17 契約完了
ケイの手から吹っ飛んだ魔法書は、ページを開いたまま宙を舞い、パタリと床に落ちた。空中を飛んでいた時にはページがほんのり発光していたが、ケイが慌てて拾い上げた時には既に光は消えていた。ガクリと膝を付くケイ。ルーペをぶん投げた体勢のまま、それを冷え切った目で見下ろすルカ。
やがてケイがヨロヨロと立ち上がり、扉の傍に落ちていた眼鏡を拾って掛ける。ちょっぴり曲がった眼鏡のレンズ越しに、ケイの恨みがましい視線がルカを睨め上げる。
「もう少しだったのに……何してくれてんだよ……」
「それはこっちの台詞なんだけど!さっきのセクハラ何!?あれが魔法契約とか言わないよね!?」
「あれが魔法契約なんだよ……」
「嘘でしょ!?ブックにあんな文章書いてなかった!」
ケイがフルフルと首を横に振り、魔法書を手にルカに近寄ってくる。咄嗟に身構えたルカ。アランに習った護身術が、確実に身についてきている。
「お前には契約資格がないから、如何でも良い冒険譚に見えるんだよ!俺には俺自身の話が書いてあるように見えるの!」
「あれってケイの本心ってこと!?最悪!近寄るな変態!」
顔を顰めてルカが距離を取ると、ケイが一瞬傷付いたような顔をする。ショック受けてるのはコッチなんですけど!幼馴染みが幼女好きとか!妹を欲しがってたのは、まさか……まさかね……。
その上私の体型を引き合いに出すとか最悪だ。確かに幼児体型だけど、ケイとお風呂に入ってた頃よりは育ってるし、いくら幼馴染みだからって言って良い事と悪い事があるから!
「ケイ、そこ退いて。ソウマ連れて来るから」
「は、いや駄目だ、あいつ潔癖だから」
「ならアラン先生呼んでくる」
「何であの男」
「信頼出来る人が一緒に居てくれなきゃ、これ以上は無理」
変態と密室に2人きりとか、精神衛生上よろしくない。この状態でケイの自伝を長々と聞かなきゃならないとか、どんな苦行だ。途中で限界がきて刃物とか鈍器とか投げつける自信がある。そうならないためにも、安心材料が欲しいとルカは切実に思った。
「ユウキやマリナにまで被害を及ぼすのは忍びないから、ソウマかアラン先生、どちらか選んで」
一歩も引く気のないルカの決意が伝わったのか、ケイが苦り切った顔で黙考する。やがて苦渋の決断を下し、絞り出すような声で言った。
「……勇者アランを連れて来る。俺が行くから、お前はここで待ってろ」
バタンと乱暴に扉から出て行ったケイを見送り、ルカは深々と息をつく。全身に嫌な汗をかいている。また初めから魔法契約に付き合うのかと思うとげんなりした。ストレス発散方法を考えなければ。
ケイは直ぐに戻って来た。その頭越しにアランがついて来ているのが見えて、ホッとしたルカは握り締めていた物を円卓に置く。
「ルカ、お前それ」
「ルカさん、何かありましたか?」
心配そうに聞いてくるアランには、詳しい説明が何もされていないようだ。ルカはにこりと笑顔を作り、アランだけに向けた。
「大丈夫です、アラン先生。申し訳ないんですが、ケイの魔法契約に立ち会って頂けませんか?」
「それは構いませんが、本当に、大丈夫なんですか?」
「アラン先生が来てくれたので、もう平気です」
円卓からガタガタと椅子を引き摺り出し、ルカが座っていた椅子とピッタリくっつけて並べる。その間にアランに、ケイが何を言っても反応しないこと、ルカが契約を邪魔しそうになったら止めることを約束してもらう。
「とにかく魔法契約を終わらせるのが最優先です。命の危険がなければ、全てスルーでお願いします」
「分かりましたが、複製魔法の契約は、そんなに大変なんですか?」
「直ぐに分かります」
「おい、始めるぞ。今度こそ成功させるからな」
またケイの自分語りが始まった。2度目となると飽きてくるが、ルカが聞いていないと契約が成功しないそうなので、耳には入れておく。耳から入った言葉を理解しようとはしない。深くは考えず、ただ単語の羅列として捉えて流してゆく。
さっきルーペを投げた辺りで、隣に座るアランの気配が不穏になった。痛いほどに刺々しい、殺気立った気配が真っ直ぐケイに向けられている。アランが怒ってくれているので、ルカはかえって冷静になれた。ケイの失礼な本音も楽々受け流し、合法ロリとやらに対する情熱にも寛容になれた。ケイの好みなんて正直如何でも良い。人に迷惑を掛けなければ、ルカが口を出すような事でもないし。
やがてケイが口を閉じ、魔法書がカッと閃光を放って燃え上がった。それを見てもルカは危ないとも熱そうとも思わず、ぼんやりとしていた。何というか、無我の境地に達していた。アランがサッと間に立って庇ってくれていたが、ルカ自身は指先一つ動かす気になれない。
「ルカさん、ルカさん?しっかりしてください、終わりましたよ」
アランに肩を掴まれ揺すられて、ああ、やっと終わったのかと思う。思うが、何故か体が動かない。
「ルカさん?」
アランの声が切迫してくる。動かなければ心配させてしまう。
ルカは何とか力を入れて、立ち上がろうとした。だが上手くいかず、天地がぐるりと回転し、暗転した。




