18 魔力揺れ
ルカの体がぐらりと傾いで、ケイはやっと異常事態に気付いた。何度かアランがルカに呼び掛けていたが、返事がないのは自分に対する呆れからだと思っていたのだ。自惚れていた。ルカにとって自分は多少なりとも重い存在だと付け上がり、彼女本人をきちんと見ていなかった。だから出遅れてしまった。
倒れ掛けたルカを支えたのはアランで、ぐったりと意識のないルカを抱きかかえたまま動こうとしない。手を延ばそうとしたケイは、首を振って止められた。嫉妬混じりに睨まれでもした方がまだましで、ただ一心にルカを案じているアランに、人間の違いを見せつけられる。
アランは大人だ。それも頼れる大人。尊敬に値する人だと理解はしているのだ。感情が認めるのを邪魔するだけで。
「魔力揺れですね。あまり動かさない方が良い」
初めて聞く単語に怪訝な顔をしたケイに、アランが説明する。
「魔力の少ない人が強大な魔力に晒されると、心身に負担が掛かるんです。ただでさえ魔法契約で周囲に魔力が充満していたところに、さっき魔法書が燃え上がった時、強い魔力が放出されたでしょう?ルカさんの魔力量では耐えられなくなったんだと思います」
「そんな事が……知りませんでした」
「異世界転移者はおしなべて魔力が豊富ですからね。ルカさんも魔法は使えずとも、魔力は多いものと勘違いしていました。私のミスです」
「いや、俺がもっと気をつけてれば。契約前に誰かに相談してれば良かった」
反省する傍らで、ルカに対する責任は自分にあると主張する。こんな事で張り合うなんて馬鹿馬鹿しいが、それでもアランに明け渡したくはなかった。
話しながらもテキパキとルカの状態を確認するアラン。診察が終わったのを見計らい、ケイは問い掛ける。
「ルカは大丈夫なんですか?」
「呼吸は安定していますし、脈も正常です。しばらく休めば意識も戻るでしょう。ルカさんの魔力値を知っていますか?」
「確か1桁だったと」
「では大丈夫です。魔力ゼロだと特別な措置が必要になりますが」
ホッとすると同時に力が抜けて、椅子にへたり込む。ろくに調べもせずに魔法契約に挑んだ上、ルカに昏倒する程の負担を強いてしまった。これでルカに何かあったら自分を許せない。
「ところでケイ君、魔法契約は上手くいったのですか?」
「ブックが燃えたんだから、契約完了です」
何を当然のことを、と思いかけてふと嫌な予感に襲われる。そして嫌な予感ほどよく当たる。アランが顔を曇らせたのだ。
「え、違うんですか?」
「ケイ君。ブックが燃えるのは、契約が完了して役割を終えた場合と、契約が失敗してブックの耐久度がゼロになった場合の両方あります」
「魔法契約って失敗しても、何度でもやり直せるんじゃ」
「やり直すことは出来ますが、同一のブックを使って何度でもやり直せる訳ではありません。魔法契約の負荷に耐えられる度合いは、ブックによって違います。ですので、契約完了前にブックの耐久度が無くなれば、ブックは焼失します」
とりあえず複製魔法が契約出来ているか、急いでステータスチェックをする。使える魔法一覧に、複製魔法が追加されているのを確認し、胸を撫で下ろす。ルカにこれだけ負担を掛ける魔法契約を、もう一度なんてことにならずに済んだ。あの恥ずかし過ぎる時間をまた過ごすなんて絶対に御免だ。
いやでも、一度途中で契約中断したし、ちゃんと魔法が使えるか不安が残る。ケイは今日ここまでの反省を活かし、慎重に事を進めることにした。
きょろきょろと部屋を見回して、テーブルの上に放置されていた物に目を付ける。ルカが置きっ放しにしていたそれは、ペッパーボムという不審者撃退商品だった。しかも黒白青赤とある中で、一番威力の高いレッドペッパーボムだった。これを誰に使うつもりだったのかは考えないことにする。
「──スキー」
レッドペッパーボムを手に取り、アランに聞こえぬよう、ボソリと小さく複製魔法の呪文を唱える。無詠唱スキルを早く獲得しなければと、ケイは心に誓った。
手にしたペッパーボムの一部が、プクーッと膨らむ。お餅を焼いた時みたいだ。安倍川餅が食べたい。どんどん膨らんだ部分が元の部分と同じ大きさになり、パンと弾ける。弾けた所に汚れまで全く同じペッパーボムが出現していた。
「おー、凄いですねぇ。幻の複製魔法がこの目で見られるなんて、感激です!本当に全く同一の物が出来るんですね。どういった原理なのでしょう、非常に気になりますねー」
ルカを抱えたままのアランが、興味津々でケイの手元を覗いてくる。
「ケイ君、良ければ私の研究に付き合ってもらえませんか?私は転移者の特異性について論文を書いているんですよ。特に転移者と魔法の関係を調べていまして、例えば魔法は魔法書を使って契約しなければ使えないのに、転移者はこの世界に来た時点で幾つもの魔法を習得していたりするでしょう?ダブルの魔法も最高難易度の魔法なのに、貴方はこうもあっさりと契約してしまうし、その辺りをじっくり」
「お断りします」
「そう言わず、少し考えてみてくれませんか?お願いですから──」
この人グイグイ来るな。やっぱり苦手なタイプだ。しつこい勧誘を聞き流しながら、アランに対して芽生えていた尊敬の念を、ケイは心の隅に押しやった。




