16 魔法契約
冒険者ギルドの特別室は、重要な契約や国家機密に関わるような話し合いをするための部屋だ。そんな部屋に新米ギルド員が用事などないので、冒険者ギルドに就職した時に説明されて以来、ルカは一度もこの部屋に入ったことがなかった。なのに何故今、この場所に連れて来られたのか。鍵を掛けて唯一の出口を塞がれているのか。
「ねえケイ、ここまでする必要があるの?」
窓のない特別室の扉の前に陣取って、手の中の魔法書を睨んでいるケイ。魔力のないルカは魔法契約についてよく知らないし、契約しているのを見たこともない。だが、浄化や回復の魔法契約はただブックを音読しただけだったと、マリナが言っていた。聖女候補の女の子達と一緒に契約したらしいので、特に秘密にするような事でもないはずだが。
「複製魔法の契約は特殊なんだよ」
ケイが苦々しげに吐き捨てた。
「他の誰にも聞かせられない」
「なのに私は聞かなきゃいけないの?」
「ああ」
「私じゃなきゃ駄目なの?ソウマとかと交代しちゃ駄目?」
以前ギルドマスターの部屋で、複製魔法について話した内容を思い出す。幻のと形容される複製魔法。契約するには人としての尊厳を捨てるのだったか。裸で読むのではとの見解は、誰のものだったろう。
「ケイ、とりあえず後ろ向いとくね。目隠しもすべきかな」
「いや服脱いだりしないからな」
ズバッと斬り捨てたケイだが、耳たぶが赤い。つられてルカも顔が熱くなる。ケイとは保育園からの付き合いだ、一緒にお風呂に入ったこともあるけれど。あの頃のケイは絵本ばかり読んでいる、大人しい子だった。同じく本好きなルカと並んで、『眠り姫』や『長靴をはいた猫』を読んでいた。
中学生になって中二病を発症してからは、ゲームや漫画に興味がシフトして、変わらず本が好きなルカとは話が合わなくなってしまったが。
「ルカ、そこ座れ。お前は俺がブックを読むのを聞いてれば良いから」
「ただ聞いてるだけで良いの?」
「そうだ。むしろ聞く以外何もするな。途中で音読が途切れたら、また最初からやり直しになるからな」
「了解、黙って聞いてるよ」
よく分からないながらも、ひとまずケイの言う通りにしようと決めたルカ。ケイは賢者という職業に相応しく、頭が良い。高校の成績も、常に首位争いをしていた。国語の成績くらいしか張り合えないルカとは頭の出来が違うので、従っておけば間違いないだろう。
ルカが円卓から椅子を引っ張り出して座ると、ケイも椅子を1つ扉の前に移動させ、腰掛けた。なんで頑なに扉の前を塞ごうとするのだろう。内側から鍵を掛けているから、誰かが入って来て邪魔することもないのに。
ケイはコホンと小さく咳払いして、魔法書を開き、読み始めた。
「俺の名前は宇藤慶、高校2年生だ。サラリーマンの父とパート主婦の母を持つ一人っ子。幼い頃は可愛い妹が欲しくて両親にねだっていたが、さすがにもう諦めた」
うん?なんで自己紹介が始まったの?今更紹介されるまでもなく、ケイのことはよく知っているのに。
ルカは首を傾げてケイを見つめたが、ケイの目は開いた魔法書に注がれている。書かれた文面を追うように、視線が横に動いている。
「一人っ子の俺は、両親の期待を一身に背負って育った。そして俺は、その期待に応えられるだけの優秀な頭脳を持っていた。ソロバンや英会話、プログラミングなど、俺には沢山の習い事が課されたが、どれも直ぐに上達した。運動機能だけは人並みだったが、1つくらい弱点があったほうが人間らしいというものだ」
ケイの自分語りは続く。家で流し読みした限りでは、魔法書に書かれていたのはある男の子の物語だった。ちょっと泣き虫な男の子が冒険を通して成長する物語。断じてケイの自伝ではなかったはずだ。
「そんな、ちょっと頭が良いだけで、どこにでもいるただの高校生だった俺に、ある転機が訪れる。修学旅行の最中に異世界に飛ばされたのだ。異世界での俺の職業は賢者。元の頭の良さを活かした最適解だ、断じてチートなどではない、当然の帰結だ」
うん、まあ確かにケイが賢者なのは納得だけど。何となく鼻につく。だが口を挟むのは禁止されているので、聞き流すしかない。これあとどのくらい続くんだろう。
ルカは欠伸を噛み殺しながらケイの音読を聞き続けた。精神修行だと思って我慢した。5限目の数学くらい眠いが、全ては醤油のため。ルカが眠ったら初めからやり直しになりそうで、うっかり居眠りも出来ない。食べたい物を思い浮かべて眠気を逸らす。
ケイの自伝は異世界での活躍に場面転換し、和食を求める旅へ。8割方はケイの魔法でピンチを切り抜けた自慢だった。合間にチラチラとこちらを窺うのを止めて欲しい。拍手でもしなきゃいけないのか。何もするなって言ったよね?
「──と、俺の異世界生活は順風満帆だ。だが1つだけ不満がある」
和食がないことだよね。
「異世界といったら合法ロリだろう!如何してツルペタロリ娘が居ないんだ!この世界の女性は育ち過ぎだ、せめてルカくらいの貧」
「はあ?」
思わずルーペを投げたルカは悪くない。ルーペはゴスッと鈍い音をたてて魔法書を吹き飛ばし、跳ね返ってケイの眼鏡も吹き飛ばしたが、絶対にルカは悪くない。




