貴女の為の白い聖夜
俺とこの空間が繋がってまず最初に感じたのは、花そのものの姿よりも強い花の香りだった。
「花はよく見るけれどお店に来るのは久しぶり。綺麗ね」
「そうだな」
綺麗かどうかは俺の偏った審美眼では解らない。しかし、彼女の感性を否定などしたくはなくて、迷うことなく自然に肯定の言葉を口にした。
店内を見渡す。いくつもの花が空間内に所狭しと林立する様はこれ以上無い程に“花屋”だった。
ゆっくりと歩きながら花を見て回る彼女の背中。表情を窺う術は無いが微笑んでいるのだろう。普段より僅かに軽やかな歩が物語っていた。
俺はそこらに充満する香気を鼻から取り込み、口から逃がす。芳しい筈の花の香りもここまで濃密だと目眩がする。味も香りも甘いものは嫌いではないが慣れの問題だろうか?
「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」
妙齢の女性店員が俺達二人に話しかけてくる。はきはきとした声も雰囲気も明るく、何より笑顔が印象的な人だった。ここに相応しいまさしく花のような笑顔だ。
「…贈り物を」
そんな女性とは打って変わって俺は少し言葉を詰まらせながら無愛想に答える。洋服を見ている時などもそうだが、昔からこういうシチュエーションは苦手だ。
「贈り物。やっぱり母の日のですか?」
「はい。そうなんです」
花を見ていた彼女がこちらへ近づいて来ながら答えた。その顔はやはり微笑んではいたが、少し悪戯っぽさも浮かんでいる。きっと俺の反応を見て楽しんでいたのだろう。珍しく人が悪いと思うがまったく憎めない。
「ピンクのカーネーションを八本いただけますか?」
「あら。ピンクは定番で人気だから残り少なかったんです。ちょうど売り切れです」
「そうだったんですね。よかった。足りなかったら困ってしまいました」
落ち着いた声音で受け答えする彼女。二人とも自然体であり、初めて来たというのにまるで常連と行きつけの店のやりとりだ。幼馴染みとして子供の頃からずっと一緒に居たのに何故ここまで差が生まれるのか。
「不思議だなあ」
「突然どうしたの?」
「レジの方で包装してからお渡ししますね。あちらへどうぞ」
カーネーションの購入を巡るに過ぎない一幕にも思いは三者三様だった。面白いものだ。
珍しく俺の考えている事が分からず怪訝な様子を隠そうともしない彼女を促してレジへと歩き出す。彼女は眉根を寄せながらも俺に続く。後でそれとなく教えてあげよう。
「貴方は買わないの?」
彼女からの問いにピタリと歩を止める。
その質問が俺の足を止めさせる力を特に有していたわけではない。ただ、俺の迷いを想起させた。
「こうすべき、だなんて言わないけれど。貴方のしたいようにしてね」
振り返って見た彼女の顔はひたすらに優しかった。
「ああ…うん」
俺が言葉足らずであることに気を悪くしたりもせず、俺の隣に並んできた彼女の横顔は満足そうだった。
二人でレジへと向かう。
再度、彼女の横顔を盗み見る。まだどこか満足そうな色が濃かった。
「~~~~~」
俺にだけ聴こえる鼻歌を静かに歌う彼女。上機嫌だ。
元より今日は彼女の買い物に付き合ったに過ぎない。俺自身は何をするつもりも無い。無かったんだが…
横顔を思い出す。
思考が一周した。
「カーネーション八本は全て一つの花束にしてよろしいですか?」
二周する。
「はい。全部まとめてください」
三周目。
「はい、どうぞ。ありがとうございました。またお越しください」
四周だ。
彼女が会計を済ませ、ピンクのカーネーションを受け取る。鉢植えに咲いた花が視界に入った。
五周。
「それじゃあ帰りましょうか?」
五周半。決めた。
「すみません」
彼女を制して店員に呼びかける。店員は俺達が退店するだろうと思ったところで話しかけられやや驚いている。またちらりと見た彼女の顔はやはり優しげで敵わないと思わされた。
「白の、ポインセチアをください」
偶然と心境の変化、そして付き合いの長い幼馴染みは恐ろしい。
*****
「良い買い物だったね」
鉢は重く、足取りは軽く、しかしゆっくりとした帰り道。彼女が俺と鉢植えを交互に見やりながらクスクスと笑う。
「そうだな…」
答えになっていない相槌としても不出来な言葉しか咄嗟には出なかった。それでも彼女は笑顔だった。
一瞬、今の絵面を想像する。ピンクのカーネーションを持った彼女と、白いポインセチアの鉢植えを抱えた俺の二人きりの帰り道。時刻は黄昏時。間もなく夕陽が世界を朱く焼くだろう。西陽が眩しい。俺が母親と最後に出掛けた日の帰りもこんな空だった。
購入してから忘れていた鉢植えの重みを意識する。落とすような重量なわけもないが先程までよりしっかりと抱え直してから自分の母親に想いを馳せる。明るく溌剌とした人でよく子供に好かれていた。この時季はずれの聖夜を贈るに値する人物だと素直に思えた。
「でも貴方が白いポインセチアだなんてね。上手く出来すぎてない?それに意外だった」
テストでそれまでは全問正解だったのに最後の問題だけ間違ってしまったような、嬉しそうなおかしそうな、しかし同時に悔しそうな様子で彼女は口を尖らせる。
「偶然、ではないよね?」
「さあ、どうかな」
要領を得ない俺の返答にもそう、とだけ言って追及はしてこないのが有り難かった。たとえ彼女には筒抜けだとしても正直、説明するのは気恥ずかしい。
俺の誕生日が十二月二十五日なのは当然彼女は知っている。ポインセチアの通称も、白色種の花言葉だって知っているだろう。
だから苦笑と微笑の中間。中途半端な、それこそ俺自身の思いを代弁している表情で呟いた。
ありがとう。
(了)