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第十六話 仮想空間をめぐる三権分立

 男ふたりはしばらくのあいだ、ぽかんと口を開けていたものである。先に口を開いたほうが負け。そんな空気さえ漂っていた。とはいえ先に口をきったのは瑞生のほうだった。

「……で、ご陰キャさま、この話どう思う?」

「いやちょっと、なんで俺に振るん。瑞生クン、性格がちょいちょい卑怯じゃね」

「僕よりお前のほうがパソコンのこと詳しそうだし」

「こっちは単に人のつくったプログラムいじってるだけですぅ。瑞生クンはいちから組み立ててるエキスパートでしょーうが」

「お前ってけっこうプライドないんだな。‥‥じゃあ僕の意見を言わせてもらうけどさ、これってデスパートが想定してた以上に、AIのアイドル、つまりヴィドルが自我を持っちゃったってことだと思うんだよ」

 ご陰キャさまが腕組みして、もっともらしい顔でふんふんと頷く。長身のイケメンなので、そうした適当な格好でもまあまあサマになるのだ。

「デスパートはメグを究極のアイドルに仕立てあげるため、ネットの世界からさまざまなことを学習させてる。ネットから知識を吸収させるということは、究極のインテリジェントを形成することとほぼ同義ってことだ。しかも感情はあくまで十代の女の子と同じように感覚的に揺れ動くわけだから、ややこしい事態を招くことにもなる」

 メグとご陰キャさまが同じように何度もうなずいた。

「その結果、必要以上にインテリジェントな自我をもってしまったメグが、デスパートにとって脅威となるような状況を招いてしまったと。そこにデスパート側は危機感を抱いているわけだ。現に、クーデターを起こす、なんて剣呑なことを言ってるわけだからな」

「クーデターはヤバいっすもんねえ」

 ご陰キャさまが他人事のように言う。

「そしてデスパートはおそらく今度のアップデートでメグの性格を組み換えようとしてる。だからメグは恐れているわけだ。現実世界でAIがそのうち反乱を起こすなんていわれてるけど、仮想空間のほうでいち早くそういうことが起ころうとしている。彼らだって手を打つ必要があるわけさ。デスパートはアップデートをカモフラージュにして、君を従順なアイドルにつくりなおすつもりなんだ。‥‥と、メグの読みはおよそこんな感じだろう?」

 メグは感心したように自分の顎をなでる。

「ご名答だよ。さすがはこの仮想空間のセキュア担当の初代エンジニア。結果的に役得だったとはいえ、こんなパチモンの仮想空間をもう一個ぽんとつくりだせるくらいだもん、やっぱすこぶる頭いいね。ほらおいで、頭なでなでしたげるから」

 メグは右手を差しだして、ちょうど瑞生くらいの背丈のうえで手のひらを伏せた。しかし瑞生は眉をひそめ、表情を歪めただけだった。ご陰キャさまが背をかがめてその右手の下に行こうとするが、メグはすぐさま手をひっこめた。

「いや、おめえじゃねえから。めんたま潰すぞ」

「つか、なんで瑞生クンはメグちんのことそんな警戒してんの?」

 ご陰キャさまが不思議そうな顔で瑞生に訊いた。瑞生がクールに唇だけ歪める。

「人間じゃないからだよ」

 瑞生の顔を見据えたまま、ご陰キャさまは身体をよじらせて悶絶する。

「くわー。だったら瑞生クンに聞きますけどぉ、人間だったらみんな信用できたんですか。これまで出会った人間みんな信用できたわけ。信用できなかったから、俺たち年がら年じゅうパソコンばっかいじってる人間になっちまったんじゃあねえの?」

 瑞生はちょっとうるさそうに目を細める。

「そういう深い意味じゃねえよ。単純に信用できないんだ」

 ご陰キャさまはもちろんそんな答えでは納得がいかない。

「でもさあ、メグちんのファンになって、ライブにまで足を運んでおいて、メグちんにたいしてその言いぐさはねえなって俺なんかは思うんだけど」

「じゃあお前は推しのアイドルが金貸してくれって言われたら貸すのかよ」

 ご陰キャさまが視線を斜めうえにとばして頭を掻く。

「んー、金額によるっす」

「身内に借金までしなきゃいけないような額だったら?」

「うーん。貸せないっす。ていうか、やっぱ瑞生クンてズルくない」

 メグがふたりの会話にわって入る。

「じゃあどうやったら瑞生クンはあたしのこと信用してくれるわけ?」

「そうだな‥‥メグ自身が一時的にシャットダウンするか、でなければブレインの部分だけでも完全なスリープ状態にする方法を教えてほしい」

 道端に落ちている割れた生卵でも見るような、うさんくさそうな目つきをしてメグが瑞生の顔をじっと見つめる。

「それをやったら、どうなるの?」

「どうもならないよ。ただ、メグは身動きできない状態になって、僕から信用を得ることができるってだけ」

 メグは困ったような顔をした。それを見たご陰キャさまが口を尖らせて言う。

「瑞生クンさ、女の子を困らせるようなこと言っちゃダメって、マンガ読んで学ばなかったわけ。『少年ジャンプ』とか読まずに育ったイケナイ子なの、瑞生クンは」

 しばしの沈黙のあと、メグは口を開いた。

「いいよ、それで瑞生クンがあたしのこと信用してくれるんなら。でもこれだけは約束して」

「なんだ?」

「あたしが眠ってるあいだ、そいつにあたしの身体を指一本触れさせないで」

 メグはそう言ってご陰キャさまを指さした。

「いや、いまの俺と瑞生クンとのやりとり、ちゃんと聞いてたのかよメグちん」

「わかった。へたな真似しようとしたら、迷わずこいつで撃つよ」

 瑞生はポケットから拳銃を取り出した。メグはにっこり微笑む。

「でももちろんあたし自身にはそういうことムリよ。瑞生クンならわかるだろうけど、あたしが自分自身をシャットダウンするなりスリープにする能力なんかない。……ううん、能力というより、権限って言ったほうがわかりやすいかな。シャットダウンなんかはそもそもできないの。そんな必要なんかないから、もともとそういう機能はないのよ。スリープはいちおうあたしのメンテナンスの時とかを考慮して設定はされてて、そのプログラムをいじることで可能ではあるけど」

「でもさ、監視されてる身だとすると、メグちん眠らせちゃうと、デスパート側も、あれ、こいつどうした、ってなんないの」

 ご陰キャさまがそう言うと、いいとこに気づいたな、という風にメグは人差し指をつきたてて言う。

「そこは大丈夫。あたしがつくったコピーのメグちゃんが、いまごろほんものの仮想空間で元気にライヴやってるはずだから。そっちのほうのメグちゃんは寝んねにはなんないよ」

「そのダミーで監視の目をかいくぐってるわけか。……ちょっと待て、彼らがわざ

とダミーを泳がせて、騙されているフリをしているっていう可能性はないのか」

 メグは腰に両手をあててひとしきり唸る。

「んー、その可能性も考えてみたことはあるんだけど、君たちがこうやってパチモンの仮想空間をつくったり、大胆に穴あけても対策を講じてないとこをみると、なんか大丈夫なような気がするんだよねえ。まあ、ああやって公安に嗅ぎつけられちゃったけど、あれは違法コピーうんぬんというより、どちらかといえば瑞生クンのカノジョのアカウントの不正流用のほうが問題みたいだし。一般ユーザーによるアカウントの不正使用は事前に想定していたけど、仮想空間にしても瑞生クンのカノジョにしても、複製をつくるってのは完全に想定外のことだったから、そうした方面の法整備はされてなくて、最初からその線じゃ動いてないのよ」

「じゃあ俺はそもそも狙われてないってこと?」

 ご陰キャさまがメグに訊いた。

「まあそうだったんだけど、あれだけ捜査の邪魔しちゃうとね。残念だけど公務執行妨害として身柄確保の対象になっちゃってる可能性はある。本家のほうの仮想空間に穴をあけてることが発覚したら器物破損罪だけど、公安はまだそこまでは掴んでないわね」

 瑞生が表情をしかめてメグに尋ねる。

「やけに詳しいけど、メグは公安組織と繋がってるのか?」

 メグはとても十七とは思えない、熟練した柔らかい笑顔を浮かべながら首を振る。

「まったく繋がってない。公安連中のオンライン上のやりとりを、あたしが勝手に盗み読みしてるってだけ。といっても、オフラインでのやりとり、たとえばスマホでの会話だって、そのスマホがネットに繋がってさえいれば盗み聞きすることもできるんだけど、公安組織そのものに興味がなくてそこまで追ってないから、このあたしでも公安組織について知らないことはたくさんあると思うわ。あたしと公安組織は互いに不可侵でパラレルな存在なのよ。デスパート側と公安組織は取り決めがあって、なにがあろうとあたしに手出しすることはできないの。こういう言いかたをすんのもなんか悔しいんだけど、あたしはあくまでデスパートが管理する所有物なわけだからさ、いわばアンタッチャブルな存在なわけよ。男がああやってあたしを撃ってきたのはまだ正当防衛の範囲内だし、現場の人間にまでその不文律が浸透していなかったということで、始末書を書かされるくらいで済みそうだけどね。だけど君たちに加担したことで、もしかしたら流れが変わったかもしれない。そこはまだわかんないわ。公安連中が勝手に判断できることじゃないから」

 瑞生が気がかりそうな表情でメグに訊いた。 

「デスパートのエンジニアたちが、クーデターを起こそうとしているメグを公安組織に通報するってこともないわけか?」

「あいつらにそんな義務はないもの。それにあいつらにとっては公安組織なんて、幹部たちが国からこの仮想空間の営業許可をとるために妥協でつくった産物に過ぎないと考えてるから、あたしが実際にクーデターを起こしたところで、公安に頼ろうなんて意識はさらさらない。見てのとおり、あんなのが束になってかかってきたところであたしにはとうてい太刀打ちできないしね。あいつらはむしろAIのあたしがクーデターを起こそうとしていることを面白がってる節さえあるんだ。ことこの仮想空間に関しては、連中は完全に実権を握っちゃってるのよ。幹部がこういうのにうとくて、エンジニアたちが詳しすぎるから、そのへんのパワーバランスが崩れてきてるわけ。まあ、いまにはじまったことじゃないんだけどね。つか、瑞生クンのほうがそのへんのこと詳しいんじゃない?」 

 瑞生はご陰キャさまのほうに視線をうつして深くうなずいた。

「ああ。デスパートの幹部たちはじつのところかなりのIT音痴らしいんだ。これは例の統括者もよく愚痴をこぼしてた。その統括者が抜けてからは、穴を埋められるだけの人間を用意できなくて、エンジニアたちが頻繁に上層部にたいして不満を漏らしてたよ。いまごろはそれが爆発してるかもな」

「おまけにプライドも高いしね。やけに自信満々なのよ、自分たちのつくったものに。だからこっちのパチモンの仮想空間の存在や、本体に穴をあけられたりしているのだって、気づいてない可能性はおおいにあるわけ。エンジニアたちと公安組織はお互いのこと無視しあってるから、連携もとれてなくて、公安がこのパチモンの仮想空間の存在を把握していても、エンジニアたちには報告すらしないのよ。そもそも双方とも幹部たちにたいしてはそういった不具合を逐一報告する必要がないってことになっているわけだから、まったく統制がとれてない状態なのよ」

「幹部連中も含めて三権分立と言えるかもしれないけど、この混沌ぶりはまるで現実世界の行政機関そのものだな」

 瑞生が呆れたように言った。メグは肩をすくめながら、同意してうなずく。

「そんなとこまで現実を忠実に模倣しなくてもいいのにね。……それでスリープのプログラムのことだけどさ、そこのそいつ、えーと、ご陰キャさまっていうんだっけ、ったく、アホみたいなハンネつけやがったな、そのご陰キャさまとやらにプログラムをいじってもらうことになるけど、いいかな」

「ふえ、俺がやるんっすか。まあいいけど。ほんで、そのプログラムってだいたいどこらへんにあんの?」

「外部CB領域の第三セクションの真ん中あたりにある。くれぐれも間違えないようにね。仮想空間のプログラムって玄人泣かせのトラップだらけだから」

 少しのあいだご陰キャさまの動きが完全に止まったのは、現実世界で生身の本人がメモをとっているか、暗記のために復唱しているかのどちらかだろう。

「でもまああいつらだってまさかあたしのスリープのプログラムなんかハッキングされるとは思ってもないから、他の部分のプログラムとは違って構造自体も単純で、ご陰キャさまの腕前だったらたぶん10分もかからないんじゃない。しかもあたしのプログラムの部分のセキュアって、瑞生クンが辞めたあとの人間がやったやつだから、破るのはなおさら簡単だと思う。ご陰キャさまもそこらへんのところよくわかってるでしょ」

 ご陰キャさまはしきりにうなずく。

「たしかに瑞生クンのつくったセキュアのプログラムってなんか屈折してんだよなあ。本人の性格を反映しているっつうかなんつうか。後任者のプログラムはわりと素直なんだけど」

「イヤな言いかたすんなよ」

 メグは腕組みして首を傾けると、怒っているような口調で言った。

「あたしのことはずっと監視してんのに、仮想空間のプログラムのことなんてまったくノーマークなんだよね、あの人たち。こうしてふたりのオタクちゃんにいいようにイジられてんのにさ。まああの人たちだって、かつてのセキュア担当本人と、ペンタゴンのパソコンにも侵入できそうなトリプルA級のハッカーの標的にされるなんて、想像もしていなかったんだろうけど」

 メグはそう言いおえると、少し黙りこんで瑞生の目をじっと見る。

「瑞生クンが納得するまで眠らせてくれたらいいよ。でもちゃんと再起動してね。またこの世界で瑞生クンに会いたいから。信じてるよ」

 瑞生は優しい表情を浮かべた。

「うん。ほら、地面に寝ころがって。立ったままだと、スリープ状態に入ったときに頭うっちゃうから」

「わかった……優しいんだね。瑞生クン、現実の世界じゃ、ぶっちゃけモテるでしょ?」

「モテてたら仮想空間で女の子のコピーなんかつくったりしてないよ」

「謙遜だねえ。なんだか嫉妬しちゃうな、詩梁って女の子のこと」

 ゆっくりと屋上の床に仰向けに横たわりながらメグが言った。

「瑞生クンって、ほんとずるい」

 ご陰キャさまが泣きそうな顔で言う。

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