54 閑話2
鑑定士ルカを自宅まで送り届けてから、四半刻が経過した。未だにルカが入っていった建物を見つめているアランに、ジャックはもう何度声を掛けたか数えるのも馬鹿らしくなっていた。だが、冒険者ギルドの男子寮だという建物の屋上に居るのも飽きてきた。腹の虫が夕飯を寄越せとがなり立てているし、そろそろ実力行使に出ても良いだろう。
ジャックはアランの二の腕を掴んで引っ張った。ビクともしない上に視線は女子寮の4階に固定されたままだ。アランは現役を退いてからも鍛錬を欠かしていないのだろう、幸せに胡座をかいて体型の崩れたジャックには、元勇者を動かすことは出来なかった。
「おい、いい加減にしろ。従業員待たせてんだろ、帰るぞ」
「待たせておけば良いんですよ。ああ、ルカさんが踊ってます。可愛らしいですねぇ」
窓越しに見えるルカは確かに踊っていた。一人で何をやってんだか。無邪気な笑顔でくるくると回る様子は、どう見ても子どもだ。アランはあれの何処が気に入ったのか。やはりロリ──いや、まさか……。
ジャックはアランの横顔を観察し、暗闇の中で爛々と光る目の色を確認した。普段は茶色いアランの目の色が真紅に煌めき、瞳孔が縦長くなっている。疑念が確証に変わった。
マジかー。あれがアランの番かー。
仲間内でしか知られていない事だが、アランは先祖に竜人の血が混ざっているらしく、神経が昂ると、そのままの意味で目の色が変わる。紅い目のアランは魔力と身体能力が爆発的に向上し、その異常な戦闘力で幾度も仲間のピンチを救ってくれた。若干17歳だったアランが魔王を倒せたのも、この力のお陰だ。
竜人の血は他にもアランに影響を与えていた。毒や麻痺毒、媚薬に睡眠薬といった状態異常を引き起こす薬と、同じような効果を持つ魔法に耐性があったり、嗅覚や聴覚が人より優れていたりだ。それらは魔王討伐後、一躍時の人となったアランに擦り寄ってくる王侯貴族や女性達を退けるのに、大いに役立った。役立ち過ぎて、残った者が誰も居ないほどだった。その結果、利己的で醜悪な人間達に嫌気が差したアランは、魔王国の城を手に入れて10年以上引き籠もっていたのだ。
そんなアランの生活が変わったのは1年くらい前だったか。突然王都に家を買い、冒険者養成学校に料理講師の職を得て、街中で暮らし始めた。そういえばルカと仲間達が異世界から転移してきたのも、その頃だったような……まさか1年も前から付け回してるんじゃないよな?
アランにプライベートで仲良く飯を食うような女性が出来たと聞いて、嬉しいと同時に不安を感じ、相手を確認しに来た。用心深いアランが騙されている確率は低いが、世の中には想像を上回る悪女だっている。あまりに酷い女なら、おれが化けの皮を剥がしてやろう、そう意気込んでいたのだが。
これ、どっちかっつーと、あの嬢ちゃんの方が被害者だよな。ガンガン外堀埋められて囲い込まれてるよな……。
想像を上回っていたのは、旧友の暴走具合のほうだった。守護天使の首輪まで付けさせて、居場所を特定しているとかやり過ぎだろう。竜人の番への執着は噂に聞いていたが、目の前でやられるとドン引きだ。あれは犯罪スレスレだろうに、のほほんと受け入れている嬢ちゃんも嬢ちゃんだとは思うが。
どうすっかなー……。ヒューバートもトラビスも、色恋とは無縁だからなー。相談相手がいねえ……。
ジャックはかつての仲間達の顔を思い浮かべたが、恋愛関連には役立たずだと切り捨てた。勇者アランの方針で、仲間が男ばかりなのが仇となった。恋愛事の面倒を殊の外嫌っていた、あの頃のアランが懐かしい。女に見向きもしないアランを揶揄っていた頃に戻りたい。
救いは嬢ちゃんが、あまり嫌がっていないことか。いや気付いて無いだけか?鈍そうだからなー。
「ジャック。今ルカさんに失礼な事を考えませんでしたか?」
「いいや?早く帰って飯が食いてーって思ってただけだ」
「一人で帰れば良いんじゃありませんか?」
「そしたらお前、一晩中ここに居るんじゃねーか?」
返事が無い。
ちょうど中庭に入って来た男子寮の住人が、屋上の気配に首を傾げ、アランだと気付いて納得したように建物に入ってゆく。それで良いのか?まさかこれ、今日が初めてじゃないのか?通常運転なのか?
マジかー。
ジャックはポケットから携帯食料を取り出した。あまり旨くないが、少しは空腹が紛れる。アランにも渡そうかと思ったが、手を翳して断られた。アランは自身の異空間収納から、紙に包まれたキューブ型の物を取り出して、大事そうに一口齧った。
「何だそれ?新製品の携帯食料か?」
「いいえ、きんつばという食べ物だそうです。ルカさんに頂いた物なので、貴方には渡せません」
「くれ、なんて言ってねーだろ」
「そうですね。寄越せと言われたら死人が出るところでした」
「……お前、人は殺してねーよな?」
「今のところは」
これからの状況次第では、人殺しも辞さないってことか?これ嬢ちゃんに振られたら如何なるんだ?想像するのが怖い。
「アラン、距離感には十分気をつけろよ。拙速より巧遅だ」
「弁えていますよ。ルカさんはまだ未成年ですから」
「成人した途端に結婚まで持っていこうとか、企んでないよな?」
返事がない。
これは手に負えないと、ジャックは早々に投げ出した。今からでも軌道修正させるべきなのだろうが、自分には無理だ。何も見なかったフリをして領地に帰ろう。そして妻に愚痴って慰めてもらおう。




