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51 残念な英雄

 ルカの胸元が発光すると同時に、ルカの肩を掴んでいた男は弾き飛ばされた。結構な勢いで飛んでゆき、壁に叩き付けられる。傍にあった麻袋が倒れて、中のリンゴが転がり出た。もったいない。ルカは不審者よりもリンゴの心配をした。


 ルカの周囲を包む淡い光の檻は、たぶん結界なのだろう。すっかり忘れていたが、守護天使の首輪が仕事をしたらしい。その推察は当たっているようで、首に掛かったチェーンを引っ張ると、雫型のペンダントトップが強い光を放っていた。眩しいので元通りに仕舞っておく。


「……(いて)ーな……おい、それ守護天使の首輪か?何処で手に入れた?」


 あれだけの衝撃を受けても男は無傷だったらしい。気絶くらいしてくれても良かったのに、頑丈な男だ。何処ぞの工作員か、犯罪組織の人間か。狙いは鑑定士ルカのようだが、連れ出せないとなるとどう出るか。

 ルカは男の問いを無視して、室内にざっと目を走らせる。厨房は武器になりそうな物がいっぱいだが、戦うのは得策ではない。結界がどのくらい保つかは分からないが、発動するとアランに通知されるはずだ。助けが来るまでじっと待つべきだ。


 ただ、結界はルカの周囲にだけ展開しているため、ルカ以外の安全は担保しない。まだ戸口にいた商人に向かって、ルカは叫んだ。


「逃げて!不審者が入り込んでると報せてください!」

「へ?お、おうっ!」

「おいおい、不審者ってのはおれのことか?」


 逃げてゆく商人には目もくれず、男はルカに近付こうとする。結界に阻まれても、懲りずにルカに手を延ばす。バチンッ!と大きな音と共に火花が散り、男は痛そうに顔を顰めた。


「もしかしてお前、おれの事知らないのか?」

「不審者に知り合いはいません」

「いやおれジャックだけど」

「何処のジャックさんですか」


 ジャックとかジョン・ドウって、日本で言う『名無しの権兵衛』みたいな名前だ。ジャック・ザ・リッパーのジャックだ。

 不信感も顕なルカに対し、男は大袈裟な身振りで嘆いてみせる。


「マジかー。ショックだわー。まあ15年も経つし、最近は領地に籠ってるしなー……なあ、本当に知らないか?拳闘士ジャック」

「拳闘士ジャックは知っていますが、貴方と何の関係が?」

「いや、おれおれ」


 オレオレ詐欺か。拳闘士ジャックといえば勇者アランの仲間、世界を救った英雄だ。この世界に来てすぐに、ルカも歴史的人物として習っていた。だが教本にあった肖像画とは、まるで別人だ。こんな無精髭だらけのおっさんではなく、ワイルドなイケメンだった。

 ルカは異空間収納(アイテムボックス)から教本を出し、拳闘士ジャックの肖像画のページを開き、男の顔面に突き付けた。


「この人が、拳闘士ジャックです。貴方とは似ても似つかないです」

「あー、これまだ20代だった頃の絵だからなー」

「それにしたって違い過ぎます、どう見ても別人です。いくら肖像画が本人よりも美形に描かれるからって、これで本人だったら詐欺です」

「お前、大人しそうな顔して抉ってくるな……」


 男は壁に激突した時よりもダメージを受けていた。ルカは見た目が地味で大人しそうだからと、よく男子生徒に揶揄われたり弄られたりしていたが、そういう相手には遠慮なく思った事を言い返すことにしていた。この男は、あの鬱陶しい男子生徒達と同じ臭いがする。失礼な不審者の心情を思い遣ってやれる程、ルカは大人ではなかった。


 そこに、待ちわびていた声が割って入る。


「なるほど、これは確かに似ていませんねぇ」

「アラン先生!」

「アラン!」

「ルカさん、残念ながら、この男が拳闘士ジャックです。ジャックは何故ここに居るのですか?お帰りはあちらです」

「お前は相変わらずだな。はるばる会いに来た仲間にそれは無いだろ。そこの嬢ちゃんには不審者扱いされて結界まで張られるし」

「守護天使の首輪が正しく機能したようで何よりです」


 アランが男をルカの前から退かしてパチンと指を鳴らすと、ルカを囲っていた結界が解除される。ホッと息をついたルカを安心させるように、アランはにっこりと微笑んだ。そして無くなった結界に代わり、今度はアランの腕に囲い込まれる。


「ルカさん、ご無事ですか?ジャックに何かされませんでしたか?」

「おい、おれはそんな餓鬼にちょっかい出すほど悪趣味じゃねーよ」

「まだ居たのですか?さっさと領地に帰って奥方の尻に敷かれておきなさい。そして二度と来るな」

「お前はおれに冷た過ぎじゃね?」


 遠慮のない応酬に、男がアランのかつての仲間──拳闘士ジャックだとルカは実感する。アランの言葉通り、残念な事実だ。英雄譚に謳われる、男気溢れる美丈夫の実態がこれだとは知りたくなかった。拳闘士ジャックと、後に妻となる魔王軍幹部との出逢いの物語はお気に入りだったのに、これからは純粋に楽しめなくなりそうだ。


「なあ、本当にそれが鑑定士ルカなのか?」

「その失礼な口を閉じなさい」

「だってよー、17歳って聞いてたからさ、もっとこう……ウチの12歳の娘の方が色気があるよな?」

「ルカさん、裁縫道具をお持ちじゃないですか?あの口を縫い付けるのでお借りしても?」

「すみません、持ってないです。娘の色気が如何とか言うような口は、娘さんの為にも塞いでおきたいですけど」

「2人揃って酷くね?」

 

 そうだろうか。失礼な相手には、それ相応の態度で構わないとルカの父親は言っていた。娘の色気がーなんて言わない真面目で実直な父親だった。


 その調子で、年頃になった娘に嫌われてしまえ。ルカは無神経な言葉を吐き続ける拳闘士ジャックに、心の中で毒づいた。

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