そして誰もいませんでしたわ
今夜は王城での夜会。
わたくしは、少し年下のデビューしたての殿方を物色……いえ、分析しておりました。
『レントン子爵家のご嫡男はマザコンね。
嫁姑問題をクリアできれば、御しやすいカモ……いえ、かもしれませんわね。
あの領地には、新しい小麦がよく育っているそうですし……』
『テスター男爵家のご嫡男は騎士団で名を挙げていらっしゃるわね。
そのまま活躍してくだされば、領地は嫁の好き放題。
あそこの羊毛は、もう少し手を加えれば高級路線で売り出せるかも。
利益が上がれば、陞爵も夢じゃないし……』
一人、頭の中で考えていたわたくしに、声をかけて下さる方が。
「セラフィーナ様、こちらのプディング、いいお味でしたわ。
召し上がられます?」
「ありがとう。いただくわ」
「わたしは紅茶をお持ちしますわね」
夜会では、寄り子の子爵家や男爵家のご令嬢方が、わたくしを気遣ってくださいますの。
別に、取り巻きとかではございませんのよ?
わたくしセラフィーナは、ロッドフォード侯爵家の次女です。
三人兄妹の末っ子で、上に兄と姉がおります。
出来の良い兄は父の片腕として活躍中、やはり出来の良い姉は隣国の侯爵家に嫁いで外交に活躍中ですわ。
味噌っかすのわたくしと言えば……いいえ、わたくし別に味噌っかすではございません。
たまに陰で、そう言われているのを耳にすることがあるだけです。
兄と姉が華々しいせいで地味に見えるのは仕方ないと思いますけれど、自分で卑下するほどに劣っているとは思いませんわ。
現に、今近くにいらっしゃる寄り子のご令嬢方のために、よいご令息を見繕い中ですの。
自分の婚活? 今のところ、わたくしの好敵手になるような殿方は見当たりませんわね。
侯爵家との縁づくりのために、無理して媚びを売ってくるような殿方など願い下げですもの。
「セラフィーナ嬢は相変わらず、孤高の薔薇のようだな」
誉め言葉だか貶し言葉だか、判断に困るような発言をなさる無粋な殿方のお出ましですわ。
幼馴染のこの方は、幼い頃から何かと難癖をつけてくるのです。
「これはこれはエルドレッド殿下、お帰りなさいませ。
この度の外遊、きっと素晴らしい成果をお持ち帰りでしょう。
お疲れ様でございました」
「優し気に嫌味たっぷりな挨拶だな」
「まさか。少しでも労って差し上げたい気持ちが、心に溢れておりますわ」
「まあ、そういうことにしておこう」
何を言ったとて、この殿方は言葉の裏を読むのです。
「それより、少しばかり時間をもらえるだろうか?」
「はい」
王族の申し出を断るようなことが出来ようはずもございません。
わたくしは案内されるまま、殿下がお使いの文官執務室に赴いたのです。
エルドレッド殿下は国王陛下の第五王子。
母君は伯爵家出身の側妃様です。
現正妃殿下は国王陛下より御歳が上で、二人の王子殿下をお産みの後、お褥を辞退されました。
その後、派閥に偏りがないよう、二人の若い側妃様を王妃殿下自ら選ばれて、王室に迎えたのです。
その後、王家は三人の王子殿下と二人の王女殿下に恵まれました。
王妃殿下の目配りで、世継ぎ争いも起きることなく、貴族社会も落ち着いております。
成人されているエルドレッド殿下は王子でありながら、一外交官として働いていらっしゃいます。
ただやはり、外交の分野では身分が役立つ場合もあるようです。
同僚の皆様と結託……いえ、協力し合って、時には身分を有効に使い、臨機応変に活躍していらっしゃると聞いておりますわ。
「セラフィーナ嬢は、まだ婚約者を決めていないのか?」
いきなり何を仰るのかしら?
「ええ、わたくしに釣り合う殿方が見つかりませんもので」
そう答えたわたくしは、鼻で笑われる覚悟だったのですけど。
「確かに、貴女ほどの才女ともなれば、その辺の令息では相手にならんだろう」
あら? どういう意味かしら?
「まあ、挨拶はそれくらいにして」
まあ、ただのご挨拶でしたのね。ちょっとドキッとしたではありませんの。
「今回の視察で実際目にしたのだが、いくつかの小国で、夜会での婚約破棄が流行している」
「夜会で婚約破棄? 狂気の沙汰ですわ!」
「ああ、若い世代の軽はずみな行動で、実家の貴族家までが大きな影響を受けた事例も少なくない」
そうでしょうとも。
「しかし、中には合わない相手との婚約が原因になっているものもあるようなのだ。そこで!」
一体何を言い出されるのかと、わたくしも眉間に力が入ってしまいます。
「貴女の観察力と洞察力で、年若い令息令嬢を幸福に導き、ひいては王国の明るい未来に一役買ってみないか?」
「……そんな大それたお役目、わたくしにはとても」
なんだか面倒なことに巻き込まれそうで、さっさとお断りするに限ると思ったのですが。
「そうかしら?」
「!」
颯爽と登場したのは、わたくしが尊敬してやまない王妃殿下だったのです。
「貴女が寄り子のご令嬢たちを気にかけて、良縁を探していることは気付いていました。
しかも、既に実績があるわね。
だからと言って貴女だけに責任を押し付けるつもりは無いのよ。
ただ、こういうことには、やはり若い人の目線が大事だと考えているの。
秘密のアドバイザーとして、やっていただけないかしら?」
「王妃殿下に、そこまで仰っていただいたら、お断りするわけには参りません。
謹んでお引き受けいたします」
エルドレッド殿下は、わたくしの態度が王妃殿下の登場により豹変したことに、少々ムッとされていました。
そんなこんなで、その後わたくしは名目上、王妃殿下の侍女として王城に勤めることになりましたの。
書類係という名目で、一人で一室を使わせていただいております。
持ち込まれるのはもちろん、婚姻相手を探している令息令嬢の資料です。
重たい書類を直接持って来るのは、なんとエルドレッド殿下。
このお仕事は、機密性が高いので仕方ありません。
並行して、めぼしい夜会に出没し、実際にお人柄などを探ります。
眉間に皺を寄せて、令息令嬢方を観察していると、パートナーから声がかかるのです。
「息抜きに、一曲踊ろう」
毎回、エスコート役はエルドレッド殿下。
一応、わたくしの仕事に関して上司のようなものなので、仕方ありません。
「私のエスコートでは不服か?」
「いいえ、そんなことございませんわ。
光栄過ぎて、眩暈がしてしまい、一小節ごとにおみ足を踏んでしまいそうで心配ですの」
嘘つけ、と言わんばかりに殿下の眉が動きます。
「そのうち、私に似合う婚姻相手も見繕ってもらえないだろうか?」
「ええ、お安い御用ですわ」
「安くては困るが」
「来週にでも、一ダースほどのご令嬢を一覧にしてお出しいたします。
順番に夜会に誘われるとよろしいですわ」
「いや、そんなに急いではいないし、夜会は貴女のエスコートがあるからな」
「あら、ご心配なく。わたくしは一人でも情報収集できますから」
そうですわ。このお仕事をお引き受けする前も、同じように一人で夜会に参加していたのですから。
殿下の手を離す時、毎回、小さな寂しさを感じるなんてこと気取られてはいけません。
そうこうするうち、仕事の成果が出て、良縁が何組もまとまりました。
同時に、本人の気持ちが伴わず、うまく行かない時もあったのです。
ですが、そういった時には周囲から婚約を強制しないよう、王妃様が助言してくださったのでした。
「そろそろ、わたくしもお役御免かと思うのですが」
一年ほどして、とある夜会に出たわたくしは殿下に切り出しました。
「そうだな。他人の面倒ばかり見ていては、貴女自身の婚約にも差し障るだろうから」
「わたくしの婚約ですか?」
「ああ……もしかして、既に決めた相手が?」
「いえ、あら、わたくしとしたことが、自分の相手が必要なことをすっかり忘れておりました」
「若い身空で、なんという寂しいことを」
「でも、ロッドフォード侯爵家の味噌っかすなどと言われる地味なわたくしですもの。
領地の片隅で、領民相手の縁結びなどしてもいいかもしれませんわね。
あら、想像してみたら楽しそうですわ」
「おやおや。楽しいのは結構だが。
……以前に頼んでいた、私に似合う相手は探してくれたのかな?」
「ええ、それでしたら……」
王城でのお仕事の際に頂いた資料のお陰で、妙齢のご令嬢の情報は一通り頭に入っております。
この場でも、すぐに見繕って見せますことよ。
ところが。
「……あら、困りましたわ」
「どうした?」
「エルドレッド殿下に相応しいお相手は……」
「うん?」
「この国内では……」
「ああ」
「申し上げにくいのですが……わたくししかおりません」
殿下は、甘く優しい笑顔を浮かべました。
まるで、わたくしをドギマギさせるかのような。
「知ってた」
「え?」
まさか、そのために他のご令嬢の縁結びを急がせた?
いえいえ、まさかまさか。
「で、殿下は国外で数多の美姫や才あるご令嬢を御存じでしょうし、わたくしでは役者不足かと思います。
とても、お薦め出来ません」
わたくしは、殿下のお顔が見ていられず俯きました。
「幼い頃から、貴女はいつだって私にだけ天邪鬼だ。
それはきっと、私が貴女にとって特別な存在である証拠だと自惚れていたのだよ」
殿下はちゃんと、見ていらしたのですね。
わたくし、周囲の方の縁結びを心がけるうちに、殿下以外の殿方を男性として意識しなくなっていましたもの。
「私は、世界で一番、貴女に相応しい男だと自信が持てるように、ずっと努力し続けるよ。
だからセラフィーナ嬢、私と婚約して欲しい」
「殿方は少々、自信過剰気味の方がよろしいとは思いますが。
その言い様は、自信があるのかないのか、よくわかりませんわ」
殿下は素晴らしい方。
なのに素直に褒めて差し上げられない。
意地を張るわたくしは、殿下に釣り合わない……。
「もう一曲、踊ろうか」
「……はい」
ゆったりしたワルツを踊る間に、思い出していました。
初めて『ロッドフォード侯爵家の味噌っかす』という悪口を聞いてしまった日、涙がこぼれて止まらなかったのです。
物陰でうずくまっていた幼いわたくしが泣き止むまで、隣にいてくれたのはエルドレッド殿下でした。
あの時、わたくしはちゃんとお礼を申し上げたかしら……。
「エルドレッド殿下、本当にわたくしでいいのですか?」
ダンスの後、お辞儀から顔を上げたわたくしは、思ったままを口にしておりました。
「貴女以外に、私に相応しい淑女は、誰もいないよ」
「わたくしも、寄り添うのならば、殿下がいいですわ」
「そう言ってくれるのを、ずっと待っていた」
「……もう一曲、踊りましょうか?」
だって、まだ御側を離れたくないのですもの。
「いや、それよりも陛下や侯爵に許しを請おう。
誰にも引き裂かれることの無いうちに」
殿下は逞しい腕でわたくしを抱き込むようにして、歩を進めます。
その一歩ずつの情熱が、わたくしを幸福で満たしてくれるのでした。