第八話 可能性としての空間の爆破
「はい?」
ふいに子供から全力で脇腹をチョップされたような声が、瑞生の口というより喉から出た。
「あっちのほうのVRあるじゃないですか。オフィシャルのほうの」
瑞生は答えにつまる。
「ええ、はあ⋯⋯」
「俺、デスパートのパソコンにハッキングかけて、VRの世界にトンネルみたいな穴あけてみたらどうなるか試してみたんすよ。そうしたら……そうしたらですよ、いったいどうなっちゃったと思います? なんとアンドなんと、似たような世界がもう一個できあがっちゃったんす」
会話の途中で相手が気がふれていることに気がついた人間のような目で、瑞生はオタクの顔をまじまじと見る。
「ここが、ですか?」
「はい」
瑞生はあくまで冷静を装いながら、無理やりにでも納得したような表情を浮かべた。
「ああ……そういうことだったのかあ」
もちろんそんなわけはない。このオタクが、本家の仮想空間にむりやり穴をあけた際になんらかのエラーが生じて、こちらのコピーの仮想空間に通じてしまっただけである。瑞生はもう顔を見られるのもかまわず、相手の顔をじっくり見据える。まるまると太った顔だが、張りのある肌つやを見ると、まだ三十にもなっていない感じだ。もしかすると自分とさほど年が変わらない可能性だってある。
「つうかつうか、お兄さんもやっぱりあのトンネルから来たんすよね」
こいつだったのか。本家の空間に穴をあけたのは。本家の仮想空間をコピペして生じたバグでもなんでもなかったのだ。瑞生は無駄に好奇心旺盛なオタクに特有の、あとあとのことまで考えない大胆さに腹が立った。しかしよくよく考えてみれば、自分だってやっていることはこのオタクとまったく変わらないのである。
「ええ、まあ……」
瑞生はごまかした。
「えとえとつまり、共犯者……ってことでよろしいですね?」
「まあ、そうなりますよね……」
相手は安心したように、にかっと笑った。
「あ、これは申し遅れました。このワタクシめ、ご陰キャさま、といいます。もちろんハンドルネームっすけど」
「ご隠居さま?」
「いえ、それにひっかけての、ご、い、ん、きゃ、さま。陰キャって言葉あるじゃないですか。陰気なキャラの略語」
「ええ。でもまあ‥‥なんだかずいぶん自虐的なネーミングのように思うんですが」
「いやいや、こんなことすんのってどう考えても陰キャっしょ。俺は高校生の妹がいる母子家庭のニートという天下無双の選ばれしものなんすけど、その母親や妹とさえほとんど口きかないくらいっすよ。実家暮らしの天涯孤独ってやつっすわ。まあ向こうが話してくれないっつうのもあるんすけど」
じつに興味ぶかい家庭環境ではあるのだが、ここでそんな与太話をしている場合ではない。
「こんなことしてて、もしデスパート側にバレたらどうするつもりなんですか」
瑞生は自分のことを棚にあげて言った。
「そもそもIPアドレスはどうしてるんですか。もしハッキングが発覚したら、そこで身バレしちゃうでしょ」
「昔ヘブライ語のサイトに転がってた無料配布プログラムにちょっとカスタムかまして、パソコンにできうるかぎりの演算をさせて無数のプロバイダーを経由してるんす。たとえばこの仮想空間につながっているひとつ前のアドレスはタイにあるし、その前はフランス、その前はロシアなんて具合で。いったい地球何周してるんでしょうね。俺にもわかんないっすわ。えへへ。たぶん大丈夫っしょ。デスパート以外にも、ちょくちょく名の知れた企業のパソコンに侵入したりしてるんで」
ご陰キャさまは悪びれもせずに言う。
「そういうのって企業側にバレたりしないんですか?」
「バレてないかもしれないし、バレてるかもしれない。世間体がわるいのかどうなのか、バレてても公表したがらないんすよね、大手ほど。具体的に顧客情報が漏れてなければ、あからさまに外部から侵入の痕跡があっても、わりと知らん顔しちゃうみたいなんす。まあ内部情報っていっても、そこを退職した人間だって過去に見てるっちゃ見てるわけでしょ。業務上の秘匿義務なんて、日本じゃ絵に描いた餅みたいにまるっきり無意味なシロモノだし」
瑞生は苦笑いする。自分がデスパートの元社員であることを皮肉られたような気がしたのである。しかしまさかこの男がそこまで知っているわけもなかった。
「そういうのって、ご陰キャさまにとってなんか得でもあるんですか」
「ないっすよ」
ご隠キャさまは即答した。いたずらをした幼稚園児に根気づよく理由を問いただす優しい保育士のように、瑞生はにこやかな笑顔を浮かべたまま訊いた。
「じゃあどうしてこんなことするんです?」
「優越感っす。ぶっちゃけ、俺らみたいな社会にとってミジンコ的な存在には、これにまさるメシウマな話ってないわけじゃないすか。みんなが知ってるような大企業のパソコンをハッキングしてるなんて。それになんつうか、生きてるなあ、って実感も湧いてくるわけだし。でもでも自慢できないのが悩みのタネなんだなあ。こんなんで5ちゃんにスレたてても釣りと思われておしまいだし、そんなとこから足がついたらめちゃくちゃマヌケすもんね」
瑞生だって、頭のネジのはずれたオタクを説得しきれるとは思っていない。しかし自分のつくった庭をこの手のハッカーに勝手にうろちょろ歩きまわられるのも、わりかし迷惑な話なのである。瑞生は説得を試みる。
「でも企業にとっては実害がなきゃ、ライオンにたかるハエみたいに、ただウザがられるってだけの話ですよね?」
ご陰キャさまはなぜか嬉しそうににっこり笑った。地面に静かに横たわっていた魚に水をぶっかけたように、目がいきいきと輝きだす。よほど話し相手に飢えていたのかもしれない。たしかに現実の世界ではこういう話をできる相手はそうそういないはずだ。その気持ちは瑞生にもまあ、よくわかる。友だちのいない人間にとって、部屋の天井のみならず、世界は丸ごと孤独を描くキャンバスなのだ。
「やだなあ。イタいとこ突かないでくださいよ。俺だって一線とか超える勇気はないんすってば。そりゃ、外国のハッカー集団みたいにシステムにロックかけて、金だせばロックといてやるぜ、みたいな派手なことしてみたいっすよ、俺だって。働いてないから金ないんだし。新しいパソコンだって買いたい。でもそんなんで捕まっちゃってテレビやネットで実名と顔を晒されて、世間からお尻ぺんぺんされたくはないんすよ。特定班に住所探られんのもヤだし。目のかたきにするでしょ、クソオタクがそんな脚光あびることやっちゃうと。羨望なのかなあ。ハッカーとネットオタクなんて、目くそ鼻くその同類なのにさ。まあ俺も逆の立場だったら、とことん追いつめるけど」
薄い目をさらに細めて愉快そうに笑い、瑞生もつられて笑った。
「でもデスパートを敵にまわす気もないんで、飽きるまでタダで仮想空間を探索させてもらうつもりっすわ。ほら、デスパートって昔っからヤバい噂あるっしょ。反社とつながってるっていう」
「ああ、根づよい噂がありますよね。たしか創設メンバーが資金あつめのために裏で投資詐偽にかかわっていて、大金で雇われた一流の弁護士たちが揉み消しているっていう……」
瑞生もデスパート在籍時に上層部の人間と顔をあわせたことがないから、一般人なみにその噂の真偽のほどがわからなかった。例の統括者とも一度もその話をしたことはなかった。会社全体に、その話は絶対的タブー、という雰囲気が漂っていたのだ。
「いまは跡形もなく消えちゃってるけど、以前はグーグルの検索でデスパートって打つと、検索候補にまっさきに投資詐偽って出てましたからねえ。そんなやつらの会社の主軸コンテンツにイタズラすんのも、ほどほどにしとかないと」
「早めに穴を埋めたほうがいいんじゃないですか」
「まあ穴を埋めるときにこっちの仮想空間も爆破しとかなきゃなんないんすけど、俺、正直そのやりかたがまったくわかんないんすわ。穴だけ埋めてこっちの仮想空間を残しとくのもなんか変だし。自分でこんな空間つくっといて無責任かもしれないんすけど、そもそもなんでこんなことになったのか、まったく見当もつかないんすよ」
「もしよかったら、僕が爆破してあげましょうか? 前にこういう仕事していたことがあるんで、そっち系のことはそれなりに詳しいんです」
瑞生としてはかなり踏みこんだ大胆な意見だ。ご陰キャさまがちょっと疑わしそうな目つきで瑞生の顔を見る。たぶんそういうことができるようなタイプには見えないのだろう。一見オタクっぽく見えない瑞生の風貌は、こういうときには裁判でまったく物的証拠のない検察側のように不利になるのである。
「はあ。でも‥‥どうやってやるんすか?」
「こっちのエラーのほうの仮想空間のプログラムを爆破するんです。それこそ爆弾を仕掛けるみたいに、ウィルスばらまいて消滅させるんですよ」
「え、それってヤバくないすか。このエラーのほうの仮想空間がほんとはエラーなんかじゃなく、もしもデスパートの進行中のプロジェクトの一部とかだったりしたら、リアルに犯罪になるっすよ。まあ俺のやってることもリアルな犯罪っちゃ犯罪すけど」
じつにオタクらしく、めんどうくさいことを言う。しかしこのコピーの仮想空間をつくったのが瑞生であることを踏まえれば、それを知らない男の言いぶんにもたしかに一理あるわけで、瑞生もすぐさま相手を説き伏せられるだけの、説得力のある反論のロジックをうまく組み立てることはできなかった。
「なんか俺以外にもけっこうここ来てる人たちがいるんすよね。お兄さんたちもそうですけど」
「ええ。はい」
「こっちのほうの仮想空間を爆破するんであれば、そういう人たちはいったいどうすればいいんすかね」
瑞生はにっこり笑った。やはり子供のような発想をするやつは子供の思考回路しか持っていない。
「ここは現実の世界じゃないんで、空間ごと消滅させても、住人たちが死ぬってことはないですよ」
「いや、そういうことじゃなくて。どうも仮想空間のプログラム見てると、きちんと退場手続きとってないとセキュリティのアラームが鳴る仕掛けになってるみたいなんす」
「え?」
「この仮想空間って、ふつうはユーザーが寝ているあいだだけ住人になるじゃないすか。現実世界で起きて、つけてるアイマスクが睡眠からめざめてユーザーの活性化した脳波をキャッチして、それがそのまま退場手続きとなると。どうやらそういうプログラムになってるみたいなんすわ。それが住人が滞在したままプログラムを破壊しちゃうと、正式な退場手続きをとっていないってことになっちゃって、セキュリティのアラームが鳴るんす。簡単に言うとプログラム上の異常を関知したみたいになるんすね。たぶんこっちの空間に滞在している人数ぶんのアラームが、デスパートのエンジニアたちが働いているオフィスでけたたましく鳴るんじゃないすか」
瑞生は頭がくらくらした。この男の言っていることはおそらくほんとうのことである。自分の後釜についたセキュアの担当がそういうプログラムを付け足したのだ。たぶん嘘はついていない。ここまで腹をわって話しているのに、男がこの期におよんで嘘をつく必要などないのだ。
その付け足されたセキュアのプログラムは、おそらく仮想空間自体のプログラムに巧みに組みこまれている。仮想空間を構築したエンジニアたちの助けを借りればそれは不可能ではない。セキュリティのプログラムを見分けることにかんしては絶対的な自信があるものの、プログラムの分野のエリート中のエリートともいえる、仮想空間を構築したエンジニアたちの手によって巧みに覆いつくされてしまうと、さすがの瑞生も見つけだすのが困難となる。
「じゃあ、ひとりひとり探しだして説得して、出ていってもらうしかないんじゃないですか」
自分で言っていても気のめいってくる作業だった。瑞生のような致命的なコミュ障にとって、そういった行為は、消防士が奥まった場所に落ちた猫を救出するよりも遥かに骨のおれることなのだ。しかし将来的にデスパート側に発覚する前にここを閉鎖しなければならない状況になった際には、やはりそういう手段をとらなければならなくなるのだろう。
「いやいや。トンネルをぬけるのって、半年はかかるじゃないすか」
「はい?」
「やだなあ、とぼけちゃって。お兄さんもそこ通ってここに来たんじゃないすか。あの真っ暗なながいながい穴を通って。ナカーマ、ナカーマ。マジで万里の長城くらいの距離があったんじゃないすか。もうすぐ出口だ、と思いながら、そのままずるずる半年もかかったっすもん。お兄さんもそうだったと思うんすけど、けっこうな距離を歩いてから引きかえすのって、かなり勇気いるんすよね。なんか人生そのものみたいすけど。そんでまた半年もかけてトンネルの穴を引きかえしてもらうんすよ。しかも本人にはなんの得もない。誰もそんなことに協力してくれるとはとてもじゃないけど思えないんっすよねえ」
自業自得とはいえ、ひどく厄介なことになってしまっているのかもしれない。デスパート側にバレないようにこのコピーの仮想空間を解体するには、こちらに紛れこんだストレンジャーたちを全員追い出さなければならないとは。
瑞生が静かに絶望の表情を浮かべているところへ、さっぱりした顔をした詩梁がトイレから出てくる。瑞生の隣りに立っているオタクの顔を見て、うさんくさそうに目を細め、怪訝そうに首を傾げた。
そしてとつぜん鳴り響いた銃声とともに、首を傾げた方向に、そのままばたんと倒れる。詩梁が倒れたのと反対方向のその先には、銃をかまえたあの公安の男が立っていた。




