第2話 五十猛の神勅
龍城王のもとに、宇佐津彦の母である正室と、女国の王女である側室に、宇佐津彦や龍城国につかえる有力者、役人、舎人、神官が集まって、巫女に神が憑依するのを待っていた。
きっかけは、昨日、宇佐から帰ってきたばかりの宇佐津彦の一言である。元服の際に宇佐の地名を名前にするほどだから、彼は余程宇佐の地が気に入っているのであるが、仲良しである父の側室に呼ばれて昨日、下関に帰ってきたのだ。
そこで早速、父親と激しい口論になったのである。
「宇佐津彦よ、お前は正妻の子であるにもかかわらず、そこまで私の側室の肩を持つのか…」
そう、嫌味っぽく言う龍城王に、宇佐津彦も返した。
「そりゃ、父さんよりも私の方が年も近いし、それに、八女国の王女なんだから、肩を持って何が悪いの?それより、優生令、だっけ?あんなので、せっかくの第二皇子を殺すというのは・・・・」
「お前は、あんな卵のような物体を、弟だとでも持っているのか?」
「あ、もしかしたら女の子かもしれないね。」
「そういう問題じゃない!!人の形をせぬものは、葦船に入れて海に流すべし、これは、国生みの時より伝わる神々の掟だ!」
「神々の掟?本当に神様がそんなこと、言ったの?漢支那(中国)じゃあ、異形の子は生まれながらにして徳を持っている証拠だ、と言われているよ?」
「うるさい!!!そこまで言うのであれば、お前たちの前で神意を問うてやる!」
そして、今日。
今、巫女が神に対して祈っているのだ。神を呼ぶために、年配の神官が琴を弾いている。その様子を見つつ、宇佐津彦は隣に座った父の側室に声をかけた。
「お久しぶりです。」
「ああ、宇佐津彦様!貴方様ならば、私の子供を守ってくださると思いまして。」
「やはり、そうでしたか。父上も、領民優生令を出した建前、卵で生まれた子を自分の子と認めたくはないのでしょう。」
「そうですか・・・。しかし、私にはどうしても、あの子が立派な人間の子に育つように思えてならないのです。」
「私もそう思います。神様も同じことをお考えでしょう。」
この時代、神の存在を疑う人間は、まず、いない。宇佐津彦も例外ではなかった。
神様は巫女に乗り移って、必ずや、正しい判断を下す――純粋に、宇佐津彦は、そう思っていたのだ。
ところ、が。
突然、巫女が倒れて、男性の声で話し始めた。神官の弾く琴の調子が激しくなる。
「私は、素戔嗚尊の子、五十猛である。」
それを聞くと、その場にいたものが一斉に平伏した。宇佐津彦もそれに倣おうとすると、いつの間にか後ろに立っていた母が、耳元で小声で「やめなさい」と呟く。それがどういう意味か、宇佐津彦にはわからなかったが、とりあえず立ったままで巫女の声を聴いていた。
「お主らは、卵の姿をして生まれた御子の事が聞きたいのであろう?育ててはならぬ!もしその卵が孵ると、彼は、八尋戸野造の孫から、倭の大王の位を奪うであろう。」
周りがざわついた。宇佐津彦も、自分の顔面から、血の気が引くことが分かった。
筑紫君・八尋戸野造は、天孫瓊瓊杵尊の子孫であり、倭国を代表する大王として、中国や朝鮮友交易を行っている。
この卵の子を育てれば、倭国の盟主である大王家を敵に回すことになるのだ!
「神意は下った!この卵を打ち壊せええええ!」
龍城王が叫ぶと、側室の王女が慌てて駆け込んで、泣きながら頼み込んだ。
「それだけはやめてください!せめて、神話にある通り、葦船に載せて海に流してください!お願いします!」
それを聞いた龍城王は、しばらく考え込んでから言った。
「宇佐津彦!この卵を、海に捨ててこい!」
「承知しました、父上!」
神様が捨てろというのだから、仕方ない。宇佐津彦にとって、神の判断を疑うことは、この世の存在を疑うようなものなのだ。
すると、王女が宇佐津彦の許へやってきて、「せめて、捨てる前に、この子の名前は付けてやってください」と頼んできた。
この時、宇佐津彦の頭に、一つの名前が浮かんだ。
「分かった。鈴木岩室、というのはどうであろうか?」