8話
夕闇が空の向こうから緩やかに流れ込む時間。ヴァリアは学校へと赴く。
この時間の侘しさを感じさせるような夕刻も、帰る頃には深い黒へと変化する。
今の時間は、ギリギリ昼間通う生徒が内に残っている可能性もある。
聞けば通常の授業の後に部活なる時間があるらしい。ヴァリアが通う夜間部には残念ながらそういう制度はない。
校舎から僅かに流てくる若々しい歓声を聞くと、つくづくヴァリアは幼い頃から時間を無駄にしていたのだと思う。どこかで運命がねじ曲がっていれば、ヴァリアもそのような青春を謳歌していたのだろうかと夢想することがある。
ただ、現在のヴァリアの人生だからこそ出会えた人脈も、今ならば自分の糧や支えになっていると誇れる。だから、羨ましいと思う中にあっても、後悔はないのだ。
校舎に入り、教室に向かう。
昼間の生徒が残っているとはいっても、教室棟と部活棟の並ぶ建物は別のため、顔を鉢合わせることはほとんどないようだ。かくいうヴァリアも、遠間を除けば制服姿と顔を合わせたことはない。
ヴァリアが教室に足を踏み入れると、そこには普段と違う雰囲気が流ていた。
ラトリオは明らかに悔しそうな表情で沈んでおり、友人が慰めるように周囲に寄り添う。
「・・・どうしたんだ?ラトリオ」
自分の席に付きつつ、リアンに聞く。
「・・・何でも、昼間に通う生徒とトラブルに遭ったみたいで」
その原因らしき理由を、リアンが言う。
この校舎内で昼間の生徒と顔を合わせる可能性は無いとは言えない。その際に、ラトリオは遭遇したらしい。
「・・・あいつら、俺達夜間部のことを馬鹿にしてきやがったんだ」
ぽつり、とラトリオは悔しさを滲ませながら、口を開いた。
「自分たちは夜間部よりも自由で、優遇されている、って」
その言葉の意味を捉えきれず、ヴァリアは彼の言葉の続きを待つ。
昼間と夜間での授業内容に差異はない。違うのはクラスの少なさと人数くらい、と思っていたのはヴァリアだけのようで。
部活は最たるもので、それは若き可能性の芽を未来により繋げるものだ。それは才能をより磨かれ、彼らの行く先の分岐点をより深く、細かく広げてくれるものだ。
その制度が無い自分たち、つまりラトリオたちのことを哀れだと言ったのだ。
ラトリオが、最も自分の感情を揺さぶられるのを押さえ付けた瞬間だ。
昼間に出来て夜間に許されていないもうひとつがある。
ダンジョンへの入場の制限だ。
そもそも昼間部には、将来就きたい職業の選択肢として、冒険者がある。
無論、夜間部にいようとその未来が閉ざされているわけではない。昼間部には、それをもサポートするプログラムがある。
経験者や先導する人間を有するという条件で、ダンジョンへの入場を許されているのだ。
普段、戦いの心得がない者のダンジョンへ入ることは許されていない。それは未熟な学生の身では当然で。
昼間部では、ダンジョンの中に入り、見聞、見識を広げるダンジョン講習という学科がある。それは将来冒険者、それこそ騎士を目指す者には願ったりのプログラムだろう。そして、それは夜間部にはない制度だ。
ラトリオの夢は、世界を股にかける冒険者と言っていた。ダンジョンはそのための礎。夢への布石。
先日ヴァリアに剣の腕を見てほしいという名目の剣合わせでは、夢が遥か自分の後方にあることをラトリオは思い知り、その次の日から模造剣を手に入れ、自分なりの稽古に励んでいる。
まだ日のある中、剣を振るラトリオ。それを、昼間部の生徒は目にしたのだろう。そして、それを馬鹿にしたことも。
ラトリオと接触した生徒は、恐らく深刻に考えていなかったのかも知れない。深い考えがあって言ったものでも無いのかも知れない。
でも、ラトリオはそれを馬鹿にされたような気がして。一触即発の空気を、チャイムが現実に引き戻した。
ラトリオには悔しさだけが残った。
「なあ、ヴァリアさん」
ヴァリアに、嫌な予感がよぎる。
「ヴァリアさん、元騎士だよな。協力してくれないか」
世界を回る夢を持つラトリオにとって、ダンジョンで腕を磨くというのはいずれ必ず必要となることで。それは早ければ早いほどいい。昼間部の連中は、ラトリオの遥か先を行っているのだ。焦るのもわかる。
ヴァリアは難色を示す。
ラトリオはダンジョンに挑むには未熟すぎる。先日の剣合わせで感じたことだ。もっと、基礎を叩き込み、それなりの実力を付けてからでも遅くはないとは思う。
それに、ヴァリアは誰かを指導する器ではない。隊長格になれなかった人生がそれを示している。
仮に騎士ならともかく、ラトリオはただの学士身分の他所様の子供だ。守りながら、気を配りながら進めるか聞かれれば、自信はない。何しろヴァリアがダンジョンに足を踏み入れた時には、仲間は手練れの騎士だけだったからだ。勝手をやってもフォローをしてくれる仲間が。
「頼むよ!ヴァリアさん!」
ラトリオの気持ちもわからないわけでもない。
命を賭す覚悟のある仕事だ。
もっと基礎を磨いてからでも遅くはないと思うのは、ヴァリアの勝手な考えだろうか。
ただ、剣の稽古だけならば、ヴァリアは腕を貸すことは吝かではない。リアンだけではなく、ラトリオもヴァリアの勉強に加わってくれた。
自分の夢を叶えてくれたクラスメイトの夢の手助けをしたいと思うのは、当然だ。
「皆さん。おはようございます」
そんな考えを、プロギアの登壇で寸断される。悔しそうなラトリオの横顔が、前を向いた。
今日も、授業が始まる。
「どうした?君から会いに来てくれるなんて、どういう風の吹き回しだ?」
声が上擦っているのが自分でも解る。同僚の女性騎士の集団が物陰から顔を覗かせながこちらを伺っているが、それはこの際いいだろう。
セントグランダム稽古場にヴァリア・リビジョンが姿を現したのは朝だ。
マーズへの面会を所望しているという言伝を受け、通した際に姿を現したのは、見まごうこと無くヴァリアで。
「・・・少し、相談と頼み事を請け負ってくれるとありがたい」
そう、口を開くなり言い放った。
彼にしては、歯切れの悪い。
「ダンジョンへ行くことを考えている」
その言葉を聞き、マーズの顔がほころぶ。先日、冗談半分に鈍った身体を目覚めさせるという名目でダンジョンへ行くことを勧めたのを覚えている。
その気になってくれたのは嬉しいが、わざわざ報告しに来てくれるのはどういう了見だろうか。
「付いて来たいと言う人間がいるんだが」
付いてきて欲しい、ではないその言葉の先にいるのは、マーズではないのだろう。
「・・・それは、学校のクラスメイトか?」
マーズの脳裏に、リアンという少女の姿が浮かぶ。
ヴァリアは事の顛末をマーズに話した。
「・・・そうか。そんなことが」
マーズはその表情を申し訳無さそうに歪める。
昼間部のダンジョンへの規制が緩やかなのは、騎士の力添えも部分が大きい。空いている騎士を学生パーティーに帯同させ、経験を積ませる制度がある。それは将来世界を目指す、それこそラトリオと同じような夢を持つ若者への大きな力になる。それが夜間部には適応されていないのが現状だ。
「でも、君が帯同するのなら、何も心配いらないのではないのか?」
マーズの言葉に、ヴァリアは睨み返す。
「鈍っていると言ったのはお前だぞ。剣は振って辛うじて錆びつかないようにしてはいるが、実戦は皆無に等しい。俺だけで守り切れるかと言われれば、自信はない」
その弱気な言葉に、マーズは口元を歪めて見せる。
「ほほう。随分と腑抜けてしまったようだな。単身ダンジョンを踏破した栄光を持つ君が弱気だな」
「バカ。ありゃいろんな要因が重なって一回だけ成功した、まぐれの奇跡で偶然だ」
ヴァリアは騎士団生活で一回だけ単身ダンジョン制覇という偉業を成し遂げた人物だった。・・・と、マーズはもてはやしてくれるが、厳密には最初からひとりだったわけではない。
ダンジョン内に報奨品を置いて回る仕事の時だ。
ヴァリアは同行した仲間とはぐれ、脱出用アイテムをその仲間に預けたまま迷宮を彷徨う羽目になった。
運悪く脱出ポイントにも巡り合わず、何度迷宮を回遊したことか。
ヴァリアの通ったルートはたまたま魔物との遭遇率が少なく、無事生還できた。何日間ぶりの食事がこれほど美味いと思った日はなかったのを覚えている。
迷子の末、戦闘もなるべく回避した、最初から目標としていたものではなかったため、ヴァリアはそれが偉業だとも思っていない。むしろ恥ずべきことだろう。
ここで、マーズは名案が思い付いたように表情を耀くさせる。
「その昼間部の生徒と、君たちで競い合ってみてはどうだ。君のクラスメイトが昼間部の生徒に負けない情熱と夢を持ちえると証明するチャンスではないか」
イレギュラーだが、昼間部のダンジョン講習にそのヴァリアのクラスメイトが参加させるのはどうだ?と提案したのだ。
名案かとも思ったが、当然それをヴァリアの一存で行うわけにはいかない。とりあえずプロギア先生辺りに相談して置くべきか。
「もし仮にダンジョンに挑むというのなら、君がしっかりと責任を持ち、その彼を守れるのなら、何ら制限はない。何だったら、私が力を貸しても良い」
そもそも、ラトリオと昼間部の生徒は同い年で、条件が揃っているのならそこに昼と夜の差異はなく、ダンジョンに足を踏み入れる権利はあるはずだ。
冒険者でもない、未成年の子供がダンジョンに足を踏み入れる条件はただひとつ、責任者を帯同させること。ヴァリアがその役を背負えば、誰にでもダンジョンに挑む権利がある。そして、階層の制限も掛かるため、命の危険はそれほど高くないと言われている。
「・・・考えておく」
第一関門としては突破、といったところか。それはヴァリアがダンジョンに望まなければならないことを示すわけだが。
戦いから身を置きたくて離れたのに、まさかそんな時間が早々に訪れるとは思いもしなかった。
ヴァリアが「ありがとう、参考になった」と言いながら去る背中をマーズは見送った。その様子を同僚の騎士にニヤニヤという表現がピッタリとくる笑みで覗き見られていることに、マーズは赤面し、手で追い払ったのだった。




