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◆第六章 親子の絆

【これまでのあらすじ】

武田信玄のもとへ人質として送られた真田家の四男・喜兵衛は、その才を見抜かれ武藤家を継ぎ、若くして信玄の側近として成長する。川中島の戦いでは、上杉政虎(後の謙信)の白馬の突撃を目の当たりにし、その素顔が“女”であるという衝撃の秘密を知る。戦後、角間温泉で再び政虎と遭遇し、互いに言葉を交わさぬまま深い因縁を刻む。


五年後、上杉家重臣・斎藤朝信が謎の赤子を抱えて喜兵衛を訪ね、「預ける」とだけ告げて去る。赤子の寝顔に政虎の面影を感じた喜兵衛は、その子を自らの子として育てる決意を固める。政虎の秘密、赤子の正体、そして武田と上杉の宿命が静かに動き始めていた。


一方、越後では将軍義昭の檄文を受け、謙信がついに西へ動く。七尾城を平定し、加賀・手取川で織田軍と初めて激突。雷光の中を駆ける白馬、矢も鉄砲も逸れる神がかった強さに、柴田勝家でさえ「これは人ではない」と震えた。だがその絶頂の直後、歴史は無情に動く。


――「謙信、死す。」


神のように畏れられた存在の突然の死が、真田、武田、上杉、そして赤子の運命を大きく揺るがしていく。

 信州・上田の真田郷。


 春の気配がまだ遠く、山々には雪が残っていた。

 囲炉裏の前には、真田昌幸と兄・信之、弟・信繁、そして高梨内記の四人。

 その前には干し栗が小山のように積まれていた。


「今年は栗が不作と聞きますが、どこでこんなに…!?」


 内記がむさぼるように頬張る横で、信繁は薪をくべる父に問いかけた。


「父上……越後の上杉謙信様が亡くなられたって噂、本当なのですか?」


 昌幸は、手を止めて静かに頷いた。


「……そうだ。春日山で倒れ、そのまま息を引き取られたらしい。」


 少し間をおいて、兄・信幸が声を上げた。


「これは、好機です」


 真田の主君武田家と上杉家はこの時同盟関係にあった。だが、上杉家の精神的支柱である謙信が後継者を決めずに世を去った事で跡目争いは必至。今こそ北信濃を押さえるべきだと、信幸は力説した。

 昌幸もわずかに頷いた。この戦国の世において、信幸の考え方は至極当然であった。


「兄上、上杉は同盟相手。それは……義に反します」


 その声は穏やかだったが、揺るぎなかった。


 すでに越後は景勝、景虎の後継者同士の動きが活発化しており、いつ火を噴いてもおかしくない状況だという。すでに武田勝頼の元には、同盟相手の北条の血を引く景虎側を支援するよう要請が入っていた。

 そう話す昌幸の表情はどこか曇っていた。


「上杉謙信……どんな人だったんだろう。」


 信繁は、ぽつりと呟いた。その言葉を聞いた昌幸は、囲炉裏の火を見つめながら、ある冬の日の事を思い出していた。



 三月前。


「鷹狩に出るぞ。お前たちも来い」


 昌幸の声が、朝の寒気を切り裂いた。

 冬の鷹狩など、誰もが嫌がる。 雪深い山道、冷たい風、獲物も少ない。

 だが昌幸は、「冬こそ鍛錬になる」と言って、兄弟を強引に連れ出した。


 雪を踏みしめながら進む一行。 昌幸は、途中で信繁に声をかけた。


「信繁。お前はあちらの尾根を見てこい。獲物が潜んでるやもしれん。」


 言われるままに、信繁は一人、尾根の向こうへと向かった。


 雪の中、獲物を探していた信繁は、ふと何かの気配を感じた。

 弓を引きながらゆっくりと気配のする方に近づく。すると木陰で一人の女性が足を押さえて座り込んでいた。

 顔は雪に濡れ、唇は青く寒さで震えている。

 

「大丈夫ですか」


 声をかけると、女性はわずかに頷いた。


「凛と申します。薬草を求めているうちに迷ってしまい、足を……」


 信繁は、近くにあった山小屋へ彼女を運んだ。


 山小屋の中では囲炉裏の火が灯り、一人の浪人風の男が静かに座っていた。

 男は快く二人を招き入れ、凛の足を丁寧に手当てした。 その手は、武人というより、医師のようにしなやかで白かった。


「助かりました。ありがとうございます」


 信繁が頭を下げると、男は微笑んだ。


 名を尋ねると、少し間を置いて、「斎藤影家」と名乗った。戦に明け暮れる日々に疲れ、この山小屋で隠棲しているという。


「ところで、こんな時期に鷹狩とは、この地のご領主様のご家中、もしや源次郎信繁様か」


「ええ、いかにも。」


 信繁は驚いた。ここは真田領とはいえ、主家武田家の者の可能性もある。一目で真田の次男である自分の名前が真っ先に出てくるとは。


 影家は凜の様態が落ち着くまでと、二人を囲炉裏の前に案内し、暖かい汁ものでもてなしてくれた。今年信濃は天候に恵まれず不作であったが、多くの具が使われた暖かい味噌汁は冷えた体を芯まで温めてくれた。

 影家はさまざまなことを聞いてきた。幼い頃はどのような遊びをしたのか、大きな病気やけがなどはしたことないか、父や母はどのような人か、兄とは仲良くやっているか、など、信繁は目を白黒させながら、答えに窮してしまうほどであった。


「好物は何か?」


「栗です。干し栗は冬でも食べられるので、いつも持ち歩いています。ですが、今年信州では不作で手に入りませんので残念です……」


 影家は、妙に頷いていた。


 影家はどこか具合でも悪いのか、時折、咳き込み辛そうにした。信繁が心配して体をさすると、細身で筋肉質だが、どこか女性のようなしなやかさのある体つきであった。


 ふと見ると、肩口には大きな傷跡がある。


「昔の……勲章かな。」


 信繁の目線に気づいた影家は、傷口を押さえながら、そう言って笑った。その笑顔は、暖かく優しかった。


 冬の陽は短い。あたりはすっかり薄暗くなり始めていた。


「また、来ます」


 信繁はそう言って山小屋を後にした。持たされた松明の火が、昌幸らの迎えの松明の列へと向かっていく。


「立派に成長なさってますね。」


 凛がそう呟く横で、浪人影家を名乗った謙信の目は、少し潤んでいるようにも見えた。


「謙信様、お体にさわります。」


 側にいた斎藤朝信が、そっと声をかける。

 松明の列の中、一つの灯が左右に大きく揺れていた。その灯が山々に消えゆくまで見届け、三人は越後の方へと姿を消した。


「どうしたんです、父上。急に松明を大きく振って」


 兄信幸が不思議そうに尋ねる。


 信繁は、長時間離れたことで叱られるだろうと覚悟していたが、昌幸は何も咎めなかった。何も言わない昌幸に、信繁の方から話しかけた。


「父上、……不思議な人に会いました」


 昌幸は、そうか、とだけ優しく答えた。


 それからしばらくして、昌幸のもとに斎藤信朝から、謙信急逝の知らせが届いた。


 大量の干し栗と共に。



◆第七章「信繁出陣す」に続く

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