57 土下座は止めてください
「頼みがあるんだが」
塩味肉豆腐の締めのおじやも全て平らげ、後片付けをしている最中。布巾片手に器を拭いていたジャックが、唐突に言った。ルカは自分に言われているとは気づかずに、一度はスルーしてしまった。するとジャックはわざわざルカの正面に回り込んで、深々と頭を下げてきた。
「まだ怒ってたのか?謝るから話だけでも聞いてくれ」
「え、何の事ですか?」
「おれみたいな失礼な奴の頼みなんて聞けるか、って意思表示かと」
「いえ、失礼だったのはお互い様ですよね」
ルカだってジャックを不審者扱いしたり、結構やらかしている。昨日の一連の出来事については忘れようと思っていたし、実際忘れかけていた。豆腐に意識を持っていかれていたので。
「ひよこ豆で豆腐を作れると、教えてもらったのでチャラです」
「そう言ってくれると有り難い。で、頼みってのは、その豆腐についてなんだがな」
ジャックの頼みごととは、豆腐を使った料理のレシピを教えてもらいたい、との事だった。そんなのお安い御用だ。気楽に頷こうとしたルカを、しかしアランが制止する。背後から手を延ばし、首肯を顎を支えて止められ、良いですよと承諾する言葉を口を塞いで封じられた。
「ルカさん、安請け合いしてはいけません。この男が改まって頼むなど、厄介事に決まっています」
「決めつけんなよ。ウチじゃトウフーは焼くかスープに入れるかなんだ。飽きちまって」
「家庭料理なんてそんな物です」
「そうだけどよー。嬢ちゃんなら簡単で美味い料理を知ってそうだから」
ルカとしては豆腐料理のレシピを出し惜しみする気は無い。豆腐の美味しさが広まって店で買えるようになれば嬉しいので、積極的にバラ撒きたいほどだ。だがそれを伝えようにも、ルカの口は塞がれたままだった。喋ると唇がアランの手に当たりそうで、気軽に声が出せない。
返事が出来ないルカの代わりに、アランがルカの頭越しに応答する。
「ルカさんが作る料理は手が込んでいますよ。貴方に作れるとは思えません。貴方に輪を掛けて大雑把な奥方にも無理でしょう。なのに何故、レシピが欲しいのですか」
アランの口調は詰問に近かった。ジャックがわざとらしく、ツツツと視線を逸らす。あ、これ隠し事がある人だ。こんな漫画のような仕草、現実でやる人居るのか。
アランの厳しい口調と相まって、やり取りは取り調べの様相を呈してくる。証拠を突き付けて自白を引き出そうとする刑事と、のらりくらりと言い逃れる被疑者の図がルカの頭に浮かんだ。
「ジャック、来月貴方の領地には、王妹殿下の視察予定がありますね」
「あー、そうだったかー?」
「ルカさんに聞いた豆腐料理を出そうなんて、考えていませんよね?」
「…………」
ジャックは無言で頬をポリポリ掻いている。どうも都合が悪くなった時の、彼の癖らしい。図星だ。アランにズバリ隠し事を暴かれて、何も言えないようだ。
しかしジャックが黙ったのも束の間。隠す事が無くなったジャックは、却って開き直った。
「そうだよ、王妹殿下に出せそうな料理を教えて欲しいんだよ!王族が喜びそうな豪華で美味な料理なんて、ど田舎のウチで出せる訳ないだろ!だからせめて珍しさで勝負したいんだよ!」
「勝負なら勝手にすれば良いです。でもそこにルカさんを巻き込むな」
「異世界人なら珍しい料理の1つや2つ知ってるだろ?教えてくれるだけで良いんだ、頼む!」
ルカは料理人ではない。ルカが作る料理は、あくまでも家庭料理だ。そりゃあこの世界ではもの珍しい類の料理もあるかもしれないが、王族に出せるような物ではない。
ルカは口を覆ったアランの手をそっと退けてから、フルフルと首を横に振った。
「ごめんなさい。そんな偉い人に出せるような料理、私は知りません」
「知ってる料理を幾つか教えてくれるだけで良い!王妹殿下のお気に召さなくても、嬢ちゃんの責任は問わない!だから頼む!」
ジャックは床に這いつくばって平伏した。この世界にも土下座ってあるんだ。驚き過ぎても却って冷静になるようで、ルカは他人事のように思った。土下座なんてされたのは初めてだ、出来れば一生経験したくなかった。
「ジャック、止めなさい。それは卑怯です」
「誠意を見せてるだけだ」
「違います。ルカさんが断れないよう追い込んでいるだけです。ここまでして頼みを聞いてくれないなんて酷いと、下手に出ながら相手を意のままに操ろうとする最低の行いです」
「そんなつもりは微塵もない!」
「ではルカさんが頼みを断っても、文句は言いませんね?」
「お前こそ、おれを追い込んで楽しいか?仲間のよしみで助けてやろうとは思わないのかよ」
ヒエッ、人を挟んで睨み合うのは勘弁して。殺気が痛いんですけど!
ルカは如何にかして事態を収拾しなければと、必死で頭を働かせた。レシピを教えるのは良いのだ。責任問題さえ回避出来れば、それで良い。神殿の秘密保持契約を結べば、レシピの出所を隠すことは可能だ。それだけは最低限、条件を飲んでもらうとして。
「ジャックさん。条件付きでなら、レシピを教えても良いですよ」
「本当か!」
ジャックが飛び起き、ルカに抱きつこうとする。その直前にカッと眩い光が迸り、淡く輝く光の檻がジャックを跳ね返した。空中で結界に阻まれたジャックは、潰れたカエルのようにベシャリと床に落ちる。
「良いんですか、ルカさん」
「はい。きちんと条件を守ってくれるなら」
ルカは言いながら、意識して人の悪い笑みを浮かべた。気分は悪代官だ。ジャックが笑顔のまま頬を引き攣らせたので、ルカは笑みを深めて追撃する。
「ジャックさん、誠意、見せてくれますよね?」




