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第十一話 花子さんは挫けない

「しかし公安の男、これで終わり、とはならないっしょ」

 少し落ちついてから、ご陰キャさまが眉をひそめて言った。

「向こうもバカじゃないからな。すぐにダミーと気づいて戻ってくるよ」

 瑞生がそう言ったつぎの瞬間、空中にひゅんと公安の男が浮かびあがった。その勢いのまま、靴から火花を散らさんばかりに屋上に滑りこんできて、上半身だけひねり、陰キャさまに向かって銃をたてつづけに撃ってくる。 

 同時にどこからか(もちろんどこかのトイレからだが)猛スピードで太い腕が伸びてきて、公安の男を掴もうとする。しかし男は人間ばなれした凄まじい跳躍力で腕をかわし、振りかえって太い腕の静脈部分めがけてすばやく何発も弾を撃ちこんだ。花子さんの腕から、血しぶきが噴水のようにいきおいよく空に向かって吹きあがった。そこはもちろんリアルにつくってある。花子さんの腕が銃撃でひるんだ隙に、公安の男は至近距離からご陰キャさまの身体に銃を撃った。

 しかし弾丸が命中する寸前に、ご陰キャさまの身体が左右に割れた。文字どおり、身体がまっぷたつに割れたのである。

「危なかったあ」

「危なかったあ」

 ふたつに身体が割れているので、声も二ヶ所から出てくる。以下も同様に二ヶ所から声が出ているわけだが、さすがにクドいので省略する。

「いや、これどうやってんだよ。つうかカオスすぎんだろ、お前まで変なことすんのやめろよ」

 瑞生が走りながら泣きそうな声で言った。

「この身体パカーンすか。昔つかってたPS2のスティックをパソコンにつないで、ボタン連打で対応させてるんっすわ。こんなのもできるんっすよ」

 と言ってから、陰キャさまの身体が上下左右に四分割された。公安の放つ弾丸が、上下に分かれたばかりの身体の隙間を抜けていった。

「やっぱ俺ばっか撃ってくるわ。殺す気マンマンだし。密入国者は後まわしで、それを誘発した人間を捕獲するのがさきってことかよ」

 いや。たぶんそうじゃない。瑞生は思った。公安の男が狙っているのはあくまで自分のほうだ。こちらの仮想空間をつくったのは自分だし、詩梁のコピーの存在は、どう考えたってあきらかなルール違反である。こっちが自害用の拳銃でいつでもゲームオフにできるのをわかっているから、まずは簡単に片づけられそうなこいつのほうをさきに狙っているだけだ。

 公安の人間にとってご陰キャさまは想定外の存在だったにちがいない。事前の調査対象にご陰キャさまが含まれていれば、公安の男は最初からご陰キャさまを仕留めていたはず。ご陰キャさまが出てきたのと、トイレの花子さんが現れたのがほぼ同時のタイミングだったため、ご陰キャさまと結びつけられてしまったのである。

 もしご陰キャさまが本家の仮想空間に穴をあけたことを掴んでいたとしても、コピーの仮想空間をつくりだした瑞生のほうがよほど重罪にはちがいない。いや。デスパート社のパソコンへのハッキングだって、それに劣らぬ不法行為には違いないのだから、むしろご陰キャさまの所業は、公安はまだ把握していないと考えるべきなのだ。

 派手に八方に血しぶきをとばしながら、まるで不死身のドラゴンのように、花子さんの太い腕はふたたび公安の男を追跡しはじめた。不屈の花子さん。あくまで犯罪者の捕獲のためのプログラムなので、そうやすやすとは退散しないのだ。ふたたび公安の男が花子さんとの応戦で手いっぱいになったため、瑞生は立ちどまってご陰キャさまに呼びかける。

「おい、ご陰キャさま、この空間を変容させることはできるか」

 呼びかけられて、四分割されていたご陰キャさまの身体がもとどおりにくっついた。

「うーん‥‥どんな風にっすか」

「縦の空間を、絨毯(じゅうたん)でもめくるようにぺろんとめくってみてくれ」

「幅は?」

「そうだな。縦幅はアバウトに大気圏内で、横幅はこの街の区画のほぼ全域でいい」

「えーと‥‥できないこともないんすけど、時間がかかるっすよ。もう一台のパソコンでプログラムの当該箇所をいじることになるんで。それにそっちのほうにかかりっきりになるから、こっちの俺がまったく動かせなくなるし」

「どれくらい時間がかかる?」

「二時間はほしいっすね」

 二時間もこの狭い屋上でひたすら逃げまわっているだけの体力は瑞生にはない。だいいち、もうすでに息がきれている。いまは花子さんがかわりに戦ってくれているとしても、もし花子さんが劣勢になれば、瑞生が自害用の拳銃で公安の男の相手をしなければならなくなるのだ。

 瑞生はズボンのポケットから拳銃を取りだして、自分の側頭部にあてて引き金に指をかけた。もちろん花子さんは反応しない。花子さんが攻撃態勢に入るのは、あくまで他人に銃口を向け、引き金を引こうとしたときだけだ。ご陰キャさまがゆっくりと首を傾けて、不思議そうな表情で瑞生の顔をじっと見る。

「僕がいまからこの銃で自分の頭を撃ちぬくから、そのあと銃を拾って同じように自分の頭に銃口をあてろ。かまえるだけでいいんだ、べつに撃たなくていい」

 瑞生が真剣な表情でそう言うと、とたんに瑞生を見るご陰キャさまの目つきが険しくなる。

「あの‥‥頭、大丈夫っすか」

「‥‥まあ、そうなるよな」

「そんなことしても実際に死ぬことはないってのは俺もわかってんすけど」

 公安の男と花子さんの太い腕はほぼ互角といってよい壮絶な戦いを繰り広げていた。目と鼻のさきでやっているので、ちょうどテーマパークでアトラクションを体験しているような趣きがあるから、余裕さえあればずっとこの一戦を眺めていたいくらいである。

「説明している暇がないんだ。とにかく僕の言ったとおりにやってくれ。そのあいだにプログラムをハッキングするんだ。ヤクザによろしくの画面で、55555って打てばダイレクトにこっちのほうの仮想空間のプログラムの画面に切り替わるよ。こんなタイミングで打ちあけるのもなんだけど、このコピーの仮想空間をつくったのはじつは僕なんだ」

「やっぱそうすか」

 とくに驚いた感じでもない。瑞生が訊いた。

「気づいてたのか?」

「仮想空間のプログラムのセキュアを担当していたっつうんすから、そりゃまあ、そういうことなんだろうなと。そんな人間がたまたまあのトンネルの穴をみつけるなんて偶然、あるわけないっすもん。‥‥それでそれで瑞生クンはどうなっちゃうの? ここにちゃんと帰ってきてくれるんだよね」

 ご陰キャさまはどこか媚びるような口調で言う。

「僕は一時的に死ぬだけだよ。といってもほんとに頭をぶちぬくわけじゃないからな。仮想空間の鬼の鉄則、つまり安全装置が働いて、現実世界で目がさめるってだけで。二時間後にはきっかり戻ってくるよ」

「いや、瑞生クンの言いたいことはわかるんっすよ」

「じゃあ、なにに引っかかってんだよ」

「マジでこのままおいてけぼりとかないすよね。自慢じゃないんすけど、俺って人間さまを信用したことって一度もないんすよ」

「信用ねえんだな。僕だって自慢じゃないけど他人を信用したことなんて一度もねえよ。でも安心しろ、この仮想空間に人質みたいな存在がいるから、ちゃんと戻ってくるよ」

「あのカノジョさんすか。でも死んだっしょ。ん。いやいやいや。つか、なんでカノジョさん死んだんすか。こっちの仮想空間でも人は死なないはず。ってまさか自分のカノジョだけ安全装置のロックとかはずしたってわけじゃないっしょ」

 この場でご陰キャさまに説明している暇はないし、そもそも瑞生だって、たとえ正直に本名を打ちあけたところで、さっき会ったようなアカの他人に、詩梁のことまで詳しく説明するつもりもない。だから瑞生は嘘をついた。

「そうだよ」

「えーと。頭、大丈夫っすか」 

「話せばながくなんだよ」

「そもそもなんであいつ、瑞生クンのカノジョさん撃ち殺したんすか。まさか俺以上にわるいことしてるとか」

 瑞生はだんだんご陰キャさまに説明すること自体がめんどくさくなってきた。

「まあ、そうだ」

「マジっすか。いったいなにしたんすか」

「んー‥‥ポケモンのレアカードの偽造犯罪」

「ウソっしょ。あんなモデル系の美人がそんなことしたんっすか。たしかに撃ち殺されても仕方がないような犯罪行為っすけど。んにしても瑞生クンのカノジョ、わるい女っすねえ。そんな女、思いきって別れちゃったほうがいいっすよ」

 こんな会話を詩梁に聞かれて、銃で撃ち殺されるのは自分のほうだろうなと瑞生は思った。詩梁の性格を考えれば、銃で撃ち殺すだけではあきたらないかもしれない。ご陰キャさまが瑞生の握っている拳銃をまっすぐ見つめながら言った。

「しっかし自分の頭に銃口をあててるだけで牽制とかになるんすかね。変なとこ撃たれて身柄拘束とかされたら、これいちおう俺自身のアバターなわけだし、身もと洗われちゃうと俺もまあまあヤバいことになるんすけど」

「こっちの公安の人間も現実の世界の警官と同じで、自分の頭に銃口を向けてる人間はむやみに撃てないはずなんだよ。まあ、僕もそこはなんとも言えないんだけどな。でも賭けてみるしかないんだ」

 ご陰キャさまは瑞生の握っている拳銃から目をはなさないまま、しばらくしてから納得したように言った。

「‥‥んまあ、瑞生クンの言ったとおりにやってみるっす」

「頼んだぞ」

 跳躍して宙空を軽やかに舞う公安の男を、花子さんの腕が怒涛のごとく追っている光景を、まるで自分とは無関係なことのように冷静な表情で眺めながら、瑞生は今度はためらうことなく自害用の拳銃の引き金を引いた。

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