89 乾燥大豆
昼休憩の時間、ルカは今日もランチボックス持参でやって来たアランと昼食を取った。場所も昨日と同じく修練場のベンチである。お腹いっぱいになり、ぽかぽかと暖かな陽気もあって少々眠い。欠伸を噛み殺していると、アランが水筒の紅茶を注ぎながら提案してきた。
「私の膝を貸しますので、仮眠をどうぞ」
「結構です」
「眠いのを我慢するより、少し眠った方が仕事も捗りますよ?時間前に起こしてあげますし」
「ほんとに大丈夫ですから!」
きっぱりと固辞してルカは紅茶を飲む。紅茶のカフェインで目を醒ませば良いのだ。こんな所で膝枕なんてしていたら、確実に噂の的だ。
「……私のせいで寝不足ですか?」
「ゴホッ!……違います!」
ちょっと今の聞き方は無い。誰かに聞かれたら誤解されるような言い回しは勘弁願いたい。それでなくても好奇心旺盛な同僚達から探りを入れられているのだ。特に今朝は、アランがルカの家に泊まった事が、ルカの出勤時にはもう拡散されていた。情報源は寮住まいの誰かだろう。
何も無い、ルカはベッド、アランは寝袋で別々の部屋で寝たと正直に伝えたのに、誰も信じてくれなかった。竜人が番と一晩過ごして我慢出来るわけないと、下世話な興味を気の毒そうな声音で隠して口々に言われた。誤解を解こうとするほど、生温かい視線が増えていった。とても疲れた。眠いのはそのせいだ。
「それより、今日もウチに泊まるんですか?」
「もちろんです」
「今夜はユウキ達に泊まってもらおうと思うんですけど。マリナに結界を張ってもらえば安全ですから、アラン先生は家でゆっくり寝てください」
そうだよ、結界装置を設置するまでの間はマリナに結界を張ってもらえば良いんだ。ルカは良い事を思いついたとニンマリした。それで安全が確保されれば、アランがルカの家に泊まり込む理由が無くなる。今朝みたいな恥ずかしくて腹立たしい目に合わなくて済む。
しかしアランが駄々をこねる。
「ルカさんの傍にいないと眠れません。膝枕してもらって良いですか?」
「いや役割交代しても駄目ですから……もしかしてアラン先生、寝てないんですか?」
「寝てないと言ったら膝枕してくれますか?」
駄目ですと言い返そうとしたルカの声は、突然の落雷のような音でかき消された。ルカに覆い被さったアランの肩口から、修練場のど真ん中に光の柱が立っているのが見える。眠気が吹っ飛んだ。光の柱は瞬く間にスウッと空に消えてゆき、後には1人の男性がぽつりと立っていた。その服装が、紋付き袴だと気がついたルカ。
「え、日本人?」
キョロキョロと辺りを見回していた男性と、遠目に目が合ってしまった。男性がこちらに走ってくる。アランが左腕にルカを抱いたまま、腰の聖剣を抜いて男性の胸元に突き付けた。
「止まりなさい!」
「うわっ、何だよ!男に用はないんだ、引っ込んでろよ!ねぇ君──」
「私の婚約者に馴れ馴れしく話し掛けないでもらえますか。ルカさん、返事は必要ありません」
「ルカちゃんっていうんだ。ねぇ、ここ何処かな?オレのこと知ってるよね?イベントの途中で気がついたらここに居たんだけど、これドッキリか何かかな?君もスタッフの1人?」
ペラペラと流れるように喋る人だ。ルカの知り合いに、こんな人は居なかったはずだ。見た目は恐ろしく整っているし、イベントとか言っているし、芸能人かスポーツ選手だろうか。ルカはどちらも詳しくない。
「すみません、貴方のことは知りません」
「えー、本当に?国民的アイドルの天草蘭丸だよ?」
天草四郎と森蘭丸を組み合わせた芸名だろうか。一度聞いたら覚えていそうだが、知らない。
「アラン先生、私ギルドマスター呼んできます。たぶんこの人、私と同郷の転移者だと思うので」
「いえ、このままで。ギルドの建物から人が来る気配がします」
「ちょっとー、オレを放置するなんて酷くない?お仕置きしちゃうよ?」
バチンとウインクされて、ルカは鳥肌が立った。この人苦手というか嫌いなタイプだ。関わりたくない。
なのに、彼が手に持っている物に気付いてしまった。
「それ、大豆?」
「うん、そうだよ!イベントで豆撒きしてたんだ、食べる?」
木枡に入った大豆を一掴み、口に放り込んでボリボリ貪り食う天草蘭丸。ギャー、何すんの!?貴重な大豆を!
「アラン先生、あれ入れ物ごと欲しいです!」
「ルカさんがおねだりなんて珍しいですね。私に任せてください!」
「え、あれ?」
一瞬で木枡は天草蘭丸の手からアランの手に移っていた。風が巻き起こったのが感じられただけで、何も見えなかった。勇者の本気って凄い。
「ルカさん、どうぞ」
恭しく差し出された木枡から、大豆を1粒摘み上げる。節分の豆撒き用の乾燥大豆だ。それが木枡に8分目ほど入っている。これ、植えれば大豆が生えてくるよね?味噌や醤油は難しくても、枝豆は食べられるようになるよね?
「天草さん、これ私が全部買い取ります!幾らなら売ってくれますか?」
「え、別にタダで良いけど」
「駄目です、きちんとお金払いますから値段付けてください」
タダより高い物はない。後で見返りを求められないためにも、支払いはしておきたい。
「えーと、じゃあ500円で」
「良心的ですね、ありがとうございます!」
ルカはアイテムボックスから日本で使っていた財布を出し、500円硬貨を1枚取り出した。アランがそれを天草蘭丸に渡して、取り引きは完了だ。
やった!乾燥大豆ゲットだぜ!




