2話
セントグランダム王国。
大陸のほぼ中央部に位置するその国は、四方からの街道で結ばれる交差地であり、様々な人の流れを運ぶ大動脈を繋いでいる。
セントグランダムは世界でも有数の騎士が在籍し、城のみならず大陸全土の平和、抑止に努めている。
騎士の養成機関も有し、未来の国を守る戦士を排出も著しい。
春。
制服姿の数名の子供の中に、ヴァリア・リビジョンの姿はあった。
王立アシュキュード学園。春季入学式。
ピンク色の花びらの舞う空は、まるで新たな生徒たちの門出を祝福してくれているようだった。
学び舎である教室に、数名の表情を固くさせた男女が机を前に座している。
皆、一様に胸に宿すのは、これから始まる学生生活への不安や期待だろうか。
その中に置いて、ヴァリアがこの少年少女の中にいる理由は、子供の保護者としてではなく。
「えーと・・・。次は、ヴァリア・リビジョン君」
教壇の上には担任を名乗った女性教師。ブルネットの髪をまとめた、年の頃は30半ばくらい。
プロギア・アルシスが眼鏡の奥の瞳で、明らかに周囲とあらゆる面で差異のある、その男へと視線を向けた。
アシュキュードは、後に高名な魔道士や騎士も排出した名門だ。
このささやかな入学式が行われている場所は、ただの高等学校ではない。
いわゆる、夜間学校。
家庭の事情、はたまた別の理由か。
昼間に学校に行けない者の受け皿として制定されたアシュキュードの夜間部の入学式だった。
その数、ヴァリアを含めて20人。
一クラス、ではなく1年生で、である。
昼間はこれより多い30、40人が数クラスを連ねている。
だが、学ぶことはほぼほぼ昼間と変わりはない。
ヴァリアはこの定時制を利用して、学校へ通う運びとなった。
定時制は年齢の制限がない。どの職種、年齢でも通うことが許されている制度ではあるが、今年度の新入生は、ほぼほぼ同世代の中に突き抜けた年上はヴァリアのみで、その子供たちの親であろう大人たちは訝しげに明らかに身体の大きい新入生を見ていた。
周囲のクラスメイトとなる少年少女も物珍しそうに、また別の者は不審がるように、様々な感情の目を向けている。ヘタをすれば、誰かの父親に等しい年齢もいるだろう。
もし自分がクラスメイトと同い年で、今のヴァリアがこの中にいて、新しいクラスメイトですと言われても信じないだろう。
そして、今は自己紹介の時間だった。
自分よりも遥かに年下の少年少女が、たどたどしくも順番に自己紹介を重ねていく。
やがて、自分の番となる。
未だかつて、どんな敵と対面したときでも感じたことのない緊張をヴァリアを襲う。その緊張を和らげるように、咳払いをひとつ。そして。
その一挙手一投足を、周囲の全ての目が放っているのを肌で感じ取れる。
「えーと。ヴァリア・リビジョンだ。前まではここで騎士をやってた。この年になって学び直したいと思い至り、ここへ来た。よろしく頼む」
学生に身を置くことなど、生まれてから今までの人生ではじめてのことだ。
人見知りなど、この年になってあるはずもないが、別の緊張襲う中、ヴァリアは自己紹介を終え、着席。
周囲はにわかにざわめく。
「凄いぜ。セントグランダムの騎士といやあ、世界でも指折りの戦闘集団だ」
別の男子生徒がその肩書に驚きを隠せないでいる。
セントグランダムは平和を守る、守護の剣を掲げる騎士団としてその名を世界に馳せる。
隣の男子が、目を輝かせヴァリアを称える。その少年もセントグランダムに憧れを持つ、その中のひとりなのであろう。
ただし、その羨望の眼差しを受けるのは上位騎士である清廉な白銀の鎧を身に纏う、一部の称号持ち騎士のみだ。そこまでの羨望をヴァリアは受けたことはない。
「いや、俺は結局一般兵のまま退役したし」
自分より剣の腕を上回る人間はいくらでもいる。あのマーズも、自分を超える逸材だ。いや、この瞬間にも追い抜かれているかも知れない。それはマーズに限らず、騎士団全ての人間に可能性がある。
ヴァリアとは違う、若々しくも希望に満ち溢れた生徒たちの自己紹介は続く。
定時制は一クラスのみで、四年制。ここでヴァリアは四年の時を勉学に費やす。
思えば10代は、人の道を外れた野盗まがいの荒くれ者集団に身を置き、それを鎮めようとしたセントグランダムの騎士団に目を掛けられ、まっとうな世界に連れ戻された。
人様に迷惑をかけるより、誰かを守るためにその血気盛んな力を使ったらどうだ、と。後に師と仰ぐ人物に従事するのはすぐ後で。
そこからは心を入れ替えたように、剣の腕を磨くことに明け暮れた。
幾重の魔物を狩り、国に降りかかる脅威を何度も追い払った。その時間の殆どを、平和のために捧げた。
今まで散々他人に掛けてきた迷惑と、自分の罪を精算するように。
結果、騎士の地位にまで登ることはできたが、それまでだった。
それでも満足だった。むしろ、良くやってきたと自分を褒めてやりたい。
自分を人間の底辺からすくい上げてくれた師には感謝してもしきれない。金や打算だけの繋がりでない、多くの仲間にも恵まれた。
長い時を仲間と共に過ごして分かったことは、幼い頃から戦いに身をおいているからなのかも知れないが、自分に他の人間と比べて知識や教養が欠けていることだ。騎士として必要な能力と素養以外のものを持ち得ていなかったのだ。
40歳を越えてしばらくして、それを強く自覚した。
今はまだいい。身体が老いぼれて、剣を持てなくなった時、自分には何も残っていないのだと。
職を失い路頭に迷えば、野盗に返り咲くのかと言われれば、少なからず騎士に従事してきたという自負と誇りがそれを阻み、そもそもその時にはもう人様からものを奪う気力も体力もなくなっているだろう。
だから、この先の人生を生きていくには知識がいる。剣を完全に置いても生きていけるだけの知識と常識が。
「はい。これから4年間。よろしくお願いしますね」
最後の生徒の自己紹介が終わったところで、プロギアは出席簿を閉じ、無数の席を全て埋めることはないが、生徒たちに向かって薄い笑みを浮かべたのだった。
夜間学校とは言っても、入学式は昼間のうちに行われた。
通常の昼の学部は休日で、使う教室は昼と共同となる。すなわち、ヴァリアたちの座っている席は、昼は誰かの席なのだ。
子供たちの付き添いの親たちは、相変わらず自分たちとそう変わらない年齢の男が混じっていることに奇妙な目が消えることは無かった。・・・ヒゲは剃って来たんだけどな。
「ヴァリアさん」
声を掛けられ振り向くと、そこには先程ヴァリアの元の肩書に賛辞を向けていてくれた男子が。
「オレ、ラトリオっていいます。元とは言え、騎士に会えるなんて、光栄だ!」
ヴァリアとしてはそこまで凄いことだとは思っていないのだが。
「こんな年の離れた同級生ができると思ってもいなかったぜ」
別の男子生徒がそんな言葉を放つ。
ヴァリアは言い得ぬ感覚に包まれた。それは今まで味わうこともなかった感覚で。
剣を交える仲間ではない。この教室にいるのは、ペンを手に勉学を共にする、学友なのだ。
ここからヴァリアの新たな生活、4年間は始まる。
ヴァリアには、差し当たっての急務と呼ぶべき最優先事項がある。
定時制は本来昼間に通うべき学業の時間を夜に移しただけではない。
家庭環境や、昼間に仕事をしている者。やむを得ない事情で昼間に通えない人のための制度でもある。
当然、騎士団を辞めたヴァリアに職はない。
退職金で今はなんとか凌げてはいるが、それは数年はなんとかなるかもしれないが、4年間。そして卒業してからのことを考えると、昼間もなにか仕事をしていたほうがいいのは自明の理。
だが、現実は厳しい。
40半ばの人間を雇ってくれる仕事には限りがある。
少しでも懐を節約するために現段階の住まいは格安アパートの小部屋。騎士団に在籍していた頃の騎士宿舎とは雲泥の違いだ。
今は騎士を辞め、剣を置いたは良いが慣習とは恐ろしいもので。
早朝。
鳥のさえずりが耳に残る頃にヴァリアは目を覚ます。
餞別代わりにもらった愛用の剣を両手に握り、朝のまだ肌寒い空気を裂く。
それは騎士だった頃の日課だ。
だからといって騎士に未練があるわけもない。それはある種身体が求める反応のようなもので。この先どんな人生を歩もうとも、最低限の体力は必要だと思うわけで。
滲む汗が肌を纏うまで、ヴァリアは朝日に包まれ剣を振り下ろし続けたのだった。
剣の素振りで軽く身体を慣らしたところで、朝食を摂るべく部屋に戻る。これも騎士団にいたときには頭の片隅にもなかったことだ。
食事は全て寮で賄えていたし、外に食べに行くことが主で、自炊など、自分で自分の食事を作ろうなどと考えたこともなかった。
野盗時代においては、剣の先に刺した獣肉を焚き火で焼いて食べる以外の選択肢は無かった。調理器具を使っての料理など、生まれてこの方したことがない。
塩胡椒が思い出の味であるヴァリアにとって、黙っていても温かい食事が出る寮の食事がいかにありがたい存在であるかを今になって思い知る。
同じ金属製品でも、人を傷つける武器はあっても、人を活かす道具はない。
ヴァリアは勉強だけでなく、料理も学ばなければならないらしかった。
肩を狭めなければまともに向き合えない手狭な炊事場は、黒い煙を吹き出していた。
使いやすそうで、且つ安価なフライパンと、肉を買った。
それを焼くだけだ。誰にも失敗しようがない。剣で言えば素振りのようなものだろう。基本の基のような料理だ。
包丁だって、ヴァリアにとっては剣を縮めさせただけの刃物だと思っていた。
だが、そんな根拠のない自信と共に完成した料理は、黒く、このまま薪に焚べればいい炎を生み出しそうな、炭化した固まりだった。
その朝、ヴァリアは自分に料理の才能が無いのも知った。




