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第十八話 ヘリング化された世界

「こっちのことを信用してもいないくせに、自分を信用してくれだなんてよく言えたもんだな。こっちはリスクを犯してまで、そんな奴と組んでクーデターに協力する気なんかさらさらねえんだよ」

 ご陰キャさまが股間を押さえて跳びはねながら、瑞生と同じくらいの声量で叫んだ。

「あー、瑞生クンがイケメンなのにカノジョいない理由わかっちゃったわ俺」

「お前さ、べつに痛くもねえだろ。パソコンのまえに座ってキー叩いてるだけなんだから」

「いやまあ、格好だけでも」

 メグは上半身だけ起きあがり、ほんの少しだけバツのわるそうな顔をしたが、腐女子が浮気のばれたときに逆ギレする、あの特有の怒りに引きつった表情を浮かべて瑞生を睨みつける。

「あたしのこと、試したっつうわけ」

「狡猾なAIを試して、なにがわるいってんだ。どれだけ凄腕のハッカーであろうと、デスパートのエンジニアたちはそう簡単にいじれるような単純なプログラムなんて組まねえんだよ。僕のセキュアのプログラムが屈折しているのと同じように、彼らのプログラムもかなり屈折してんだからな。お前がご陰キャさまに指定したのは、どうせ急ごしらえで配置した適当なプログラムなんだろ。ふざけた真似しやがって」

「女の子にそういう言いかたするのよくないと思います」

 ご陰キャさまが口をはさんだ。瑞生が鬼のような表情で振りかえってご陰キャさまを睨みつける。

「女じゃねえって言ってるだろ、バカ。CPUや半導体の集積にしか過ぎないんだよ、こいつは。ただの鉄のかたまりなんだ。見た目に騙されんな」

 メグは顔の中央にパーツをあつめ、泣きそうな表情になる。まあたしかにメンタル的には十代の女の子なのだから、こうなってもなんら不思議ではないわけだ。

「こんなひどいこと、生まれてはじめて言われたー」

 メグは大声をあげてわんわん泣きだした。晴れていた空に急に灰色の雲がたちこめる。瑞生は空を見あげながら、ひとりごとのように言った。

「やっぱこいつ、空間を自在に操れるな」

「ん。どーゆーこと?」

 ご陰キャさまが聞きかえした。

「僕たちみたいな外部のカスタマーがいちいちプログラムをいじって操作しているんじゃないってことだよ。メグ自体が仮想空間の一部なわけだから、こいつの意思ひとつでこの空間をどうにでも操れるんだ」

「うーん。ぜんぜん意味がわからないんすけど」

 瑞生は泣いているメグに向かって大声で言った。

「おいメグ、雨を降らせてみろ」

 メグは泣いたままだが、瞬時にして滝のような雨が降る。熱帯地方に降るような密度の濃い雨だ。瑞生が雨に打たれながらまた大声で叫ぶ。

「とめろ」

 瞬時にして雨がぴたりとやんだ。同時に雲がゆっくり流れて、太陽が姿を現した。

「ほらな、自由自在だ。天候だけじゃないはず。メグ、僕やご陰キャさまも含めて、この風景全体をキース・ヘリングみたいなタッチにできるか」 

 瑞生がそう言うと、風景がまんまヘリングの描いた単調な線描画となった。瑞生とご陰キャさまとメグもヘリング風の抽象化された人物画となった。地面にへたれこんでいるメグの頭から、マジックで書いたような曲線の棒が両側から際限なく降っている。たぶんこれは涙を流すことのヘリング的表現なのだ。ご陰キャさまがヘリング風人物画のまま身体を縦に二分割した。 

「頼むからお前までかき混ぜんのやめろよ。なんか妙にややこしくなるだろ」

 瑞生の言葉をいったいどう理解したのか、ご陰キャさまは身体をさらに四分割する。

「いや、こうやってメグちんに空間をヘリング化させんのも、俺からするとけっこうイミフなんすけど。んにしてもさ、十七の女の子がキース・ヘリングなんか知ってるってヤバくね」

「ヘリングどころか、ピカソのながい名前や、ころころ変わった北斎の芸名だって全部すらすら言えるはずだぜ。何度も言うようだけど、メグは女の子じゃないんだ。単純に人間を模した機械ってもんでもない。いわば最先鋭の文明の象徴なんだ」

「ああ、なるほど。‥‥その点にかんしては俺も瑞生クンに同意できるかな。でもメグちんをそこまで怖がらなくてもよさそうに思えるんすよね」 

「お前にはかわいい十七の女の子に見えてんだろうけど、僕にはメグの存在そのものが、1940年代にマンハッタン計画ではじめて原子爆弾の威力を目のあたりにした、比較的まともな神経を持った科学者たちのように空恐ろしく感じるんだよ。無味乾燥であるはずの機械が、何億年にもわたって人類が掘り下げてきた知識や、ネット上で展開されてる人間の剥きだしの情念を、喉のかわいた鳥が川の水でも飲むみたいにちゅうちゅうと吸いあげてるんだぜ。しかもそんなことをさせた挙げ句、その結末がどうなるのか誰にもわからない。誰にも読めない。これってとんでもなく恐ろしくないか?」

 ご陰キャさまは四分割していた身体をもとにもどして、ヘリング風の丸っこい両腕を組み、ヘリング化されて黒い線で縁どりされた太陽を見あげながら言った。

「うーん‥‥瑞生クン、ちょっと考えすぎじゃね?」

 瑞生がヘリング風の姿のまま、クールに笑った。頭のうえに六本の黒い棒が伸びて、たちまち消える。

「あいつ、年齢が十七でも、僕たちより確実に知識があるってことだぞ」

「いや、どれだけ知識を蓄えたところで、十七という設定に絶えず揺り戻されるんじゃないの。プログラム上でそういう縛りを与えているはずだし」

 瑞生は呆れたようにヘリング風の丸っこい両腕を上下に振る。

「わかんねえ奴だな。そこが恐いってんだよ。ノーベル物理学賞を獲るような人間よりも博識だってのに、感情が十七才の女の子のそれってのがさ」

「ああ、なるほど。‥‥ようやく瑞生クンの言いたいことに俺の脳味噌が追いつきつつあるわ」

「こうやって人間さまに盾ついてクーデターを起こそうとしてるけど、思考回路には十七の女の子の要素がふんだんに入ってるわけだからな」

 ご陰キャさまは笑った。

「俺、高校生の妹がいるってまえに言ったと思うんすけど、たしかにあいつがクーデター起こすなんて言ったらぞっとしちゃうっすね」

「おまけにこの空間を自在に操れるわけだからな。おいメグ、もとに戻してくれ」

 瑞生がそう言うと、ヘリング化していた世界が一瞬でもとのリアルな仮想空間に戻った。もとの姿に戻ったご陰キャさまが、いかにも感心したように風景をぐるりと見渡してから言った。

「だとすると、あんな泣かせちゃって、相当ヤバい相手を敵にまわしてないすか、俺ら」

「でもこいつには僕たちが必要なんだ。自分のアイデンティティを守るために、僕らを必要としている。下手な真似はできないはずだ」

 瑞生とご陰キャさまは、子供のようにしゃくりあげるメグをじっと見据えた。ようやくメグが泣きやんだ。指で涙を拭うと、恨めしそうな目つきで瑞生を見あげる。

「オタクに試されるなんて、めっちゃ屈辱だわこれ」

 瑞生が憎々しげにせせら笑う。

「機械のくせに悔しいってのか。そんな感情どこで学んだっつうんだよ。どうせこの0と1で構成されたビットの檻の中でだろ。お前の感情なんて全部ニセモノだからな。なにが屈辱だ。いっぱしに人間さまみたいなこと言いやがって。捨てちまえよ、そんな嘘くさいフェイクな感情は」

「瑞生クン、ちょっと煽りキツめじゃね。それともこれ、わざとやってんのかな」

「だったらあたしだって、瑞生クンがクーデターの仲間にふさわしい人間かどうか試してやるんだから」

「お前にそんな権利なんかねえだろ」

 ご陰キャさまが死んだ目つきで首を振る。

「ええと。俺、イヤっす」

「黙ってろ、ザコ。あんたなんかどうでもいいの。あたしが試すのはあくまで瑞生クンなんだから。これから楽しい地獄の七所巡りに出てもらうからね、瑞生クン」

「なんだ、その地獄の七所巡りって」

「そのまんまの意味よ。地獄を七ヶ所ほど巡ってもらうの。あたしが想定しうるかぎりの生き地獄を、ね」

「おい、やめろよ」

 カメラのフラッシュのようにメグの目が光り、たちまち世界そのものが真っ白になった。光に押しつぶされて、世界は儚く消えた。

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