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79 勘違い

「それで?ソウマ君と何を話していたんですか?」


 寝室の扉をパタンと後ろ手に閉めると、アランはルカのベッドに腰掛けた。ルカは読書用に使っている肘掛け椅子に座ったまま、背筋をピンと伸ばした。


「ええと……私がアラン先生をどう思っているかと、聞かれました」

「──ほう」


 アランが呟いた声は小さくて、溜息のようにも聞こえた。眼鏡の奥の目がキラリと光ったような気がする。ルカは緊張して、なおさら姿勢を正した。

 アランの目の光が柔らかくなり、口許が弛む。


「ルカさんは正直ですね。それで、何と答えたんですか?」

「それが……答えられなくて」

「何故ですか?」

「自分でもよく分からないからです。アラン先生のことは良い人だと思いますし、信頼もしてます。だけど恋愛感情かと問われると。すみません」

「いいえ。それで、ソウマ君は何と?」

「様子見しようって。私の気持ちが固まったら、教えて欲しいとも」


 アランは機嫌が良さそうに、ウンウンと頷きながら聞いている。ルカは内心首をひねっていた。今のところアランを恋愛的な意味では好いていないと言っているのに、この機嫌の良さは何なんだ。


 そしてふと気づく。そういえば、アランとの婚約は都合が良いからと結んだものだった。婚約してくれとは言われたが、好きだとか愛してるとかは言われていない。態度が甘くなったので勘違いしていた。

 危ない、これはいわゆる契約婚約だった。アランの機嫌が良いのは、契約相手であるルカが全て隠さず話しているからか。大事な契約だ、誠実さが求められるのは当然だ。一気に気持ちが楽になった。

 

「他には何か話しましたか?」

「はい、私がこの婚約が嫌になったら、逃がしてくれるって。でも、そんな事しなくても普通に婚約解消してくれますよね?」


 気が楽になったルカが笑って言うと、アランの笑顔にピシリと亀裂が入った。ように見えた。そしてその裂け目から真っ黒いオーラが漏れ出した。あれ?何処で間違えた?


「婚約は解消しませんよ。破棄も撤回もキャンセルも破談にもしませんから」

「でも、アラン先生の都合が悪くなれば白紙に戻しますよね」

「いいえ。この婚約関係が終了するのは結婚に移行する場合のみです」

「それだと結婚するしかなくなりますよ?」

「その通りです。私としては、半年後には結婚したいんですがねぇ」


 半年後というと冬から春になり、新年を迎える頃だ。この世界の年齢は数え年で、新年に一斉に年を取る方式だ。転移者は慣例として、転移してきた時点の年齢を元に年齢を数える。ルカは16歳でこの世界に来て、今年の新年で1つ年を取り、来年成人の18歳になる。

 ちなみにソウマとマリナはこの世界に来た時17歳だったので、今年の新年で成人済みだ。成人すれば結婚出来るので、美男美女の2人にはたまに求婚者が現れるのだが、全てすげなく断られている。


「半年後だと、私が成人して直ぐなんですが」

「ええ。ルカさんの成人と同時に結婚しましょう!やっと婚約に持ち込んだのです、本心では逃げられないよう今直ぐ結婚したいところですがね」

「いや私まだ未成年ですから。成人しないと結婚出来ませんよね」

「ルカさん。何事にも例外はあります。この場合、一番手っ取り早いのは子どもを作ってしまうことです」


 …………は?

 ちょっと理解が追い付かない。先日から頭がショートするような出来事が多くて脳が疲れているのだろう。糖分が欲しい。ラムネが食べたい。


「ルカさん、現実逃避は止めて戻って来てください。大丈夫です、ルカさんの嫌がる事を無理強いはしませんよ。でもルカさんが望んでくれるなら、こちらに」


 アランが自分の隣をポンポンと叩く。そこはベッドだ、洒落にならない。

 アランはこんな冗談を言う人だったのだろうか。彼の目が赤い。紅玉のようにキラキラ、というよりギラギラしていて怖い。


 そして再び、ルカは心の中で首を傾げる。アランが冗談でこんな事を言うとは思えない。となると本気?勘違いだったとの結論が間違いだったのか?混乱しながらも恐る恐る、ルカは基本事項を確認した。


「……あの、アラン先生。私達の婚約は、婚約という形を借りた協力関係で、結婚するにしても形だけですよね?」


 アランの目から光が消えた。ギラギラと熱を持った怖さは半減したが、昏くなった瞳には別の怖さを感じる。ルカは椅子の上に縮こまり、椅子の背にピタリと張り付いて可能な限りアランから距離を取った。その様子を見て、アランがますますどんよりと陰を背負う。


「ルカさんにとっては、そういう認識なのですね。でも私にとっては愛する人との幸せな結婚なのですが」

「愛する人って誰ですか」

「ルカさんに決まってるでしょう!婚約してからは態度にだって表してたのに、通じてなかったんですか?」

「いや、だって……好きだとか言われてないですし!」


 こう言っては失礼だが、なんとも間抜けな顔だった。ポカンと呆けた顔を晒したアランは、暫しそのままフリーズし、やがてゆっくりと驚愕の表情を浮かべた。


「──え?あれ?言ってない?いやでも……もしかして口に出してなかったのでしょうか」

「聞いた覚えは無いです」


 アランがベッドから飛び降りて、ルカの足元に縋りついた。驚いて椅子の背に噛りついたルカを、アランが見上げてくる。跪く格好になったアランが手を延ばし、ルカの足先に触れた。ヒッと声を上げそうになったルカに、アランが慌てて手を引っ込める。


「すみません、今かなり切羽詰まってます、ごめんなさい、色々やり直させてください!」

 

 普段の余裕ある態度は何処へやら、早口で捲し立てるアランに何とか頷いてみせる。アランはスーハーと深呼吸し、咳払いして喉を整え、そうっと手を延ばして今度はルカの手に触れた。


「ルカさん、貴女を愛しています。どうか私と婚約し、貴女が成人する来年の新年に、私と結婚してください」

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