山間のヒルバレー
行商人が御者席から声をかけられて起き上がる。
「神官様。神官様。もうすぐヒルバレーですぜ」
「ん、う? ああ。すみません。寝てました」
積み荷の間で寝ていたら体が凝り固まったらしく、そこかしこが痛い。
「ほら、そこの丘を越えれば見えてきまさぁ」
凝りを解すために関節を動かしなごら、苦笑する。随分と長い間寝ていたようだ。
「もうそこまで来ましたか。そちらに移動してもよろしいですか?」
「どうぞお越しくだせぇ」
御者席に移動する。馬車を護衛する冒険者だか傭兵だかと目が合ったので会釈した。
六年ぶりの故郷にようやっと辿り着くのだと幼き頃を思い返す。
厳しくも慈しみ、育てて下さった司祭様や勉学の合間に遊んだ友人。旅立つ私の唇を奪いとった生涯の伴侶。遠くから見守る私の両親。
ようやっと会えるのだ。
丘を登りきり、懐かしの故郷が……
ーーえ?
慌ただしく指示を飛ばす行商人の声を聞いて我に返る。
気づけば馬車を反転させ、来た道を急いで戻っていた。
「そんなっーー」
続く言葉を飲み込む。仕方がない。行商人は余所者で、冒険者や傭兵は彼の護衛なのだ。
彼等がいれば、村は助かるかもしれないのにっ!
荷台にある荷物とメイスをとっ掴み、魔力を身体中に廻らせる。
「降ります! ありがとうございました!」
魔力障壁を展開すると馬車から飛び出す。
「飛翔!」
地につく前に飛翔する。メイスと荷物の重みで速度は出ないが走って丘を越えるよりは早いだろう。
村の安全を乞い願う。
「天地に坐します神々よ。我等が村に御加護をお与え下さい」
身体が重くなる。この重圧は神より加護を賜った徴なのだと頼もしく思う。
「我に祝福を下さりしチャート様。その恩腸を我等にお与え下さい」
村はもうすぐそこだ。
回復神チャート様の恩恵により、体力は満ち足り、魔力も充填される。
村を襲っていた存在、ゴブリンを発見すると飛翔を解いてメイスで頭をカチ割る。カチ割る。カチ割る。
飛翔による速度によって威力の増していたメイスの破壊力は僅か三体を打ちのめすのみで終わってしまった。
「天地に坐します神々よ!」
祈りの言葉を高らかに唱える。
「我に、力をっ!」
力が、満ち溢れた。
肉の燃える臭気が辺りに充満している。
闇夜の中、明々と燃え盛る焔を眺めていると、足音に気づく。
「神官様よぉ。少しは食べなきゃダメだぜぇ」
笑みを湛えてベーコンとレタスを挟んだ黒パンを差し出すのは、近隣の町ラインホップを拠点にする冒険者の一人だ。
「分かっては、いるのですけどね」
隣へと座りこむ彼に、食欲などないのだ。と辞退する。
「んー。じゃあ、水だけ。水だけでも飲まなきゃ。な?」
彼は黒パンを葉で包むと傍らに置き、水筒を差し出す。
ああ……困らせているな。
「そう、ですね」
水筒を受け取ると、口に含んでグフッと吹き出す。
「これっ! 酒じゃないですか!」
袖口で口許を拭いながら、冒険者に酒入りの水筒を突き返した。
「ハハハ。悪かったって。ほれ、水だ」
水筒を受け取ると臭いを嗅いでから飲む。今度はちゃんと水だった。
「警戒してんなぁ~。いや、からかってホント悪かった。ーーでもな、神官様」
大きな、タコのできた手で頭をかき撫でられる。
「助けられなかったと、後悔するのは仕方ねぇ。あと一日、早く着いてさえすれば、とな」
思っていたことを当てられて、奥歯を噛み締める。
「でもな」
言葉を止めた、彼を見上げる。
「自分のことを疎かにするのはいただけねぇ。死んだ奴らに心配させんなよ。天国に行けねぇだろうが」
俯く。司祭様なら、どうするだろう。
「弔ってやんな。あんた、神官なんだろ?」
その言葉に頷いた。
昇天の儀を執り行うため、祭殿の物置から神具を取り出す。運良く、ゴブリン達は食糧にしか興味がなかったのか無事だった。
燃え尽きかけた炎の周りをぐるりと縄で囲い、天井のない結界を構築する。
祭司の正装に着替え、祭壇に昇る。司祭様や先生から習ったことを反芻する。
えっと、まずは天地の神に魂魄の浄めを求める。
「天地に坐します神々よ。奪われし命の魂魄を漱ぎ浄めたまへ」
次に、天の神に魂を導きを求める。
「天に坐します神々よ、彼等が魂を天上へと導きたまへ」
最後に、地の神に魄の眠りを求める。
「地に坐します神々よ、彼等が魄を安らかな眠りに導きたまへ」
天地に坐します神々よ。彼等に安らぎを与えたまへ。
神具を片付け、正装から着替えると、外に冒険者達が集まっていた。
「皆様、村のためにお集まり下さり、誠にありがとうございました」
深々と頭を下げる。もしかすると、せっかく来てくれた彼等に、何故もっと早くに来てくれなかったのか。と怨みがましい眼で見てしまったかもしれない。
……神官のくせに。
「なに。俺たち冒険者は魔物退治が生業なんだ」
「それとこれとは、別の話ですから。……それと、助言も、ありがとうございました」
彼はフっと笑う。
「お若い神官様が破滅する前に助けれて良かったさ」
「破滅?」
何の事かを訊ねる。
「狂信者や欲にまみれた神官ならともかく、まっとうな神官様だと村が壊滅すると生きる気力をなくすことが多いんだ」
「そういうまともな神官様が必要だってのに、困った話だぜ」
「女神官様だと伴侶以外とキスするだけで自殺しようとしたりな」
「オメー、それは極端すぎるだろ」
「下手すりゃ気力だけじゃなくて、頭を壁に打ち付けて発狂したりな」
口々に答えが返ってくる。そんなに危なかったのだろうか?
「私もーー危なかったのでしょうかね?」
『ああ、あれは危なかった』
異口同音に返ってきた。
気をつけよう。どう気をつけるかは分からないけれど。
翌朝、私は頂いた黒パンを咀嚼し、水で流し込むと魔法で墓を堀り始める。
日が上るにつれ、崩壊しない程度の民家から疎らに冒険者達が起き始め、不寝番と交代する。
私を手伝いスコップで墓を掘る者や、素振りをして鍛練に励む者と様々だが、昼を過ぎる頃には墓を掘り終えた。
「そろそろ昼にしようぜ」
「え」
「はいはい。行くぜ、坊主。あんた、魔法使えんだろ? 水出してくれよ」
「そうだな。自分の面倒をちゃんとみれないガキなんざ、坊主で十分だよな」
冒険者達に肩を抱かれ、背を押され。広場に向かった。
広場につくと、若い冒険者が軒並みいなくなったことに気づく。
「若い奴らは帰ったぜ。あいつらはまだ、他人の面倒を見るような余裕ないからな」
「あ」
この人達は自分のために残ってくれているのだと、ようやく分かった。
「ありがとう、ございます」
「オラ、火と水。早くしてくれよ」
「はい。行きますよ。火よ。水よ」
次次と薪に火をつけ、鍋に水をはっていく。水が沸騰したら、冒険者が具材を入れて煮込んでいった。
明朝。静かに鎮魂歌を歌いながら墓石に銘を刻む。
『ヒルバレー村民ここに眠る』
一人一人に墓石を作るのは断念した。判別が出来なかったのだ。
「天地に坐します神々よ。天に昇りし魂と、地に還りし魄に安寧を与えたまへ」
刻みこんだ墓石を水で洗う。
「それじゃあ、行ってくるね」
広場に行くと、最後まで残ってくれた黒パンを下さった冒険者パーティーが待っていた。
「お待たせいたしました」
「おう。出発するぞ」
「はい」
荷物を背負い、メイスを担ぐ。
昨日の昼過ぎにやって来た商人が無事だった家財道具を買い取っていったので懐は潤っている。数日は何とかなるだろう。
「冒険者ギルドに所属するんだったな」
「はい。住処をなくした神官は巡礼しながら施しを与えることになってます」
「う、わ。……そうかい」
「縁があれば、よろしくお願いいたします」
「おうよ」
こうして私は故郷を後にし、巡礼に出る。