12話
その地面にある装置を見て、ヴァリアは戦慄した。
記録鋼板の導く草原を進んだ先に、その装置はあった。
石造りの、輪状に設えられたサークル。一見遺跡にも見えるそれは、今いる階層から次階へと進むことのできる装置だ。丁度、作りかけの井戸のような形をしている。地面に石で輪を象っただけのような。
誰が、いつ頃設えたのか。それは分かっていない。分かっていることは、これはフロアとフロアをつなぐ扉の役目をしていることだけ。
そのサークルには、今現在の階層の数字が刻まれている。それはダンジョンの特性により周囲の風景、構造が変わろうともその場所にあり続ける、不動の装置。
「・・・どうしたんだ?」
ラトリオが、サークルにしゃがみ込み、古びた石造りの輪を指で振れているヴァリアに声を投げかける。
「・・・まずいことになった」
いつにない、焦りを含む、ヴァリアの表情。
「どういうことだ?」
見ろ、とヴァリアは指の腹で汚れている砂を払い、今いる階層が刻まれている文字を見せる。
「・・・二十、七階?」
ダンジョン講習での探索は、飛ばされる場所は一桁台のフロアであると定められている。
2桁台。しかも、講習用の階層を遥かに超えている。見間違いでなければ、ここは初心者を含むパーティーでは手に余る場所だ。
だとしたら、先程の戦闘は幸運でしかない。あの獣型の魔物は下階層で見かけるはずの個体だったからだ。
・・・何が原因だ?
これは自分だけか。他のパーティーも同フロアにいるのか?
ヴァリアは、不安そうにラトリオが握り締める記録鋼板を見て、はっとなる。
ここで自分が不安な顔を見せてはならない。後に控える子供達を不快な気持ちで煽ってはならない。
ヴァリアは自分の記録鋼板を取り出す。そして、口惜しそうに舌打ちをするのだった。
もしかしたら、この異常とも言える事態は自分のせいかも知れないからだ。
ラトリオたちアシュキュードの生徒は、講習に伴い武器と鎧、食料等を支給される。それは記録鋼板とて例外ではない。
支給される記録鋼板は記録が刻まれていない真っ更な新品であるはずだ。
しかし、始まりの門のデータベースには、ダンジョンに入場したことのある冒険者や騎士のデータは累積されている。それは当然、ヴァリアのも、だ。
受付でヴァリアのデータを参照してしまったのか、詳しい事情はわからないが、ここが本来足を踏み入れるはずの階層ではないのは事実だ。
この幸運を良いように受け止めなければならない。それは、ラトリオたちにとっては不幸にも等しい恐怖であるかも知れないが。
「戻ろう」
そのヴァリアの言葉に、ラトリオたちの表情は一変する。
はっきり言って、この階層は彼らにとって手に余る場所。そして、今のヴァリアに彼らに気を配りながら進めるかと言われれば自信はない。ここは素直に撤退する。これ、ダンジョンの鉄則だ。
その場合、戦績もそこまでの行動が記録となる
ここから本来の目的の階層まで戻るのは現実的ではない。戻った方が、彼らの身のためだ。
ラトリオは表情を歪め、気持ちを押し込めたように手を握りしめている。
・・・気持ちは分かる。
不本意なダンジョン撤退ほど無念なものはない。
宝を目の前にしながら引き下がる。
強敵に立ち向かう状況ではない時。
様々な要因が重なり、奇跡のような状況を手繰り寄せ、冒険は紡がれる。
それから降りることは、何より魔物に。他の切磋琢磨する他パーティーより。さらに言うのなら、自分に負けた気がするからだ。
次がある。
命があれば次の冒険に続けることが出来る。
でも、彼らにとっては『今』という冒険は今しかない。
命は何より大事だ。彼らにはそれを分かってもらう説得をしなければならない。
「ラトリオ、無理だよ。戻ろうぜ」
冷静な判断が出来ているのはパイクだ。
「深い階層には、『アレ』がいるっていうんだろ」
グレイは何かに怯えているように、言う。
ダンジョンが深い階層になるほど探索が困難になる要因。
それは強く、狡猾になる魔物。食糧問題。疲労。怪我。様々な要因が考えられる。
その最たるものにヴァリアたちがまだ遭遇していないのは本当に幸運でしかない。この隙を逃す手は今の状況ではない。
「俺は!冒険者になるんだ!」
叫ぶようにラトリオは悔しさを吐き出す。その言葉の意味は、ここで諦めてはなるものかという決意の現われだろう。
「こんなところで、諦められるかよ・・・!」
だが、それは仲間の命を天秤に掛けてまで貫くことではない。むしろ、仲間のことを考えられてこそ仲間なのだ。それが出来ない今のラトリオは、冷静ではない。
冒険心に酔いしれ、周囲が見えていない。恐怖を、勇気ではない別の感情ですり替えているだけだ。それほどまで、昼間部の連中を見返した気持ちが強いのだろうが。
昼ほど自由ではない、夜間ならではのコンプレックスか。
学べるだけ幸せと考えていたのはヴァリアだけなのかも知れない。
「・・・わかった」
しばらくの静寂の後、ヴァリアは口を開く。
「本来の目的地である階層に向かおう」
表情を明るくするラトリオとは違い、パイクとグレイはその顔色を変えない。
「その代わり、これからの行動には最大限の警戒を張れ。俺も当然フォローする」
バックでのサポートに徹するだけのつもりだったが、そういう状況でもなくなった。
「だが、危険だと判断したら容赦なく帰還の判断を取る」
それでいいな、と確認を取ると、3人はそれぞれの動きで頷いた。
パーティーメンバーのデータがリンクしてある記録鋼板同士ならば、誰かが脱出機構を使用した瞬間に、全ての紐づけられたパーティーメンバーに作用する。
勿論、脱出した時点でその探索は終了。そして、今回のダンジョン講習に関して言えば、その時点でリタイア扱いだ。
ヴァリアは改めて自分の剣の柄を握る。久しく感じていなかった、身体の奥底から奮い立つような感覚。背中に守るものを背負う感覚。
ただ、熱くなってはならない。あくまでも冷静に。
ヴァリアたちは、目の前の次階に続くサークルではなく、戻るための出口を探して草原を行くのだった。
プロギアの悪い予感が的中してしまった。
始まりの門では、セントグランダムの騎士が慌ただしく駆け回っている。
受付の機械の不具合により、本来の行き先ではなく、ヴァリア・リビジョンを含むパーティーは、別の階層へと飛んでしまったのだと言う。
「最後に報奨品を配置しに行った記録が残っていたのだろうな」
騎士の仕事である、各階層への金品の設置。ヴァリアの騎士団退役前の最後の仕事の時の記録だろう。
「ごめんなさぁい・・・!」
ソーラは目から涙を溢れさせ、眉は八の字。机に擦り付けんばかりに突っ伏し猛省。
「ヴァリアが久々に会いに来てくれて、騎士姿に感動しちゃってぇ・・・」
ぐすぐすと目鼻を涙と鼻水で溢れさせつつ、謝罪。
「何かあれば脱出するはずだ。置かれている状況をわからない奴ではないだろう」
戦闘の準備を終えたマーズ、他の騎士が並ぶ。何より心配なのは、ヴァリアではなく、連れている生徒だ。 戦闘経験のない状態では、深い階層はあまりにも危険。
「我々は、いつでも動けるようにしておこう」
ソーラには受付からダンジョン内の動向をチェックしていてもらう。『誰』が『どこ』で『何』をしているかまでは探れないが、入場しているパーティー。人数は常に追えている。
講習の舞台である低階層には参加しているパーティーの反応。そして、遥か別の階層に、同じ参加者の反応。それが恐らくヴァリアたちであろう。
「だから、危険だと、あれほど」
プロギアは、過呼吸のように弾む胸を手で押さえながら、青ざめている。
繰り返される、別れの可能性。
「・・・大丈夫ですか」
その姿にマーズが寄り添う。その目には涙で滲んでいる。
「心配はいらない。何より、あのヴァリアが付いているのだ」
その言葉に、プロギアは鋭い目つきで返す。
「・・・どうして、貴方はそうまでして彼を信じられるのです。どれだけ腕の立つ戦士だろうと、万百の知識を極めた魔道士だろうと、命を落とす時は一瞬です」
彼もそうだった。
冒険の手土産話を抱えて、帰ってくるはずだった。
「私は彼のことを良く知っている。何を守るべきで、戦う意味も」
彼女は、ヴァリアの強さに何の疑いも抱いていない。強くあることが当たり前だと。
わからない。
プロギアにとって、ヴァリアは受け持つクラスの、少し歳の離れた生徒に過ぎないから。知っているのは、勉学に勤しむ努力家ということだけだ。
「彼は、失うことの苦しみを知っている。・・・何より、彼は『奪う側』だったから、身に染みてわかっているのだろう」
「・・・奪う、側?」
その言葉に、プロギアは目を細めた。
「聞いていませんか」
その問いに、プロギアは軽く首を振る。
「彼が幼い子供の頃だ。両親のいない彼はセントグランダムでも悪名で名を馳せた盗賊団に所属していた」
その言葉に、驚きを隠せないようにプロギア口元を押さえた。
「無論、子供だからと悪行が許されるはずもない」
それは、ヴァリアも感じていたことだと思う。騎士団に身柄を引き取られ、剣を学ぶ内、いろんなことを知る内、自分のしてきたことを悔いていた。
彼が勉強に執着するのは、真っ当な人間になって、それを贖罪にすることではないのだとマーズは思う。
かつて、自分が師から教わったことのように。
「だから、彼は死んでも守るよ。仲間を、クラスメイトを。・・・友人を」
プロギアは目を痛いくらいに瞑り、
「・・・それでヴァリアさんまで死んでしまっては、何にも意味はなさいではないですか・・・!」
誰も、傷付いて欲しくはない。誰も命を落としてほしくはない。
ダンジョンに、冒険に、ロマンなど求めて欲しくはない。
「ああっ!」
その時、ソーラの絶望にも似た悲鳴が響き渡った。
「この反応・・・、『幻想獣』です!」
その報告に、初めてマーズの表情が歪んだ。
「くそ・・・!これは、急がなければならんか」
「なん、ですか?」
震える声で、プロギアが聞く。
「『幻想獣』の生息を確認。ヴァリアのいるフロアです」
「『幻想獣』?」
嫌な予感を察知して、プロギアの胸の鼓動は早くなる。
「高階層に生息する、強大な力を持つ魔物のことだ。その強さは騎士一個師団でも手に余る」
汗に滲むマーズの額。
講習に使用するフロアにも幻想獣は出現する。
幻想獣は、普通の魔物とは一線を画す。
セントグランダムのダンジョンが他の洞窟の常識とかけ離れた構造をしているのと同様、幻想獣も、普通の魔物の常識を遥かに超えた能力を持つ。
だが、その性質を利用した排除方法法もある。幻想獣はその名の通り、幻影、幻のような存在だ。
もし、そのバケモノのような存在を屠ることが叶ったのなら、そのフロアには一定の期間、その姿を消す。
ダンジョンが時間により構造を変えるのと時を同じくして、その姿を何事もなかったかのように再度現す。まさに、幻想のように。
幻想獣と討つことは、ダンジョンに挑む冒険者にとって、ある意味百の宝を得ること以上の名誉だ。ダンジョン探索よりも危険な、命を引き換えにしたかのような、薄氷の上の誉。
講習用フロアの幻想獣は、前もって騎士で排除しておく決まりだ。低階層の個体はそれほど強大ではないものの、それでも子供には魔物以上の脅威だからだ。
講習が終わるまで、幻想獣の復活までに多すぎる余裕を稼げると踏んでいた。
それ以上の階層に関しては触れてはいない。あらゆる想定をしていなかったこちらの落ち度。
「対『幻想獣』の兵装を用意して、潜る準備を」
個体によっては、鋼鉄の武具すらも砕き割る力を持つ。個人の腕ではもはやカバーしきれない凶悪さを誇る者もいる。
マーズの言葉に、その場にいた騎士は頷き、緊張に士気を高めるのであった。




