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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

サラフィー様の手の中で

引退

作者: Lance

 陽光を大盾が遮る。振り上げたそれを彼は渾身の力で敵に叩きつける。

 短い呻きを残し、敵兵は吹き飛んだ。

 未だ収まる気配を見せない戦場に転がり、二度と起き上がらなくなった身体は敵味方に踏み拉かれる。

 しかし、木の盾は鉄の縁取りを残してもはや木っ端同然に成り果てていた。

 矢を剣を、斧を幾重にも塞いでくれた。だが、未練はない。その思いが命取りとなる。

 大枚を叩いて買った自前の盾だが充分役目を果たした。

 次なる凶刃を剣で跳ね返し、旋回させる。

 敵兵の首から血が溢れた。

 もはや待っているのは死だが、それを受け入れられ無い様子でそいつは手で噴水のように吹き出す血を押さえた。とどめをくれようかと思ったが、別の傭兵がやってきて一足先に冥府へと送り届けた。

 俺が取った首の数は幾つだったか。

 しかし、戦場が彼に思い出させることを承知させない。

 次なる鎚を避ける。後ずさりすると右から左から風を唸らせ鼻先を掠めてゆく。

 敵の顔は面頬で見えない。

 膂力だけはあるようだが、それはこちらも同じことだった。

 片手持ちだった剣の柄に左手を添え握りしめる。

 単調に横切るそれを渾身の力で弾き返す。

 だが、重い戦鎚はさほど浮かなかった。しかし、相手が握り直す瞬間に剣を突き出す。露出した喉元を狙ったが体勢を反らされ甲冑に阻まれる。

 隙を出したのはこちらも一緒であった。横から鎚が振るわれ側頭部を殴打する。

 吹き飛ぶ身体、明滅する意識。

 俺は死んだ。

 だが、耳にはっきりと聴こえる戦場の音が意識を覚醒させる。

 右に転がる。刹那、鎚が地を穿つ。

 ちっ、生きてやがったか。首と頭が痛い。兜も打たれた左側が歪んだようだった。幸運だった。

 いや悪運だったか。

 敵が今度こそとばかりに戦鎚を大きく振り上げる。狙いはこの顔だ。

 右に転がるか左に転がるか。どっちだ。つい今拾った命を散らすか決めるのは今しかない。

 右!

 転がり立ち上がりかけるのと鎚が大地を揺らすのはほぼ同時だった。

 敵に瞠目する間も与えず、躍りかかり剣を振り下ろす。敵の両腕が分断され、溢れ出る血がこちらの甲冑を濡らす。

 気合の掛け声とともに呆然とするそいつの首を分断してやった。剣は新たな鮮血に濡れる。

 転がった首を足で受け止める者がいた。

 思い出した。俺が討った敵の数は三十と一。記録更新だ。

 だが、幸先が良いようには思えなかった。

 新たに立ち塞がる者の異様さと、静かだが炎のように燃え滾る殺気に身体が一瞬縛られたかのようになった。

 特別大きな男と言うわけではない。ただ、兜をかぶったそいつは左右の腰に二本ずつ剣を差し、背中にも同じく剣が四本、右と左に斜め掛けにされていた。

 出会ってしまった。

 蝙蝠剣士。いや、地獄の悪鬼に。

 盆暗な騎士や兵士どもとは違い、戦場を生業とする傭兵達の間では有名だった。

 血みどろアッシュ。

 甲冑も兜も握っている剣先からも濃い血が雫のように垂れ落ちている。

 どうする、命乞いをするか。逃げるか。

 剣を構える。

 何故。勝ち目が無いのに。

 捨て鉢になり咆哮を上げて躍りかかった。

 一合で俺の手に痺れが走る。手入れを欠かさず大事にしていた剣が圧し折れていた。

 アッシュが間合いを詰めてくる。

 命乞いをしたくなった。戦場で命を失う危機に遭遇したことは何度でもある。だが、これは違う。本能がそうさせようと訴える。

 だが、自分に抗っていた。

 剣士としての意地がある。

 これまで幾度も戦場に身を投じて来た経験がある。

 もしかすれば勝算はあるのではないか?

 誰も答える者はいない。

 折れた剣を惜し気も無く投げ捨て、短剣を抜いた。

 アッシュは動きを止め、こちらを睨みながら剣を振り下ろす。

 勘がそれを避けさせた。

 しかし、アッシュの攻撃は早い。返す刃でこの首を狙って振るわれる。伏せてやり過ごすと共に再び直感の赴くままに間合いに入り短剣をその顔面に突き立てられたはずだが、もう片方の腕が素早く剣の柄を握るや電光石火の如く鞘走り短剣にぶつかった。

 その一撃を受けた瞬間、感じた。これは怒り、それとも憎しみ。あるいはその二つ。

 短剣は新品だった。気まぐれで高くて頑丈なのを買った。それが今命を繋ぎ止めた。

 アッシュは左手の剣を腰の鞘に収めると右の真っ赤に濡れる剣を薙ぐように構えた。

 あの速さ、逃げられる訳がない。

 身構えた。防御に徹するように短剣両手で握り締め、睨む敵を睨み返す。

 撤退のラッパが木霊した。

 アッシュが周囲を見回した。

 今になって再び戦場に響き渡る勝鬨の声を聴いた。

 勝ったのはどっちだ。俺は負けたのか?

 呆然自失としている間に俺の左右を味方勢が追い抜いて行く。

 アッシュはそこに立っていた。

 彼がどうなったのかは知らない。

 幾重にも築かれた味方の背後で俺は黙って戦場を一人見詰めていた。

 身体から力が抜け、内で燃え滾っていた闘志はくすぶり静まり返っていた。

 いつの間に戦場から離れた場所に立っていたのかは分からない。

 一つだけ確かなことは、俺は逃げたのだ。アッシュが怖くて、怖くてたまらなかったのだろう。

 奴と対峙した時に呑まれた時に異質な空間に足を踏み込んだかのような錯覚を覚えたことを今更ながら思い返す。

 盾も剣も失い、握っていた短剣すら捨て、ここにいた。

 だが、生きている。

 今日ほど自分の命の重みを痛感したことはあるだろうか。

 傭兵からは足を洗おう。戦場が怖くなったのだ。もう良い。老後にガキどもに物を語るには良い経験を充分した。一生分の運だって使い果たしたと思う。今後は堅実に生きてゆこう。分はわきまえるものだ。そして何より命あっての物種とも言うしな。俺は生きている。満足だ。

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[良い点] マイナスからゼロに戻れたというネガティブなカタルシス。 苦いコーヒーのような味わいで、決して派手な美味しさはないけど、ふしぎと悪い感じはしない。 たぶんLance先生という作家の味なんだ…
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