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第五話 首輪は何度も断ち切られる

 ようやくライヴ会場の前までたどりつき、物販のテントの前に群がっている人だかりをかきわける。会場の入り口にならんでいる行列は、ところどころ折れまがりながら、物販のテント横までつづいていた。ぎりぎり日陰になっている部分が最後尾である。

 瑞生はうしろ髪ひかれる思いで物販のテントに視線を送っていたが、日傘を持ってきていない詩梁は、無慈悲な飼い主が犬のリードをひっぱるように、まっすぐ会場のほうの行列に向かっていく。現実世界のカノジョ持ちの男たちと同じように、瑞生の首にもちゃんと目に見えない首輪がついているのである。こういうときの詩梁はまるで容赦がない。

 デート中の瑞生のこうした突発的な物欲につきあわされるのを、詩梁は心のなかで、茶番、と呼んでいた。なにを買おうか迷いに迷ったあげく、結局この男、なんにも買わないのである。

 ケチというのとはまた違う。節約家、というのともまた違う。優柔不断。そうだ、これだ。これこそがこの男の頭に載せるべき冠なのだ。こういうろくでもない輩たちばかりが集まる世界では、たぶんこいつは堂々たる王に選出されるのだろうと詩梁はいつも思う。そして最後には優柔不断な民衆たちに優柔不断な職人のつくった優柔不断なギロチンでこんにゃくのようにぐにゅぐにゅと首を斬られ王の座を追われるのだ。

 どれを買おうか、さんざん迷ったあげくに、まるで迷うことに疲れた、といった感じになって、結局なんにも買わない。そんなことに一秒でもつきあわされるのは詩梁はもうまっぴらだった。今度それをやられたら、嘘いつわりなく、顔面に蹴りをいれてやろうと詩梁は本気で思っている。

 しかしそれにしても、なんでこんなやつとつきあってんだろ、とスマホに視線を落としながら、詩梁はあらためて遠い目になるわけである。

     

       *


 開場にはまだ時間がある。瑞生はなおものほしげに物販のテントに視線をやっていた。その行列にならんでいる顔のなかに、あきらかにAIの生成ではない、リアルな顔つきの男がいるのに気がついた。

 黒いパーカーを着て、目のあたりまで深くフードを被っている。しかしそこからのぞいている顔は、あきらかにAIで生成されたのっぺりとした顔つきではなかった。能面のように無表情ではあるのだが、AIの生成するまったく平坦な無表情さではない。瑞生はあわてて後ろを向いた。さっき通りで見かけたのとはまったく違う顔である。

「どうしたの?」

 よほど瑞生の顔色が変わったのだろう。詩梁がまた疑わしそうに目をほそめて瑞生の顔を見た。

「ううん⋯⋯なんでもない」

熱心なファンがこの空間に紛れこんだのであれば、メグのライヴに来たところでなんら不思議ではない。コピペした空間にもこのライヴ会場があるのだから、好奇心でこちらの会場に足を運んでも、不思議ではないだろう。こちらのほうが良い席がとれる、とでも思ったかもしれない。単なるファンなのだろう。しかし男の顔をじろじろと見て不審がられ、こちらの顔をおぼえられても困る。瑞生はその男に顔を見られないように背を向けた。

 やがて開場時間となり、行列が滞りなく会場のなかに吸いこまれていった。会場に入ると、とりあえず座席位置の確認、といった感じで、スマホのチケットに表示された座席をみつけだし、ふたりは腰をおろす。堂々たるアリーナ席の、けれど後方である。たとえ自分の意志でかなりの部分までどうとでもなる空間であっても、そこはガチャの運任せだった。

 さすがに仮想空間本体のプログラムにくっついているチケット販売のプログラムなんて瑞生には完全に専門外だし、これはデスパート社のエンジニアたちの構築した仮想空間とはまったく毛色の異なる系統の、委託先のチケット会社のプログラムであることは、見ただけですぐにわかった。だからへたにいじって不正を働けば、瑞生は単なる犯罪者になってしまう。いや、すでに籍をぬいた会社のつくった仮想空間のプログラムをいじるのだって、立派な犯罪行為ではあるのだが、瑞生はもうそこらへんのところが麻痺しちゃっているのだ。

 座席に腰をおろして瑞生はほっと安堵の息をつく。パーカーの男と座席さえ離れていれば、なんの問題もないわけだ。しかしその男が詩梁をはさんで、すぐ隣りの席に座ったのには参ってしまった。とはいえ、男はこちらに違和感を抱いている風でもない。視線が合っても、とくにこれといった表情の変化もなかった。そもそもこのライヴ空間特有の薄暗がりである。現実世界のライブと同じように、誰だって隣りの席に座っている人間の顔なんて、どうでもいいのだ。

 しかしまるで天井の隅っこにゴキブリが張りついてでもいるみたいに、瑞生はなんだか落ちつかない。詩梁がチケットの確認の際にもぎりの係員から渡された、何枚かのパンフレットをめくりながら、とめどなくなにやら喋っているが、瑞生の耳にはまったく入ってはこなかった。こうなると詩梁の話は、ラジオから流れてくるいまどきのDJのうすっぺらいトークよりも、さらに意識から遠のく。

 ステージ上にある巨大なスクリーンには、べつの会場が写し出されていた。カメラが舐めるようにその会場を隅から隅まで写している。詩梁がトイレに立ったせいもあって、瑞生はしばらくのあいだ、ぼうっとスクリーンを眺めていた。だが、とつぜん頬をうたれたようにはっとして、瑞生はスクリーンに視線を奪われる。このシューティングはヴューイングの全会場で行われる可能性があるのだ。

 この会場にも確実にカメラがある。どこまでいってもこの空間は本家の完コピなのだ。存在しないわけがない。瑞生は焦りながらカメラを捜した。やはりこの会場にも、無人のカメラがステージの右脇に設置されていた。こちらのスクリーンに映像を送りこんでいるべつの会場のカメラと同じように、客席のほうにレンズを向け、ゆっくりと右から左に動いている。撮影していることをしめす、赤いランプが無慈悲に光っていた。

 完全に想定外だ。こんな本番前の軽いデモンストレーションにまでは、瑞生もまったく考えが及んでいなかった。瑞生は吸いよせられるようにカメラに視線が釘づけになる。そして会場をぐるりと見渡した。

 会場を埋めつくした、Alで生成された不自然な顔という顔。こんなのが本家のほうの仮想空間にある会場のスクリーンに写し出されては、どえらいことになる。空間がどこかでつながっている以上(だからこそストレンジャーが紛れこんでいるのだ)、こうした電波もつながっている可能性があるのだ。おまけにこちらはどこまでいっても本家の仮想空間の完コピであるため、送信するデータにつけられるタグはID的に完全に一致するわけだから、本家の各会場のスクリーンにこちらのコピーの会場の映像が映し出されても、なんらおかしくはない。

 瑞生は固唾を飲んでステージ上にあるスクリーンをあらためて見た。その瞬間、スクリーンは瑞生たちのいる会場の映像に切り替わった。

 ぼやけた顔、顔、顔⋯⋯。瑞生は苦笑いを浮かべて椅子に沈みこむ。これは会場のおおきさと動員数のスケールをアピールするデモンストレーションであって、ひとりひとりの顔をフォーカスする趣旨はないのだ。たとえこの映像がこちらの空間の会場を映し出したものであっても、よほど目を凝らさなくては、観客の顔がAlかどうかなんてわかるまい。瑞生は声をださずに笑い、それから自分の過度な心配性に腹さえ立ってきて、おでこのあたりを指でぴんと弾いた。

 詩梁がトイレから戻ってきて席に座る。座るまえからなにやら話しかけてきたが、瑞生はまた適当に聞きながした。二万ほどの客席はほとんど埋まっている。いや、開演後に遅れてやってくる一定数の人たちも、現実世界と同様に、AIは律儀に再現するはずだから、もしかすると全席ソールドアウトなのかもしれない。

 そんなことを考えているあいだに、会場にずっと流れていたテクノ調のBGMの音量があがった。時間的にもちょうど開演直前なので、客席からまばらな手拍子がはじまり、やがておおぜいのそれと一体化して、地響きのような唸りとなった。

 客席の頭上に、色とりどりの何本ものレーザーが飛びかい、天井からステージの中央にまっすぐ円筒型のスポットライトが照射されると、やがてレーザーがスポットライトのなかに人間の足の部分を描きはじめる。もちろんこれはメグがヴィドルであることを強調するための演出だ。ながくて細い露わな美脚とオレンジの薄い布地の超ミニスカ、つづいてピンクのフリルのついた衣裳をまとった胴体と腕が描かれ、それからシリアスな表情を浮かべた男心くすぐりまくりのロリフェイスが姿をあらわして、最後にきらきら光るパープルのショートヘアの毛髪がてっぺんまで描かれると、メグが空中にふわふわ浮かんでいるマイクをぐいと掴みとって、第一声を発する。

「みんなー、始めるよ。準備はいい?」

 轟くような歓声。観客たちがみな立ちあがる。詩梁もいそいそと立ちあがった。しかし瑞生だけは客席に座ったまま、おかしな行動をとりはじめた詩梁の隣りの席のパーカーの男から目を離せなかった。立ったままステージのほうに背中を向け、白地の紙袋に腕を突っこむ。会場に音楽が鳴り響いているのをいいことに、構うことなくガサゴソと音をたて、なにやらまがまがしく黒光りするカタマリを取りだした。         

 男はステージに背中を向けたまま、右手に握った拳銃を、そちらのほうを見もせずに、隣りに立っている詩梁の側頭部にぴたっと当てた。なにが起こったのかと詩梁が頭を動かそうとしたところで、派手に銃声が鳴る。風船が破裂したような音だった。

 銃弾は詩梁の頭を貫通して、瑞生の足元のあたりに転がった。詩梁は目を見開いたまま、うしろに倒れて自分の席に静かに崩れ落ちる。それから詩梁はゆっくりと瑞生にもたれかかった。詩梁はすでにこときれていた。

 AIで生成された群衆がわざとらしく騒ぎはじめる。死の存在しない世界でも、彼らはそのような反応を起こすよう、ちゃんとコンピューターに調律されているのだ。瑞生の手の甲に飛びちった米粒ほどの小さな赤い破片は、おそらく弾丸で押しだされた詩梁の脳味噌の破片のはず。

 瑞生は震える手つきでポシェットから小型拳銃を取り出す。万がいちの場合を想定して、この空間でつねに持ち歩いている、自害用の武器だ。

 この仮想空間に死は存在しない。いや、死を存在させない、といったほうが正しいだろう。たとえば海で溺れて窒息したところで、心臓がとまる寸前に、現実世界で目がさめるような仕組みになっている。だから弾丸が脳味噌を撃ちつらぬく寸前に、瑞生は現実の世界にめざめることになる。そういう安全装置がはたらくようになっているのだ。 

 しかし瑞生は小型拳銃をつかったことがない。ほんとうに万がいちのために持ち歩いているだけで、それを実際に使用することなど考えたことすらなかった。瑞生にとってそれはあくまで御守りのようなものだったのだから。

 といっても迷っている暇などないのである。男はおそらく仮想空間の治安維持のために組織された公安の人間だ。そういう人間をこの空間にも存在させる予定であることを、瑞生は仮想空間のプロジェクトにかかわっていた時点で、例の統括者から聞いて知っている。といっても、もちろんAIではない。そんな大事な役割をAIにやらせるわけにはいかない。現実世界のややこしい法的な絡みなり制限があって、公安の人間はもちろん現実世界の生身の人間が担っている。

 そしてその銃口は粛清の銃弾として自分を狙っている。ルールを破った者にたいするとうぜんの報いなわけで、瑞生も最初からそれなりの覚悟はあったものの、こんなにも早く見つかってしまうとは思ってもいなかった。

 この空間に死は存在しない。男に拳銃で心臓を撃たれても死ぬことはない。だが脚でも撃たれれば、瑞生は身動きがとれなくなって拘束されてしまう。仮想空間でのみ有効な身柄拘束。現実世界ではなんの法的効力もない。だから拘束されるその前に瑞生はこの空間から逃亡しなければならない。

 しかしとんでもない地獄絵図だな、と瑞生は思うわけで。カノジョが拳銃で頭をぶち抜かれて即死し、直後にその相方が自分の頭を拳銃でぶちぬいて後追い自殺とは。仮想空間からめざめるためには、一定の滞在時間が経過するのを待たなくてはならないから、瑞生のようにうしろめたいことがあり、すぐにでもこの仮想空間から退場しなければならない状況に追いこまれた場合は、このような手段をとらなくてはならないわけである。想像するだけでも身体が硬直してしまうような行為を、瑞生はこれから実行しなければならないのだ。

 とはいえ、瑞生はやはり怖くて拳銃の引き金をひけない。仮想空間を利用している人間にとって、これはこれでリアルな現実なのだ。そこに求められる覚悟は、現実のそれとまったく同じなのである。必要なのは、単になみはずれた度胸だけだ。

 しかし瑞生はそのなみはずれた度胸を持ちあわせてはいない。瑞生は銃口を自分の側頭部に当てたまま、しばし目を泳がせる。パーカーの男がこちらに拳銃を向けたまま、訝しげに瑞生の顔をゆっくりと見た。男と目が合う。死神のように頬が痩せこけ、黒目だけがぎょろぎょろと動くが、それでいて無表情な眼球。

 こんな状況で深く考えるのはよそう。弾丸が頭蓋骨をつらぬいても、脳味噌にまで到達することはないのだ。その直前に仮想空間それ自体のプログラム上の安全装置が働いて、現実世界でめざめることになる。弾丸を発砲するのは、あくまでアトラクションの一部みたいなもの⋯⋯そう考えればいい。

 瑞生はそっと目を閉じて、震える指で小型拳銃の引き金をひいた。

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