59 田舎だからって
「ルカさん、旅行はお好きですか?」
ここ1週間、豆腐料理伝授のためにルカの家に入り浸っているアランが、何の脈絡も無く聞いてきた。ルカはフライ返しでおからのお焼きをひっくり返しながら、深く考えもせずに答えた。
「嫌いではないです。でも家が一番落ち着きますね」
「そうですか……」
アランの声が沈んだ気がして、ルカはふと思った。今のは一緒に旅行に行こうというお誘いの、導入部分だったのだろうか。だとしたら出鼻を挫いてしまっただろうか。
ルカは並んで台所に立つアランを、チラッと横目に窺った。アランは今日レシピを教えた豆腐ハンバーグのたねを、無表情にこねくり回している。ハンバーグは混ぜて混ぜて粘り気が出るまで混ぜるものだとしても、混ぜ過ぎではないだろうか。せっかく豆腐を入れてふわふわハンバーグにしようとしているのに、硬くならないか?
「ただ……この世界に来てからは、王都から全く出たことがないので、一度くらいは旅行に行ってみたいなとも思いますけど」
豆腐ハンバーグ救助のため、ルカはフォローを入れることにした。これも本心だ。ただ、王都の防壁の外には魔物や魔獣や危険動物がウヨウヨ居るし、盗賊山賊野盗の類も跋扈している。植物でさえ人を喰う、危険な場所に進んで出て行くほど、ルカは旅行好きではない。
それにこの世界の旅行は、基本徒歩か馬車での移動になる。ドラゴン便やグリフォン便なんてのも就航しているが、新幹線や飛行機ほどの快適さが望めるとは思えない。草原の真っ只中でトイレに行きたくなったらどうするのか。ユウキやマリナはいつも如何しているのだろう。フィールドはまだ良い、ダンジョンでのトイレ事情は如何なっているのか。聞いてみたいけど興味本位で聞くのも悪い気がする。
思考が脇道に逸れた。ジュウッという音で我にかえると、ルカが焼いていたおからのお焼きが豆腐ハンバーグに化けていた。いや、ルカがぼんやりしている間にアランが避難させてくれたのだろう、魔導コンロ脇では端の焦げたお焼きが皿に並んでいた。
「ああっ、すみません!ボーッとしてました!」
「私も気付くのが遅れてしまって。ちょっと焦げちゃいましたねえ」
「私が全部、責任持って食べますんで」
「私も食べますよ?連帯責任ですから」
アランが特に焦げたお焼きを指で摘み、丸ごと口に放り込む。熱かったのだろう、涙目でハフハフしながらも噛んで飲み下し、ヘラリと笑う。
「そういえば私、猫舌でした」
「どうぞ。火傷してません?」
ルカが差し出したコップを受け取り水を飲むと、アランはハンバーグを焼く作業に戻った。両手にフライパンとフライ返しを持ち、目線はハンバーグに固定して、アランが仕切り直すように咳払いする。
「昨夜ジャックから連絡が来たのです。豆腐料理のレシピを見ただけでは料理するのが難しいので、領地に来て直接指導して欲しいと」
「え、料理するのはプロの料理人さんですよね?」
「勿論です。ですがジャックの領地は、有り体に言うとど田舎でして。素朴な田舎料理は作れても、王都のような凝った料理は無理だと料理人に泣きつかれたようです」
「先に渡したレシピ、もの凄く簡単なのだけですけど……」
「田舎に行くほど家庭での料理率は上がるのですが、それは外で食べる場所が減るからなのです。なのでプロの料理人といっても、得意料理を数種類しか作れなかったりするらしくて」
「えええぇ……」
そりゃあ日本にだってラーメン屋やカレー屋など、拘りの料理1つしか作らないという店はあった。だけど、そんな店の店主でも、レシピを見れば他の料理も作れるはずだ。それすら出来ないの?それは本当に、田舎だからが原因なの?王妹殿下に料理を作るのが畏れ多くて、責任逃れのために無能を装ってるんじゃなくて?
疑心暗鬼に陥るルカに、アランが申し訳無さそうに言う。
「ですから私がジャックの領地に行く羽目になりそうなんですが……正直向こうの料理人は当てに出来そうにないので、助手という事にしてルカさんも同行してもらえると嬉しいのですが」
「それ、王妹殿下にお出しする料理を、押し付けられそうって事ですか?」
「そうなった時、私一人では手が足りませんので」
うわー、何てこった。これ、私がレシピ提供を引き受けたせいなのか?
ルカが唖然としていると、アランは更に申し訳無さ気に見解を述べる。
「たぶんジャックは、初めから私に料理を押し付けるつもりで、ここに来たのだと思います。ルカさんを巻き込んでしまってごめんなさい」
「いえ、私が交換条件を出したせいで断れなくなったんですよね。こちらこそごめんなさい!」
味噌や納豆欲しさに、進んで面倒事に首を突っ込んでしまった。アランを巻き添えにして。ルカはペコペコ謝りながらも、釈然としない気持ちになる。元凶はジャックだ、謝るべきはジャックなのだ。
「ジャックさんに何か報復したいです」
「同感です。良い案がないか検討しましょう」
アランからの旅行のお誘いは、楽しいものでも、ましてや甘いものでもなく。キリキリと胃が痛くなりそうな、旅行という名の出張料理のお誘いだった。




