戦場の静寂
朝もやの中、二つの軍勢が向かい合った。
勇者側は小規模ながらも統制が取れている。
魔王側は圧倒的な人数だが、動きは緩慢で、あくまで抑制されている。
「……数、多すぎるな」
フィンが息を吐いた。
「ですが、焦らないでください」
セラは彼の横で落ち着いて言った。
「まだ、力を完全には出していません」
勇者は、拳を握る。
胸の奥に、かすかな違和感と懐かしさ。
無意識に、周囲の魔物や兵の動きを俯瞰する。
それは、戦いではなく“統制”だった。
最初の衝突は、思ったより静かに始まった。
剣は交わらず、矢も魔法も最小限。
だが、勇者の意志が通った瞬間――
魔王軍の前線が微妙にずれ、指揮系統が乱れる。
「……効いてる」
フィンが低く言った。
マレーネも頷く。
「命令していないのに、動く……」
影の中で、魔王は冷静だった。
「……やはり、あの力か」
心の中でつぶやく。
理性の力を信じ、戦わずに統制を崩す。
それこそが、彼のやり方だった。
勇者は怖かった。
自分の中に眠る何かを完全に理解していない。
制御できるかもわからない。
だが、仲間を守るために、抑制しながらも力を使わざるを得ない。
前線がわずかに崩れ、魔王軍の一部が後退する。
兵士たちは戸惑い、命令系統が乱れる。
セラは勇者の横で静かに呟く。
「……まだ止められる」
「……止めなきゃ」
彼は力の片鱗を抑えながら、指示を出す。
その瞬間、魔王が前に出た。
黒い外套が風に揺れる。
目に宿る光は、かつての勇者のものと酷似していた。
互いに、無言のまま距離を詰める。
「……懐かしいな、その癖」
魔王の声は、遠く、でも鮮明に届いた。
勇者は胸がざわつく。
戦慄ではない。――既視感。
周囲の兵も気づく。
戦いの行方は、二人の間だけで決まると。
空気が張り詰め、時間が止まったように感じる。
仲間たちは息を飲み、互いの動きを観察する。
戦場は静寂に包まれ、勝敗ではなく“誰が制御するか”の心理戦が始まった。
夜になり、戦闘は一時停止。
勇者は火を見つめ、胸の奥で静かに呟いた。
「……俺は、まだ、誰でもない」
セラが隣で、小さく言った。
「でも、あなたは今、ここにいる」
その言葉は、軽口でも冗談でもなく、真実だけが詰まっていた。




