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移ろう景色と虚しさに

作者: 砂上楼閣

地元に帰省し、実家へと向かう道すがら『売地』の看板が目に付いた。


古びたタバコ屋と、洋菓子店の間にぽっかりと、真新しくならされた地面がのぞいていた。


四角く、まるでそこだけ風景から切り取られたように何もない空間。


そこには……


「あの空き地、何があったっけ」


おそらくはほんの数日前にはあったはずの建物。


一軒家だった気がするし、何か小さな雑貨屋だった気もする。


当たり前にそこにあった風景が一部、がらりと変わっているなんて事は生きていればいくらでも経験することだ。


人の営みがあれば変化は必ず訪れる。


変わらずにそこにあり続けるものなどあまり多くはない。


けれど…


その時見た『売地』の看板が、いや、そこだけ風景から、記憶からも欠落してしまったような¨空白¨が、その後何日経っても、何ヶ月経っても忘れる事が出来なかった。


忘れても、ふとした拍子に脳裏に浮かび、なぜか胸を締め付けられるような、置き去りにされた時に抱く寂寥感にも似た何かがじわりと沁み出てくる。


あそこには何があったのだろう。


未だにそれを思い出せないまま、私は日常に向けてシャッターを切る。


…………。


家から数分の位置にある神社、その隣の空き地。


そこにはどんなお店があっただろう。


学校帰りに遊んでいた公園、その入り口の正面。


今は住宅がある。


「けど、昔はもっと別の建物があったはず……」


思い出せない。


ほんのちょっとしたきっかけさえあれば思い出せそうなのに。


小さな欠片のような記憶が脳裏に浮かび上がっては、像を形作る前に霧散する。


とくに印象深い思い出があったわけでもなく、大きな変化があったわけでもなく。


ただそこに、当たり前にあった景色。


これまでの日常の一部、それはまるで霞のように手を伸ばしても触れることはできない。


きっとネットとかで調べれば昔の情報は手に入るし、なんの建物があったのかは分かるだろう。


けれど、日常の一部としての思い出はそこにはない。


思い出したいのは風景と紐付けられた思い出であって、記録ではないのだから。


「……もどかしいな」


形に残るものしか記録に残せないのが。


今日撮った一枚から、数日後、数年後の私は何を思い出すのだろう。


…………。


いつの間にかなくなって、そこで初めて意識に上る。


あそこには何があっただろう、誰が住んでいただろうか、どんな場所だったのか。


見かけていたけど一度も入った事のない喫茶店。


いつからあるのか分からないほど古い服屋。


比較的新しいアパート。


それらもいずれは無くなって、新しい何かが建つ。


そこにあった記憶も、思い出も、人々の胸の内でゆっくりと風化していく。


それがたまらなく悲しくて、寂しくて。


だから衝動のままにシャッターを切る。


その時抱いた想いを思い出すために。


その時私がそこにいたのだと残すために。


…………。


シートで覆われて、中では重機が建物を壊す音だけが響いてくる。


思い出はちりと消えて、シートの取り払われた後には何もない。


次の何かが建てられるまで、空白になる。


そして昔あった建前は、思い出は、忘れられていく。


「……こうやって私も忘れられていくのかな」


そんな想いがあった。


彼が好きだった景色が変わっていく。


季節の移ろいと共に少しずつ風化していく。


思い出が流されていく。


まだ来たばかりの頃は新しかったアパート。


数年もすれば真新しさに周囲から浮く事もなくなる。


所々ヒビのある塀。


これも数年前までなかった、はず。


長い年月そこにあっても、時間が経てば変わっていく。


屋上に咲いた花を見て、コンクリートがひび割れるまでどれだけかかるのかを考えた。


そこに種が飛んできて、根付いて、花を咲かせるのはどんな確率だろうとも。


…………。


意識にも上らなかった景色がいつの間にか季節のように移ろい、そして四季とは異なり、巡る事なく不可逆に変化していく。


だから私はその景色を残したい、そう思えたのかもしれない。


忘れないために。


思い出すために。


「勝手に、変わらないでよ…」


勝手に、置いていかないで。


何度も、何度も、シャッターを切る。


たとえそれが自己満足で、何の意味もない行為だと分かっていても。

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