41 ポン酢を作ってみたけれど
「おー、来たか」
冒険者ギルドマスターがチョイチョイと手招いて、アランが入室してくる。約束があったのだなと、ルカが席を外そうとすると引き留められた。
「待て。お前にも関係ある話だ」
また何か厄介事があって、アランに護衛してもらわなければならなくなったのか。ルカは身構え、短い平和だったと嘆いた。だがギルドマスターはきんつばの残りを放り込んだ口をモゴモゴさせながら、ニヤリと笑う。
「そう緊張するな、大した話じゃない。今度新人冒険者向けの料理講習をするんだが、アラン殿に講師を頼んだんだ。で、お前に助手をやらせようと思ってな」
「え、私ですか?」
「ああ。ギルド職員としての仕事だから、拒否権は無しだ。詳しいことはアラン殿に聞くなり相談するなりしろ」
「という訳でして。打ち合わせをしたいのですが、ルカさん、この後予定がありますか?」
あるような、無いような。今日は外に出るのも久しぶりだったので、帰りに外食しようと思っていただけだ。特に誰かと約束もしていない一人飯だが、これは予定と言えるのだろうか。
「予定があるのでしたら明日か明後日でも」
「いえ、ご飯を食べて帰ろうと思っていただけです」
「では、食事しながら話しましょうか」
まあ、そうなるよね。
ギルドマスターから今日はもう帰っていいとの許可を得て、ルカは一足先に仕事を終える。とはいえ料理講習の打ち合わせは、仕事の延長みたいなものだ。相手がアランだとしても、いやアランだからこそ気が抜けない。
「お店は決めていましたか?」
「いえ、お魚が食べたいと思っていたくらいで」
ルカの希望を聞いてアランが連れて来てくれたのは、冒険者ギルドから寮とは反対方向にあるレストランだった。あまり出歩かないルカは初めて入る店だ。大衆的ではなく、かといって高級過ぎず、何というか……。
デートで使う店みたい。
全く経験は無いが、そんな感想を持ったルカ。仕事帰りなので一応襟付きシャツに黒パンツだが、普段着だと入りづらい店構えだった。
少々気後れするルカの手を引いて、アランは慣れた様子で店の奥に入ってゆく。途中、店員が気付いて声を掛けてきた時も、アランはいつもの席が空いているか聞いていた。常連客なのだろう。
店内は半個室になっていて、周りの目を気にせず料理が楽しめるようになっている。ますますカップル向けみたいだ。
「ルカさん、どうぞ」
席に着くときは椅子まで引いてくれるアラン。恐縮しながら座ると、スイと音もなくメニュー表が差し出された。いつの間にか店員が立っていて、食前酒を何にするか尋ねられる。
「すみません、まだ未成年なので……」
この世界では18歳で成人だ。ルカ達が転移してきて丸1年は経つが、ルカは早生まれなのでまだ17歳のはずだった。ただ、地球とここでは暦も違うので、正確なところはわからない。
気を利かせたアランが2人分のジュースを頼んでくれた。店員が下がる時、ルカをチラリと盗み見た気がする。場違い感が半端ない。早くもルカは帰りたくなった。
「何にしますか?好きな物を頼んでくださいね」
アランに言われてメニュー表を開いたが、ルカが食べたかった物はここには無いだろう。思った通り、メニュー表にはアクアパッツァだのアサリのワイン蒸しだのサーモンのマリネだの、洒落た料理名が並んでいる。
ルカは大衆食堂にあるような、シンプルな焼き魚が食べたかったのだ。理由は昨日ケイとユウキが買い出ししてきた食料品に柑橘類があったので、ポン酢を作ってみたから。醤油とレモン、醤油とライムの2種類を、焼き魚に掛けて食べ比べてみたかったのだ。
魚介類は手に入りやすいが、煙と臭いが気になって、寮で焼き魚を作るのは躊躇われる。だから仕事帰りに食事処に寄って、馴染みの厨房のおばちゃんに焼き魚を作ってもらうはずだった。適当な魚が無ければ屋台を回って、焼き魚を買って帰るつもりだったのだ。王都には、近くの海で採れた魚介類を炭火焼きする屋台も多いので、好みの焼き魚が食べられるはずだった。
なのに今ルカが居るのは予定とはずいぶん違う、お洒落な空間。この店で、自作のポン酢を使って焼き魚を食べるなんて、さすがに恥ずかしくて出来ない。
とりあえず柑橘類繋がりで、白身魚のポワレのオレンジソース掛けとかいうのを頼んでみた。カリッと焼いた白身魚にオレンジとバターのソースが掛かっていた。美味しいけど違う。ルカが食べたかったのは焼き魚定食で、フランス料理のコースではなかった。
市販のポン酢にオレンジジュースを入れると味が円やかになるんだっけ。ポン酢のポンって何だったかな。そんなポン酢にまつわる事を漠然と考えていると、対面のアランが顔を曇らせた。
「あまりお気に召しませんか?」
「いいえっ、美味しいです!」
連れて来てくれたアランに申し訳ないので、ルカは気持ちを切り換えた。こんな上品なお店での食事なんて、そう経験出来ないことだ。焼き魚定食は自分でも作れる。今は滅多にない機会を与えてくれたアランに感謝して、食事を楽しもう。




