6話
一晩経って、冷静に考えてみる。
立場的には同級生とは言え、その年齢は本来の立場とは遥かにかけ離れている訳で。
ダブルスコアもいいところで、リアンより恐らく彼女の親の方がヴァリアとは年は近いだろう。
そんな娘さんを独身中年男の部屋に呼ぶ。これは自分は良くても世間様が許さないだろう。
リアンの提案は非常に助かるしありがたいが、今回は見送らせてもらおう。授業の時にでも教えて貰えればば御の字と、考えを変えよう。何しろ学校がある限り会える時間は確約されているのだ。
こんこん。
と。
計ったかのようにドアをノックする音が聞こえる。
どうやって来訪者の気分を害すること無くお帰り頂くかを考えながら、ヴァリアはドアを開けた。
そこには肩からカバンを下げた、ニコニコ笑顔のリアンが立っていた。
「こんにちわ」
いつもは会う時間帯が時間だけに、発することのない言葉だ。
来て早々悪いが、今回は帰ってもらおうとヴァリアが口を開きかけた瞬間、リアンは笑顔から眉をひそめ、奇妙な表情へと変化をさせる。
「・・・なんだか、変な匂いがしませんか?焦げ臭いような」
ヴァリアの後方、すなわち部屋の中に視線を向けながら、リアンは言う。
そして、ヴァリアが言葉を吐き出す前に、リアンは「失礼します」と言い残し、靴を脱いで部屋へと上がり込んだ。
そして、ヴァリアの静止を聞くこともなく部屋に視線を彷徨わせ、ある一点でその動きを止め、顔面を何故か青くさせている。
それは、リアンからしてみれば考えられないような惨状なのだろう。
シンクには皿が積み上がり、遠目から見れば芸術作品と言えなくもない、黒いシミが台所に散らされている。
料理が下手なくせに、果敢に食生活を豊かにしようと挑戦した跡だ。丸焦げの肉から食べられる部分を救出した際に、散らばった焦げの部分が図らずも台所を彩っているのだ。
そして、まな板の上に乗るのは本来は油が溢れ、滴る肉汁はどこへやら。黒く炭化するのが当たり前のように、肉の塊は無惨にその姿を漆黒に変えている。
料理に挑むその気概やよし、とリアンのその表情は語ってはいない。
リアンは持参したカバンの中からエプロンを取り出し、頭に三角巾を装備する。それは白い雲の店内で見た姿と重なる。
「まずはキッチンを綺麗にしましょう。こんな汚い場所で作っても、作った物も美味しくありません」
洗い物を手早く片付け、散らばる黒い炭も綺麗に掃除。料理だけでなく、リアンは家事のエキスパートかのようだ。
人の家の、しかも家主の自堕落がもたらしたものであるのにも関わらず、リアンは嫌な顔ひとつせず、テキパキと片付ける姿に淀みはない。
「・・・凄いな」
ヴァリアが思わず感嘆の声を漏らす。
「こんなの、家庭レベルですから」
恥ずかしそうに言うリアン。
・・・その家のことすら出来ない自分はどうなのですかリアンさん。
ヴァリアは情けない気分に苛まれる。
ヘタをすれば、ここに越して来た時よりも綺麗になった気がする台所を背に、リアンは息を吐く。
「それじゃあ、早速始めましょうか」
淀みのない動きに見とれてしまい、本来の来訪の目的を忘れてしまっていた。
だだ、思わず掃除を任せてしまっていたが、これ以上はさせるわけにはいかない。
そんな考えとは裏腹に、リアンがカバンの中から食材を出すのを何故かヴァリアは止められなかった。
リアンの料理の腕を見た以上、期待をするなと言う方がもはや無理で。
リクエストしたのはやはり肉で、どうしても失敗続きだった黒い塊を、どうにか食せるレベルまでにしたいのだ。ここでその技を習得すれば、リアンに頼ることもない。そう思い込むことにする。
リアン先生からは包丁の握りからして矯正され、調理法すらも改めさせられた。
並々と注いでいた油は薄く引く程度。
フライパンから皿に滑り落ちるステーキは、すでに自分の作るものとはかけ離れたもので。いや、今までの自分を返り見ると『作った』というのもおこがましい。それぐらい別物の香りを漂わせている。少なくとも焦げ臭い匂いなどかけらも感じられない。
勉強にせよ、料理にせよ。なにか新たなことを学ぶと言うことが、これほどまでに自らの力となるのが楽しくて仕方がない。
ステーキの本来の姿を改め、そのままの姿でナイフを差し込むことがこれほどに甘美なことなのだと知る。当然、味も簡単に自分の物の記憶を塗り替える。
騎士時代に食った、野外で食う獣肉が最上の味だと抜かしていた自分を蹴り飛ばしたい気分だ。
フライパンに残る、焼いた油を利用し作ったソースも素晴らしい。これは塩、胡椒以外の選択肢がまさかあったとはと驚嘆に足る事実だ。
家庭レベルなどとリアンは謙遜していたが、十分に他人の舌を喜ばせる腕を持つことは保証してやりたい。・・・素人以下の人間に褒められたくらいで嬉しくもなんとも無いだろうが。
二度目のナイフがこんなに不快ではないのは久しい。自分の焼いた肉は木工作業かと錯覚するくらい硬かったのを思い出す。
様々な賛辞にリアンは頬を微かに赤く染めるが、もっと誇ってもいいように思えるのは素人考えだろうか。
材料費を支払うだけでは足りないくらい、胃の中に納めたモノ以上をもらった気がする。
人目を憚らず皿の上の料理を口に放り込むヴァリアを見て、リアンは微笑ましそうな目で見る。
腹の中がこんなに幸せで満ちていた時があっただろうか。
空になった皿の片付けすら任せて一息ついていた頃。
こんこん。
来訪者を告げる扉を叩く音が聞こえる。
・・・誰だ?
ヴァリアが余韻に浸りきっている重い腰を上げようとした時、それに代わるように洗い物を終えたリアンがそれを引き継いだ。
「はーい」
客人の応対を客人にさせてしまう心苦しさを残したまま、ヴァリアはリアンの行く先を見守る。
開けた扉の先にいたのは、
「やあ、新たな生活はどうかな。ヴァリア・・・、リ、ビジョン・・・?」
てっきり見知った顔が姿を表すと思っていた来訪者、マーズ・リックスは思いがけない対面の相手に言葉を失速させる。
動揺に視線を泳がせていたマーズが、部屋の奥に向けた先に座っている本来の部屋の主であるヴァリアを認め、再度目の前の見知らぬ少女へと視線を向ける。
「マーズじゃないか」
ヴァリアの記憶が正しければ、会ったのはヴァリアを見送る会、そして退役の儀以来だから、その時から音沙汰はなかった。ただ、同じ街にいるわけだから、ヴァリアとしてはそこまで深刻に考えてはいなかったが。
「どどどどど、どなたでしょう」
訪れたのはマーズのはずで、それは本来部屋の人間が言うことだ。
何故か混乱しているマーズが目の焦点を正面と部屋の奥へと凄まじい速度で経由させている。
初めて騎士団の寮以外の、異性の部屋に赴くという決意を持って奮い立たせた感情が別のもので追いやられ、マーズは狼狽する。
「久しぶりだな」
と、ヴァリアはあの頃と変わらぬ屈託のない笑顔をマーズに向ける。
「き、今日は非番でな。近くまで来たから顔でも見に行こうと思ってだな」
手に持った、小さな袋に詰めた食材が、本来の目的がそうではないと如実に語っている。
確か、ヴァリアに妹がいるという話は聞いたことがない。生い立ちから推測するに、物心が就く頃には彼はひとりで生きていかなければならない天涯孤独の身だった。その後は野盗の一団に身を寄せていた。
仮に妹と言われても辻褄が合わないだろうし、生き別れの母親だと告げられたのなら、眼科に行くべきだろう。
だとするのなら・・・、残る可能性は。
い、いや。
まだ彼から『そう』だと言われた訳では無い。例えそういう関係だとしても、まるで親子のような年の離れ方ではないか。
だが、今や年の離れたカップルなど珍しくもない。現に、マーズとヴァリアも親子くらい年が離れている。
いや、決して自分がそういう関係になりたいとか考えているわけではなくて。
騎士としては尊敬の域には足を踏み入れられるが、異性としてそう思うかと問われれば、素直に頷き兼ねるわけで。
と。
誰に向けるでもない言い訳を心の中で吐き出しつつ、未だ纏まらない思考の中、受け止めかねる現実にマーズは身体の震えを止めるので精一杯だった。
「まあ、一月も経っていないか。・・・そんなところに突っ立っていないで、入れよ」
戸惑いが消えないまま、マーズはおずおずと部屋に足を踏み入れる。
(ん・・・?何かいい匂いが)
と、マーズの意識が台所から漂う香りに連れられる。
「どうだ、騎士団の様子は」
その匂いの原因を問いただすよりも先に、ヴァリアが口を開く。
3人が肩を寄せ合うには手狭なテーブルに招かれ、マーズは改めて謎の少女との邂逅を果たす。
「こいつ、騎士団時代の元同僚で、マーズ」
と、何の躊躇いもなくマーズを紹介。
そして、今度はマーズから見れば謎の少女へと目をやり、
「この子は今通っている学校のクラスメイトだ」
ヴァリアが定時制に通い、勉強をし直したいという夢を語っていたのは知っている。
だが。
マーズは隣のヴァリアへと詰め寄り、厳しい視線を向ける。
「・・・クラスメイととは言え、ひとり暮らしの男の家に、年端もいかない女子を連れ込むのは関心しないぞ・・・!」
何故か真っ赤な顔で、さらにマーズは小声で叱咤する。
「・・・まあ、そうなんだけど」
勿論、こんな状況に至ったのには理由があり。その前にヴァリアは帰そうとしたのだ。そのことを告げると、マーズは疑わしい表情を崩そうとしない。
「・・・お前がそんな人間ではないのは知っているがな」
ヴァリアは粗暴で荒々しい戦闘スタイルとは裏腹に、私生活では豪快の片鱗を見せつつもそれを大幅に逸脱しなかった。それは過去の己を鑑みた、戒めも入っているのだろうが。
ひとり暮らしの男の部屋に少女を連れ込むのが良からぬことなのも承知だろう。大方、台所にある良い香りを放つフライパンが関係しているのであろうが。マーズはヴァリアが剣の腕とは裏腹に料理の心得すら無いのも知っている。
「ところで、マーズは何をしに来たんだ」
今生の別れでもないし、家を建てたわけでもない。よほどのことがなければヴァリアは人を呼ぼうとも思わない部屋だ。
「い、いや。それは」
ヴァリアの質問に、マーズはあからさまに表情を固まらせ、隣のリアンを盗み見る。そして、言いにくそうに喉を詰まらせる。
「ふふ」
それを察したのはリアンで。
「おふたりは積もる話もありそうなので、私はここでお暇させてもらいますね。残った材料はそのまま置いていきますので、よければ使って下さい」
言いながら、リアンは立ち上がる。
「悪いな。この借りはいつか返すから」
また後日、学校で。
そう言い残し、リアンは部屋を後にした。
かくて、部屋にはマーズとヴァリアが残された。
「・・・騎士団は相も変わらずだ。お前が居なくなっても、何の影響もない。お前は気にせず勉学に励むがいい」
先程のヴァリアからの問いの答えを言いながら、マーズは持参した袋をテーブルの上に乗せる。
「なんだこれ」
さらに袋を取り出すと、それはほのかに温かい。
「食生活が乏しいお前に、施しをしてやろうと考えていたが、あいにくと私も誇れるほど料理は作らないのでな」
言いながら袋を開けると、そこには不格好ながら、小麦色に焼けた様々な形の板のようなものが詰められていた。
マーズは友人にああは言ったが、料理はあまりしない。だが、これくらいならとお菓子作りを訓練の片手間にしていたわけで。バターの香り高いクッキーの山がそこにはあった。
「い、いらないのら、捨ててくれても構わん」
「いや、すごく美味そうだ。頂くよ」
袋の中から一枚指で摘み取り、口に運ぶ。
硬質の、だが炭のような不快な歯ざわりではない。ほろりと溶ける味わいは、感じたことのない甘さを残して。
クッキーなんて、買おうと思わなければ、作るなどという考えにも至らない。
「訓練をすると、甘いものが欲しくなるからな」
と、マーズは言い訳じみた言葉を残すも、その表情は嬉しそうだ。
「・・・そっちはどうなんだ?」
クッキーを次々と口に運ぶ元同僚を穏やかな目で眺めつつ、今度はマーズが聞く。
「楽しいぞ。色々なことを学ぶのは」
それは、本来なら遠く昔に経験するべきことだったのかも知れない。だが、その楽しさは今の年齢だからこそ享受出来ているのかも知れない。
マーズは少し悔しかった。
剣を振るうことよりも、楽しいことを見つけた友人のことを。
「・・・たまには身体を動かさないと鈍るのではないのか?『ダンジョン』で鍛え直すのもいいと思うぞ?」
また、同じ隊に戻り剣を振るえなどとは言わない。
部屋の隅に立てかけてある、見慣れた鞘に収まった剣を眺めていると、そんな言葉が自然に突いて出た。
身体を鈍らせない、という意味ではそれもいいかも知れないが。ダンジョンで鍛え治しつつ、金品回収か。なんだか本末転倒な気もするが。
「その時は、いつでも付き合ってやるぞ」
そう言って、マーズは愉しそうに笑ったのであった。




