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お嬢様の〇〇〇が盗まれた

お嬢様の靴が盗まれた

※一応は「お嬢様のイヤリングが盗まれた」の続編ですが、短編です。

 さる資産家の屋敷に朝日が差し込んでいた。屋敷の周りの木々からは小鳥のさえずりが聞こえ、気温もちょうどよく、気持ちのよい朝だ。

 今日のお嬢様は使用人達の介抱を受けていた。

 自室のベッドで寝かされたお嬢様を確認すると、メイドと使用人仲間の反町はお嬢様の部屋を後にした。

 部屋に声が届かない場所まで来て、メイドが口を開いた。

「お嬢様、昨日帰ってきたの、日付変わってたんでしたっけ」

 メイドの勤務は今日の朝からなのだ。

 夜勤明けの反町は快くメイドの話に応えた。

「そっ。深夜二時とかだったかな?お嬢様にしては珍しく酔っぱらっていたな。意識を失うレベルじゃなかったけど、あ、酒くさいなってレベル。どこ行ってたんだか」

 また合コンに行っていい人が見つからなかったからそのまま飲んでいたのだろうかとメイドは思ったが、お嬢様の名誉のために口には出さなかった。

「昨日は旦那様がいなくて本当よかったよ。あんな状態で門限破ったお嬢様を見られたら、もうこっちまで恐ろしくてやってられないよ」

 旦那様はお嬢様の門限に非常に厳しく、門限を破るとそれはもうお嬢様が口に出したくないくらい怒られることとなる。怒り狂った旦那様は、いつその刃が飛んでくるかと使用人たちにとっても大層怖いのである。

「不幸中の幸いってやつですかね。お嬢様はがっつり二日酔いですが」

 お嬢様は昨日の飲酒の影響でベッドから起き上がれずにいた。頭痛がひどいらしい。お嬢様のいつもの美貌も今日は台無しだ。いつもならばとっくに起きている時間だが、今日は朝食をとる元気もない。朝食代わりの軽食と水を部屋に置いてきたところであった。

 反町が思い出したように話し始めた。

「ああそれでさ、俺ちょっと仮眠したくて、メイドちゃんに電話お願いできないかな?」

「電話ですか?」

「昨日……まぁ今日か。お嬢様が帰ってきたときに、お嬢様が靴を片一方履いてなかったんだよ。お嬢様、タクシーで帰ってきたから車の中は探したんだけど、靴が見付からなかったんだ。ぐったりしたお嬢様から行った店の名前はなんとか聞いておいたから、そこに靴を忘れられてないか聞いてくれない?」

「はい、わかりました」

 メイドはこくりとうなづいた。

「普通の奴なら酔っぱらって靴忘れるとか馬鹿だなぁって思うんだが、お嬢様だとシンデレラみたいだよな」

「ご本人に言ったら喜ぶんじゃないですかね。それで、お嬢様、昨日はどんな靴を履いていらしたんですか?」

「お嬢様お気に入りの白くて特注のやつ。なんかでっかい飾りがついてるの」

「ああ、あれですね」

 反町が言う靴は、お嬢様が特注で作らせた靴である。白いヒールの靴だが革が使われており、光沢感がある。数年前に作らせたもので、最近は革のいい感じが出てきたとお嬢様も喜んでいた。かかとの部分には、歩くのに邪魔にならない大きさの白い花飾りがついている。見るからに特注品だとわかるような代物だ。お嬢様の足のサイズぴったりに作られたものであり、履きやすい上に高級感もあり何にでも合わせやすく、お嬢様お気に入りの一足だった。

「特注品だし、ちょっと変わってますから聞きやすそうですね。お店に聞いてみます」

「うん、ありがとう」


 メイドは雑務を片付けてから使用人室に戻ると、そこにある電話から反町からもらったメモの店の番号に電話をかけた。店は二つあり、どうやら二次会まであったらしい。

「はい、もしもし。あの、昨日靴を忘れたかもしれないのですが……、はい……、あ、靴の忘れ物はなかったんですね。失礼します」

 電話の結果、二軒とも、昨日、靴の忘れ物はなかったとのことだった。

 特注品の珍しい靴だ。しかも片一方だけ。だれかが間違って履いて帰ることも考えられない。お嬢様はお店で忘れたわけではなさそうだ。

 電話の結果を反町に報告しようと思ったメイドだが、反町は使用人室のしきりの向こう、仮眠用ベッドで寝ていた。

 反町を起こすのも悪いと思ったメイドは、飲み水を替えるついでに先にお嬢様に報告することにした。

 お嬢様の部屋をノックすると、中から「はーい」と声がした。どうやら起きていたらしい。

 扉を開けると、お嬢様はベッドの上で体を起こして先ほど置いた軽食を召し上がっていた。

「お嬢様、ご体調はいかがですか」

「多少ましになったわ。みっともないところを見せてしまったわね」

「ここはお嬢様のご自宅なのですから、ご安心ください」

「そうね。お父様がいなくて本当によかったわ。本当に。本当に」

 旦那様が昨夜いなくて一番安心しているのはやはりお嬢様だったようだ。

 まだベッドの上であるものの、お嬢様の表情も口調も、普段の調子が戻ってきていてメイドは少し安心した。

「それで、何か用なの?」

「はい。片一方をお忘れになったお嬢様の靴の件なのですが、昨夜お嬢様が行かれたお店の二軒とも、靴の忘れ物はないとのことでした」

 お嬢様はあごに手を当て「ああ……」と言いながら考え始めた。

「情けないことに、家に帰ってきて、反町に指摘されて初めて靴を片一方履いてないことに気づいたのよね。お店にもなかったのね。じゃあそうねぇ」

 お嬢様はメイドの顔をじっと見つめた。

「あなた、靴を見つけてきてちょうだい」

 メイドは驚きつつも、冷静につとめた。

「……。情報がなさすぎます」

「今から私が頑張って思い出すわよ。あの靴は結構お気に入りの靴なの。やっと最近革のいい感じが出てきて、新しく作り直せばいいって物でもないのよ。この前のあなたの活躍、すごかったわよ。アルバイトメイド探偵見参!って感じで。メイド探偵を復活させて、今回は私の靴探しをしてちょうだい」

 お嬢様が言うのは、以前、お嬢様のイヤリングがなくなったときに、メイドが犯人をあててしまった事件である。あの時もメイドはしぶしぶお嬢様の探偵ごっこにつきあわされたのだ。

「嫌です。もうあんな探偵ごっこしたくありません。犯人を指摘するのも嫌だったんですから」

「私の命令が効けないっていうの?クビにしちゃうわよ」

「アルバイトといえどこの時世、簡単にクビにできませんよ」

「何言ってるの。ちょうど来週で契約期間満了よ。更新するかを決めるの、明日だったかしらね」

 お嬢様はにっこりと笑った。

 アルバイトという地位を利用するお嬢様おそるべし。

 お嬢様自身の地位を濫用するなとは思いつつ、こうなればお嬢様は言っても聞かないことは、メイドは重々承知していた。

 お嬢様は基本的にはいい人だが、少し天然なところや我儘なところがあるのだ。

「わかりました。今回も探偵役としてお嬢様の靴を探させていただきます」

「そうこなくっちゃ」

「見つからなくても知りませんよ」

「わかってるわよ。期待してるわ、探偵さん」

 お嬢様は楽しそうにそう言った。


 メイドは持ってきていた飲み水をお嬢様の枕元に置いた。お嬢様が新しい水を一口含んだのを見て、メモ帳とペンを持ったメイドは話を始めることにした。

「では、お話をお聞かせ願えますか」

「ええ。昨日は十九時からA駅近くの『のりべぇ』ってお店で飲んでたのね。言っておくけど合コンじゃないわよ。大学の知り合いと飲んでただけよ」

 お嬢様は少しむきになって念を押した。どうやら本当に合コンではなかったらしい。

「それはわかりましたから。それでどうされたんですか?」

「二十二時前くらいだったかしら。お店変えようって話になって移動したの。『のりべぇ』を出てちょっと歩いたところに移動したわ。私は場所がわからなかったからみんなについていったの。お店の名前は『鳥富豪』だったかしら」

「そのお店でずっと飲んでたんですか?」

「そうね。記憶は曖昧なところはあるけど、日付は変わっていたわね。それで解散しようってなって、『鳥富豪』を右に出てすぐ左に行ったところの近くの大通りからタクシーに乗って帰ったの。ちょうど狸の人形があったところよ」

「狸の人形ですか?」

「一メートルくらいあってね、黒っぽくてお腹出てて笠被ってたの」

「ああ。よく店先にある狸の置物ですかね」

 メイドはA駅近辺は土地勘がないので想像はできないため、後でお嬢様の通ったルートを辿れるだけのメモはとっていた。

「では今度は靴のことをお訊きしますね。昨日は途中で靴を替えたりしたのですか?」

「してないわ。昨日家出るときに履いた靴、それがなくした靴ね。それだけよ」

「お嬢様自身は反町さんに指摘されるまで靴がないことに気づかれなかったのでしたっけ。いつまでは確実に靴を履かれてましたか?」

 お嬢様は「うーん」と困った声をもらした。

「そんなこと言われてもね。靴って履いてるときはあまり意識しないものなのよね。一軒目も二軒目も覚えてないわ。一軒目から二軒目に移動するときに靴がなかったら、さすがに気づいたと思うけど」

「それなら二軒目を出てタクシーに乗ったときはどうでしたか?」

「その辺になってくると記憶があいまいで……。一緒に飲んでた子がタクシー乗せてくれたのよ。だからその時に靴なくても気づかなかったかもね」

 現にタクシー車内に靴はなかったのでそうなのだろう。

「そうなると、お店にはなかったので、二軒目のお店を出てタクシー乗る時になくしたのが濃厚ですかね」

「そうかもね。あの靴、私の足にぴったりの靴だとはいえ、パンプスだから、どこかにひっかかったりしてまったく脱げないこともないだろうし。誰かに盗まれた可能性もあるけど……、あ!」

 お嬢様が突然大きな声を上げたので、メイドはびくりと体を震わせた。

「そうよあいつよ!あいつが盗んだんだわ!」

「あいつとは誰ですか」

 興奮するお嬢様とは反対にメイドは冷静に尋ねた。

「タクシーつかまえる前なんだけど、前から歩いてきた人とぶつかったのよ。ちょっと強かったから覚えてるわ。それでぶつかったその人が、ぶつかった後、腰を曲げて何かを拾っていたのよ。きっとその時に靴が盗まれたんだわ!」

「はぁ……」

 ぶつかったら脱げる靴などあるのだろうか。メイドは疑問に思いつつ、お嬢様はこうなったら聞かなそうだ。

「だからそいつを見つけてきて!そいつが犯人よ!」

「わかりました。参考までに見た目とか覚えてますか?」

「街灯があったとはいえ、深夜だし暗かったから細かいところは覚えてないけど。確か深緑色のパーカーを着ててニット帽をかぶっていたわ」

「男性ですか女性ですか?体格は、年齢は?」

「私より少し背が高くてがたいがよかったわ。きっと男性ね。顔はよく見えなかったけど多分老人ではないわね」

「そうですか……」

 お嬢様からの状態だけで犯人はともかくとしても靴は見つけられるのだろうか。

 メイドはお嬢様に捜査のための早上がりの許可をもらうと、雑務を片付けてから靴をなくした現場に行くことにした。


 A駅はお嬢様の自宅から車で30分ほどのところにある。メイドは電車で向かったが。彼女がA駅に行くのは初めてだった。A駅といえば、乗り換えができる駅だとか、近くに大きな総合大学があるだとか、最近ネットで話題になっていた巨大な真ん丸としたテディベアがあるぬいぐるみ店くらいしか知らない。

 外でもメイド服を着るわけはなく、メイドは私服を着ていた。トレンチコート風のスカートに、キャンディースリーブの黒のトップスを合わせた、最近流行りの格好である。アルバイト代を貯めて買ったのだ。こうしてみれば、メイドは普通の女の子であった。なお、私服ではあるが便宜上メイドと呼び続けることとする。

 メイドはまず『のりべぇ』に行くことにした。『のりべぇ』はA駅の北口から出て3分ほどの場所にあった。店の入口頭上の看板には、白地に毛筆で『のりべぇ』と大きく書かれていたが、さびや色落ちが目立った。悪く言えば古くさく、よく言えば味がある店で、お嬢様のようなきらきらした若い女性は似合わなそうな店だ。お嬢様は、旦那様に黙って、たまに好んでそのようなお店に行くのをメイドは知っていた。昨日もそうだったのだろうか。まだ昼間であるため店は空いてなかったが、店の場所は確認できた。

 お嬢様の足取りを追うため、今度は『鳥富豪』に行くことにした。スマートフォンで調べると、ここから5分ほどの場所にあるらしい。二次会で使うのも自然である。

 メイドは『鳥富豪』へと歩いた。角を二回ほど曲がると『鳥富豪』に着いた。よく街で見かける黄色い看板のお店だ。こちらはチェーン店のため、昼間でも店は空いていた。

 今度はタクシーに乗った場所だ。お嬢様の記憶通り、『鳥富豪』を背にして右に行き、次の角を左に行くと車通りの多い大通りに出た。『さくら通り』というらしい。しばらく見てるだけでもタクシーが何台か通り、ここならタクシーは捕まえられそうだ。ここまで来るときに念のため靴が落ちていないか道路に目を凝らしたが、もちろん落ちていなかった。

 大通りにでて左右を見渡すと、右手にちらりと狸の人形が見えた。近づいてみると、店先でよくあるあの狸の置物だった。お腹が出て笠をかぶっており、古いせいか毛並みが黒ずんでいる。

 狸の置物が置いてあったのはお好み焼き屋だった。いい匂いがする。そういえばまだお昼を食べてなかったと思い、メイドは店の中に入ることにした。店のカウンターに座り、お店オススメのお好み焼きを注文した。客の目の前で焼いてくれるスタイルだ。

「美味しそうですね」

「ありがとよ」

 昼時を少し過ぎているせいか、店員が気さくに話してくれたため、メイドは靴の件も尋ねることにした。

「あの、ひとつお訊きしたいんですが、昨日……えっと日付変わって今日の夜とか朝、店前に靴とか落ちてませんでしたか?片一方だけです。白いヒールの靴です」

「んなもん落ちてなかったな」

「そうですか……。じゃあ、深夜二時前……一時三十分くらいかもしれませんが、店前あたりに男性が通りませんでした?深緑色のパーカー着てニット帽かぶってて」

「見てねぇな。いつも二十三時には店を閉めちまうから、その時間は店内で仕込みをしてるかもう帰ってる時間だな。なんだ、誰か人を探してるのか?」

「そんなところです。でも大丈夫です。ありがとうございます」

「そうか。お好み焼きお待ち!」

 想定はしていたが情報は得られなかったなと思いながら、メイドは出来立てのお好み焼きを食べ始めた。お好み焼きはめちゃくちゃうまかった。

 お好み焼き屋を出て、メイドはさくら通りを見渡した。

 念のため、近くの交番にも寄って靴の落とし物がないか尋ねてみたが、そのような落とし物はなかった。

 さて、どうしたものか。

 暗くなるまでにはまだ時間がある。メイドはA駅の周りを散歩することにした。

 A駅にはいくつか路線が通っており、駅の周りは比較的栄えていた。近くには大学もあるせいか、学生向けの牛丼屋や居酒屋も何軒かある。チェーン店が多そうな印象を受けた。

「正直面倒くさいんだよなぁ」

 とメイドは歩きながら一人で呟いた。

 靴の片一方だけなくなったのであるから使い道はなく、盗まれたというのも考えにくいだろう。もちろん変質者にとっては用途があるかもしれないが、とりあえずおいておく。

 店にもなく、交番にも届けられてないとすれば、捨てられてしまったのだろうか。酔っぱらいが道路に靴を忘れることはたまにあることである。そんな靴がいちいち交番に届けられるとは思えない。町の清掃時にゴミになるはずだ。お嬢様の靴も、まだ同じ日とはいえ、運悪くゴミとして回収されてしまったのだろうか。

 その時、黄色いウィンドブレーカーを着た男女が何人かメイドの目の前の店から出てきた。時計を見ると十七時だ。まだ飲むには早い時間だが、居酒屋の客引きだろう。店の看板とウィンドブレーカーには同じ明朝体のフォント、同じ紺色で『居酒屋 烏富嶽からすふがく』と書いてあった。『烏富嶽』はチェーン店ではなさそうで、新しく、清潔そうな店に見えた。名前とは裏腹に女性向けも狙っているのだろうか。

「……」

 メイドはなんとなく嫌な予感がした。『烏富嶽』は、A駅を中心に見て『鳥富豪』と点対称の位置にあるが、『のりべぇ』からは徒歩七分ほどの場所にあるのだ。

 メイドは『烏富嶽』の入り口を背にして立つと、右に出て、すぐ左の角を曲がって歩いていった。そうすると、『さくら通り』とは違う大きな通りに出た。『ひまわり通り』というらしい。この通りにも車通りが多くあり、タクシーも何台か見かけた。

 『ひまわり通り』に出たすぐ左手に、可愛らしい見た目をした店があった。看板には大きく『手作りぬいぐるみのお店』と書いてあった。営業時間は十七時までなので、看板には灯りはなく、ただ金属の板に書かれているだけだった。店先には大きなショーウィンドウがあり、既に閉店後で薄暗いが中を見ることができた。中には店の目玉なのだろう、大きなテディベアが置いてあった。少し変わったテディベアで、大きさは一メートルくらい、濃い灰色の毛並みで、真ん丸とした印象を受けるフォルムで、大きさに合わない小さな可愛らしい薄いピンク色の傘をさしていた。インターネットで見たことがあるものだった。

「もしかして……」

 メイドが気になってショーウィンドウのテディベアを凝視していると、灯りがさした。みれば、ショーウィンドウの前辺りに街灯があった。もう街灯がつく時間になったらしい。

 メイドは意を決して店内へと足を踏み入れた。店内にも多くの可愛らしいぬいぐるみがあったがそれには目もくれず、メイドは店員に尋ねた。

「あの、昨日、というか今日に入ってからの深夜なんですが、このお店の前に靴が落ちていませんでしたか?片一方だけで、白いヒールの靴です」

「ああ。ちょっと待っててね」

 店員が一度店の奥に行き、すぐに戻ってきた。

 その手には、探していたお嬢様の靴があった。


「お嬢様!」

 メイドは慌ててお嬢様の屋敷に戻ると、メイド服にも着替えず、お嬢様の部屋を訪ねた。

 お嬢様は部屋の中で優雅に音楽を聴いていた。イヤホンを外したお嬢様がメイドを見やる。

「あら。メイド服に着替えなきゃ駄目じゃない。そういう契約でしょ」

「それはいいんです!ほら!」

 メイドはお嬢様に袋を突きつけた。その袋の中には、先ほどぬいぐるみのお店で見つけたお嬢様がなくした片一方の靴が入っていた。

 お嬢様の顔がぱあっと明るくなった。

「見つかったのね!確かにこの靴よ」

 念のためお嬢様がシンデレラよろしく靴を履いてみるとサイズはぴったりだった。

「やるわね。どこにあったの?」

「その前に、ひとつずつお嬢様に確認させていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ」

 メイドは隠しきれない苛立ちを抑えつつ、話を進める。

「まず、先ほどお嬢様からお話をお伺いしましたが、嘘はつかれましたか?」

「嘘なんてつくわけないじゃない」

 お嬢様はけろっとそう言った。

「前科がありますので一応聞いております」

「その言い方はひどいわね。私は探偵さんに協力してあげたというのに」

「本当に嘘はついてないんですね」

「そうよ」

 メイドはお嬢様の瞳をじっと見つめたが、瞳は泳がなかった。どうやら今回は本当に嘘をついてなかったらしい。

「それならそれでいいです。先ほどのお嬢様のお話を確認しますが、昨日は『のりべぇ』に行ってから二次会で『鳥富豪』に行ったとのことでしたね」

「ええ」

「もう一度確認しますが、『鳥富豪』でしたか?」

「そうよ」

 お嬢様は揺らがずにそう言った。

 仕方なくメイドは指摘することにした。

「結論から申し上げますが、お嬢様が二次会で行ったのは『烏富嶽』で、『鳥富豪』ではありません」

「からすふがく?変な名前ね。初めて聞いたわ」

 お嬢様は首をかしげた。

「それも無理もないかもしれません。お嬢様は一次会で既に酔っていらしたようでしたし、二次会は知らないお店で、お嬢様はみんなについていったんですからね」

「でも、私、看板を見たわ。『鳥富豪』だと思ったんだけど」

「『鳥富豪』はチェーン店ですからお嬢様も一度は名前を聞いたことがあるかもしれませんが、『烏富嶽』はチェーン店でもなければ新しいお店です。加えてお嬢様は酔っていらした。お嬢様の記憶が曖昧になり、『鳥富豪』だと間違って覚えられていてもおかしくありません」

「そうなの?」

 お嬢様は納得がいかないようだが、メイドは話を先に進めることにした。

「次にお嬢様がタクシーに乗ったときのことです。近くに狸の人形があったんですよね」

「ええ。一メートルくらいで、黒っぽくてお腹出てて笠被ってた狸よ」

「それです!狸じゃなくてテディベアでした」

「えっ」

 さすがのお嬢様も驚いたようだ。口をてで押さえている。

「『烏富嶽』からお嬢様が言う通りの順路で行くと大通りに出て、ちょうどその通り沿いにぬいぐるみのお店があったんです。そこのショーウィンドウに、濃い灰色の毛並みのテディベアがありました。大きさは一メートルくらい、真ん丸としたフォルムで、小さな傘をさしてました」

 メイドがそのテディベアをスマートフォンで撮った写真をお嬢様に突きつけると、お嬢様は眉根をよせた。

「全然狸に見えないわよ」

「私も全然狸に見えません。でもお嬢様はこれを狸と見間違えたんですよ」

「そんなことあるわけないわ」

 お嬢様はむっとしていた。

「説明しますが、このお店の看板は夜は暗くて見えません。ですから何のお店かはわからなかったと思います。でも店のショーウィンドウの前には街灯があって、夜であっても薄暗いといえどショーウィンドウの中が見えます。酔っぱらっていたお嬢様はそこでテディベアを狸と見間違えたんです。似てるのは色と耳くらいですかね」

「何よそれ。馬鹿にしないで」

「では改めてお聞きしますがお嬢様が見た狸の人形はどのように置かれてましたか?」

「地面よりちょっと高いところにあったわ」

「毛並みは?」

「ふわふわしてそうではあったわね」

「どんな笠でした?」

「薄いピンク色よ」

「全てさっきのテディベアと一致します。逆によくある店先にある狸の置物とは全然違いますよね。現に、お嬢様の靴はそのぬいぐるみのお店の前で見つかりました。店員さんが拾っておいてくれたんです」

「私が見た怪しい人はどうなのよ」

「知りませんよそんな人。お嬢様とぶつかる人皆が物を盗むとは限りません」

「……」

 お嬢様は頬を膨らませてつんとふてくされてしまった。

 現に靴が見つかった以上、お嬢様はお店の名前を覚え間違え、テディベアを狸の人形と見間違えていたのだ。そしてメイドはそのせいでまた要らぬ苦労をさせられてしまった。正直ふてくされたいのはメイドの方だ。

 お嬢様は昨日かなり酔っていた。だからこそ、お嬢様は記憶違いや見間違いをしてしまったのだ。お嬢様が酔っぱらいだとわかりつつ、お嬢様の言葉を信頼してしまった方も悪いのかもしれないが、メイドとしては今回もお嬢様に振り回された気分だった。

 お嬢様はひとしきりふてくされると、ようやくメイドを見た。

「まぁいいわ。靴は見つかったんだから。ありがとう、探偵さん。ああ、アルバイトメイド探偵さんね。今もメイド服着てくれていたらよかったのに」

「……はい」

 メイドはお嬢様の言葉はやっぱり信頼ならないのだと心に決めた。


 後日。

 お嬢様が屋敷の廊下を歩くとヒールの音がかつかつと鳴り響いた。お嬢様は今日もお気に入りのあの白いヒールの靴を履いていた。

 やがてヒールの音は使用人室の前で止まった。

「ねぇ来て来て!」

 使用人室で休憩していたメイドは、突然扉が開いて驚いた。しかもお嬢様だ。

「どうしたんですか。こんなところまで」

「あなたに見せたい物があるの」

 お嬢様はメイドの腕を引っ張って無理やり連れ出すと、一階の普段は使われていない客室の扉を開けた。

「これよ!」

 部屋の中には、どーんと狸のぬいぐるみが中央の机に置かれていた。一メートルくらいの大きさで、黒っぽい毛並みで、お腹が出ていて、笠を被っていた。見たことがないぬいぐるみだ。ふわふわしており、抱きごこちも良さそうで、正直すごく可愛い。

「あの手作りのぬいぐるみのお店に特注で作ってもらったのよ。さっき届いたの」

「はぁ……」

 結構な値段がするんだろうなとメイドは思った。

「ね、結構可愛いと思わない?私の記憶通りに作ってもらったの。私が見たのはきっとこの子だったのよ。運命的よね。これであなたも私を馬鹿にできないでしょう」

 お嬢様の理屈はよくわからないが、テディベアを狸と見間違えたのがよっぽど悔しかったらしい。ならばいっそ自分が見た狸の人形を作ってしまおうとなってしまう思考回路は、メイドにはやはりよくわからなかった。

 しかし、それを差し置いても、目の前のぬいぐるみは可愛らしかった。今すぐにでも抱きつきたくなるような魅力がある。

 そう思ってるとお嬢様が狸のぬいぐるみに抱きついた。もふっという音が聞こえそうなくらいだ。

「あなたもこうしたい?結構気持ちいいわよ。私を馬鹿にしないって誓えるならこうしてもいいわ」

「初めから馬鹿にしてませんってば」

「ならいいけど」

 許可をもらったので、おそるおそる、メイドも狸のぬいぐるみにぎゅっと抱きついた。ぬいぐるみは見た目通りもふもふで、天国のような気分だ。メイドはいつまでもぬいぐるみを抱き締めていたいのであった。

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