第二十六話 『地獄の七所巡り篇』 其の六 くまとくまとくまのプーさま
外でなにやら物音がする。
瑞生は田舎の一軒家のような、畳敷きの広い和室の縁側で籐椅子に座っていた。部屋の明かりはついていたが、木の雨戸が完全に閉まっていて、昼か夜かもわからない。
籐椅子から立ちあがって、スライド式の雨戸を少しだけ開けると、庭のすみっこに二匹の熊がいた。熊は二匹とも後ろ足でしっかりと立ちながら、木の実をもいで食べていた。瑞生は顔をしかめながら小声で言った。
「いや、熊に襲われるのが地獄ってさ、そりゃそうだろうけど、AIが考えたにしてはちょっと芸がなさすぎなんじゃないか」
瑞生の声が聞こえたのだろうか、二匹の熊は顔を見あわせ、それから瑞生のほうをじっと見た。そして後ろ足で直立した姿勢のまま、瑞生のほうへと近づいていきた。二匹の熊のうち、額に稲妻のようなかたちの傷があるほうの熊が言った。
「なにをごちゃごちゃ喋っている。ちょっとはわれわれを恐がったらどうなんだ。近頃の人間は熊も恐がらないのか」
瑞生は思いきって雨戸をぜんぶ開けた。人間の言葉が通じるのであれば、相手が熊だって恐れるに足らずだ。
「恐いですよ、そりゃ」
「それならもうちょっと怖がったらどうだ」
「いや、それを言うんだったら、この際だから言わせてもらいますけど、逆にあなたがただって、もうちょっと人間を恐がったっていいんじゃないですか。こっちは猟銃なり麻酔銃なり持ってるんだし。しかもここは人間の領域なわけでしょ」
「はあ? 人間の領域だと?」
稲妻のないほうが言った。
「違うんですか」
「ここはもともとわれわれが暮らしていた土地だぞ」
「ええとですね‥‥そのもともとって、いったい何年前のことなんですか」
「およそ百年くらい前だ。だからむしろお前たち人間のほうがわれわれの領土に侵入してきたといえる」
「百年前って‥‥そんなのとっくに権利が失効してません?」
「権利が失効するって、どういうことだ」
「領土権みたいなものだって、肖像権とか著作権みたいに消滅期限があるはずでしょう」
「熊の世界にそんなものあるわけないだろ」
「そもそもあなたたちはこの土地をいつから所有していたんです」
「百五十年前だ。百年前に人間たちが勝手にこの土地に家を建てはじめ、われわれは山に追われることになったのだ」
「あなたたちが所有するまえは、またべつの動物がここに棲みついていたんですか」
この質問には稲妻のあるほうが答えた。
「狸が占領していた。われわれは狸どもに勇ましく戦いを挑み、正々堂々とこの領土を勝ちとったのだ」
「でもその理屈で言ったら、百年前の人間たちだって、あなたたちと戦ってこの領土を勝ちとったわけじゃないですか」
稲妻のないほうが悔しげな表情を浮かべて言う。
「猟銃などという、われわれの持たない卑怯な武器をつかってな」
「いわゆる陣どり合戦で勝敗をわけるのは、そういう文明の力量差みたいなものもひっくるめたものだと思うんですよねえ」
二匹の熊は顔を見あわせた。
「屁理屈ばっかりこねやがって」
「こうなったらプーさまのもとに連れていくしかないな」
稲妻のあるほうの熊が腕を組みながら言ったが、彼の言った、熊でプーの名がつくキャラといえば、瑞生にはやはりあのキャラクターしか思い浮かばない。
「プーさま? プーさんではなくて?」
「われわれはあのお方につかえる立場であるから、そんなフレンドリーな呼びかたはできないのだ」
「そのプーさまのところへ連れてって、いったい僕をどうするつもりなんですか」
「お前のような小生意気な人間を裁いていただくのだ」
「裁く? 熊が?」
瑞生はちょっと笑いそうになった。稲妻のないほうが、器用に人さし指を突きたてて、瑞生を睨みつけながら左右に振った。
「おい、あんまり舐めた態度をとるなよ」
「そうだ。ここではまだいいけど、プーさまのまえでそんなふざけた態度をとるな。あのお方はガチなお方だからな」
「ガチなお方?」
「キレるとなにをするかわからん」
熊に面と向かってそう言われると、妙な説得力がある。瑞生はたちまち熊たちに両腕をとられた。やはり熊なりのつよい力で、瑞生は抗えなかった。二匹の熊は瑞生の両腕をとって、家の裏手にある山道を登っていった。そのあいだ二匹の熊はひとことも喋べらず、瑞生も話しかけなかった。
頂上まで登りきると、円状の平坦な野原があり、中央に石づくりの段々になった台座と、そこに据えられた立派な赤い布張りの玉座があった。
その玉座に小柄な熊がちょこんと座っていた。どこからどう見ても、かの有名なくまのプーさんであった。プーさまはちゃんと赤いシャツを着ていた。その熊はいかにも動物らしく、両方の二の腕で、交互に顔を拭っているのだった。稲妻のあるほうの熊が歩いていって、くまのプーさまにひそひそと耳打ちした。そのあいだに瑞生がとなりに立っているもう一匹の熊に訊ねた。
「あの、僕が口をはさむことではないのは重々わかっているんですが、著作権とか大丈夫なんですか。いろいろ面倒くさそうなのがバックについてると思うんですけど」
「面倒くさそうなの?」
「ほら、鼠のカップルと水兵服を着たアヒルで有名な……」
「ああ、あれか。たしかに本家のほうを一躍メジャーなキャラにしたのはあの会社だからな。心配するな。本家のおおもとの絵本のほうはつい最近、著作権が消滅したばかりなんだ。だから人間世界の最低限のルールはクリアしている。お前の言っている面倒くさそうなほうは知らん。しかし見ためはあくまで絵本の本家のほうに忠実なわけだからな。たぶん大丈夫だろう」
プーさまが玉座の肘かけに頬杖をついて、不機嫌そうな表情で割って入ってくる。
「お前か、ごちゃごちゃぬかしとるやつっちゅうのは」
瑞生はその言葉を無視して、こちらに戻ってきた稲妻のあるほうの熊に小声で訊いた。
「なんで関西弁なんですか」
「最近なぜかお気に入りなんだ。関西なんて行ったことないはずなんだがな。このところ『ファブル』のブルーレイばかり繰りかえし観ておられるから、たぶんその影響じゃないか」
「熊がああいうの観て面白いんですか」
稲妻のあるほうは少しだけ首を傾げた。
「なにか琴線に触れるものがあるんだろうな」
くまのプーさまが大声をあげる。
「なにごちゃごちゃいうとんねん。で、こいつはいったいなにをいちゃもんつけとるっちゅうんや」
稲妻のないほうが両足をそろえて敬礼した。
「はっ、近頃われわれを悩ませている領土権についての問題で、この小僧が生意気にもわれわれに意見したのであります」
それを聞くと、むしろプーさまは相好を崩し、舌なめずりせんばかりの表情で前かがみになりながら言った。
「そらまた、ごっつうホットな問題やのう。ほんで、そいつが人類を代表してわしと討論したいっつうてんのか、あ?」
瑞生があわてて口をはさむ。
「あの、人類を代表して、とかいうつもりはまったくないのですが」
「でもお前は人間やないか」
「それはまあそうですけど、僕が人間の代表ヅラするっていうのは、やっぱり違うと思うんですよね」
「なんでや」
「たとえば、僕はべつに、他の人間たちに投票とかで選ばれたわけではないじゃないですか。たまたまあなたたちに捕まったってだけに過ぎない。そんな人間が、人類の代表としてなにか意見しているって捉えられるのは、ちょっと違うと思うんですよ」
プーさまは顎に手をあてて、小さな身体を少しうしろに引いた。
「ほな、お前はさっきこいつらと話したときにやな、相手が熊の代表みたいな気持ちで話さんかったんか? 熊は熊でもっと人間を怖がれみたいなこと、お前こいつらに言うたらしいやないけ」
「たしかに言われてみれば、そうですけど」
「それとどう違うんや」
瑞生はしばし考えた。
「つまり‥‥僕はそのことについて、人類を代表して意見する資格を持たないんですよ。人間はおもに議決制によって物事を決定します。だから、ここで僕がプーさまになにか意見したとして、それはかならずしも人類を代表した意見ではないんです。もっと言うと、普遍的な意見ですらないんですよ。あくまで僕個人の意見、いわゆる、個人の感想です、ってやつです。大多数によって選任されていない以上、個人の感想なんていうのは、どこまでいっても個人の感想でしかないわけですよ」
プーさまは顎に手をあてたまま、さらに身体をうしろに引いた。
「ふん。うまく逃げたな。でもお前はあの土地は自分んとこの領土やいうて、そう主張しとるわけやろ」
「いや、僕が主張しているわけじゃなくて、熊が人里におりてくることに、日本人のおおくが辟易している、と言ってるんです」
「ほら出た。僕の意見やないんですぅ。みんなそう言ってるんですぅ‥‥日本人のいつもの言いぐさや。お前ら日本人はほんまそういうの好きやの。土地のせまさもあるんかな。こんなせまいせまい土地でひしめきあって暮らしてたら、そら、あんまし我をだされへんからな。ひとの顔色うかがいながら、無難なこと言うてしか生きていかれへんのや」
瑞生が冷静に反論する。
「いや、それだってあくまであなた個人の感想ですよね?」
プーさまは自分の膝をぺたんぺたんと叩いて、ひどく愉快そうに笑った。
「はは。このガキ、気のきいた返ししよったわ」
さんざん笑って気が済んだのか、プーさまは急に真面目な顔になった。
「領土権の話やったな。わしらにとっても重要な話や。そらな、わしかて軍事侵攻してでも、あの領土を奪還したいで。あそこはもともとわしらの所有してたとこなわけやから。動物界のメンツっつうのもある。でもな、それで強引に軍事侵攻してみぃな。えらいことなるやろ」
「そりゃまあ」
「お前も知っとるやろうけど、わしらのとこと似たようなことが起こって、ほんまにそれやったやつおりよんねん。もうひとり、プーって名前のつくやつが、実際にそれやりよってな」
瑞生は顔をしかめる。
「はあ。もうひとりのプーがつくやつ。だいたい想像がつくんですが」
「フルネームでは言われへんねん。あいつもこんなところで名前出されたくないやろしな。もうしわけないけど、ニックネームのほうで呼んでええか。わしは仲がええから、プーちんて呼んでるんやけど」
「いや、そのままじゃないですか」
「はは。しかしあいつもまたアホなことしよったわなあ。あんなしょーもない問題で戦争なんかはじめくさりよってボケが。事前にそのことであいつと話したんやけど、あいつ、小さい国やからすぐ終わるて、そう言いよるんよ。軍事力に圧倒的な差があるからって。いや、そういう問題やないがな言うたんやで、わし。そやろ」
瑞生は何度もうなずいた。
「そうですよね。そういう問題じゃないですよ」
「もう、仲間や思われんのもかなわんから、その話でなに振られても、わしかてガン無視やがな。案のじょう、世界を敵にまわして無駄に戦争ながびいてしもうて、武器と兵隊足らんから貸してくれ言われても、わし普通に断ったし。あいつ、あてが外れて、電話のむこうでパニクっとったわ。はは。逆になんで貸してくれる思たんやろな」
「たしかに」
「そらそやろ。あいつがガキの頃の時代やないねん。一方で外貨がっぽり稼いで、一方で戦争に協力してますって、そんな話もう通用する時代やあらへんで。それにいまは経済のつよいんが世界の覇権を握る時代や。あいつにはなんでそれがわからへんのやろな。世界は金にひれ伏しよんのや。軍事でむりやり制圧なんて、それこそ百年前の考えやで。それにや、若くてすらっとしたコメディアンあがりの男が、これは大国によるイジメです、なんて世界に訴えかけたら、そらみんなそっちのほうの肩持ちよるがな」
「ですよねえ」
「ほんでな、わし、いつも思うてることがあってな。具体的な機関名は出されへんけど、あいつもともと、アルファベット三文字のとこに所属しとったやろ。それがこの戦争のおおもとの原因ちゃうか、とわしは睨んでんねん。つまりどういうことかいうと、殺るか殺られるかのとこにながいあいだおると、すぐ頭にカーッと血がのぼりよんのや。お前んとこの国のヤクザみたいに、瞬間湯沸かし器やないと生き残っていかれへん世界やからな、どうしてもそういう体質になってまうんや」
「そんなもんなんですか」
「それを考えると、あいつもまだ我慢したほうとちゃうか。具体的にいうと例のミンスク合意のことやな。ライオンの腹に、猫がそれこそ猫パンチくらわしてくんのを、まあ相手が猫やからいうて知らんふりしとったら、しつこく猫パンチしてきよるもんでそのうちだんだんイラついてきて、我慢の限界がきてライオンがガオーいうて猫の足に噛みついたら、それまで約束を破った猫のほうを非難していた世界が、いつもの手のひら返しで『なんて残酷なことを』いうて騒いだんやからな。いや、あいつかてだいぶ我慢したんやでって、ほぼ同い年やし、古い仲やから、わしなんかは心んなかで思てるけど、世界はそう思わへん。ただ、瞬間湯沸かし器がそれまで蓄積してきた怒りっちゅうもんを吐き出さざるえんなったとき、これは大爆発になるわけや。どっかーんと。ほんで、後先考えずに、ってことになったわけや。いや、あいつの気持ちもわからんではないで。でもな、わしんとこと同じように高度な輸出入の経済システム構築しとったのに、それを顧みずに戦争おっぱじめよったわけやろ、アホやでほんま」
ひとしきり喋ってから黙りこむと、プーさまは頬杖をつきながら、酒にでも酔っているような据わった目で、瑞生の顔をじっと見た。
「お前、わしのこと、頭おかしい思っとるやろ」
「えーと‥‥いやあ‥‥その‥‥いいえ」
「正直に言うたらええねん。みんな陰でそう言うとるわ。わしかて知ってて知らんふりしとるだけや」
瑞生は正直に言うことにした。
「まあ‥‥頭おかしいですよね」
「ちゃうねん。わしかて叩きあげや。どこかの国の政治家たちみたいに、二世三世とかのぬくぬくなボンボンとかとちゃう。わし、共産党ちゅう組織に所属しとってん。知っとるやろ、共産党。赤アゲて、赤サゲないで、赤アゲての共産党や。まあ日本風にいうたら公務員やわな。そこはそこで規律っちゅうもんが求められるんや。組織やからな。共産党やからいうて、べつにめちゃくちゃなことしてるわけちゃうんや。頭おかしかったら、直属の上司にだって認められん。出世もでけへん。せやろ」
「でしょうね」
「頭おかしくなんのはこの地位についてからや。考えてもみ。わし、十四億いう人間の頂点に立っとんねん。束ねること自体にそもそも無理がある数字なんや。こんだけの人数いて、そら不満分子なんて、そこらじゅうに仰山おるがな。それでも未然にクーデター抑えこんどんのやで。こんな離れワザ、土地ころがしになんてぜったいでけへん。土地ころがし、誰のことかわかるよな。突っぱった欲の皮だけチラつかせとるあいつのことや。選挙制度のない国やったらまだしもや、あんなん選挙で選ぶんやから、色つきの人種たち踏みにじって歴史つくってきたあの国らしいで、ほんま」
瑞生は笑いそうになった。
「なんか、フンころがしみたな呼びかたですね」
「アホいうたらあかん。そんなんいうたら、フンころがしに失礼や。たかだか三億の国民したがえてるだけでぴーぴーぬかしやがってあのアホ。ほんま顔みるだけでムカつくわ。‥‥ところで、わしとプーちんと刈りあげのアホぼんの三人で戦勝八十周年の祝賀パレードやったの観たか」
「なんか大々的にやってましたね」
「パレードやってるとき、ここに爆弾落とされたら世界史ガラリと変わるな思うとってんけどな。でもな、もうそんな度胸のあるやつ、地球上にはおらへん。いやまあ、ひとりを狙うんはいくらでもあるけどな。土地ころがしとその側近がやられたやろ。まあ土地ころがしのほうは耳のあたりかすっただけで済んだけどな。土地ころがしはともかく、保守活動家ってなあ。あんな小物狙うのなんて、それこそたんなる見せしめやないか。意味あらへん。ちゃうか?」
瑞生はもごもごと曖昧な返事をした。
「ヒットラー暗殺しようとした連中のこと知っとるか。あいつら、身内やったんやで。同じナチ党で甘い汁吸うとったやつらや。そんな連中が一念発起して、ああこんな頭のおかしいやつにドイツ牛耳られてたらヤバいわいうて、本人の至近距離で爆弾バクハツさせたんやで。見事に失敗に終わったんやけど。でもそこでちょび髭が死んでても革命に成功したことになったかどうか、そこらへんようわからんとこあるよな。ちょび髭が死んでも、ただ単にゲッベルスとかと交代しただけのような気もするし。それやったらぜんぜん割にあわんよな」
「全部なげうっての、必殺の一撃、だったわけですもんね」
「ほんまにそうや。個人的な恨みを晴らすんでもなかったら、結局は同じようなタイプが後釜に据えられて、それで終わりってことになるやろ。かわりが出てくるってだけで。ダライ・ラマのかわりはあくまでダライ・ラマっちゅうことや。似たようなやつをまた探し出して連れてこられるってだけの話や」
「まあ、そういうことになるんでしょうね」
プーさまはふとなにかを思い出したような目つきをした。
「そういや、お前んとこの国の元首相がやられたやろ」
「ああ‥‥ありましたね」
「あれも個人の恨みを晴らすための捨て身の覚悟やったわけやからな。撃ったやつも逃げる気なんてさらさらあらへん。そらそやわな。あれだけの至近距離でランボーみたいにガンガン弾ぶっ放したわけやから。本人がそれくらい腹くくってんと、いざというときに手もと震えて、狙いも狂ってまうんとちゃうか」
「そんなこと考えてみたこともなかったですよ」
「土地ころがしが命拾いしたんも、たぶんそのせいやとわしは睨んどんねん。つよい私怨みたいなもんをはさんどらんと、なんていうか、こいつぜったい殺したるからなあっちゅう気迫が出てこおへんのや。お前んとこの元首相撃ち殺したやつみたいに、弾撃ちながら標的に近づいていくような心意気でやらんと、どうしてもやり損じてまう。たとえ訓練で銃を撃ちなれた軍人あがりやろうと、一発命中のつもりやとどうしても緊張して標的を撃ち損じてまうし、二発目なんてもっとプレッシャー感じてまうやろうしな。三発、四発なんてやってるうちに、シークレットサービスに自分の場所を見つけられてゲームオーバーになるわけや」
プーさまは玉座にふんぞり返って、妙なため息をついた。
「しかしまあ、お前んとこみたいな治安のええ国でもあんなことが起こるんやなあ。猟銃以外の銃器なんて一般の流通ルートにはのっとらんのに、必要とあらば独学でお手製の銃こしらえるんやから、そのぶんなんちゅうか、ごっつ凄味のある話なんやけど。それがよりによって、お前んとこみたいな腑抜けてもうた国で起こったっちゅうことが、わしにはほんま不思議でならんわ。‥‥ちなみに、お前にだけこっそり教えたるけど、その殺されたマリオも、じつはわしらの仲間やったんやで」
瑞生はかの暗殺された元首相のことを考えてみた。しかしプーちんと仲が良かったという以外で、プーさまとはとくに共通点らしきものは思い当たらなかった。
「なんでですか。まったく見当がつかないんですが」
「鈍いやっちゃな。苗字をひっくりかえしてみぃな。わしらの仲間になるやろが」
瑞生はプーさまの言っていることをようやく理解することができた。
「‥‥って、思いっきり駄洒落じゃないですか」
プーさまは瑞生の顔を覗きこむように前屈みになると、口もとを片方だけ吊りあげて、ドヤ顔のような不敵な笑みを浮かべた。
つぎの瞬間、とつぜん銃声が鳴り響き、プーさまはあっけなく倒れた。振りかえるとメグが小型の拳銃をかまえて立っていた。よく見るとそれは瑞生が自害用につかっていた銃である。メグは銃口から出ている硝煙に息を吹きかける。
「わるさする熊もこれくらい簡単に撃ち殺せたらいいんだけどね」
「そんな小型の銃で熊を撃ち殺せるもんなのか?」
「弾丸に軽くて硬いカーボンの粒を混ぜておいたから、これくらいの小熊だったら心臓くらい簡単に撃ち抜けるんだぴょん」
プーさまが射殺されたにもかかわらず、二匹の熊たちはなにもせず、立ちつくしたまま、ただボソボソと話しこんでいた。
「プーさまが殺されてしまいましたけど、犯人を捕まえないんですか?」
瑞生がそう言うと、熊たちは二匹とも肩をすくめた。稲妻のあるほうが言った。
「われわれがつかえているのはあくまで国家なわけだからなあ。死体にたいしては忠誠を誓わないんだ」
「うーん。そういうもんなんですかねえ‥‥」
瑞生がそう言うと、彼らはくまのプーさまの死体をそのままにして、どこかに立ち去っていってしまった。しばらくしてからメグがなにごともなかったかのように、あっけらかんとした口調で言った。
「ねえ瑞生クン、知ってた? 国家って言葉は日本人が考えたのよ。もともとそんな言葉は中国にはなかったわけ。日清戦争で負けたあと、この言葉が逆輸入みたいなかたちで中国に伝わって、当時のエリートたちに思想的な影響を与えて、ややこしい国がさらにややこしくなったのよ」
それには返事せず、瑞生はぴくりとも動かなくなったくまのプーさまの死体を見つめながら、感慨ぶかげに言った。
「いつのまにかこんな頭のおかしな連中に世界の舵を握られてたんだな」
メグがうんうんとうなずく。
「なんでみんなこれが地獄だと気づかないんだろね」
「さすがに気づいてるだろ。不可抗力というか、自分の力じゃどうしようもないから傍観してるってだけで」
「でもこんな状況を放ったらかしにしてたら、もっとひどい地獄になるのが目に見えてるよ」
「わかっていても、どうしようもないさ。乗ってるトロッコが自分が生きてるあいだに崖から落ちなきゃ、みんなそれでいいと思ってるんじゃないか」
瑞生の言葉を聞いて、メグは小首を傾げる。
「なんか他人事みたいな言いかたするよね。事態が変わったら、瑞生クンだって否応なく悪化した地獄に巻きこまれるはずなのに。ねえ、あたしがひと足さきに、瑞生クンにそのさきにある地獄を見せてあげよっか」
「いらねえよ」
「まーたまた。ほんとは心のどっかで楽しみにしてるんじゃないのぉ、この変態クンめが」
「んなわけねえだろ」
瑞生がメグを睨みつけながらツッコむ。
「それじゃ、メグちゃんプレゼンツの地獄の七所巡り、最後の地獄いってみよっか。瑞生クン、心の準備はできてるよね?」
「あのな、アイドルがコンサートのラストの曲のまえに話すようなトーンでそういうこと言ってんじゃねえよ」
「仕方ないじゃない。だってあたし、生まれながらのアイドルなんだもん。きゃはっ」
メグは瑞生に向かってウインクして、世界がまた光った。
※次回のアップは10月19日となる予定です。
なお、次回のエピソードをもちまして『妄想ポリス』第一部は終了となります(第二部のスタートは来年の三月下旬頃を予定しております)




