「…そうよ。朽木アサカっていうの」

「仕事は何をされてるんですか?」

折角仕事のことを忘れようとしてたのに。じっとミキトを睨むが、彼は私の苛立ちになんか気付いていないようだ。私は仕方なく口を開いた。

「…作家」

「へぇ」

ミキトが目を丸くした。そして、小首を傾げた。

「どんなジャンルですか?」

「ノンフィクション。心温まる話が書きたくてなったんだけど、編集からダメ出しばっかり。もう嫌」


窓側を向く私を見て、ミキトは黙ったままだ。じっと見られているのが居心地悪くなり、私は自嘲気味に笑った。






「…こういう天気の日は卑屈になっちゃうわ」

「…晴れてますよ?」


「晴れは嫌い」




強い口調で言う私に気圧されたようにミキトは目を丸くしていた。だが、やがて真剣な顔になって言った。






「晴れないとコーヒーは出来ませんよ」





ミキトの真剣さに私は少し驚いた。ミキトは依然真剣な顔のままカップにコーヒーを注ぐ。



「太陽が無かったら太陽光発電とかいうのも困るじゃないですか。それに、子供達も外で遊べなくなります。」


言い終えて、ミキトは最初コーヒーを頼んだ時の笑顔でにっこり笑った。








「好きになってみてください。きっと思ってたより悪くないと思いますよ。」

「…」

好きになる、か。


私は窓の外を見たまま、ミキトの言葉を口の中で呟いた。



そう悪いものじゃないのかもしれない。



「朽木さんコーヒー好きでしょ?」

そう言ってミキトはコーヒーを差し出す。

「頼んでないけど」

「おかわりですよ」


人懐こそうな笑みを浮かべるミキト。その笑顔を見ると、なんだか心がほんわりと温かくなる。私はカップを受け取り、またコーヒーを口に含んだ。



そういえば、最初はこのコーヒーも苦手だったんだっけ。大人が飲む、苦い苦い飲み物。好奇心から幼い頃飲んでみて、あまりの苦さに嫌いになったんだっけ。




でも今大人になった私は、コーヒーが大好きになっていた。あんなに嫌いだったのに…








「コーヒーが好きなら、日だまりだって好きになれますよ。コーヒーと日だまりはよく合います。」








そう言って、ミキトはにっこり笑った。




編集からОKをもらい、私はビルを出た。頬に当たる日は心地よかった。そよぐ青葉だって、吹き抜ける風だって。







あの後、一度喫茶ミキトに立ち寄ったのだが、そこには店自体が無かった。また移転したのか、と近くの人に聞いたが、その土地には元々店は無く、昔から売地だというではないか。







もう二度とあのコーヒーは飲めない、とは思わなかった。まだどこかに、あの店はあると思ったから。








私は空を仰いだ。太陽は私達を抱きしめるように青空の中で照っていた。










『コーヒーと日だまりはよく合います。』



そんな言葉を思い出し、私はくすりと笑った。


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