1 唯一の不満は
『ブラックメガビーンズの果汁(Bランク素材)
微量の塩分が含まれており、サザール地方の一部で調味料として使用されている』
目の前の小瓶に入った液体を真剣な目で見詰めていたルカは、出てきた鑑定結果にがっかりした。今度こそはと期待していただけに、落胆がひどい。
だがまだ諦めるのは早い。諦めたらそこで試合終了だと誰かが言っていたよねと気持ちを奮い立たせながら、小瓶の栓を引き抜く。匂いを嗅いで、やっぱり違うと失望し、でも大切なのは味だと指先に一滴落としてペロリと舐める。
「如何です?」
小瓶を持ち込んだ商人が、待ち切れなくなって聞いてくるが、ルカは眉根を寄せて首を横に振った。
「違います。お醤油じゃありません」
「あー、駄目ですかー。絶対にこれだと思ったんですけどねぇ」
商人のほうも心底がっくりときている。何しろこれを持ち込んだ時は、お探しの物がやっと見つかりました!と満面の笑顔で冒険者ギルドに駆け込んできたのだ。ここ半年ばかり掲示板に貼られっぱなしの素材探索クエストを、自分が達成したと確信していたのだろう。高額な達成報酬を何に使うかまで考えていたに違いない。
「こんなに条件ぴったりの調味料なのに、別物なんですね。大きくて黒い豆で作った調味料なんて、他には聞いたこともないですよ」
「あの、ちょっと違います。黒いのは醤油で、原料の大豆は黒くありません。あと大豆って名前ですけど、そんなに大きな豆じゃありません。小指の先くらいの大きさです」
「え、そんなに小さいのに、如何して【大豆】なんて名前なんですか?」
「たぶん、更に小さい小豆って豆があるからだと思います」
どうも自動翻訳が上手くいっておらず、行き違いがあったようだ。つい、すみませんと謝ってしまったルカは、根っからの日本人だ。この世界に来て既に1年近くが経過しているが、根っこの部分は簡単には変わらない。
「ええと、これ買い取りに出されますか?買取金額はこちらです」
「そうですね、買い取りでお願いします」
「分かりました。支払金を準備しますので、少々お待ちください」
ルカがカウンターを離れて奥の事務室に入ると、同僚の視線が集まる。残念ながら、と首を横に振ると、皆無言でルカの肩を叩いて慰めてくれた。
ここは異世界。気付いた時には高校の同級生4人と一緒に、この世界に転移していた。同級生達4人は冒険者として活動し、ルカは冒険者ギルドで鑑定士として働いている。
ルカ達の異世界転移は、とても恵まれていた。言葉は自動で翻訳され、全員が高位ジョブを得ており、いわゆるチート。しかも転移先のこの国は平和で文化レベルも高く、医療衛生面もしっかりしていて、現代日本と比べても不自由なく生活できる。科学の代わりに魔法が発展しているくらいで、身分制度はあれど平民だからと虐げられたりもしない。
各種チートで大活躍したい人には向かない世界かもしれない。だがルカも4人の同級生達も、異世界無双より異世界スローライフに惹かれる人種だったので問題ない。平穏無事が一番。転移されてすぐの話し合いで、ほどほどに頑張って生きていこうと全会一致で可決したようなメンバーだ。
だから、この世界での生活には概ね満足している。ただ、1つだけ不満があるとすれば。
「ただいまー。今日は如何だった?」
冒険者の仕事を終えた仲間達が、冒険者ギルド併設の食事処で夕食をとっていたルカを見つけた。
「おかえりー。今日も駄目だった。そっちは?」
「こっちも収穫なしだよー!わざわざ辺境まで行ったのに空振りだったー!」
「そっかー、残念だったね。でも今日から期間限定メニューが始まってるよ。なんとデザート付き」
「いいね!アタシもそれにする!皆は?」
それぞれ好きな物を注文し、ルカは今日持ち込まれたブラックメガビーンズの果汁について、仲間達からは辺境の村でご馳走になったトーフーについて情報交換する。話しながら運ばれて来た料理に舌鼓をうち、それ美味しそう、一口ちょうだい等と和やかに食事が進む。
そう、この世界は料理も美味しいのだ。よくある飯マズな世界ではない。ただ、コンソメスープはあっても味噌汁はない。パエリアはあっても炊き込みご飯はない。
「はぁ、和食が食べたい……」
「お前言うなよ!考えないようにしてたのに!」
この世界に対する不満、それは和食が存在しないことだった。それだけが唯一、全員に共通する不満だった。
「肉じゃが食べたい」
「だし巻き卵が食べたい」
「おはぎー」
「けんちん汁っ!」
「皆止めてよ!余計に食べたくなる!」
今日もめいめいが食べたい物を叫びながら、穏やかな夜が更けてゆく。この世界は平和だ。あとは和食さえ見つけられればと、その程度のことが最重要課題になるくらい、平和だった。