住所不定無職 30歳男性。将来の夢は「有名子役」でした
もうすぐ本格的な夏がやってくる。そんな気配が至る所で感じられるようになったある晴れた日、作業服を着た若い男が小さな交番にやってきた。
「すみません」
男は交番のドアを開けると元気な声を出した。男の声を聞いて中から若い男性の警察官がすぐに出てくる。
「はい、どうしました?」
「迷いました」
「道に迷われたんですね」
「はい、人生という長い道の途中で進むべき方向がわからなくなりました」
警察官は「何言ってんだこいつ」という顔で男を見るが男は真剣な顔をしている。
「あの、人生相談は交番の管轄外になるので占い師のような専門の方にお願いできますか?」
警察官はこの不審な男を追い返すことにした。
「すみません、冗談です。無くしたものが見つからず相談に来ました」
「あ、落とし物をされたんですね」
「はい、そうなんです。立ち話もなんですしどうぞ中へお入りください」
作業服を着た男はそう言って警察官を押し退けて交番に入る。そしてどさっと受付の前のパイプ椅子に座った。「なんでこいつがお入りくださいって言ったんだ?」と思いながら警察官も交番の中に戻り作業服の男に対面する形で受付の椅子に座った。
警察官は書類とペンを取り出すと男に質問をし始めた。
「お名前は?」
「まだありません」
「は?」
「冗談です。書類には上様とお書きください」
「はあ、そうですか。で、ご住所は?」
「住所不定です」
「……お仕事は?」
「無職です」
「……住所不定無職の上様は何を無くされたんですか?」
「夢です」
「……あの、からかっているなら帰ってもらえませんか?」
警察官は苛立ちながら男を見るが、男は警察官を無視して話を続ける。
「私には子どもの頃から夢がありました。でも昨日それを失ってしまったんです。お巡りさん、助けてください」
「人生相談は然るべき所でお願いします」
「私はずっと子役になりたかったんです。日本一有名な子役に」
「勝手に話を進めないでください。てか、そもそも上様は何歳です?」
「いくつに見えます?」
男は急に顔をニヤつかせて聞く。警察官はさらに苛立つ。
「いや、年齢ぐらい答えろよ! その質問、答える側は気を使うし面白くもない最低な質問だから」
苛立つ警察官から敬語が消えた。
「18歳? お巡りさんお上手ですね」
「言ってねえよ!」
「正解は18歳と4520日でした」
「30歳オーバーの野郎がくだらねえこと言ってんじゃねえよ! てか、とっくの昔に子役を夢見る年齢は終わってるだろうが!」
「私は世界で最も影響力のある100人に選ばれるような、そんな子役の女の子に憧れていました」
「年齢制限どころか性別の壁まであるじゃねえか!」
「私は何年も頑張ってきました。でも私に才能がないことに気づいたんです。先週」
「才能以前の問題だから! てか、気づいたの先週かよ」
警察官は書類を書くのをやめた。いや、かなり前にやめていた。名前を聞いて「上様」と言われたあたりでこれは書いても意味がないなと察していたのだ。
仕事の邪魔なのでさっさと話を切り上げたい警察官。しかし、男は相変わらずマイペースで自分の話を止める気配はない。
「先週、テレビである有名なアニメ映画を観ました。そしたら突然私の中に曲が舞い降りたんです」
「おい、子役の話はどうした。なんでいきなりミュージシャンを夢見る話になった?」
「この映画にぴったりな曲はこれだ! そしてこの曲を歌うべき子役は私しかいない。私はこの曲で世界進出する! そう思ったんです」
「あんたもう子どもじゃねえだろうが!」
「すごくいい曲なんです。少し聞いてもらえませんか?」
「聞かねえよ」
「ありがとうございます! では少しだけ」
「あんた誰と会話してるんだよ! 聞かないって言っただろうが」
「ポーny……
「やめろ! やめろやめろ!」
警察官が慌てて男の口を塞ぐ。
「何するんですか、人が気持ちよく歌い始めたのに」
「念のために聞くがタイトルは?」
「崖の上のp……
「盗作じゃねえか!」
「失礼な! 完全オリジナルの新曲ですよ」
「純度100%のパクリやろが!」
「映画を観ながら私は居眠りをしていました。そしたらふと心地よいリズムと歌詞が頭の中に浮かんだんです」
「単に寝ぼけながら聞いただけやろそれ! てか、なんで10年以上前の作品で曲作って世界進出できると思ってん。無理に決まってるやろ!」
「そんな……私は生まれる時代を間違えたのか……」
「なんで時代が違えばいけると思ってんの? もう帰れ、仕事の邪魔や」
「まあまあ、そうイライラしない方がいいですよ。イライラしてもいいことなんて何もないんだから」
「誰のせえやと思ってんねん! ええかげんにせえや!」
交番に警察官は一人しかいない。交代までまだかなり時間がある。若い警察官は早く男を帰らせたくて仕方がなかった。
「あの、実はもう一つ相談したいことがあるんです」
「まだあんの? もう一つって何?」
「お金が無いんです」
「盗まれたんですか?」
警察官は突然まともな相談内容が飛び出してきたので、慌てて姿勢を正し口調を敬語に戻した。机の上に置いていたペンを再び手に取る。
「いえ、壺を買ったら無くなりました」
「もう帰れよ! 原因わかっとるやんけ!」
「100万円する壺を買ったんです」
「高! めっちゃ高いやんそれ、詐欺やろ」
「買えば夢が叶うそうです」
「詐欺やないかそれ! それは消費者相談窓口に行ってください」
呆れる警察官を見て男は眉間に皺を寄せ声を荒げた。
「詐欺な訳ないじゃないですか! 売ってくれたのは最近SNSで知り合った人ですよ?」
「そんなやつ1mmも信頼できる要素ないやないか!」
「要素なんてなくても何事も信じることが大切って習わなかったんですか!」
「何でもかんでも信じるのはあかんに決まってるやろうが!」
「あの人は詐欺師じゃないんです! あの人は私に『きっとあなたなら可愛い子役になれます!』って言ってくれたんです」
「そら騙すためなら何でも言うやろ」
「半笑いで」
「笑われとるやないか!」
「お巡りさんには夢はないんですか? 人を信じる心はないんですか? お巡りさんには何もないからそんなひどいことが言えるんじゃないですか?」
「無謀な夢見て騙されとるやつが何を偉そうに言ってんねん」
「はあ……ここに来たらお金が借りられると思ったのに時間の無駄のようですね」
「あんた交番をなんやと思ってんねん! 金なら然るべき所に借りに行けや」
「ああ、もうこんなことなら交番なんて来るんじゃなかった。帰ります」
「早よ帰れ!」
「私は100万円の壺の効果を信じています。壺の力で絶対に子役になるんです。もし私の夢が叶ったら謝ってくださいね! 絶対ですよ!」
そう言って男は肩をいからせながら足取り荒く帰っていった。
「二度と来んな!」
不毛な会話に疲れた警察官は遠ざかる男の背中に向かって言った。
あれから3年の月日が流れた。
警察官が家でバラエティ番組を見ていると、どこかで見たことのある男が映った。その男は人気子役のモノマネで最近ブレイクし始めた芸人だった。
男がネタをするとスタジオは大盛り上がり、警察官も腹を抱えて笑った。しかし警察官がこの芸人をどこで見たのか思い出すことはなかった。