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1話

「ヴァリア!」

 遠くから自分の名前を呼ぶ声に、その男は振り返った。

「ヴァリア・リビジョン!」

 フルネームを呼びつつ、具足が床を打ち鳴らす音を響かせながら近づいてくるのは、同僚の女性騎士だった。

 白銀の鎧を身にまとい、流麗なプラチナブロンドをなびかせるのは、まだ二十歳半ばの若い、この城でも指折りの有望株だ。

 対する男。

 短く刈り込んだ黒髪。がっしりとした体格に、磨き上げられつつも無数の傷が残る銀の鎧が、彼が歴戦をくぐり抜けてきた証明だった。

 ヴァリア・リビジョンも騎士であるものの、40半ばのベテランの域にある男だ。

 いや、もうすぐ『だった』になるのだろう。

「おう、マーズ」

 マーズと呼ばれた女性騎士は眉根を寄せ、怒りをその顔に滲ませながらヴァリアに詰め寄る。

 ヴァリアは180に届こうという長身で、マーズはそれよりも頭ひとつ分は低いため、彼を見上げるように厳しい視線を差し向け、指を振りながら上目に鋭い目を叩きつけている。

「ヴァリア!騎士団を辞めるというのは本当なのか!?」

 マーズの怒りの原因は、ヴァリアの騎士団の退役にあるらしかった。

「ああ、聞いたか」

 ヴァリアはもう間もなく数十余年王に仕え、国を守ってきた仕事から身を退く。

「なぜだ!?」

 手を広げるその仕草に、納得していない様子が見える。そんな同僚の詰問に、ヴァリアは困ったような表情で頭を掻く。

「俺ももう40半ばだぞ。そろそろ次のことを考えたい」

 その答えに、マーズは腰に手を当てつつ、深くため息。

「・・・その『次』のこと、というのは、この国の平和を守ることよりも重要なことなのか?」

 細めた目で、マーズはヴァリアの言葉に納得を示してはいない。

「貴様はまだ戦えるだろう。後続の騎士の見本になるべき男だ」

 ヴァリアと同年代の騎士はもちろん、それを越える齢の老兵もこの城にはまだまだいる。彼らに比べれば、ヴァリアなどまだまだ半人前扱いだ。自分は誰かに技術を教える立場ではない。

「お前は俺が超人とでも思っているのか?もう身体はガタガタだ。ごまかしながらやってきたに決まっているだろ」

 重量のある鎧に加え、鉄の塊のような武器を手に振るわなければならないのだ。

 どんなに身体を鍛えていようとも、寄る年波には勝てない。上の老兵は、それすらを超越した化物のような領域にいる、凄腕の騎士が身を並べる。

 ヴァリアは心身を鍛え、必死に食らいついてきたつもりだ。それなりの戦果も上げてきた自負もある。ただ、ヴァリアはその領域には辿り着けなかった、ただの一般兵に過ぎない。

 現に、ヴァリアはどの隊を任される隊長格に就いたことはなく、誰かの元で剣を振るう位置を逸脱しなかった。

 それに、かつての世界情勢と違い、今は割と平和な日々が続いている。戦場に送り込まれる状況下ではない。魔物という脅威は消え去ってはいないが、それは現存の騎士、そして未来ある若手次第では十分に国の守護たる存在になれる。ヴァリアは安心してこの城を去れる。

「後のことは任せたぜ、マーズ。お前だけじゃなく、この国を後に残るお前たちで守るんだ」

 実際、この国の騎士団には剣の腕や体力面でも任せられる人材で溢れている。それはマーズも例外じゃない。

「・・・ここを辞めて、どうするつもりだ?」

 マーズはまだ不満を顔に滲ませながら、ヴァリアの去就を尋ねる。

「最近特に思うようになった、やりたいことが出来たんだ」

「・・・そうか」

 マーズは、結んだ眉根の険しさを解き、その顔に柔らかな物を浮かべる。

「退役祝いの席には来るのだろうな」

 何時の頃からは定かではないが、誰かが武器を置き辞める時は、仲間内で酒盛りをして送り出す気風がこの騎士団にはある。

 命を持ったまま城を去るのは、生と死の狭間で剣を振るう仕事を主とする人間には稀有で、むしろ喜ばしいことだからだ。

「・・・俺が下戸なのは知っているだろ?」

「五月蝿い。貴様に拒否権はない。餞別だと諦めてもてなされろ!」

 ぐ、とマーズは拳でヴァリアの胸元を小突くと、踵を返した。

 数歩歩いたところでマーズは振り返り、

「必ず来い!姿を見せなければ許さんぞ!」

 そう叫ぶマーズの顔は、晴れやかに見えた。


 城下街の一角にある酒場。

 外からでも中の喧騒が聞こえるその店構えは、いつもは街の飲んだくれの溜まり場になっているが、今日は祝いの気配で溢れていた。

 ヴァリア・リビジョンを送り出すために、マーズを含む隊士が祝賀のグラスを高らかに掲げていた。

 テーブルには無数の豪華な料理や酒が並び、店の主人はカウンターの奥で厨房をフル回転させており、それらを運ぶウエイトレスは目まぐるしくも、そことテーブルをトレイ片手に往復している。

「ああ、マーズったら、酔いつぶれちゃってますよ」

 同僚の女性騎士が、顔を真っ赤に染めつつテーブルに突っ伏すマーズの側に冷たい水の入ったグラスを置く。

「強がってますけど、ヴァリアさんがいなくなるの、寂しがってましたよ。・・・もちろん私たちも」

 少なくとも、この場にいる騎士は同じ気持ちだろう。それが分かっただけでも、ヴァリアにとっては最高の餞別だ。

 その時、テーブルに後頭部を見せているマーズの身体が僅かに身動ぎし、

「何で行ってしまうんですかぁ・・・。マーズはもっとご指導戴きたかったのに・・・」

 いつもの凛々しい行動と姿とは一転、テーブルに頬を埋めつつ、惜別の言葉を漏らすマーズ。

 言葉遣いも態度も清廉なマーズにしては珍しい姿だった。

「・・・お慕いしております、ヴァリア・・・。むにゃむにゃ」

 溢れる本音に、微笑ましく見守る同僚。ひとりの女性騎士がその身を震わせながらヴァリアの肩を小突く。

「ほら!マーズにコクられてますよヴァリアさん!ここは一丁考え直して騎士団に残りませんか!?マーズもきっと喜びますよ!」

 黄色い声を飛ばしながら、マーズの寝言に歓喜するのは別の女性騎士。その凛々しい姿に、下部の騎士からの信頼や人気も高いだけに、普段とは違うその言動に歓喜している者もいる。

「酔っているだけだろ・・・」

 ヴァリアとマーズの年の差は、実際倍くらい離れている。それこそ親子くらいに。

 マーズのヴァリアに対する接し方は友好的なものではあると感じてはいたが、せいぜい年が遥かに上の同僚。そこに騎士としての尊敬の念が感じられないことから、年の離れた友達、兄。ヘタをすれば親みたいに思っていることだろう。

 もちろん、ヴァリアがマーズにしてやったことなど何もない。それくらいマーズは手のかからない騎士だったし、優秀な人間だ。だから、寝言とは言え、マーズがそんなことを思ってくれるのを嬉しいと思わないわけがないのだ。

 剣を交えた仲間、戦地を駆け巡った同期。代わる代わるヴァリアの元を訪れる人物は一様に皆、彼との別れを惜しむ。  

 ヴァリアの剣の腕をそれこそ惜しみ、ヴァリアは自分が去った後のことを頼む、と。

 ヴァリアの退役にかこつけたどんちゃん騒ぎを眺め、思う。

 願わくば、こんな楽しい時間が永遠に続けばいい、とも。

 だが、これは確実に仲間との別れの時が近づくことも意味していた。

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