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50 平凡な日に限って

 その日は特筆すべき事のない、平凡な日だった。ルカは鑑定のために窓口に呼ばれることも無く、1日の就労時間のほとんどを書類整理に費やした。そのため仕事が捗って捗って、終業まであと半刻程あるのに事務作業が全て片付いてしまった。困った、やる事がない。


 同僚達は素材図鑑でも眺めていれば良いと言う。知識を得るのも仕事のうちなので、他にも魔物図鑑や魔法植物図鑑を読んでいる者はいる。だがルカにとって読書は趣味の色合いが濃いので、給料を貰っているのに遊ぶのは……と、申し訳なく思ってしまうのだ。


「だったらドライフルーツを作るの、手伝ってもらえるか?」


 ここの冒険者ギルドには、冒険者向けの小物や食品を販売するスペースがある。商人ギルドの出張所みたいな扱いで、商人ギルド所属の商人が交替で店番をしていた。今日はお店も暇なようで、2人いる店番のうちの1人が厨房でドライフルーツを作っているのだ。


「良いですよ、一応ギルマスの許可もらって来ますね」


 ルカがお手伝いの許可を得て厨房に行くと、商人が大量のリンゴに埋もれていた。麻袋に入ったリンゴがテーブルにも床にも積まれている。


「いやー、助かるよ。安く仕入れたはいいが、1人だと加工するのが大変で」

「いえいえ」


 このリンゴは木から落ちてしまったのを、格安で買ったものなのだそうだ。聞きながらルカは、日本でも台風でリンゴが落ちて駄目になったニュースがやってたな、と思い出した。竜巻でもあったのか尋ねると、近くでウインドドラゴンが暴れたせいだと返ってくる。さすが異世界。


 ドライフルーツにするために、ルカは渡されたスライサーでひたすらリンゴを薄切りにする。商人の彼は、それを乾燥室に運んで並べる担当だ。冒険者ギルドでは解体した魔物の肉を買い取り、干し肉に加工して売っている。そのための乾燥室なので、解体作業場の近くだが厨房からは遠くなる。


 それはちょうど、商人が席を外している時だった。スライサーを使う時に余所見をすると、指をスライスしてしまう危険がある。だからルカは手元のリンゴに集中し、背後が疎かになっていた。


「嬢ちゃん、1人か?」


 知らない声にハッと顔を上げた時には、男はルカのすぐ近くにいた。鑑定スキルを持っている以外は一般人と大差ないルカに、気配を察知するなんて芸当は出来ない。が、それにしても気配がない男だ。


 只者ではない様子に本能が警鐘を鳴らした。距離を取ろうとルカが一歩下がると、男は一歩前に出る。かえって距離が詰まったのは、脚の長さの違いだけではなかった。


「ここにルカって鑑定士が居ると聞いたんだが。何処に行った?」

「貴方は?」


 声に不審が現れないよう注意して、ルカは問い掛けた。誰だ。ここに居るってことはギルド関係者?でも全く見覚えがない。

 通常ルカに用がある人は、窓口でその旨を告げ、職員がルカを呼びに来る。ユウキ達のような顔馴染みでも、ギルドの奥に招かれることは滅多にない。しかもその場合は必ず職員が案内につくので、この男のように案内もつけず、1人でギルドをふらつくなんて有り得ない。


「ああ、おれは──通りすがりのお兄さんだ」


 怪しい。嘘つきな大人が子どもを言いくるめる時の笑顔だ。胡散臭い、知らない男。逃げたいけど出口は男の後ろ、1つしかない。


「お嬢ちゃん、お家の人のお手伝いか?」


 どうやらルカは、実年齢よりかなり年下に見られているようだ。そのせいで探し人とルカ本人が結びつかないらしい。海外で若く見られがちな日本人は、異世界でも幼く見えるのか。まるっきり子ども扱いで、男はルカを手懐けようとキャンディを差し出してくる。


「知らないおじさんから物を貰ったら駄目なので」

「おじさんじゃなくてお兄さんな」

「父と同年代だと思うんですが。父は39歳ですけど」

「お父さん若いね……」

「で、おじさんは何歳ですか」


 話を引き延ばしながら、早く商人が戻ってくるよう願う。いやそれよりも、ギルドの誰かが通り掛からないだろうか。冒険者ギルドの職員は元冒険者が多い、不審者を撃退出来そうな強面も多数所属している。大声で叫んで人を呼ぶべきか? 


 不審な男は困ったようにポリポリ頬を掻いている。お菓子で釣れないとなると、どうやって懐柔するかと考えているのだろうか。子どもだと思って甘く見るな、未成年だが甘い物で釣れる年じゃない。不審者に名乗る名前も無い、さっさと諦めてどっか行って。


「うーん、仕方ない。適当に探すか……」


 ルカの願いが通じたらしく、男は厨房から出ていこうとした。そこにタイミング悪く、戻って来た商人がひょっこり顔を出し、男と鉢合わせる。


「あ、失礼」

「いや。ちょうど良かった、実は鑑定士ルカを探していて」

「え、ルカさんなら」

 

 商人の視線がすべり、追って男の視線も商人の視線をなぞる。2人の目がルカを捉えた。男の目が見開いて、ついでに口もあんぐりと開く。


「え、まさかこんな子どもが?嘘だろ?」


 失礼な台詞を吐きながら、男は瞬く間にルカの目の前に舞い戻った。両肩を強く、押さえ込むように掴まれ、怒鳴られる。


「お前が鑑定士ルカなのか!?如何なんだ!」


 怖い!

 ルカは萎縮してしまい、上手く声が出なかった。そのぶん心の中で叫ぶ。


 助けてユウキ、ケイ、ソウマ、マリナ!助けて、アラン先生!!


 ルカの胸の辺りが突如発光し、ルカは淡く輝く光の檻に囚われた。

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