9話
職員室というものは、どんな年齢になろうとも緊張するものだ。
教室とは明らかに違う雰囲気を醸し出しており、そこにいる先生も教壇に立つ姿とはまた違って見えるから不思議だ。
ヴァリアはある日の放課後職員室を訪れる。
職員室に残っていたのは、プロギアだけだった。空席の机が並ぶ中、プロギアは眼鏡の端にヴァリアの姿を認め、こちらを見た。
ブルネットの髪がふわりと揺れる。
「・・・どうかしましたか?」
何か質問でもあるのかと、プロギアからしても遥か年上であろうヴァリアにも、子供相手と何ら変わらぬ笑みを浮かべる。
「えーと。少し、お話がありまして」
かしこまった様子に、書き物をしていたプロギアは動かすペンを置き、椅子ごとこちらを向く。
「何でしょう」
ヴァリアは決意に満ちた目で、頭の中で組み立てていた言葉を口にし始める。
「先生は、ダンジョンはご存知でしょうか」
このセントグランダムに住む者なら挑む、挑まないに関わらず、その名は耳にしているだろう。もはや、ダンジョンは世界に名を馳せる名所だ。
「・・・はい、知っていますよ」
昼間部にはそこに挑むダンジョン講習があり、夜間部にはそれがないこと。それを踏まえたうえで、クラスの人間を昼間部の講習に参加させてやりたいという話をヴァリアは伝えた。
プロギアの眼鏡が、灯る明かりを反射させる。
「ヴァリアくんは、元騎士でしたね」
「・・・は、はい」
入学願書にも、そう記したのを覚えているし、自己紹介でもそう言った。
「勉強をすると入学してきたというのに、もう剣の感触が懐かしくなりましたか?」
・・・ん?
その喋り方はいつもの口調だが、どこか棘のようなものを感じるのは気のせいだろうか?
「私がなぜ夜間高の教師をしているか、わかりますか?」
質問の意味がわからず、ヴァリアは言葉を飲む。
「昼間部にはある、忌まわしき制度を夜間部では行わなくていいからです」
昼間にあり、夜にないもの。ダンジョン講習のことを言っているのだろうか。
「ダンジョンに入りたいのであれば、貴方だけでどうぞ。ただし、子供を巻き込むことはなりません」
眼鏡の奥に、厳しくも鋭いものが宿る。いつもの、プロギアではない。
プロギアは、話は終わりとばかりにペンを持ち直し、書き物を続行させる。
「もう、夜も更けてきました。気をつけてお帰りなさい」
まるで子供をあやすように、プロギアはヴァリアの方を見ずに、そう言った。
取り付く島がないとはこういうことを言うのだろうか。話しかけるのも憚れる雰囲気を纏い、プロギアは書き物続行させたのだった。
ラトリオの落胆。
翌日、ヴァリアはプロギアへダンジョン講習への参加の許可を求めたが、いい返事をもらえなかったとラトリオに伝えた。
「・・・いっそのこと、勝手にダンジョンに行くか?」
名案とばかりにラトリオが呟く。
やめておいたほうがいい。子供は身元を確認されるだろうし、勝手にダンジョンに赴いたとなれば、どんなお叱りを受けるかもわからない。それに、それはもはや目的が変わってしまっているのではないのか?
「皆さん、おはようございます」
現われたプロギアに、クラスの視線が前を向く。
その表情は、いつもの先生だ。
まるで、昨日のプロギアの様子が嘘のように、穏やかにホームルームは終わった。
ただ、ヴァリアには昨日のプロギアの表情が忘れられなかった。
ダンジョン講習を否定しながらも、どこか悲しさを帯びた目のことを。
ラトリオの件を抜きにしても、ダンジョンに入るのは有りな気がしてくる。
それは、日に日に目減りしてくる財布の中身がヴァリアの焦りを引き起こすからだ。
勉強は確かに楽しい。頭の中に染み入る知識の感触がこの上なく楽しいからだ。
だが、現実は無情だ。
日々の食事、それに健康を気にするとなるとあまり食費を節約するのは賢明ではない。身勝手な食事メニューは控え、野菜や果物などののバランスを兼ねた食事を心がけると、金には糸目を付けないほうが良い。これから少なくとも4年間を健康的に過ごすのなら。
となれば、まともな職についたことないヴァリアが出来ることなどたかが知れている。それをダンジョン内の金品宝石に頼るのはいささか情けないところではある。つくづく自分は剣の下でしか行きられない存在なのだと思い知る。
栄養に偏りが起きないよう、野菜や果物を詰めた紙袋を片手に、買い物を終える。
幸いにもマーズが手作りのお菓子をくれたり、リアンは廃棄寸前のパンを恵んでくれたりと、食う物自体には困らないのはありがたいが、実際に年下に頼っている感じが悲しいところだ。
帰って授業の復習でもするか、と頭の片隅で考えているその時。
街の中、流れる人並みの中に見知った顔を見かけた。
プロギアだ。
夜間部の教師である彼女の姿を、日中である今に見かけようと、不思議ではないだろう。
・・・挨拶のひとつもしないのはおかしいよな。大人としての嗜みだ。
プロギアはその手に花束を抱えていた。贈り物のような豪勢なものではなく、2、3輪が収まった簡素な包みで。
その顔が、いつもの穏やか中に寂しさを含んだものであるのが、ヴァリアが足を一瞬だけ止めた理由だ。
人並みの奥にプロギアの背中が消えそうになる。
喧騒に意識を引き戻され、ヴァリアはその後を追ったのだった。
セントグランダムの外れの丘。
どこか寂しげな風が吹くそこは、無数の十字架が並ぶ。
プロギアだけでなく、ぽつ、ぽつと人の影が見える。
そこは墓地だ。
寿命か、怪我か、病か。
命を落とした者が還る場所。
ヴァリアのかつての仲間も、数名がこの地に目覚めることのない眠りに着いている。
助からない傷、名誉の戦死。様々な理由で、土の下へと埋められている。
プロギアは、ひとつの十字架の前に立ち止まると抱えた包を墓前に供えた。
そして指を組み、目を伏せ、祈る。
やがて指を解くと、くるりと振り向く。
ヴァリアと、目が合う。ヴァリアはバツが悪そうに、視線を逸らす。
声を掛けそびれた者の末路としては、あまりにも情けなく、間抜けだ。頭を掻きながら、ヴァリアは近づく。
「あー・・・。その、挨拶をしようとしたら、声を掛けそびれて」
その姿と理由に、プロギアは薄く笑みを零す。
「真面目なのですね。まるで貴方の書く答案のようです」
ヴァリアはまだまだ一般的な教養と知識を得たとは自分では思っていない。
そのくせ、テストでは答案用紙の空欄を全て埋めようとするのだ。それに全て赤丸が付くことはないのだが。
プロギアの見つめていた墓石は、石造りの十字架。地面の下に眠っている人物の名であろう文字が刻まれている。
プロギアの備えた花束と並んで、そこには古びた鞘に収まっている剣が置いてある。
その視線に気が付き、プロギアは憂いを秘めた表情へと変化させる。
「・・・私の、恋人でした」
ぽつり、とプロギアが呟いた。それの意味するのは、墓石に刻まれた名前だと気付いたのはすぐのことだ。でした、と過去形なのも。
「彼は、剣を手にダンジョンに挑む冒険者でした」
墓前に供えてある剣。その『彼』の忘れ形見なのだろう。
「彼は自信家では有りませんでした。石橋は叩いて渡るタイプでした。武器の手入れも欠かさない。訓練も怠らない」
真面目を絵に書いたかのような人でした。と、何かを思い出すようにプロギアは目を伏せ。
「でも、死んだ」
無念が口から零れるのを、滲み出るのを抑えるように。
「それが、ラトリオ君たちをダンジョンに向かうのを拒否する理由です」
あの時、職員室で言い渡されたダンジョン講習への参加拒否。
「この世に絶対というものはありません。どれだけ準備しようと、訓練を怠らなくても、修行を欠かさなくても。」
今現在に置いても、ダンジョンでの死者がゼロとは言えない。下層に行けば行くほど迷宮の構造は困難を極めるし、魔物もより強力な個体に置き換わるからだ。
それは、鍛え上げられた騎士の命を容易に刈り取るほどに、強く、残虐になる。
今のダンジョンは、死ぬ可能性が軽減されたわけではなく、無事に生きて帰る手段が増えただけなのだ。
それでも挑む者が絶えないのは、踏破という栄光、強力な魔物を倒すという力試しか。ダンジョン内に散りばめられた富をもたらす宝か。
「・・・先生の心配も、わかります」
ヴァリア自身も、危険な目に何度も遭った。ダンジョンでこそないが、命を引き取った仲間の姿を見てきた。
だが、ヴァリアたちは剣を置くことはしなかった。
自分たちが強くなること。それこそが仲間の、ひいては弱き者を守るための力になると信じているからだ。
それと。それ以上に。
仲間と力を合わせてひとつの目的に向かって進む。それが楽しかったのだ。
仲間との連携。限られた食料で生き延びる算段。与えられた役割を任された時の責任感。様々なことが、あの冒険からは学べた。それは、逆に学校では知り得ないことだっただろう。
それはきっと、若いラトリオたちにも影響を与える、良い経験になると思う。
「ラトリオたちは、俺が必ず守ります。彼らに、ダンジョン講習の参加を認めてやってくれませんか?」
プロギアは、未だ嫌悪を残す目でヴァリアを見る。
「・・・余程腕に自信がお有りなのですね。流石は元セントグランダムの騎士、ですか」
と、皮肉めいた目で、言う。
「違います」
ヴァリアの真っ直ぐな目が、プロギアを捉える。プロギアの眉が僅かに揺れる。
「俺が、大人だからです」
ヴァリアの脳裏に思い出される、過去の言葉だ。
野盗に身を置いていたヴァリアを色々な意味で救い上げてくれたのは、当時のセントグランダムの騎士のひとりだ。
こんな歪んだ場所にいてはいけない、と、野盗グループ討伐の任に着いていたその騎士は、真っ当な道に戻すためにヴァリアを自らの家に置いた。
最初は心を開かなかったのを覚えている。家族とも呼べない仲間は、盗賊の仲間だけだったから。
やがて綺羅びやかな鎧を身に纏う、彼だけでなくその仲間を見ていると、自然に剣に興味を抱くのは自然だったように思う。
彼はヴァリアに剣を学ばせた。
彼を師父として、剣を学んだ。
彼から教わったのはそれだけだ。だが、剣に関することだけは厳しく、誠実に、実直に教えられたつもりだ。
彼曰く、それは大人の義務なのだと言う。
先に生きる者の努め。
大人の仕事は、後に続く子供たちのため、道を切り開くこと、そして自身の経験な知識を後続の若い芽に委ねることなのだと。
それは、住む世界の違うプロギアでも同じのはずだ。教師という仕事ならばなおさらだ。
だから、ヴァリアには子供には何かを挑戦する妨げがあってはならないと思っている。自分が受けたことと同じように。
それが例え、命の危険が高くとも。
その危険は、大人が振り払えば良い。大人が取り払ってやれば良い。
「・・・子供たちを、危険に晒せ、と?」
プロギアにとって、もしかしたらヴァリアの提案は、ただのお節介に過ぎず、ラトリオたちをただ危険な場所に誘うだけの愚かしいことなのだろう。 大切な者に残される厳しさを知っているからこそ。そして、プロギアの心の傷のイアt味だけは、ヴァリアには計り知ることが出来ない。
「俺が、全部守ります」
だからこそ、力強く言える。それは、先に生きる者の責任。
生意気だが、ダンジョン探索を望むラトリオの力になりたいのだ。
「・・・随分と、自信がお有りなんですね」
その目は、まだ冷徹で、冷めている。
ヴァリアも、その下に部下を受け持ったことがない、万年平騎士だったのは確かだ。誰かに何かを教えるのはおこがましい。やりたくもないことを押し付けるのは、論外だ。
でも、あの日、あの時。剣を持つことを辞めさせなかった師父のように。誰かの可能性を潰えさせることはしたくない。
「・・・失う痛みを知る、私の気持ちは、無視ですか?私は、命だけでなく怪我すらもさせたくないのです。それは子供たちだけでなく、貴方も含まれているのですよ?」
年は違えど、ヴァリアも学校に通うひとりの生徒だ。
「俺も、死ぬつもりは毛頭ありません。まだ、先生に教わりたいことは山程ありますから」
そう言って、ヴァリアはにかっ、と笑った。
その笑みを、プロギアは視線を逸らすように顔を背け、息を吐く。
墓地の静寂に、風が流れる。一瞬か、数分か。
「・・・私の一存では決めかねます。明日にでも、学校で相談してみます。答えは期待しないように」
だが、その言葉は確実に前に進んだことの証明だ。
「ありがとうございます!」
墓地という静かに死者が眠る場所にも関わらず、プロギアを困らせるような大声でヴァリアは頭を下げた。
花束を備えた墓地を一瞥し、プロギアは去って行った。
ヴァリアもその後に続く直前。
紙袋の中の果実をひとつ、墓前に備え、顔もわからない冒険者にヴァリアは手を組み、祈ったのだった。




