4話
学校での授業はヴァリアにとって今までにない学びと刺激をくれる。
外が涼やかな風が肌を撫でる夜の空気であること以外は、恐らく昼間に勉学に励む少年少女たちと変わらぬ学び舎だ。
必要最低限の文字の読み書きのスキルしか有していないヴァリアにとっては、初めての授業は未知の領域で。
そんな中、ヴァリアは目まぐるしく黒板に白い文字が踊るのを、ノートに書き留めるのに必死で。
それを、早くに顔見知りになったリアンがまるで大きい弟ができたように甲斐甲斐しく勉強を教えてくれる。
リアンだけではなく、少人数のクラスだからこそ結びつきは強くなるようで、ヴァリアの席には数人のクラスメイトが集まっていた。
取り分け苦手なのが数字関係で、幼い頃から理屈や戦術もなく、感覚で剣を振るっていた部分の方が大きいヴァリアにとって、答えが決まりきっている数学は肌に合わない科目だった。
だが、こんなところで投げ出すわけにはいかない。それではここに入学してきた意味はないからだ。
ヴァリアは頭から煙を吹き出しそうな勢いで、頭を手で抑えながらもノートに向き合った。
脳みそをこねくり回す時に発生する熱は、どこか剣を振り回していた時に通じる気がして、ヴァリアのペン握る手に懐かしい感覚を残して。
こうして遥か年齢も離れている自分に構ってくれていることが、まだまだ勉強の楽しさを見出だせていない自分にとって、ありがたくも嬉しい出来事であった。
「あれ?ヴァリアさん。それってうちのパンじゃないですか?」
リアンは、ヴァリアの机の上の見覚えのある包みに、嬉しそうに笑みを零す。
授業の合間には夕食の時間を挟む。生徒たちは思い思いの弁当を持参して、その時間に食べるのだ。
朝、パンを買ってきた際、授業の合間の夕食は持参するということを思い出し、作るという選択肢がそもそも除外しなければならない身分であることをヴァリアは自覚する。
なので、パンをそのまま持参することを思いついた。当然焼き立ての温かさと香りは朝の比ではないが、食欲を刺激する柔らかさは衰えを知らない。
結局朝は、残してあった炭化した外壁から救出した肉と共にパンを食べた。
「パン、美味しかったよ」
ヴァリアの感想に、リアンは嬉しそうだ。
「じゃあ、明日もパンを買いましょう。サービス期間は継続しますので」
商魂逞しいリアンの営業スマイルを目の前に受け止めつつ、ヴァリアはまだ柔らかいパンを頬張ったのであった。
夜間学校と言えど、体育の時間はある。
場所を教室から室内運動場に移し、各々動きやすい格好に着替えている。
と言っても、人数には限りがあるので大人数を必要とするスポーツはできない。
なので、身体を動かす程度の運動に留めている。
ボールを手に早速2組でキャッチボールを始めている者や、運動場の外枠内でジョギングよろしく走っている者。または体育という言葉を忘れて来たかのように室内の片隅でおしゃべりに講じているものもいる。まるで体育の名を借りた自由時間だ。
そんな中、若者の運動を遠巻きに見ているのはヴァリア。
有り余るエネルギーを発散させているその光景は、ヴァリアには眩しすぎる。
・・・いや、寄る年波について行けてないだけなのだが。
少人数クラスの中で、更に比率の少ない女子は、同じく自由時間のように話に花を咲かせつつ。
リアンは床に尻を付け足を広げつつ、身体を折り曲げていた。柔軟の一環なのか、その柔らかな肢体に、同級生女子が感嘆の声を漏らす。
その視線に気付いたリアンが、笑みを浮かべ。
「ヴァリアさんも一緒にいかがですか?」
座った状態から軽い身のこなしで立ち上がると、ヴァリアを自分のチームに招き入れ、ヴァリアを強引に座らせる。
「勉強ばかりだと身体が鈍りますよ」
体育の授業が挟まれているのはそういう意味合いもあるのだろう。
「え?ちょ、ちょっと待ってくれ」
他の女子に強引に股を開かされ、ヴァリアの背中からリアンが体重を掛け、
「いでででででっ!」
ヴァリアの背中は背中の圧力に負けること無く90度に維持しようとする。
「・・・身体、固ったいですね」
一向に背中が折り曲がらないヴァリアに、リアンは訝しげな目を向ける。
凄まじい鈍痛が背中を駆け巡る。
「ヴァリアさん、セントグランダムの騎士って仰っていませんでしたっけ」
騎士だからって、体操選手よろしく身体が柔らかいわけじゃない。だったら、とっくに騎士なんて辞めている。そっちで名を馳せるかは別問題だが。
やがて、背中を貫く痛みから開放される。
ヴァリアは冷たい床に背中を付け、息を吐き出す。見上げるリアンと女子の表情はヴァリアの失態に笑みを浮かべている。
「ヴァリアさん、騎士だったんだろ?」
今度は女子のものではない声に、ヴァリアは振り向く。
見ると、男子生徒が二本の木剣を手にこちらを見ている。ラトリオだ。
その目に期待と羨望の眼差しを乗せて。
「オレの剣の腕を見てくれよ」
ラトリオは片方の木剣の柄をヴァリアへと差し向けている。体育倉庫からでも持ち出したのか、それは木を切り出しただけの、訓練用の木剣だ。
柄には布が巻かれ程よくくたびれており、長い間使い込まれた跡が見える。
「手合わせしてくれよ。オレは将来世界に羽ばたく冒険者になりたいんだ」
夢を語るように、ラトリオの目が輝く。
「世界を渡り歩くには力がいる。卒業したら『ダンジョン』で更に鍛えて、セントグランダムを飛び出すんだ!」
それは大層な夢だ。
このセントグランダムが世界でも類を見ない優秀な騎士を排出している理由がそこにある。
元より厳しい修行、素質もあるのだろうが、その能力を押し上げているのは『ダンジョン』と呼ばれる施設にあった。
セントグランダム王直管理のその施設は、かつて謎に包まれた古代遺跡の迷宮だったが、長きに渡る調査、研究の末その構造も解析、解き明かされている。
セントグランダムはダンジョンを半興行化しており、世界からそこを目指し冒険者が集っている。
古代先住民の知識が結集されたその迷宮は、その内部を定期的に変形させ、魔物が跋扈する迷宮だった。
それは莫大な財を守護する、かつての王が盗賊、ならず者に奪われないように作り出した迷宮だという。
現セントグランダムはその迷宮を自国で管理し、システム化したのだ。内部に宝や金を置き、そこを外から来る冒険者に報酬として探させている。
必然的に世界中から人が集まり、優秀な人材が集まる。定期的に騎士団がダンジョンに趣き、それが図らずも鍛錬も兼ねるのだ。騎士には、宝や金をダンジョン内に配置する役目もある。
ヴァリアも数え切れないくらいのダンジョンへの突入をした。時に強大な魔物と退治し、それがセントグランダム騎士団が世界に名を馳せる強さを持つ大きな理由だ。
そのダンジョンですら、ラトリオにとっては夢の足がかりらしい。
基本的には学生の身分ではダンジョンに単独で足を踏み入れることは禁じられている。
元騎士であり、ダンジョン経験者であるヴァリアは、ラトリオにとっては教科書よりも教科書らしい生き字引だろう。
だが、その身体に興奮を滲ませるラトリオと違い、眉をひそめヴァリアは難色を示す。
剣の素振りは欠かしていないが、木剣とはいえ、対人で剣を交えるのは久方ぶりだ。今は人様に剣技を見せられる身分でもない。
だが、未来に向かって夢を膨らませている若者を見るのは悪くない。そして、それを簡単に跳ね除けるのこともしたくない。
中年だろうと、学びの場を与えてくれたこの学校と同じで。
「・・・わかった」
そう言って、ヴァリアは手に馴染ませるように木剣の柄を握り込み、対面に人間を置いた久々の感覚に身を委ねる。
ラトリオは「よっしゃ!」と拳を握りしめ、歓喜に吠える。
運動場の中心辺りにヴァリアとラトリオが対峙する。
斜めに剣を構えるのがラトリオ。
周囲のクラスメイトも運動する動きを止め、仮にも元騎士の立ち振る舞いに視線を集める。リアンも、興味深そうにふたりの視線の交錯を見守っている。
「どこからでも、いつでもいいぞ」
ヴァリアの見立てでは、当然ラトリオの構えは素人そのもの。口ぶりから自分なりに鍛錬はしているのだろうが。
「いくぜっ!」
ラトリオが小さく吠え、駆け出す。
空気を引き裂く、唸る音。
次いで硬質の弾き合う音が響き。
剣筋は、まだ少年だけあって優れた部分より、未熟の部分が目立つ。粗く、洗練されていない荒削り。
大人であるヴァリアを押し切る程強靭ではない。力任せの域を出ない、愚直な剣。
それをヴァリアは容易く見切り、難なく受け止める。言うまでもないが、見習いの騎士の方がまだ太刀筋は良い。
無駄な余白だらけの大振りが空を切る。それをヴァリアは軽い動きで弾き。
ラトリオとヴァリアでは、足の運び方からして違う。
剣は、手だけで行うものではない。
運動場に響き渡る、靴底の擦れる音。
ラトリオは無駄に靴底を擦り減らすようにアクティブで。だが、それは相手、すなわちヴァリアにとって何の威圧感にもなっていない。
対するヴァリアは悪戯に体力を消耗させる足運びを行わない。実践では、手に伸し掛かる重さはこんなものではないからだ。
鍛え上げられた気配察知と共に、最低限の動きで未熟な剣技を払い続ける。
ラトリオも感じているであろう、自分の剣が相手に届かない無力感。それが焦燥となって、剣の動きに綻びを生む。
それも、かつての自分と重なる。
・・・そろそろいいか。
「うわっ!?」
ヴァリアがラトリオの剣を受け止めた瞬間、手を捻り、返す。
ラトリオの手から剣が弾き飛ばされ、乾いた音を立てて床に転がった。
どよめきが起こる。
思わず尻を床に打ち付けて、ラトリオは大きく肩で息を吐き出す。
「やっぱ元騎士に戦いを挑むなんて、無謀だったんじゃないのか」
ラトリオの友人が駆け寄り、肩に手を置き慰めている。本人は悔しそうに表情を悔しさで滲ませていた。
その太刀筋は未熟以外の言葉で言い表せることはできなかった。
だが、逆に言えばそれは可能性に溢れているという意味になる。鍛錬次第では当然化ける。かつて、ごろつきにも等しい自分がそうだったのだから。
ラトリオは悔しそうな表情のまま、ちゃんとその中に剣を納め、一礼。
相手への礼節と、強くなりたいという向上心さえあれば、夢へと近づけるだろう。
あらゆるものが欠けていたヴァリアでも騎士になれたのだ。
ラトリオがどんな夢を抱いていても、若き未来への種は必要な栄養という名の助けが得られれば、必ず芽吹くだろう。
だが、それを教えるのはヴァリアではない。
選択するのは、彼の意思だ。
「凄いですね!ヴァリアさん、本当に騎士だったんですね!」
リアンを始めとする女子が、尊敬にも似た笑みを投げかけた。
今はそれが証明できて何よりだった。




