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76 ドラゴンとどら焼き再び

 幸いルカの熱は1日で下がった。辺境伯家への滞在は延長になったが、冒険者ギルドへの休暇届けは余裕を持たせて出してある。そのためウルシュラに、もう少しゆっくりしていけばと勧められたのだが、ルカ達は1日遅れで王都に戻ることになった。往路でお世話になったドラゴン便の兄弟が、呼ばれてないのに迎えに来たためだ。


「こいつが早く迎えに行こうって聞かなくて」

「そうなんですよ。おれ達を置いて行こうとするんで、来ちゃいました!」


 ヘラリと笑いながら、ドラゴンのせいにして悪びれない兄弟。本当か嘘か分からないが、ドラゴンはルカからおやつをもらうまで、クルルルーキュルルルーと鳴き続けていた。そのせいでのんびり寝ていられなかったのも、さっさと帰ろうとの決定を後押しした。


「嬢ちゃん、えーと、おめでとうで良いのか?」


 出発を見送りに出たジャックが、残念なものを見る目を向けてくる。隣のウルシュラに至っては、固めた笑顔を崩さないよう必死なのか、プルプル震えている。


「如何なんでしょう……」

「おめでたいに決まってるじゃないですか。何故疑問形なのですか」

「いや、だって、なあ?」


 ジャックが視線でルカに同意を求めてくる。返事をする前に、背中に添えられたアランの手がルカの姿勢を変え、アランの胸に顔を押し付けられた。ルカは病み上がりだとの名目で、アランに抱えられている。恥ずかしさで熱がぶり返しそうだ。


「ルカさんを見ないで下さい。減ります」

「お前、あんまり狭量だと婚約破棄されるぞ」

「貴方と縁を切って正解でした。二度と会うことも無いでしょう」

「そう言わず、結婚式には呼べよなー!」


 ジャックのメンタルはオリハルコンか何かで出来ているのだろうか。無視してドラゴンに乗り込むアランに向けて、『竜人の常識は非常識』『監禁は愛じゃない犯罪だ』『束縛と緊縛はほどほどに』などと、ちょっと不安になるような言葉を投げ掛けてくる。途中からルカの耳はアランに塞がれてしまったが、ドラゴンが飛び立つまでジャックの口は動き続けていた。注意事項が延々と、お別れの挨拶代わりに続いていたようだ。


「ルカさん、ジャックは冗談が過ぎますので、彼の言葉は忘れましょうね」


 アランに言われて頷いてはみたが、ジャックは何時になく真剣な顔で、冗談を言っているようには見えなかった。それに忘れたくても忘れられないような、インパクトのある言葉の数々だった。アランとジャック、どちらを信じるかと問われれば当然アラン一択なのだが、ジャックの言葉はしつこく頭の隅にこびり付いて剥がれない気がする。


 まあ、なるべく忘れるようにしよう。気にし過ぎも良くないよね。

 ルカは心の安寧のために、深く考えるのを止めた。それよりも今は、この体勢を何とかしたい。


 ルカの懸命の努力も虚しく、アランの腕の中からは逃れられなかった。おかげで来る時と違って、ドラゴンが地面に急降下しても怖さは感じなかった。羞恥心が勝って、それどころでは無かったので。


 今日のお昼はおにぎり弁当だ。甜麺醤(てんめんじゃん)を使った肉味噌入りのおにぎりを頬張っていると、ドラゴンがキュウキュウと、甘えた声で鳴いてルカを見詰める。


「え、これも欲しいの?」


 コクコクと頷くドラゴン。賢いな。

 まだ手を付けていなかったおにぎりを口に入れてやると、嬉しそうに高く鳴く。可愛い。鼻先をよしよしと撫でると、ルカの手にドラゴンが擦り寄ってきた。


「待ってね、えーと……また作ったどら焼き何処いったかな……」

「ルカさん、ドラゴンの餌付けは止めましょうね」

「でも、せっかくこの子のために、特大のどら焼き作ったんで」


 ルカが取り出したのは、フライパンいっぱいのサイズで作ったどら焼きだ。どら焼きを気に入っていたドラゴンのために作った特別製。ホットケーキと見紛う生地に、ソウマが試作した白あんが挟んである。ジャックが集めてくれた豆類の中に、白いんげん豆があったのだ。


 白いんげん豆のあんこは、一晩水に漬けて吸水させ、一度煮たものを茹でこぼし、水を加えてもう一度潰せる硬さになるまで煮て、豆を潰し、砂糖を加えて練り上げる。この練る作業が力仕事で大変だ。焦げやすいので休めないし、ひたすら木べらで鍋の底から剥がすように練っていくのは体力もいる。ソウマは楽々こなしていたが、ルカが自分であんこを作る日は来ないだろう。


 その貴重な白あんを使った特大どら焼き。両手で持ってもずっしり重いそのどら焼きを、アランに取り上げられた。


「ソウマ君、これは貴方から、ドラゴンに食べさせてあげましょうね」

「アラン、ドラゴンにまでヤキモチは──いや何でもないネ!」


 ハオランが一瞬で距離を取り、代わってソウマがどら焼きを受け取りに来る。何か言い掛けて、ソウマはルカの背後を気にして口を噤んだ。黙ってどら焼きを受け取ると、ドラゴンに食べさせてやる。


「ドラゴン君。今度から食べたい物があれば、ソウマ君にねだりなさい。甘い物作りはソウマ君が得意ですからね」


 アランが大真面目にドラゴンに言い含めている。ドラゴンは不満げに鼻を鳴らしたが、ルカに近付こうとしてビクリと固まり、シュンとして項垂れた。明らかに落胆した様子のドラゴンに、ソウマが新たなどら焼きを与えて慰める。白あんにラムレーズン入りのどら焼きだ。


 ルカもラムレーズンの入ったどら焼きを出し、一口噛る。白あんのあっさり上品な味は、ラムレーズンと意外と合う。もう一口噛ろうとしたところで、アランに手を掴まれた。あっという間にルカよりも少し大きな歯型が、どら焼きについていた。


「あの、別のを出しますから」

「いいえ、これが食べたかったんです」


 口の中が甘い。白あんに使われた大量の砂糖が、口から出て来そうだ。ほうじ茶が欲しいと、ルカは切実に思った。

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